メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo byhondashizumaru

伐採

    我が家からほど近い場所に公園があり、その公園のすぐ横に、坂がある。その坂だが、木々が茂っており、夏は、夜になるとそこに、蝉の幼虫が彷徨さまよっているという話を、以前、何度か記事にしたことがある。

    夏の間、私は、その彷徨《さまよ》う幼虫を、木につけてあげて。恐らく、そのうちのいくつかは、無事に羽化していったのではないかと思うのである。


    それを私は、セミレスキューと勝手に名付けていて。夏の、私の、勝手なミッションのひとつなのである。


    去年から、近隣の公園が、今、整備されている。そしてその一環で、樹木の伐採がされていて、切り倒されてしまう木も多くあった。

    画像
    切り倒された木の幹

    残された木も、かなり思い切って剪定されていて。

    画像
    剪定された木


    ちょっと、驚いた。



    心の中の、リトルkojuroが、寂しそうに、呟つぶやいた。

    これじゃ、来年、幼虫は、出てこないんじゃないか?



    木陰、木漏れ日を心地よく感じていたこの公園の横の道で、突然のように、こういうことが起こる。景色が一変する。ほんとうに、諸行無常を感じる。

    このご時世になって特に思うのだが、いろいろな変化が、寂しく思ってしまう。良くなるとか、希望を感じると言うよりも、侘わびしさや不安を感じるのである。


    心の中の、リトルkojuroが、また、寂しそうに、呟つぶやいた。

    コジも、歳をとったっていうことなんだろうな。


    家内が帰宅しなくなって、もう、二週間になる。この前の日曜日の夜は、深夜に帰ってきて、それでも翌日は早くに起きて。買い物に出掛けて、夜には、晩御飯を食べてまた、ホテルに帰った。

    その翌日はまた、朝から仕事だという。


    家内のことも心配だが、見守るしかない。


    マッサージをしなくなった手と時間は、もっぱら、家事に向けられている。

    手持ち無沙汰はないが、なんだか、寂しい気がする。


    もう、私も、歳をとったのだろう。


    ひとり、静かに、灯りを消す。でも、思うのである。


    諸行無常だ。これも、受けとめよう。


    だから。


    これで、いいのだ。



    この記事が参加している募集

     
     

    kojuro

     
     
    なぜかキナリ杯をきっかけに、noteを書くようになった。気ままに、気長に、書きたいときに、書きたいことを書きたいだけ書く。

    あなたへのおすすめ