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Photo bymanie_okmt

ちょいよみ 2026 06 25

    舶来おさむ(naka)



    ・ 『他者と生きる』 磯野真穂 著(集英社新書 2022)

      【人類学】 57 / 275 頁

      話題となっているカンヌ映画『急に具合が悪くなる』。
      その原作者のひとり、人類学専門の方の本をすこし。

    倫理が止まることなく走り出すと、それはやがて私たち全てに課せられた人としての宿命、「人は病気になるし、人は死ぬ」ことと衝突するのである。

    P. 8

    贈与によって成り立つ社会において、自分から何も送ることが出来ないことの顛末を予想することは容易(たやす)い。

    第1章 情報とリスク P. 25

      本の文脈とは関係ないが、もし私が「贈与によって成り立つ社会」にい
      たら、なにを贈与できていたろうか、と思う。
      今は完全贈与社会ではないが、ある程度の贈与社会ではあった。
      食品添加物いりの中元はいらぬ、と父に言うも、
      贈り物をしないと気がすまないのだ。
      何回か意志を伝え、今は送ってこないかと。


    ・

    ・ 『新装版 歓喜天 信仰と俗信』 笹間良彦 著(雄山閣 2017)

      【民俗学】 121 / 188 頁

    インドの古代宗教ではほとんど女性を男性より偉大なものとし、
    女神が多いが、仏教になってなぜ女性を罪深いものとする思想を生じたか。

    俄那鉢底に対する認識 P. 71

    これは、初期仏教なのか、大乗仏教からか。
    大乗仏教であれば、女性蔑視は、入り込んだキリスト教の影響と考えられようが。

    古代インドにおいては、それより宗教哲学的に女性性力と男性性力の結合を重視し、ヒンドゥー教では現在でも宇宙の活動原理を女性にあるとし、
    男性はこれをうけて一体となり、活動するとし、これを加味のシャクティとし、シャクティは女性であるとする。世界中に見られる地母神信仰も共通した考え方からであろう。

    俄那鉢底に対する認識 P. 72

    猪はヴィシュヌ、またはブラフマーの化身であり、破邪の善神であれば、
    十一面観音と同じく、障害をなす毘那夜迦を鎮めるために女身となって
    抱擁することもあり得ると思われる。

    俄那鉢底に対する認識 P. 96

    あるとき歓喜天の真のご尊影が現じた。
    それは象頭人身の男女抱擁のニ尊で、女天は象鼻の天女形で、
    7尺ほどの高さで、鼻は乳あたりまで垂れ蓮華の天冠を付けていた。

    日本における聖天像と祀られた寺 P. 103

      宝山寺開祖、堪海律師の、神秘体験か。7尺は212センチメートル。

     
     
     
    読みたい本を読み進めていけば、自分の核が見えてくるかと思うのです。