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Photo bytikutaku

的

    この、放課後ライティング倶楽で幽霊部員の私が、3週間連続で倶楽部纏まつわりの記事を書いた。

    もうこれで事は終わると思ったのだ。これで、ジ・エンドだと。

    だが、この「土曜日の知らんけど」は、続いていたようで。1回飛ばした。まあ、幽霊部員だから、それが既定路線なのだが……。

    悪ガキ幽霊部員がクラブハウスの屋上で機嫌よくサボタージュ昼寝をしてるところへ、なんだか妨げるものがある。

    雨が降ってきた?

    いやいや、ヤスさんから投げられたボールだ。

    どっかからボールが投げ込まれて、ポーンと跳ねて、真っ直ぐこっちにコロコロ転がってきた。

    頭んところに転がってきたボールを拾い上げると、なんか書いてある。

    出た出た。

    で、今回は、何?

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    なんだか、難しいなぁこの質問


    心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟つぶやいた。

    難しい質問が、そろそろ来そうだと思ってたんだよねぇ〜。


    しゃあないなぁ、ちょびっとだけよ。昼寝を切り上げるのは。


    重い重い、ブラックホールより重い腰を上げて。ボールを拾い上げ、ゴールキーパーのフィードのように、ちょっと上向きにバーンと蹴り上げる。


    私のプライベートも記事も、前回も書いたが、まさに平平凡凡としている。そこに面白さがあるかと問われたら、ちょっと正直、わからない。

    単なる身辺雑記にもならない身辺雑記を、淡々と書いているに過ぎないのだ。

    逆に、面白いことを書こうとしているかと問われたら、その気持ちは、あるにはある。

    だが、書き終わった後に、少しは面白そうなことが書けたのかと読み直してみると……。

    いつも、こう思うのだ。

    なんだかまた、面白みの薄ーーーい記事になってしまったなぁ。


    そんな私に、「おもしろさってなんですか?」という質問は、酷というものだ。

    ただ。おもしろさの本質というのは、「放ち手」と「受取り手」の共鳴なのだろうと思う。そしてその決定権というは「受取り手」にしか無い。まかり間違っても、「放ち手」が決めることではないのである。

    発信するものは、ときに「放ち手」にとっては大変な価値があり面白いと思うものなのかも知れないが、それは、放たれた瞬間に誰のものでもなくなり、ただの浮遊物になる。ときには「受取り手」さえおらず、ただ地面に落ち、転がるだけのことだってある。


    これ、面白いだろ?

    こんな思いは、恐らく、思い上がりなのだ。人の心の面白さの的を射るというのは、そうそう意図してできるものではないのである。

    私は、そう思う。


    でも、こんな拙作を読みに来てくれる有り難い方々がいらっしゃる。

    本当に有り難い。有り難いのである。ほんとうに、心から感謝を申し上げたい。

    あれ?


    なんのはなしですか。

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    なんの話してたっけ?



    そんなこんなを家内に語ろうとしてソファーをみると、家内が脚を指さして笑って言った。

    コジくん、またつまらない話を読ませて、人の時間を奪ってる?そんな暇があったら、マッサー(注1)ね!


    うっ……。


    マッサージをすると、家内は上機嫌である。


    家内が上機嫌だと、我が家は、明るくて平和である。





    だから。





    これで、いいのだ。

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    ほんと、いいのかぁ?



    知らんけど。



    (注1)マッサーとは、マッサージのことである。家内のさっちゃんがそうやって、略して言うのである。さっちゃんへのマッサーは私の最重要の日課である。


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    面白さって何かを知ってるとすればそれは、神だな

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    kojuro

     
     
    なぜかキナリ杯をきっかけに、noteを書くようになった。気ままに、気長に、書きたいときに、書きたいことを書きたいだけ書く。

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