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それでも私は、やめられない。

    私は、スカッシュのために膝を4回も手術した女。

    初めてスカッシュコートに入った日から、7年が経った。しかし、この7年間の半分を、スカッシュコートではなく病院のリハビリ室で過ごしてきた。そんな私のスカッシュ歴は、1年。つい先日、2年目に突入したばかりだ。

    2019年。友人に「スカッシュって知ってる?近くにできたんだけど、行かない?」と誘われたことがきっかけだった。

    私はずいぶん昔に、テレビで「スカッシュ」というスポーツを知っていた。テニスにも似ているラケット競技だが、

    ◆室内スポーツ(陽に当たらずに済む、雨や雪などの天候に振り回されない)
    ◆四方を壁に囲まれたコート(打ち損ねてもボールが遠くに転がっていかない)
    ◆イギリス発祥の英国紳士が愛した知的なラケットスポーツ(なんかカッコいい!)

    このような条件が私にはとても魅力的だった。日本ではまだプレイヤーも少なかった。人と違うことがやりたい性格も相まって、「スカッシュをやりたい!」と思ったのだが……残念ながらテレビで見た当時、新潟にはスカッシュコートなるものは存在しなかったのだ。

    私が友人に二つ返事で「行く行く行く!」と返事をしたのは想像に易いだろう。

    ところが、この「行く行く行く!」が、まさかその後7年間で4回も手術台に乗る人生の始まりになるとは、この時は夢にも思っていなかった。

    簡単に私の手術歴を並べると……

    【2019/4/10】左膝半月板切除術(リハビリなし)
    【2023/12/13】右膝半月板縫合術(リハビリ5ヶ月+延長1ヶ月)
    【2024/10/9】右前十字靭帯再建術(リハビリ7ヶ月+延長1ヶ月)
    【2025/12/2】右膝半月板切除術(リハビリ7ヶ月目、いまだに継続中)

    手術歴だけなら、プロのスポーツ選手に匹敵するほどの回数を7年の中でやっているのである。

    最初の手術は、2019年。スカッシュで左膝の半月板を損傷したことが始まりだった。

    念願だったスカッシュ。それはそれはウキウキした気持ちでコートに入った。元々ラケット競技は苦手だったが、頭の中で「スカッシュをしている私はカッコいい!」がすでに出来上がっていたのだ。一度イメージしてしまったが最後、実現せずにはいられない。

    ただ、現実は違った。自由に、好きなように限られたコートの中で小さな真っ黒い球を打つと思いのほか、跳ねない、飛ばない、重たい。床と前後左右の全ての壁がコートという独特なスポーツがゆえに、球が落ちてくるところを予想できない。通常のテニス打ちでは、球がまっすぐにすら飛ばないのである。

    「なんつー、奥が深いスポーツなんだ!」

    強い好奇心だけコートに持ち込んで挑戦してみたが、探究心も強い私にはハマる十分な条件が揃っていた。

    スカッシュは算数の“動く図形問題”だ。
    壁に当たる角度、ボールが描く放物線、その先で相手がどこへ動くかまで想像する。一球ごとに、小さな図形問題を解いているような気分になる。相手が一番取りにくい場所へ落とすには、どの線を選べばいいのか。頭の中では、角度や曲線を計算しながらラリーを続ける。

    わずか10分で息が切れ、汗が滝のように流れ、運動不足の両足がもつれだす。それでも犬のようにコートを走り回りたい衝動が止まらない。私のスカッシュ初体験は、身も心も思考も「ハイになる体験」となったのだ。

    そして、訪れた運命の日。

    友人らもスカッシュを楽しみ、「スカッシュ部結成だ!」と言っていた矢先に……コート内で左膝に味わったことのない強烈な痛みが襲いかかった。違和感に気づいた次の一歩は、つま先すらまともにつけない状態だった。

    私は26歳以降、スポーツから離れていた。理由は、左膝前十字靭帯を断裂し、再建していなかったからだ。それまではキックボクシング、バスケットボールを楽しんでいた。断裂後に結婚式を控えていた私は、当時の主治医に「手術、リハビリをすると結婚式に間に合わない」と言われ、再建を断念した。先生曰く、「再建をせずとも、日常動作には支障がない程度には暮らせる」とのことだった。その代わり、こんな条件下の未来が決定した。

    「激しいスポーツは難しい。君はアスリートじゃないし、これからそんなに激しいスポーツなんてしないでしょ?」

    ーーーねぇ、先生。43歳になって<世界で一番激しいスポーツ>と言われてるスカッシュを始めてしまった私がいます。

    続行不可能となり、歩こうとするたびに、膝が滑るように崩れていく。コートから出るまでの数秒の中で、私は記憶の中の先生にそう伝えた。

    てっきり膝の捻挫だと勘違いしていた私は2ヶ月間、治るものと思って過ごしていたが接骨院の先生に、「一度病院に行ってみたら?」と勧められた。病院の診察の結果は、半月板損傷。MRIには半月板の裂け目が映っていた。

    「相当痛かったはずだよね。なんで2ヶ月も病院に来なかったの……」

    信じられないという眼差しを向けられたものの、私は大した怪我だと思ってはいなかった。が、手術日が決まるまでは早かった。受けた手術は「半月板切除術」。全身麻酔から目が覚めた翌朝、手術を担当した主治医から衝撃の事実を告げられた。

    「渡邊さんの半月板は“円板状半月板”といって、特に外側の半月板が生まれつき大きいんです。本来、半月板は穴が空いているんですが、穴も空いていない。つまり、普通の人より怪我をしやすい膝なんです」

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    正常な半月板と円板状半月板の違い

    その言葉を聞いて、子どもの頃を思い出した。すでに私の膝には兆候があったのである。時々、猛ダッシュをしたあとに膝が「カクン」と滑る感覚を何度も味わっていた。ジッとしていれば、ズレたような違和感のある膝は噛み合ったゼンマイのように「カチッ」と元に戻ったので、たいして気にもしていなかった。

    激しいスポーツをする機会さえなければ、円板状半月板であることに一生気付かず過ごす人も多いそうだ。そんな私が選んだスポーツは「スカッシュ」だった。私がずっと憧れていたスポーツは、先天異常で生まれた私の膝とは相性が一番悪いスポーツだったのかもしれない。

    手術の3日後には退院した。半月板を削っているのでクッション性は下がっているものの、日常歩行に問題はなかった。なので、

    「よし、痛みが引いたらスカッシュ部に返り咲くぞ!」

    と意気込んでいたのだが、気がつけばスカッシュ部は空中分解していた。まるで最初から始まっていなかったかのように。私自身、仕事も忙しくなり、スカッシュから離れることになってしまった。

    仕事や買い物でスカッシュコートの近くを通るたびに、初めてスカッシュをした日の快感を思い出す。だけど、1年、2年と歳を重ねていくうちに心は守りに入り、“やらない言い訳”という呪いを自分にかけるようになった。

    「私の膝は<激しいスポーツで怪我をしやすい>と先生も言ってたしね」
    「子どもたちの送り迎えもあるし、また入院なんてしたら家族に迷惑かけてしまう……」

    この呪いに、効力があったのかどうか。
    3年後に答えを知ることとなった。3年後、私はまた冷たい手術台の上に横たわり、煌々と私の顔を照らす無影灯(ライト)の下で、右膝を先生に差し出していたのだから!

    2023年7月。
    久しぶりに越後一宮・弥彦神社に参拝した日のことだった。本殿に向かう途中で石畳の溝につまずき、転倒しないように踏ん張った瞬間、

    ぐりっ…!

    右膝の関節という狭い空間の中で、膝の外にまで何かがはじけ出てきそうな圧迫感と、息を殺すことでしか凌げない痛みが蘇った。次の一歩を踏み出したくはなかった。なぜなら、一歩踏み出したら私は認めざるを得ないだろうと思ったからだ。半月板の「エマージェンシー!」という叫びを。

    ーーー激しいスポーツしなければ、大怪我と無縁だったんじゃないの!?神様、これは何の仕打ち!?

    自分に言い聞かせた“スカッシュをやらない呪い”のせいなのか、それとも、神様からの“スカッシュをしなくても、怪我をする時はするんじゃ”という戒めなのか。そんな問答をしながら、翌日、診察に行くことを決めた。

    前回の担当医がいない日に診察したことで、MRIにたどり着くまで4ヶ月がかかった。その間、東京出張などもあり、とにかく歩く機会が多かった。そんな私の膝はMRI撮影をした頃には「ボロ雑巾」となっていた。

    「半月板が切れてますね。今回の手術は縫合という形になるでしょう。術後は数ヶ月リハビリになります」

    再び戻ってきた手術室。全身麻酔の手術は喉の手術も入れれば3回目。手術直後の痛み、尿管カテーテルが繋がれた不快感については経験済み。今更怖いはずもないのだが、なぜか泣きそうなくらいに正体のわからない恐怖が私に付きまとっていた。点滴をつたって体内に麻酔薬が放たれる。手首、肩、胸、お腹、大腿部、左半身のつま先でUターンをして、右半身を駆け抜けていく。徐々に冷たくなっていく体、心拍は徐々にゆっくり速度を下げ、胸の辺りは苦しくなっていく。脳に到着するまではわずか数秒だ。ライトの光はテレビのノイズのように「ザーザー」し始めたので静かに目を閉じた。数字を呟きながら、

    「7……」

    で私の意識は完全に真っ暗な世界へと落ちていった。目が覚めた時には大部屋に戻っており、クリーム色の見慣れたカーテンが揺れていた。麻酔が抜け切るまで朦朧として過ごすのだが、なぜか涙が止まらなかった。痛みに耐えられない涙でもなく、吐き気による涙でもない。手術前の恐怖とは一転し、涙の理由は「溢れ出る感謝」だった。ただ、麻酔が切れる覚醒過程の中でのトランス状態だったのか、“何”に感謝をしていたのか。意識がはっきりしてからは憶えていなかった。

    夜中に何度も感謝が溢れては涙を流し、気がつけば朝を迎えていた。
    そして、この朝が今の私にとって「特別な朝」だったのだ。

    朝食も済ませた頃、担当となる理学療法士の方が挨拶に来た(以降、担当PTさんと呼ぶ)。なんと、手術翌日なのにリハビリがスタートするのだ!唖然としている私にリハビリ内容を淡々と説明し、

    「では、16時にお迎えにあがります!」

    と彼は駆け足でリハビリ室へと戻っていった。2023年12月10日。私の長い長いリハビリが始まったのだ。そして、この出会いがスカッシュ再出発の始発駅となった。

    私に長所があるとしたら、それは「素直さ」かもしれない。
    リハビリ初日、「かなり痛いと思いますが、足を持ち上げてください」と支持され、仰向け状態から手術をしてニーブレース(固定具)をつけた重たい右足を45度の角度まで上げて見せた。

    「おお!普通の人は痛くて持ち上げられないんですよ、よく上がりましたね」

    それを最初から知っていれば、私だって「痛くて上がりません」と言っていたかもしれない。普通の人はできないことをやってしまったので、課せられるリハビリは当然“できる前提”となる。病室に戻ると、大部屋の仲間がリハビリの内容を聞いてきた。同室には2人の女子高生もいた。内容を伝えると、

    「私、それ出来ませんでした。痛くて無理!」
    「未だに私、そのトレーニングは両足でできないから、片足ずつですよ」

    私の娘と同じ歳の女子高生たちには「すごいですね!」と言われ、もう直ぐ入院2ヶ月を迎える部屋の主のご婦人からは「彼は1番のベテランなのよ。厳しいけどいい先生だって。渡邊さんはできる人だと思われてるのね!頑張って!」と励まされた。

    リハビリは至って順調。退院予定より早まり、クリスマスイブには退院した。半月板縫合のリハビリ期間は5ヶ月。入院当時、蛍光ピンクだった私の髪は春を迎える頃にはブリーチに戻り、完熟手前の白桃のような色になっていた。リハビリもあと1、2ヶ月で終了だろうという頃に、担当PTさんが私に質問をしてきた。

    「膝が良くなったら、何がしたいの?」

    そこで私の口からぽろっと出てきた言葉は

    「……スカッシュ。スカッシュがもう一度したい」

    だった。スカッシュというスポーツを何となく知っている人は多いけれど、やったことがある人は少ない。担当PTさんにスカッシュと出会った話をしたところ、こんな提案をされた。

    「右膝のリハビリ終えたら、左膝も再建しなよ。そしたら、スポーツ復帰できるよ」

    ーーーこの人は、右膝のリハビリも終えてないのに、またあの痛い目をしろっていうの!?左膝、3年前も手術したばっかりなのにこじあけろっての!?大怪我もしていないのに!?

    「今は……正直考えられないや。だって、今のリハビリだって痛いんだもん」

    と彼に伝えたものの、再建の提案は私の中で日に日に存在を大きくしていった。丸5ヶ月のリハビリ期間を終え、筋力強化ため1ヶ月のリハビリ延長が決定した頃、私は決意した。

    「私、再建、受けるわ。次の診察で先生にもそう伝える」

    リハビリ終了と同時に、再建手術の予定日が決定した。

    2024年10月。再び入院セットをスーツケースに詰め込んで病院ロビーに到着した。ロビーの奥から「チラ。チラ」と見慣れた顔がこちらを見ていたので知らんぷりをしていると「毎度ありがとうございます!」と笑いながら担当PTさんがやってきた。半月板縫合よりも靭帯再建後のリハビリは長くなる。約7ヶ月、彼には担当してもらうことになっていた。一番厳しいけれど、1番のベテラン理学療法士。そして、3回目の手術も担当してくれる腕も人間性も素晴らしい医師。このタッグが支えてくれるなら、スカッシュが存分にできる膝が復活するはずだと確信していた。

    3度目の手術台の上は、新世界に冒険に行くような気分だった。26歳の時に断裂したままだった前十字靭帯。自前の腱を抜いて前十字靭帯として移植するのだが、抜いた腱は「スカッシュをしている自分とつなぐ、未来への架け橋になる」。そんなイメージだったからだ。

    しかし、再建後の膝は想像していた以上に動かなかった。半月板の手術より傷も深く大きい。未来の架け橋として抜かれた腱は、ハムストリングの一部。足を曲げたり伸ばしたりする上で、重要な筋肉を支える部位なのである。靭帯は再建されたものの、移植のため腱が抜かれた太ももは力が入らなくなっていた。

    それでも、手術の翌日からリハビリは開始。再建した十字靭帯がまた切れたりしないだろうか?という新しい不安と恐怖が生まれた。私の膝は術後の拘縮ではなく、不安と恐怖で硬くなり、スムーズな曲げ伸ばしに相当な時間をかけることになった。

    仕事で心理学を学んできたが、知識があることと実践で活かすことはまるで別物だった。ある日、担当PTさんから喝が入った。

    「怖くない!スカッシュがやりたいんだろ!」

    まっすぐな目で入れられた喝は、「不安と恐怖」という亡霊を一蹴してくれるようだった。院内で1番のベテラン、担当してきた患者数も、症例数も誰よりも多い彼が「怖くない」と言うのなら怖くないんだ!と素直に思ったのである。

    2年連続、右膝、左膝と手術をしているのでリハビリ自体が正直しんどい。それでも、励まされながら、少しずつできることが増えていった。予定通り7ヶ月のリハビリが終える頃、筋力回復が追いつかず1ヶ月延長となった。
    しかし、担当医と担当PTさんが、引き続き私が楽しくリハビリを続けられるように嬉しい提案を持ちかけてくれた。

    「最後の1ヶ月は、スカッシュをやってみながらリハビリしてみよう。いつもリハビリだけじゃ、嫌になってくるだろう?」

    こんな膝じゃスカッシュなんてまだ無理だ!と言われると思っていた私は、まさかの提案に驚きつつ、自宅に帰って直ぐにスカッシュコートの予約を入れた。仲間にも連絡して「スカッシュに行くことにしたから、よければ一緒に!」と伝え、もし誰も来なかったとしても一人でも再スタートするつもりでいたのだ。

    スカッシュコートに戻ってきた時、たとえまた怪我をしたとしても、何度でも戻ってこようと思った。私は何度も自分に「やらない言い訳」という呪いをかけてきたつもりだったが、2年連続の手術・リハビリをしている中でまったく効力がなかったようだ。

    ーーー神社での半月板損傷は、もしかしたら私がスカッシュに戻るためのお導きだったのかもしれない!

    こんな時だけご都合解釈をするのが人間らしいのかもしれないが、初めてスカッシュをした日のように無邪気にボールを追いかけた。両足は手術前のようには動かなかったが、またスカッシュをやれるという喜びの方が強かった。

    延長したリハビリも終えた頃、コート通いは週2回となった。毎週火曜・金曜がリハビリだったので、その予定をすっぽりスカッシュ練習に充てたのだ。リハビリに通うことが習慣化されていたので、習慣の中身をスカッシュに入れ替えれば無理せず継続できると思ったからだ。

    こうして新しい日常ルーティンが生まれた。人生面白いもので、1つルーティンが変わると、付随する人間関係なども変わってくる。ちょうど週2回通うことが決まった頃、他の曜日にスカッシュをやっている「昔スカッシュをコーチとして教えていた」という人が毎週練習を見てくれることになったのだった。そうした出逢いに恵まれて、私も仲間もスカッシュの楽しさと魅力にズブズブとハマっていった。

    少しずつ、スカッシュらしい打ち方もできるようになり、関東から来るチームとの練習会イベントにも参加してみよう!と意気込んで練習をしていた。そして、この意気込みは空回りし、左膝までグニっと「回って」しまったのだ。

    「左膝半月板損傷ですね」

    既視感のある診察室、既視感のある先生との会話、既視感のあるMRIの画像、既視感のある今後数ヶ月の未来の展開。私は超能力者ではないが、この時ばかりはハッキリと未来が見えた。天井からぶら下がる点滴、私に麻酔のマスクをつける看護師の手、ベッドの横にある心拍計、全てが見えた。

    しかし、先生からは
    「2年連続で手術をしているし、筋力もせっかく上がってきていたところだったしね。保存でいけるかどうか少し様子をみましょう」
    と伝えられた。手術は保留、ということだった。だが、私の膝はすでに答えを出していた。1ヶ月様子をみたものの、膝関節がブロックすることが増えてしまった。

    2025年12月。
    結局、半月板手術へ。再建時の抜釘も同時に行った。場合によっては縫合手術となり、また長いリハビリになることが予想されたが、手術結果は「切除」だった。切除の場合、日常の制限がないため直ぐにスカッシュに復帰できるものだと思っていた。しかし、さすがに3年連続手術した両膝は自分自身を支えることも辛くなっていた。50歳を迎えた私だったが、膝は70歳を先に迎えていたような頼りなさだった。

    入院中は松葉杖で生活をし、退院後も予定ではなかったはずのリハビリが追加された。担当PTさんとは3年目のタッグとなる。すでに信頼関係は強固だったので、彼の指示するリハビリメニューを今まで以上に真剣にこなしてきた。

    2026年に入り、退院1ヶ月半でスカッシュコートに復帰。新生スカッシュ部は私がいなくても楽しそうな笑い声が飛び交っていた。どうやら、空中分解することはなさそうだ。

    半月板切除は「医学的には制限はない」ということだったので、ボール出しくらいはできるのではないか?ということで自己責任でコートに戻ったのだった。実際のところ、立ってボール出しをしているだけでも膝はしんどかった。ボール出しをしているからといって、動かないわけではない。走らないというだけなのだ。

    それまでは、コートの外から見学をし、見学もボールの角度やスピードが客観的に見えるのでプレーできないからこその勉強がたくさんできた。だけど、ジッとしていられるタチではないのが私だ。

    コートに入ってはちょっとの無理をして、膝に水が溜まれば「先生〜、みずを抜いてくださ〜い!」を何度も繰り返した。ハッキリ言って、性懲りのない50歳のオバサンである。それでもスカッシュをやめるという選択肢がないことに、先生も担当PTさんも苦笑いをしつつ、応援してくれている。

    最後の手術から、また7ヶ月が経とうとしている。そろそろリハビリも終盤に近づいてきた。両膝にガッチリとサポーターを巻き付け、プレーをした翌日には立ち上がることさえ困難な日もあるがそれでもやらずにいられない。

    スカッシュの中毒性を7年前に経験した私は、もう、スカッシュ沼から抜けられない。先日、スカッシュを再開して丸1年が経ち、2年目に突入した。空間ビリヤードと呼ばれるだけあって、このスポーツがいかに「知能戦」であるかの面白さも分かりかけている。

    360度、壁に囲まれたコートの中で跳ね返るボールの美しい軌道は、時にフィボナッチ数列的な美しさを感じさせる。私が何度も膝の手術を乗り越えてでも戻ってきて眺めていたかったのは、スカッシュならではの数学的な美しさだったのかもしれない。

    この膝は今は70歳くらいだろう。いつまでボールを追い続けられるのか。それとも、ボールを追いかけず、ボールを負わせる側のテクニシャンになるのか、それはまだわからない。

    だけど、この両膝がどこまで「世界一激しいスポーツ・スカッシュ」に挑戦していけるのか。この日本でそれを証明できるのは、私しかいないかもしれない。

    私はもう、スカッシュをやめるという選択肢はない。
    私は「さて、次はどこに一球をぶつけようか」しか考えられない脳になって、コートに戻ってきたからだ。


     
     
    自分の人生に夢中になろう【職業】セールスコピーライター出身の占術プログラム開発者/催眠術師【発信内容】人間関係の構造から整える方法、他の占い師が教えない運気・運勢の考え方と人生の流れの変え方、占い・心理系マーケティングの話、時々スカッシュや猫、趣味の話。

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