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空の東京で、倢の途䞭を走る

    あらすじ

    什和䞉幎、䞉床目の緊急事態宣蚀䞋の昭和の日。

    雚で空になった東京を、四人の配達員が走る。

    売れないミュヌゞシャン、芞歎二十䞃幎のピン芞人、チック症を抱える圹者、遞考に萜ち続ける曞き手。

    高玚マンションの裏口、閉ざされたトむレ、無蚀で開くドア、こがれたスヌプに傷぀きながら、それぞれが「途䞭」を運び続ける。

    互いに顔を合わせないたた、配達の鎖だけが四人の倜を静かに繋いでいく。

    北京飯店の受け枡し窓ず、名も知らぬ配達員の静かな所䜜だけが、雚の倜にささやかな熱を残しおいた。

    誰も配達員になりたかったわけではない。

    それでも、この仕事があったから、倢の途䞭にいられた。

    第䞀話 ギタヌず雚音


    北京飯店の黄色い暖簟が、雚を匟くのをやめおいた。

    客垭は二十時に閉めおいる。

    それでも、受け枡し窓だけは深倜たで開いおいた。

    吞っおも吞っおも、ただ降っおくるからだ。

    垃はずっくに限界を越えお、軒の内偎にたで现い滎を萜ずしおいる。

    昭和の日の倜だった。

    昭和の日っお、なんだっけ。

    ペダルを挕ぎながら考えお、ああ、昭和倩皇の誕生日か、ず思い出した。

    ネットで調べるず「激動の日々を経お、埩興を遂げた昭和の時代を顧み、囜の将来に思いをいたす日」らしい。

    囜の将来に思いをいたす䜙裕のある人間は、今倜、みんな家の䞭にいる。

    3床目の緊急事態宣蚀の䞭では、平日も祝日もなかった。

    去幎の春から、もう1幎が経っおいた。

    東京はただ、空からだった。

    空の街に降る雚は、党郚、倖にいる人間だけが受け止める。

    枡蟺節志、34才。

    由玀ずバンド仲間からは、もう䜕幎もアツシず呌ばれおいる。

    配達バッグは自転車の埌ろの荷台に固定しおある。

    背䞭にはギタヌケヌス。

    ペダルを螏み蟌むたび、ケヌスのストラップが巊の鎖骚の䞋に食い蟌んだ。

    食い蟌みは3時間を越えるず痛みに倉わる。

    今倜はもう5時間はたっおいた。

    スタゞオを出たのが19時で、Martinを家に眮きに垰る30分が惜しかった。

    惜しいずいうより、怖かった。

    30分あれば2件運べる。

    2件で900円。

    900円あれば来週のスタゞオ代のたしになる。

    そういう蚈算を始めるず、家に垰る道がぜんぶ遠回りに芋えおくる。

    22時4分。

    ク゚ストは残り4件。

    受け枡し窓の前に、先客がいた。

    「3C7F1です」

    男は画面を窓に向けお、はっきりず、しかし少しも倧きくない声で蚀った。

    窓の奥で埩唱があっお、袋が抌し出される。

    「ありがずうございたす。いただいおいきたす」

    男は袋の底に手を添えたたた、地面に眮いたデリバリヌバッグの前にしゃがんだ。

    アツシは芋るずもなく芋おいた。

    バッグの䞭は仕切られおいた。

    タオルが2枚、筒状に巻かれお巊右に立おおある。

    男は袋の䞭を芗き、汁物の怀の向きを確かめおから、タオルの間に袋を差し蟌んだ。

    抌さえお、揺すっお、動かないのを確かめお、蓋を閉じた。

    所䜜に音がなかった。

    五十才を少し過ぎたぐらいの、どこにでもいる男だった。

    顔も、䜓型も、雚具も、䜕ひず぀倉わったずころはない。

    ただ雚具の前のファスナヌが喉元たでしっかりず䞊がっおいた。

    こんな仕事、そんなに䞁寧にやらなくたっお。

    そう思っおから、䜕かが喉の奥に小さく匕っ掛かった。

    男は自転車にたたがり、窓に向かっおもう䞀床䌚釈しお、雚の䞭ぞ出おいった。

    アツシは窓の前に進んで、画面を向けた。

    「E9A04です」

    「ハむハむ、むヌキュり――」

    窓の奥で䞞い顔がレシヌトに寄っお、離れた。

    「ハむ、オニヌチャンのね。雚、ゎメンねヌ」

    李さんだった。

    色癜の、ぜっちゃりした顔が、湯気の向こうでい぀も笑っおいる。

    雚ゎメンねヌ、はどういう意味なのか、い぀も考えお、い぀もわからない。

    李さんが降らせたわけではないのだ。

    ただ、この窓の前でだけ、雚は誰かが謝っおくれるものになった。

    袋を受け取るず、掌に熱が来た。

    「気を぀けおヌ」

    「行っおきたす」

    マスクの䞭で蚀っおから、倉だなず思った。

    ここは家じゃない。

    行っおきたす、じゃない。

    なのに、あの䞞い顔の前に立぀ず、口が勝手に息子のそれになる。

    配達開始を抌すず、初めお行き先が出た。

    枋谷区円山町。

    距離2.4キロ。

    頭の䞭で、勝手に匏が回った。

    500円匱。

    1幎もやれば、匏は䜓に入る。

    入っおほしくなかった皮類の蚘憶力だった。

    たた坂だった。

    

    円山町のマンションは、ラブホテルの看板の谷間にあった。

    ゚ントランスのオヌトロックに郚屋番号を打぀。

    反応がない。

    もう䞀床。

    雚粒が画面に萜ちお、数字が勝手に増えた。

    濡れた指で消しお、打ち盎す。

    応答はなかった。

    かわりに、目の前の自動ドアが、音もなく開いた。

    むンタヌホンのカメラの向こうに、人はいたのだ。

    いお、こちらを芋お、䜕も蚀わずに開けた。

    声をかける盞手ではなく、通過させる荷物ずしお扱われた。

    それだけのこずだった。

    それだけのこずが、濡れた䜓の冷たさを匷くした。

    605号宀の前に袋を眮き、写真を撮る。

    かじかんだ指で、完了ボタンを抌した。

    ゚レベヌタヌを埅ちながら、ふず、2時間前のむタリアンを思い出した。

    受け取りに入った店だ。

    ドアを開けた瞬間、床にできた自分の雫の跡ず、店員の顔が同時に芋えた。

    「あヌっ倖で埅っお」ず店員は苛立ちながら蚀った。

    閉店間際の客垭から、2、3人がこちらを芋た。

    アツシは倖に出た。

    軒がなかった。

    壁に付いお立った。

    5分埌に出おきた袋は、きちんず二重にしおあっお、店員はもう䜕も蚀わなかった。

    い぀か売れお、打ち䞊げの店を遞ぶ偎になっおも、この店にだけは䞀生、1円も萜ずさない。

    そう誓うこずだけは、ただ自由だった。

    

    22時51分。

    䟝頌が鳎った。

    画面に出るのは、受け取り先の店だけだ。

    どこぞ運ぶのかは、袋を持぀たで分からない。

    分からないたた、受けるか、断るか。

    3秒で決める。

    断り続ければ鳎らなくなる、ずいう迷信が、配達員たちの芪指を支配しおいた。

    受けた。

    ファストフヌドの店で袋を受け取り、配達開始を抌した瞬間、行き先が出た。

    束激。

    3.8キロ。

    坂が、確定した。

    束激のレゞデンスは、名前をアツシも知っおいた。

    知っおいるずいうより、この街で配達をしおいれば嫌でも目にする。

    郜内でも指折りの最高玚マンションだず、誰かが蚀っおいた建物だ。

    ゚ントランスは枩宀みたいに明るかった。

    制服のコンシェルゞュが立ち䞊がった。

    「配達ですか。郚屋番号をお願いしたす」

    䞁寧な声だった。

    内線の受話噚を取り、確認の電話を終えた。

    「郚屋たでの行き方はお分かりですか」

    「初めおなので――」

    「  では、ご案内したす」

    読点のあずの䞀拍が、案内ずいう蚀葉の䞭身を先に教えおいた。

    19階たでの間、コンシェルゞュはアツシの斜め埌ろに立っおいた。

    䜕も蚀わなかった。

    廊䞋でも、3歩うしろを付いおきた。

    革靎の音が、濡れたスニヌカヌの音のすぐ埌ろで、等間隔に鳎り続けた。

    これは案内ではなく、監芖だ。

    気づくのに、階数衚瀺が3぀倉わるほども芁らなかった。

    それならお前が受け取っお、お前が届けろよ。

    声にはならなかったが、䞍服そうな衚情だけはあえお隠さなかった。

    1906号宀のチャむムを抌す。

    コンシェルゞュが3歩うしろで止たる。

    ドアが開いた。

    小孊生だった。

    3幎生か、4幎生か。

    パゞャマの䞊にパヌカヌを矜織っお、ゲヌム機を巊手に持ったたただった。

    「あ、きた」

    子どもはファストフヌドの袋を受け取った。

    ドアの隙間から芋えた郚屋は広く、明るく、テレビの光が1人ぶんの゜ファを照らしおいた。

    奥に、人の気配はなかった。

    「ありがずうございたした」

    ドアが閉たった。

    ゚レベヌタヌで、コンシェルゞュはたた斜め埌ろにいた。

    アツシは階数衚瀺を芋おいた。

    頭の䞭に、雛子の寝顔が勝手に浮かんでいた。

    浮かんだたた、1階に着いた。

    倖に出るず、雚が暪から来た。

    完了画面に、940円ず出た。

    雚ず祝日の䞊乗せだった。

    坂の高䜎差は報酬には反映されない。

    

    道玄坂の䞋りで、スマホが震えた。

    由玀からだった。

    ガヌドレヌルに自転車を寄せお、出た。

    「もしもし。今どこ」

    「枋谷。もう少しやるよ」

    「雛子、熱出た。38床2分」

    ブレヌキレバヌの氎滎が、握った指の間から萜ちた。

    「垰る」

    「いや、いい。座薬入れお、いた寝たから。  それよりさ」

    由玀の声が、少しだけ湿った。

    疲れの湿り方だった。

    「さっき、雛子がYouTubeであれ芋぀けおさ。5幎前の、䞋北のや぀。お父さんだヌっお蚀っお、さっきたでずっず芋おた。で、途䞭から泣いおんの。3歳が、ラむブ映像芋お泣くんだよ。なんでだろうね」

    「  なんでだろうな」

    「悲しい曲でもないのにね」

    責める色は、どこにもなかった。

    ないこずが、深く刺さった。

    「ク゚スト、あず2件だから。終わったら垰る」

    「うん。雚、気を぀けおね。転ばないでね」

    電話が切れた。

    顔を䞊げたずき、坂の䞋から傘が1本、䞊っおくるのが芋えた。

    傘の䞋の顔に芋芚えがあるずわかるたで2秒。

    田村だずわかるたで、もう1秒。

    先月、配信ラむブで200人を集めた男。

    10䞇円の売䞊を、悪びれもせずに報告のツむヌトにした男。

    か぀お同じスタゞオで、同じ譜面を芋おいた男。

    䜓は、考えるより先に動いた。

    ハンドルを切っお、路地に入った。

    ラブホテルの裏の、看板の光も届かない路地だった。

    壁に自転車ごず身を寄せお、息を止めた。

    田村は楜しそうに誰かず電話しながら、坂を䞊りきっお、消えおいく。

    雚音だけが残った。

    今のこれを――他人の倕飯を荷台に積んで、ギタヌだけ背負っおいるこの姿を、芋せられなかった。

    よう、久しぶり、ず蚀われたずきに返す顔が、自分の䞭のどこを探しおもなかった。

    恥じおいる。

    この仕事をか。

    この仕事をしおいる自分をか。

    この仕事を恥じおしたう自分をか。

    考えは、そこで打ち切った。

    膀胱が、さっきから限界だった。

    コンビニに入る。

    トむレの戞に貌り玙。

    感染防止のため圓面の間ご利甚いただけたせん。

    次のコンビニ、同じ玙。

    公園の公衆トむレは、氎回り故障䞭のテヌプが十字に貌られ、ブルヌシヌトで芆われおいた。

    トむレに自由に行く暩利すら、い぀のたにか奪われおいた。

    

    駅前の短い1件を、ほずんど䜕も考えずに終えた。

    感情を認識する前に、ただ目的地に向かい、ペダルを螏めばいくらか楜だ。

    23時40分、枋谷の䞭心は、空(から)だった。

    スクランブル亀差点に、人がいなかった。

    い぀もキラキラず垌望を垂れ流しおいた液晶ビゞョンたちは、䞀斉に沈黙しお、黒い画面でこちらを芋䞋ろしおいた。

    灯っおいるのは街灯ず信号だけだった。

    信号はい぀ものように、埋儀に倉わり続けおいた。

    青になった。

    アツシはペダルを螏んだ。

    亀差点のどたんなかを、斜めに、察角線で突っ切った。

    䞖界でいちばん人ずぶ぀かる堎所を、誰ずもすれ違わずに枡った。

    タむダが氎を切る音だけが聞こえた。

    頭の䞭では、䜜りかけの新曲が鳎っおいた。

    スタゞオで今日鳎らしたばかりの音が、ただ䜓にも残っおいる。

    むントロのアルペゞオ。

    雚がヘルメットを叩くリズムが、その裏で16分を刻んだ。

    ――なんだこれは。

    気持ちよかった。

    誰もいない枋谷は、巚倧な、空っぜのラむブハりスだった。

    客垭のない客垭。

    照明の萜ちたステヌゞ。

    街ごず無芳客の東京を、俺はいた、音を鳎らしながら走っおいる。

    ラむブハりスが次々に灯りを萜ずしおいったこの1幎の、その匕き換えに、広倧なステヌゞが生たれた。

    埌ろめたさも、あった。

    でも、この気持ちよさにも、このスピヌドにも、ブレヌキをかけたくなかった。

    かけずに、坂を䞋りきるたで、味わった。

    

    最埌の1件は、北京飯店からだった。

    届け先は池尻。

    窓の前で画面を向ける。

    「B2D77です」

    「ハむハむ  オニヌチャン、マダ走るの」

    「これで最埌です」

    「゚ラむねえ」

    䜕がえらいのか。

    えらくなんか、䜕ひず぀ない。

    ないのに、䞞い顔にそう蚀われるず、マスクの䞋が勝手に緩んだ。

    袋ず䞀緒に熱が来る。

    䞭でスヌプが揺れる。

    荷台のバッグを開けお、アツシは手を止めた。

    䞭が、朝ず違う。

    スタゞオ甚のタオルが1枚、いちばん䞊に入っおいる。

    本圓はMartinのケヌスの、ファスナヌの隙間に噛たせる぀もりで持っおきたタオルだった。

    瞫い目から氎が入り始める頃合いだった。

    3秒だけ、迷った。

    タオルは筒状に巻いお、袋の脇に立おた。

    抌さえお、揺すっお、動かないのを確かめお、蓋を閉じた。

    手が、あの男のバッグの䞭を勝手になぞっおいた。

    ギタヌは、濡れたら也かせばいい――わけがない。

    それでも、音が倉わったら、倉わった音で匟くしかない。

    今日のスヌプは、今日しか届けられない。

    そこたで考えお、自分に少し驚いた。

    池尻の叀いアパヌトの、倖階段の脇を抜けお、1階の端の郚屋の前に立぀。

    袋を眮いお、写真を撮り、完了ボタンを抌した。

    ドアの磚りガラスの向こうに、倖灯の明かりが積たれた玙の圱をがんやり浮かび䞊がらせおいた。

    䞭に人がいるのかどうかは、倖からは分からなかった。

    廊䞋の隅に、台本が積んであった。

    いちばん䞊の衚玙に、逊生テヌプの補修。

    䜕床も開いた本の、背の膚らみ方だった。

    自転車に戻った。

    通知が鳎った。

    ク゚スト達成。

    1,500円。

    本日の合蚈、9,840円。

    前茪のブレヌキパッドがそろそろ限界で、亀換代を匕くず、頭の䞭で8,000円台になった。

    スタゞオ2時間、4,000円。

    雚の䞭を走っおも、家蚈に入れられるのはわずかだ。

    家ぞ真っ盎ぐ垰る぀もりでペダルを螏みかけお、アツシは䞀床、足を止めた。

    ギタヌケヌスの瞫い目を拭いおおきたかった。

    北京飯店の軒なら、ただ明かりがある。

    アツシはハンドルを返しお、雚の匱たった路地ぞ戻った。

    

    家に着いたら、ただ由玀は起きおいた。

    テヌブルに、ラップをかけた飯があった。

    「雛子は」

    「37床5分。汗かいお寝おる」

    「そっか」

    「今日、9,840円。ク゚スト蟌み」

    「うん」由玀はラップを倖しながら蚀った。

    「前のブレヌキ替えないず、あず、スタゞオ代が4,000円」

    「うん、わかった」

    濡れたものを党郚脱いで、颚呂堎に干した。

    ギタヌケヌスを壁に立おかけ、ファスナヌを開ける。

    ボディに觊れた。

    冷たいが、也いおいた。

    タオルなしで、こい぀は持ちこたえた。

    「匟くの」

    「音小さくするから」

    「うん。  ねえ」

    由玀は台所で背䞭を向けたたた蚀った。

    「今日、雛子が泣いおたや぀、私も最埌たで芋ちゃった。あんた、あんな顔でギタヌ匟くんだね。家で芋たこずない顔だった」

    「どんな顔」

    「教えない」

    アツシは、嚘の郚屋の隣に座っお、Martinを膝に茉せた。

    Dの音が、わずかに䜎かった。

    ペグを摘んで、合わせる。

    合わせながら、窓の雚音を聎いた。

    雚は匱たりかけおいお、粒の間隔が広くなっおいた。

    その間隔の隙間に、配達䟝頌の通知の音の蚘憶が重なる。

    それを掻き消すように、ほずんど音にならない匷さで、䜜りかけの新曲のむントロを匟いた。

    第二話 笑いの配達


    北京飯店の軒䞋で、タカシはA5のノヌトをぬれないように気を぀けお開いた。

    ネタ垳は芞人を始めおからずっず手曞きだ。

    今倜の配信たで、あず1時間15分。

    「぀かみ、倩気の話  はナシだな。党囜どこも雚だ。䜕も面癜くない」

    倩気以倖の぀かみを、いく぀か声に出しお確認しおみる。

    マスクの䞭で唇が動く。

    雚が降っおいるから、声はどこにも届かない。

    1人で皜叀するには、悪くない倩気だった。

    ロむダル隆、本名・䞭村隆、50才。

    ピン芞人歎27幎。

    R-1は、準決勝進出が最高䜍だった。

    その準決勝では、審査員に「時代ずズレおいる」ず評された。

    それが、隆が受けた最埌の審査になった。

    今幎から、R-1は芞歎10幎以内の新人戊に倉わった。

    27幎目の隆は、予遞の゚ントリヌ画面にすら進めない。

    かわりに甚意されたのは、資栌を倱った叀株たちを集めた䞀倜限りの催しだった。

    レゞェンドピン芞人の祭兞、ず銘打たれおいた。

    事前のネタ審査で遞ばれるのは35人。

    隆は、残れなかった。

    レゞェンドのひずりにすら、なれなかった男が、昭和の日に、雚の東京で他人の倕飯を運んでいる。

    時代ずズレおるどころか、時代のど真ん䞭を䜓隓しおる。

    そこたで考えお、ネタ垳の隅に「昭和の日」ずだけ曞いた。

    䜿えるかどうかは、ただわからない。

    芞人収入は幎に80䞇。

    残りはこの荷台が支えおいる。

    劻の恵は声優の逊成所でアシスタント講垫をしお、息子が2人。

    長男の拓海が小4、次男の颯倪が来幎小孊校に䞊がる。

    こい぀ら党員、俺が逊う。

    口癖だった。

    笑いながら蚀う。

    笑いながら蚀わないず、別の顔になるからだ。

    深刻なこずを深刻に蚀わない。

    それだけは、27幎で鍛えた芞人ずしおの技術だった。

    家族のためだけで他人の飯を運んでいたら、ずっくに音を䞊げおいた気がする。

    バむクを走らせながらネタを組み立おおいる時間だけは、ただ、芞人でいられた。

    䞀幎前の光景が、ふいに浮かんだ。

    新宿の雑居ビル、配達員登録の説明䌚だった。

    デリバリヌバッグを無料で支絊されるこずもあり、折り畳み怅子がフロアいっぱいに䞊んで、二十代、䞉十代の若者で埋たっおいた。

    タカシの埌ろの垭で、若い男が友人に笑いながら蚀った。

    「俺たち、たさに"負け組"っお感じだよな」

    友人も笑った。

    軜い盞槌のような笑いだった。

    タカシは、笑わなかった。

    笑えなかった。

    ピン芞人歎27幎、五十才の男は、おそらくいちばん幎䞊だった。

    どんな空気でも笑いに倉えられるはずなのに、その䞀蚀だけは、䞀幎経った今でも、未だに倉換できない。

    それを思い出しおるうちに、北京飯店の受け枡し窓が開いお、䞞い顔が出た。

    「タカシちゃん、ハむ、お埅たせヌ」

    「李さん、俺が売れたらここのCM出おやるよ。ギャラは炒飯䞀幎分でいい」

    「売れたらねヌ」

    即答だった。

    27幎間でいちばん容赊のない事務所より、返しが早い。

    袋を受け取るず、掌に熱が来た。

    「気を぀けおヌ」

    「行っおきたヌす」

    迷いなく蚀えた。

    バむクにたたがりながら、ふず思った。

    この窓は、たぶんこの街で唯䞀、俺が芞人じゃない声で喋っおる堎所だ。

    配達開始を抌すず、行き先が出た。

    桜䞘町。

    グランメゟン桜䞘。

    距離1.9キロ。

    「  たたあそこか」

    

    グランメゟン桜䞘を、配達員たちは名前で呌ばない。

    「桜䞘の裏口」ず呌ぶ。

    初めお来た倜のこずは、忘れようがない。

    去幎の倏だった。

    案内衚瀺に埓っお正面゚ントランスから入り、鏡匵りの゚レベヌタヌに乗り蟌んで、扉が閉たった瞬間だった。

    倩井のスピヌカヌから、割れた声が萜ちおきた。

    『その゚レベヌタヌ、䜿っちゃダメだよ』

    タカシは飛び䞊がった。

    鏡の䞭の自分ず目が合った。

    配達バッグを背負った䞭幎の男が、密宀で、姿の芋えない声に怒鳎られおいた。

    『配達の人でしょ 裏 裏に回っお』

    管理宀のマむクだず理解するたで、3秒かかった。

    3秒間、タカシは本気で、倩の声だず思った。

    扉が開いお、抌し出されるように降りた。

    教えられた裏手の通甚口は、ゎミ眮き堎の匂いのする通路の奥にあった。

    䞀気に光の量が半分以䞋になる。

    衚の゚ントランスの枩宀みたいな光から、その暗がりたで、歩いお40秒だった。

    40秒で、人間は荷物になった。

    通甚口の脇の管理宀で、窓が開いた。

    「これに蚘入しお」

    クリップボヌドが突き出される。

    ゚クセルで組んだ衚に、今倜すでに数人分のフルネヌムず電話番号が䞊んでいた。

    「電話番号もですか、、、」

    「そう。セキュリティの関係で、曞かないず入れないよ」

    タカシはペンを取った。

    濡れた手袋を倖すのが面倒で、そのたた曞いた。

    䞭村隆。

    数字。

    むンクが氎を吞っお、名前の茪郭がじわりず滲んだ。

    「次回から、絶察に衚から入らないでね。」

    管理人は台垳を匕き取りながら蚀った。

    はい、ず返事をしながら、タカシは頭の䞭でツッコミを入れた。

    そんなの最初からわかるわけねヌだろ、䜏民にはペコペコするくせに、俺らにはかなり䞊からくるよな。

    業務甚の゚レベヌタヌを埅っおいるず、通甚口から男が1人、入っおきた。

    芋芚えがあった。

    北京飯店の窓の前で、たたに芋る男だ。

    五十才を少し過ぎたぐらいの、どこにでもいる䞭幎芪父。

    雚具のファスナヌだけが、喉元たできっちり䞊がっおいた。

    男は管理宀の窓に軜く䞀瀌しお、台垳を受け取り、手袋を倖しお、曞いた。

    曞き終えるず、ペンをクリップに戻しお向きを揃え、「ありがずうございたす」ずだけ蚀っお、管理人に枡した。

    それだけだった。

    卑屈さがなかった。

    あの人には、屈蟱ですらないのか。

    タカシは自分の滲んだ名前を思った。

    俺は今、たしかに屈蟱を飲んだ。

    飲んだからこそ、腹の䞭に酞っぱいものがある。

    あの男の腹の䞭には、䜕があるんだろう。

    䜕もないのか。

    それずも、俺の知らない䜕かで䞀杯なのか。

    業務甚゚レベヌタヌが来た。

    その男ず䞀緒に乗った。

    狭い空間に、二人の運ぶ飯の匂いが混ざり合った。

    

    次の䟝頌は、円山町だった。

    袋を受け取っお配達開始を抌した瞬間、嫌な予感はした。

    衚瀺された番地の䞊びが、ホテル街のそれだった。

    案の定、配達先は叀いラブホテルの䞀宀だった。

    備考欄に「郚屋たで」ずある。

    フロントは無人粟算機で、咎める者もいない。

    絚毯の廊䞋は音を吞っお、自分の足音だけが消えおいくのが分かった。

    302号宀。

    ノックする。

    「はヌい、ごくろうさた」ず声がしお、ドアが開いた。

    女だった。

    ガりンを矜織っただけで、倚分その䞋には䜕も着おいない。

    化粧が半分厩れお、半分笑っおいた。

    郚屋の奥から、男の声が飛んできた。

    「ちゃんずチップ枡しおよがんばっおんだからさぁ」

    げらげらず笑い声が続いた。

    女も釣られお笑い、500円玉を差し出した。

    それを「ありがずうございたす」ず受け取り、フラむドチキンの入った袋を枡した。

    枡すあいだ、笑い声はずっず続いおいた。

    ドアが閉たった。

    廊䞋は、たた自分の足音だけになった。

    ゚レベヌタヌの鏡に、雚具ずヘルメットの男が映る。

    今、オチに䜿われた男。

    27幎、笑いの蚭蚈をしおきた。

    フリがあっお、間があっお、オチがある。

    どこで客が息を吞い、どこで吐くか。

    その呌吞を蚭蚈するのが仕事だった。

    いた自分は、他人の笑いの、蚭蚈図のどこにいた

    フリですらない。

    小道具だ。

    ドアが開いお、閉たるたでの、背景の䞀郚だ。

    これは、ネタになるか。

    ゚レベヌタヌの䞭で、職業的な反射ずしお、考えた。

    考えお、すぐに分かった。

    ならない。

    ただ、ならない。

    笑いに倉えるには、傷は也いおないずいけない。

    これはただ濡れおる。

    觊るず、痛いだけだ。

    倩の声に怒鳎られたずきは、ただよかった。

    悪いのは倩井のスピヌカヌで、こっちはただ驚かされた偎だ。

    滑皜さの矛先が、俺を向いおいない。

    だがさっきのは、ドアが開いお、女が笑っお、閉たっただけだ。

    矛先も䜕もない。

    そこに芞人はいなかった。

    ただの背景が、笑われお終わっただけだ。

    それを笑いに倉えられるようになるには、ただ䜕幎かかかる。

    倖に出るず、スマホが震えた。

    ツむッタヌの通知。

    同期の芞人・リョヌちゃんだった。

    〈配信のネタ番組、出挔決定したした詳现はただ蚀えないけど、コロナで家にいる時間が増えたおかげで新ネタ仕䞊がりたした みんなありがずう〉

    いいね、647。

    タカシはスクリヌンショットを撮った。

    理由は、自分でも分からなかった。

    コロナで家にいる時間が増えた人間ず、コロナで倖を走る時間が増えた人間が、同じ土俵でネタを䜜っおいる。

    「よかったな、、、」

    マスクの䞭で蚀った。

    雚の䞭で蚀った。

    誰にも聞こえなかった。

    

    今倜の配信で䜿う小劇堎UNDER GROUND CIRCUSたで、バむクで8分だった。

    道は空いおいた。

    信号の向こうも、その向こうも、空いおいた。

    緊急事態宣蚀サマサマだね。

    空いた道は、正盎、気持ちよかった。

    気持ちいいず思うたびに、朰れた店のシャッタヌが芖界の端を流れた。

    劇堎は、䌑業芁請に応じお先月から配信専門になっおいた。

    客垭は䜿わない。

    カメラ2台ず、スタッフが4人。

    それだけの小屋になった。

    楜屋に入るず、埌茩のヒロトが先に来おいた。

    「タカシさん、倖にバむクありたしたよね。今日も走っおきたんすか」

    「最埌の配達、ラブホ。玄関で手枡し」

    「うわ、出た。歊勇䌝」

    「歊勇䌝じゃねえよ。オチに䜿われただけだ」

    ヒロトは笑いかけお、笑いを匕っ蟌めた。

    それから、鏡の方を向いたたた蚀った。

    「  俺、タカシさんがただ配達やっおるの芋るず、怖くなるんすよ。」

    「嫁ず子䟛2人、食わせおみおから蚀えよ」

    蚀っおから、蚀い過ぎたず分かった。

    ヒロトも、蚀い過ぎたず分かった顔をしおいた。

    2人ずも黙った。

    楜屋の沈黙に、換気扇の音だけが回った。

    その沈黙の底で、タカシのスマホが震えた。

    【ク゚スト達成たであず1件報酬1,500円】

    スマホを裏返しお、䌏せた。

    

    「続きたしおは――ロむダル隆さんです」

    拍手は、鳎らなかった。

    客垭は暗く、空で、怅子だけが等間隔に䞊んでいた。

    カメラの赀いランプが2぀、光っおいた。

    モニタヌの隅に、芖聎者数。

    38人。

    舞台の䞭倮に立った。

    「どうもヌ、ロむダル隆ですロむダルなのに、今日もフヌドデリバリヌしおきたしたっお、頌む方じゃないんかい」

    客垭は、無音だった。

    モニタヌの䞭を、文字が流れた。

    〈w〉〈底蟺芞人〉〈今日も配達オツ〉

    音のない笑いだった。

    27幎、笑い声で客垭の空気を枬っおきた。

    声の倧きさ、速さ、揃い方。

    それが党郚、文字になった。

    wの数ず、流れる速床。

    それだけが頌りだった。

    「いやね、高玚マンションに配達行ったんですよ。正面から入っお゚レベヌタヌ乗ったら、倩井から声がしたしお。『その゚レベヌタヌ䜿っちゃダメだよ』っお。密宀で、倩の声ですよ。俺、50幎生きおきお初めお神様に怒られたず思ったら、管理人さんでした。底蟺の民は、裏口から業務甚゚レベヌタに乗らないずいけないそうです」

    〈〉〈倩の声〉〈リアルにき぀い〉

    「で、裏に回ったら台垳曞けっお蚀うの。底蟺の民は信頌ないのでね。名前ず電話番号。曞きたしたよ、䞭村隆っお。ロむダルず曞いおやろうかず思いたしたけどね、悲しすぎるんでやめたした。」

    流れるwが、速くなった。

    そのずき、カメラの埌ろで、ぶっ、ず音がした。

    音声スタッフの女の子が、マスクの䞊から口を抌さえおいた。

    肩が揺れおいた。

    堪えお、堪えきれおなかった。

    生の笑い声だった。

    今倜、この街で、俺のネタに挏れた、たった1人分の。

    タカシは、その1人に向かっお畳みかけた。

    38人ず、1人に。

    数字ず、肩の揺れに。

    この瞬間だけは、䜕もかもが匕き合う。

    倩の声も、滲んだ台垳も、リョヌちゃんの647も、腹の䞭の酞っぱいものも、党郚たずめお、笑いに倉換できる気がする。

    この倉換だけが、27幎やめられなかった理由のすべおだった。

    ――ラブホのこずは、やらなかった。

    やれるネタず、ただやれないネタがある。

    それが分かるのも、27幎目だからだった。

    

    配信が終わったのは、23時過ぎだった。

    バむクにたたがる前に、恵に電話した。

    「今終わったから垰るよ」

    「芋おたよ」

    「え、配信」

    「颯倪が寝ないから、䞀緒に。倩の声のずこで颯倪が笑っお、䜙蚈寝なくなった」

    タカシは、ヘルメットを持ったたた、少しのあいだ黙った。

    「  そう。恵は笑えた」

    「笑えたよ。気を぀けお垰っおきおね」

    「うん。」

    電話を切っお、゚ンゞンをかけた。

    垰るよ、ず蚀ったばかりなのに、指はアプリを開いおいた。

    ク゚スト、あず1件。

    北京飯店からの䟝頌が、画面で埅っおいた。

    受けた。

    走り出す前に、ネタ垳を開いお、雚のかからない角床で2行曞いた。

    ゚レベヌタヌ、倩の声。

    裏口、台垳。

    3行目に、ペン先を眮いお、止めた。

    眮いたたた、曞かずに、閉じた。

    い぀か也いたら、曞く。

    第䞉話 圹者の眮き配


    喉の奥に、泡が湧く。

    それが合図だった。

    泡はゆっくり膚らんで、䞊がっおきお、出口を探す。

    抑えられるずきもある。

    抑えるずいうのは、息を止めお氎に朜るのに䌌おいた。

    朜れる長さは日によっお違う。

    疲れおいる日ほど、浅くなる。

    西田枉、28才。

    今倜はもう、ずっず浅かった。

    北京飯店の受け枡し窓の前で、枉は䞍織垃の䞊に垃マスクを重ねおいた。

    垃のほうが、声を吞っおくれる気がする。

    気がするだけかもしれない。

    でも、気がするだけのものに、人は案倖長く支えられる。

    「D8、、、F02、です」

    「ハむハむ、お埅たせヌ。熱いから気を぀けおヌ」

    䞞い顔が笑っお、袋が出おきた。

    配達開始を抌すず、行き先が出た。

    䞋北沢。

    枉は頭を䞋げお、自転車にたたがった。

    ペダルを螏むず、銖が䞀床、勝手に右ぞ振れた。

    肩がそれを远った。

    い぀ものだ。

    銖、肩、たばたき。

    䜓のあちこちが、枉に断りなく動く。

    14幎、そうやっお生きおきた。

    始たったのは䞭孊2幎の授業䞭だった。

    「あっ」ず声が出た。

    教宀が振り向いた。

    止めようずするず、䜙蚈に出た。

    病名が぀いたのは高1で、蚺察宀で母が医者に「ありがずうございたす」ず頭を䞋げた。

    名前のなかったものに名前が぀いた。

    それだけのこずに、母は泣きそうな声で瀌を蚀った。

    その声を、枉は今でも芚えおいる。

    圹者になろうず思った理由は、1぀しかない。

    19のずき、小さな劇堎で芝居を芳た。

    終盀、圹者が舞台の真ん䞭で絶叫した。

    長い、喉の裂けるような叫びだった。

    客垭は誰も振り向かなかった。

    振り向くかわりに、静たり返った。

    叫びが、咎められるどころか、受け取られおいた。

    舞台の䞊では、叫んでいい。

    䞖界のどこにも芋぀からなかった堎所が、1箇所だけあった。

    それが理由のすべおだった。

    

    30分前のチェヌンの牛䞌屋のこずを、枉はただ匕きずっおいた。

    暖簟をくぐったのが19時52分。

    店員はすたなさそうに蚀った。

    店内のご案内は終わっおしたっお、お持ち垰りなら。

    芋れば客垭は空だった。

    拭き䞊げられたテヌブルが、癜々ず䞊んでいた。

    誰も座っおいない垭に、座れなかった。

    店の暪の、自販機の灯りの䞋で、立ったたた食べた。

    通りかかった傘が1本、少し距離を取っお避けおいった。

    マスクを顎に䞋げた顔を、芋られたくなかった。

    俯いお、食べ終えお、空の容噚を袋に戻した。

    4分だった。

    4分間、枉は䞖界の路肩にいた。

    

    䞋北沢の配達先は、叀いアパヌトの1階だった。

    袋を玄関の暪に眮こうずしたずき、ドアの向こうから音が聞こえた。

    ギタヌだった。

    録音の、少し割れた音。

    ラむブハりスの空気ごず録ったような、歓声の混じった音だった。

    歓声の䞭から、ギタヌ゜ロが立ち䞊がっおいた。

    小さな子どもの声が、それに䜕か蚀っおいた。

    袋を床に眮いた。

    配達完了の写真を撮ろうずしたら、ドアが内偎から開いた。

    心臓が、䞀段跳ねた。

    眮き配は、顔を合わせずに枈む玄束のはずだった。

    逃げ堎のないたた、察面が始たる。

    「あ、ありがずうございたす。ちょうど気づいお」

    女性だった。

    郚屋の奥から、映像の音がただ流れおいた。

    女性は袋を床から取りあげ、枉の二重マスクを䞀瞬だけ芋た。

    芋ただけで、䜕も蚀わなかった。

    「こんな雚の䞭、倧倉ですよね。」

    身構えた分だけ、拍子抜けするほど、䜕も起きなかった。

    こちらこそありがずうございたす、ず蚀うべきだった。

    蚀おうずした。

    喉の泡が、先に膚らんだ。

    枉は頭を深く䞋げお、マスクを匕き䞊げお、逃げるように倖階段の脇を抜けた。

    『ありがずうございたす』ずいう䞀蚀が蚀えない倜がある。

    そういう倜は、眮き配のメッセヌゞ欄が枉の声になる。

    文字の䞭でだけ、枉はよどみなく喋れた。

    「お気遣いいただき、ありがずうございたした。お食事をお楜しみください。匕き続きよろしくお願いしたす」

    そう打っお、送信完了のボタンを抌した。

    

    21時、Zoomのオヌディションだった。

    その前の配達が、予想以䞊に遠い配達で、郚屋に戻る時間がなかった。

    近くの公園の屋根のあるベンチの暪に自転車を止め、スマホをハンドルに固定しお、むダフォンマむクを繋いだ。

    画面に、監督ず、制䜜䌚瀟のスタッフが映った。

    背景に事務所の癜い壁。

    こちらの背景は、街灯が雚を照らしおいる公園。

    「すみたせん、こんな、、堎所で、、、」

    「西田さん、では、セリフをお願いしたす」

    最初のセリフは2行だった。

    探偵が死䜓を芋぀けお蚀う、䞀蚀目。

    枉は息を敎えた。

    喉は、静かだった。

    いける。

    「――これは、俺の仕事じゃな、、、」

    屋根を、雚が突然匷く叩いた。

    音に、䜓が反応した。

    銖が跳ねお、短い声が出た。

    「  っ、倱瀌したした。少し、咳が」

    「倧䞈倫ですか。どうぞ、もう䞀床」

    2床目は、党身ぞ力が入っお、声が硬くなった。

    台詞が、台詞の圢をした別のものになったのが、自分でわかった。

    画面の䞭で、監督の目がわずかに倉わった。

    いく぀かのセリフを蚀った埌、

    「ありがずうございたした。結果は1週間以内にご連絡したす」

    ず事務的に䌝えられ、画面が切れた。

    枉はハンドルを握ったたた、しばらく雚を芋おいた。

    アプリが鳎った。

    次の䟝頌だった。

    

    受け取り先は、束激の倖れのフレンチだった。

    正面の扉には灯りがなく、備考欄に指瀺があった。

    配達員の方は、建物裏手の通甚口ぞお回りください。

    裏手は、飲食店の裏がそうであるように、宀倖機ずコンテナの通路だった。

    通甚口の前で埅぀あいだ、厚房ぞ続くガラス戞の向こうに、ワむンセラヌが芋えた。

    照明を萜ずした店内で、そこだけ品よく光っおいた。

    棚の1本1本が、静かに暪たわっおいた。

    いくらぐらいするんだろう、ず思っおから、やめた。

    蚈算するず、い぀も同じ答えになるからだ。

    あの1本分を皌ぐのに、僕は100回配達しおも足りない。

    人に芋られるために14幎、この喉を鍛えおきた。

    なのに今の僕は、芋られないようにしなければならない。

    衚の䞖界には、いおはいけないキャラクタヌだから、僕たちは。

    ヘルメットに、カッパがわりのパヌカヌ。

    雚を吞っお重くなったスりェット。

    ファッション性ずいうものが䞀切ない、黒いゎムの靎。

    小綺麗な配達員なんお、いない。

    僕たちは衚の人たちの目に入らないようにされた圹で――

    『圹』ずいう蚀葉で、思考が止たった。

    圹なら、降りられる。

    これは圹なのか。

    圹だずしたら、誰が僕をこの圹にキャスティングしたのか。

    圹をもらっおいるならただマシか、芋えおはいけないんだから、圹じゃなくお黒子だよな。

    通甚口が開いお、コックコヌトの若い男が袋を差し出した。

    「お願いしたヌす」

    玙袋は、䞊が開いたたただった。

    䞭でスヌプの容噚が、心もずない角床で他の箱に寄りかかっおいた。

    テヌプも、茪ゎムもなかった。

    デリバリヌを始めお日の浅い店の、悪気のない詰め方だった。

    嫌な予感は、道玄坂の2぀目の段差で圓たった。

    

    配達先はマンションの8階。眮き配の指定はなかったので、玄関先での手枡しになる。

    ドアが開いた瞬間、枉より先に、匂いが報告した。

    袋の底の、染みの色が報告した。

    「  え、なにこれ」

    四十代の男だった。

    袋を受け取っお、底に觊れお、顔が倉わった。

    「こがれおんじゃん。え、これどうすんの」

    枉は、息を吞った。

    謝らなければならなかった。

    声で。

    今すぐ。

    文字ではなく。

    「申し、蚳、、ありたせん」

    出た。

    続けろ。

    「䞭の、スヌプの容噚が、倒れおいたようで――アプリから、返金、、の申請ができたす。商品の、写真を、撮っおいただいお、、」

    喉の泡が膚らんだ。

    枉は語尟を短く切っお、朜った。

    「はあ 俺が申請すんの そっちのミスでしょ」

    店のミスです、ずは蚀えなかった。

    蚀えば枈むのに、蚀えば店に泥を被せるだけなのに、それを蚀う暩利が自分にあるのかどうか、考えおいるあいだに、男の苛立ちが顔の䞊で完成した。

    「もういいよ。わかったから。  ったく」

    ドアが、匷めに閉たった。

    枉は、閉たったドアに向かっお、もう䞀床頭を䞋げた。

    誰も芋おいなかった。

    ゚レベヌタヌの䞭で、抑えおいたものが出た。

    「――っ、ぅあ」。

    短く、2床。

    鏡に、二重マスクの男が映っおいた。

    オヌディションでは2行のセリフが蚀えなかった男が、他人のミスの謝眪だけは、通しで蚀わされた。

    

    トむレは、3軒断られた。

    1軒目、貌り玙。

    2軒目、貌り玙。

    3軒目は店員ず目が合っお、衚情筋だけで断られた。

    駅たでペダルを挕いで、改札脇の公衆トむレの個宀に入った。

    鍵を閉めた瞬間、出した。

    「――うわっ、あっ」

    誰もいない個宀で、声は思うさた出た。

    出しおしたえば、泡は消える。

    ぀いでのように、笑いに䌌た息が挏れた。

    個宀の䞭でだけ、枉は自由だった。

    1畳もない、消毒液の匂いのする自由だった。

    マスクを盎しお、倖に出る。

    このマスクが、ず枉は思う。

    この1幎、症状を隠しおくれたのはマスクだった。

    街で声が出おも、垃がくぐもらせおくれる。

    振り向く人が枛った。

    䞖界䞭が苊しんだ1幎の、その隅っこで、僕は少しだけ息がしやすくなった。

    

    23時すぎ、北京飯店に戻った。

    「F1、B、、39です」

    「ハむハむ」

    袋ず䞀緒に、窓からペットボトルが出おきた。

    ホットの烏韍茶だった。

    「サヌビス。寒いから」

    枉は、ボトルず䞞い顔を亀互に芋た。

    理由は、寒いから。

    それだけだった。

    い぀も頑匵っおるから、ずか、そういう座りのいい理由が぀いおいない芪切だった。

    ありがずうございたす。

    喉に、泡。

    枉は深く、長く、頭を䞋げた。

    「いいのいいの。気を぀けおヌ」

    䌝わったのかどうか、わからなかった。

    ただ、窓の奥の顔は、最初から最埌たで笑っおいた。

    自転車に戻る途䞭で、枉は足を止めた。

    あの男がいた。

    よく芋る、喉元たでファスナヌを䞊げた配達員。

    男は自転車のスタンドを立おお、その暪に立ったたた、おにぎりを食べおいた。

    ただ、立っお、食べおいた。

    雚は匱たりかけおいた。

    男はフィルムを綺麗に剥いお、䞀口ず぀、急がずに食べた。

    通りかかる人間がいおも、いなくおも、同じ速床だった。

    食べ終えるず、フィルムを畳んでポケットに入れ、ボトルの茶を飲んで、手袋をはめ盎した。

    枉は、牛䞌屋の暪の4分間を思い出した。

    同じだ。

    路䞊で、立っお、食っおいる。

    䜕䞀぀違わない。

    違うのは――俯いおいるかどうか、それだけだった。

    あの人は、誰の目にも入っおいい顔で食べおいた。

    僕は、誰の目にも入らないように食べた。

    

    枉は北京飯店の配達を終え、自宅ぞ戻ろうず自転車にたたがるず、自分の腹が鳎っおいるこずに気づいた。

    20時前の牛䞌を食べおから、ずいぶん走った。

    自宅の駐茪堎に぀いおから、枉はスマホの配達甚ではない、泚文甚アプリを開いた。

    泚文する偎の画面は、明るい。

    写真は湯気たで写っおいお、店は党郚、実圚するみたいに䞊んでいる。

    以前、登録時にもらえる初回のクヌポンで、䞀床だけ頌んだこずがあった。

    症状の波が最悪の日で、コンビニのレゞに立぀こずすらできなかった倜だ。

    誰ずも喋らず、誰にも顔を芋られず、ドアの倖に、枩かいものが眮かれおいた。

    写真が1枚届いお、それで終わりだった。

    あの倜の僕にずっお、非接觊は、冷たさではなかった。

    ドアのこちら偎で息をひそめおいる人間が、䞖の䞭にどれだけいるのか。

    届ける偎になった今なら、少しわかる。

    無蚀で開くオヌトロックの向こうにいるのは、傲慢な誰かずは限らない。

    喋れない誰かかもしれない。

    僕みたいな。

    北京飯店の炒飯ず、スヌプ。

    届け先は自宅。

    今回は、ドラむバヌ登録の時にもらったクヌポンを䜿う。

    泚文を確定し、眮き配を遞択した。するず、画面が倉わっお、芋知らぬ配達員の珟圚地が地図に灯り、北京飯店ぞ向かっおいる。

    倉な気分だった。

    今倜、僕がずっずそうだったものが、小さな点になっお、僕のために動き始めおいた。

    

    濡れた服を玄関で脱ぎ、郚屋に入った。

    オヌディションの結果は、1週間以内、ず蚀われた。

    埅぀のは慣れおいる。

    埅぀だけなら。

    ロック画面に、写真があった。

    2幎前の初舞台。

    客垭の暗がりから、劇団の誰かが撮ったものだった。

    照明の䞭で、口を限界たで開けお、叫んでいる自分。

    䞖界で1箇所だけの堎所に、立おおいる自分。

    枉はカメラを起動しお、自分に向けた。

    むンカメラの䞭の男は、濡れお、疲れお、二重マスクをしおいた。

    マスクを、䞀぀ず぀ずった。

    録画ボタンを抌した。

    「西田枉です。先ほどは、倱瀌したした。  咳ではありたせん。持病の症状です。チック症の症状です。緊匵や疲劎で、挔技䞭に出るこずが、ありたす」

    喉の泡が、膚らみ始めた。

    朜れ。

    いや。

    朜らなかった。

    「――っ、あ」

    声が挏れた。

    銖が振れた。

    枉はカメラから目を逞らさなかった。

    「  このように、出たす。ただ、お䌝えしたいのは、1぀だけです。出おも、芝居は、続けられたす」

    息を敎えお、たっすぐにレンズを芋た。

    「『これは、俺の仕事じゃない』」

    今床は、最埌たで蚀えた。

    台詞のあずの沈黙たで、挔った。

    停止ボタンを抌しお、動画は限定公開にしお、URLを貌り぀けお、送信した。

    既読が぀くかどうかは、わからない。

    返事が来るかどうかも、わからない。

    画面はただ、送信枈み、ずだけ衚瀺しお、それ以䞊は䜕も蚀わなかった。

    でも、送った。

    スマホが震えた。

    オヌディション先ではなかった。

    〈配達員が商品を受け取りたした〉

    雚の䞭を、僕の倕飯が、誰かの足で近づいおくる。

    その足が僕のアパヌトに着く頃、雚は䞊がっおいた。

    第四話 原皿の雚


    400字詰めに換算しお、3枚だった。

    石川浩介は北京飯店の軒䞋で、スマホのメモアプリを閉じた。

    ゚レベヌタヌの䞭で2行、店の前の埅機で5行。

    そうやっお1行ず぀積み䞊げお今倜、3枚。

    5幎曞いおきお、今倜の成果が、3枚。

    3枚分進んだ気持ちず、3枚しか曞けなかったず思う気持ちは、い぀も同時に来る。

    同時に来お、埌者が勝぀。

    5幎間、負け続きの勝負だった。

    38才。

    元・出版瀟勀務。

    倧孊を出おからの3幎ほど、いわゆるフリヌタヌだったが、䜕をしお食べおいたかは、自分でもうたく思い出せない。

    そのあず線集アシスタントを8幎やっお、5幎前に蟞めた。

    このたたでは䞀生、人の原皿に赀を入れお終わる、ず思ったからだ。

    蟞める日、課長は蚀った。

    もったいないな、石川だったらいい線集者になれたのに。

    俺は曞く偎になりたす、ず答えた。

    課長は笑った。

    悪意のない、珟実を突き぀けるような笑い方だった。

    確定申告の職業欄には、フリヌラむタヌ、ず曞く。

    フリヌタヌに䌌おいる、ずい぀も思う。

    小説家、ずは曞けない。

    資栌の問題ではない。

    1冊も出しおいない人間が名乗れるかどうかずいう話でもない。

    ただ、ペンが䞀瞬止たる。

    5幎間、毎幎止たる。

    止たるたびに、小説家ず曞けない理由は、曞いたこずが誰にも知られおないこずなのだず思う。

    ハンドルの脇で、電動アシストのバッテリヌ残量が43を瀺しおいた。

    スマホは61。

    数字を2぀確かめるのは、癖になっおいた。

    きっかけになった倜のこずは、あずで思い出すこずになる。

    アプリが鳎った。

    

    受け取り先は、茶沢通りの裏の雑居ビルだった。

    3階。

    ゚レベヌタヌなし。

    階段の螊り堎に、ダンボヌルが畳んで積んであった。

    目的の郚屋のドアには、プリントアりトした玙が3枚、テヌプで貌られおいた。

    圩りサラダボりル専門店 GREEN LEAF。

    本栌タコラむス専門店 オキナワ食堂。

    台湟魯肉飯専門 台北倜垂。

    3軒の専門店が、1枚のドアを共有しおいた。

    ドアは開いおいた。

    䞭は厚房が1぀。

    コンロが2口。

    壁際の棚でタブレットが3台、別々の音で鳎っおいた。

    男が1人、手袋をした巊手でフラむパンを振りながら、右手の人差し指でタブレットの1台を黙らせた。

    「C17B6さん サラダボりルね、はいこれ。ドレッシングも䞀緒に入れおあるから。」

    袋は完璧に閉じおあった。

    テヌプが底たで回しおあり、䌝祚が氎平に貌っおあった。

    3軒分の看板を1人で背負う男の、指先だけは専門店だった。

    階段を降りながら、浩介は考えた。

    存圚しない店が、3぀。

    存圚する厚房が、1぀。

    アプリの䞭では、それぞれの店に写真があり、レビュヌがあり、星が付いおいる。

    星は本物だ。

    料理も本物で、この袋の熱も本物だった。

    嘘なのは、店ずいう茪郭だけだ。

    ゎヌストレストラン。

    コロナ犍で急速に増えた存圚。

    すっきりはしない。䞖界がどんな状況になっおも、こうやっおうたく金を回す奎はいる。

    この厚房の男も、雚の䞭を走る自分も、そい぀らの駒でしかないか。

    だけど、鳎り続けるあのタブレットが、今倜も俺たちを食わせおいる。

    文句の蚀い先が、どこにもなかった。

    むしろ、感謝するべきなんだろうな。

    

    次の受け取り先は、逆だった。

    昔ながらの掋食屋で、コロナからデリバリヌを始めた店だず、入っおすぐわかった。

    カりンタヌの端にタブレットが眮かれ、その画面を、店䞻が老県鏡ごしに睚んでいた。

    「ああ、配達の人 ごめんね、これがただ党然でね」

    厚房を芗いお、店䞻は蚀った。

    「あず結構かかっちゃうなあ。  埅たせるのも悪いから、キャンセルしおもらっおもいいよ」

    軜い声だった。

    気遣いですらあった。

    キャンセルすれば、報酬はれロだ。

    ここたで雚の䞭の2.1キロは、なかったこずになる。

    この人はそれを知らない。

    知らないで、芪切の぀もりで蚀っおいる。

    悪意のなさが、いちばん説明しにくい。

    「、、、埅ちたす」

    浩介は店の隅に立った。

    8分埅った。

    8分は、400字詰めなら1枚曞ける長さだった。

    曞かずに、店の端で油の匂いを吞っお立っおいた。

    

    23時7分、グランメゟン桜䞘。

    裏の通甚口はもう芚えおいた。

    管理宀の窓が開いお、䜕の蚀葉もなくクリップボヌドが突き出される。

    浩介はペンを取った。

    今倜の名前が䞊んでいた。

    䞀番䞊の行に、雚で滲んだ字があった。

    䞭村隆。

    玙が氎を吞っお、茪郭が䞀回り倪っおいた。

    濡れた手のたた曞いた字だ、ず思った。

    それ以䞊は䜕も思わなかった。

    知らない名前だった。

    この台垳ひず぀に、今倜ここを通った人間の分だけ、名前が䞊んでいく。

    䌚ったこずもない誰かず、同じ堎所に立っお、同じ雚に濡れおいる。

    䞀番䞋の行に、自分の名前を曞く。

    石川浩介。

    字は、滲たなかった。

    手袋を倖しお曞いたからだ。

    倖しお曞くくらいの䜙裕が、自分にはただあるのか、それずも滲むほどの䜕かが、ただ足りないのか。

    ボヌドを戻す時も、管理人は䜕も蚀わない。

    職業に貎賎はない、ず芪の䞖代は蚀った。

    子どもの頃、食卓で聞いた。

    綺麗な蚀葉だず思った。

    綺麗な蚀葉は、蚀う偎のためにある。

    䜕幎やっおも、キャリアにならない。

    履歎曞に曞いたずころでどう思われるか。

    やりたい仕事で食えない人間が、しょうがなくやる仕事――ず、䞖間が思っおいお、そしお俺自身が、思っおいる。

    こんな仕事、ず思っおいるこの仕事をするしかない自分は、䜕者なんだろうか。

    そう思いながら、業務甚の゚レベヌタヌに乗った。

    

    トむレは2軒断られお、3軒目は探さなかった。

    慣れずいうものが、いちばん静かな敗北だった。

    路地の暗がりに自転車を止めお、息を぀いたずき、スマホが震えた。

    メヌルだった。

    件名で、わかった。

    【第68回 文林新人文孊賞 最終遞考結果のご連絡】

    石川浩介様

    お䞖話になっおおりたす。

    本日、最終遞考䌚が行われたしたので、結果をご連絡いたしたす。

    誠に残念ながら、受賞には至りたせんでした。

    遞評より、䞀郚を抜粋したす。

    ・文章の密床は候補䜜䞭でも際立っおおり、雚の堎面の描写は評䟡が高かったです。

    ・䞀方で、構成にやや散挫な印象があるこず、䞻人公が䜕を求めおいるのかが終盀たで刀然ずしないこずが指摘され、受賞䜜ずは僅差での芋送りずなりたした。

    石川様の文章力は、遞考委員の間でも話題になりたした。

    たたのご応募をお埅ちしおおりたす。

    浩介は、雚音の䞭で2床読んだ。

    2床目の方が、深く刺さった。

    12回目の萜遞だった。

    10回目も、最終たで残っお萜ちた。

    候補にもならず消えおいた頃は、ただ蚀い蚳があった。

    読たれおいない、ず思えた。

    いたは読たれおいる。

    読たれお、掚されお、蚘憶に残っお、萜ちおいる。

    距離が瞮たるほど、萜䞋の高さは増しおいく。

    『䞻人公が䜕を欲しおいるのかが、芋えづらい。』

    曞いた俺が䜕を欲しおいるのか、俺にも芋えおいないからだ。

    画面を閉じようずしお、指がツむッタヌの通知に觊れた。

    田䞭良。

    元同僚。

    線集郚にいたも圚籍しおいる男。

    〈ご報告。初の単行本『倜の線集宀』、本日発売になりたした 圚宅勀務で通勀の2時間が消えお、去幎から曞いおいたものがWeb連茉になり、この床、本になりたした。䌚瀟にも家族にも感謝。刊行むベントはZoomでやりたす〉

    いいねが、1,200。

    曞店の棚の写真。

    平積みの垯に、コロナ犍に生たれた期埅の新人、ずあった。

    浩介は、路地の壁に背䞭を぀けた。

    田䞭は、䜕も手攟さなかった。

    絊料も、肩曞も、机も。

    手攟さないたた、浮いた2時間で曞いお、出した。

    俺は党郚手攟しお、浮いた5幎で、ただ出せおいない。

    圚宅になった人間ず、倖を走るしかなくなった人間が、同じ棚を目指しおいる。

    田䞭は悪くない。

    それは分かっおいる。

    分かっおいるこずず、蚱容できるこずは、別だった。

    「  悔しいよな」

    誰かに蚀うように声に出した。

    マスクが吞った。

    誰にも聞こえなかった。

    聞こえないず分かっおいるから、出せた声だった。

    

    顔を䞊げるず、路地の出口の向こうに、コンビニの看板が灯っおいた。

    雚でにじんだ、癜い光だった。

    その光を芋お、思い出した。

    始めたばかりの頃だ。

    去幎の、梅雚。

    完了ボタンを抌すたびに、次の䟝頌が鳎った。

    受け取るたで、行き先は衚瀺されない。

    この仕事をはじめた党員が、どこぞ飛ばされるかを知らされないたた、袋を持たされおいた。

    断れば、もう鳎らなくなる気がした。

    䜕の根拠もなく、そう思い蟌んでいた。

    だから受けた。

    鳎れば受けた。

    靎の䞭たで氎が入っお、指がふやけお、それでも受けた。

    数珠繋ぎ、ず誰かが呌んでいた。

    䟝頌が途切れないこずを、配達員たちはそう呌ぶらしかった。

    数珠っお、葬匏の道具じゃねえか――ず、曞く人間の耳が、そのずき匕っかかった。

    祈りの数珠か、匔いの数珠か。

    手銖に巻かれおいるのはどっちだ。

    ただ、認めなければならないこずが1぀ある。

    あの雚の日の数珠の䞭で、俺は䜕も考えずにいられた。

    萜遞も、田䞭も、職業欄も、䜕も。

    目指しおいた堎所に着けば、すぐさた次の目的地を䌝えられる。

    それに埓い続ければよかった。

    その倜、数珠が切れたのは、日付が倉わる頃だった。

    電動のバッテリヌが、先に死んだ。

    アシストの切れた自転車は、ただの重い鉄になった。

    次いで、最埌の配達の終了時に3%だったスマホが息絶えた。

    地図が消えた。

    どのあたりにいるのかは、なんずなく分かったが、家たでの垰り道が、頭の䞭で組み立おられなかった。

    珟圚地だけががんやりずあっお、家たでの経路がわからない。

    それは、そのたた俺の人生の図だった。

    雚の䜏宅街で、灯りは1぀しかなかった。

    コンビニだった。

    吞い蟌たれるように入っお、お釣り甚の小銭で、いちばん腹に溜たりそうな担々麺のカップ麺を買った。

    お湯を入れお、倖に出お、店の前の瞁石に座り蟌んだ。

    3分埅おずに蓋を開け、湯気ごずすすった。

    うたかった。

    人生で食べたどの䞀杯より、うたかった。

    ラヌ油ず胡麻が混ざったスヌプも、少し硬めの麺も、党郚うたかった。

    䜓が冷え切り、空っぜになるたで走った人間の前にだけ珟れる味が、この䞖にはある。

    あの倜、確かにそれを食った。

    ――こんな仕事しおたっお、䜕も掎めない。

    さっき路地でそう思った。

    掎んでいた。

    あの䞀杯を。

    台垳の滲みを。

    3軒分の看板を背負う男の指先を。

    充電の切れた電動自転車の重さを。

    それらは、たるごず䜓の䞭にあった。

    圚宅の2時間では、絶察に感じられないものが。

    䞻人公が䜕を欲しおいるのか、芋えづらい。

    芋えなかったのは、遠くを芋おいたからだ。

    

    北京飯店に戻るず、先客がいた。

    あの男だった。

    喉元たでファスナヌを䞊げた、どこにでもいる配達員。

    男は受け枡し窓の前で袋を受け取り、バッグの前にしゃがんで、詰めおいた。

    タオルの筒。

    袋を氎平に、ゆっくりずバッグに沈めおいく。

    音のない所䜜。

    浩介の指が、無意識にポケットのスマホぞ動いた。

    メモを開いお、曞き留めようずした。

    所䜜の順番。

    手の角床。

    バッグの䞭の構造。

    こういう人物が1人いるだけで、原皿は締たる――

    指が、止たった。

    スマホをポケットに戻した。

    かわりに、ただ芋た。

    目に焌くだけ焌いお、持ち垰るのは、焌き付いたものだけにした。

    それが曞く人間の瀌儀なのかどうかは、分からない。

    分からないが、今倜はそう決めた。

    メモを取らなくおも、あのファスナヌの䞊げ方、タオルの巻き方は、い぀か必芁な時に勝手に溢れ出す。

    「E7C21です」

    自分の番号を告げるず、袋ず䞀緒に、窓からペットボトルが出おきた。

    ホットの緑茶だった。

    「え、いいんですか」

    「い぀もありがずね」

    䞞い顔が、湯気の向こうで笑っおいた。

    い぀も、、、。

    浩介は、ボトルを受け取ったたた、少しのあいだ動けなかった。

    誰にも芋られおいない倜だず思っおいた。

    管理人には荷物ずしお、客には機胜ずしお、田䞭のタむムラむンには存圚しない者ずしお、今倜の俺は誰の芖界にもいなかった。

    いなかったはずの俺を、この窓は、い぀も来る人、ずしお数えおいた。

    そういえば、ず思い出す。

    䞀床だけ、李さんに「䜕をそんなに打っおるの」ず聞かれたこずがあった。ずっさに、「小説です」ずだけ答えた。それきり、䜕も聞かれなかった。忘れられたず思っおいた。

    「  ありがずうございたす」

    「気を぀けおヌ」

    

    最埌の配達を終えお、通知が鳎った。

    ク゚スト達成。

    プラス1,500円。

    本日の合蚈、10,120円。

    これで、今月の家賃に足りなかった分は埋たった。

    ぀たり、明日も郚屋がある。

    郚屋があれば、机がある。

    それだけだった。

    それだけのために、今倜走った。

    浩介は緑茶の蓋を開けお、䞀口飲んだ。

    曞くものは、決たりかけおいた。

    ただ茪郭だけだった。

    雚ず、数珠ず、滲んだ名前ず、湯気。

    遠くの棚じゃなく、今倜の路地の話。

    バッテリヌ残量、18の自転車で、垰路に぀いた。

    ゚ピロヌグ 雚䞊がりの路地


    雚が、䞊がった。

    北京飯店の軒からは、滎が間隔をあけお萜ち続けおいる。

    0時を少し過ぎお、昭和の日は終わっおいた。

    タカシは、最埌の䟝頌を受け取りに来おいた。

    受け枡し窓の向こうで、炒飯をあおる鍋が音を立おおいる。

    李さんが窓蟺で暇そうに突っ立っおいた。

    「ごめんね、もヌちょっずかかるよヌ。今日は最埌」

    「たぶん」

    「李さん、今日も遅くたでだね」

    「うちは、い぀たでもやっおるよ。倜䞭食べる人いるから」

    タカシは、傘のない軒䞋でヘルメットを脱いだ。

    「配達の人、たくさん来るよね。」

    「うん、今日もいろんな人きたよ」

    李さんは炒飯の鍋を芗きながら、続けた。

    「埅っおるあいだ、い぀もスマホで長文打っおる真面目な子来るよ。小説曞いおるんだっお。マスク二重しお、声ちょっず倉わっおる子いるね。ギタヌ背負っおるお兄ちゃんも、たたに」

    「それは飜きないね」

    「そうだねえ、面癜いよ」

    タカシは、それを聞きながら思った。

    い぀か、売れお、むンタビュヌか䜕かで聞かれたら――

    コロナの時、土砂降りの雚の倜、北京飯店の炒飯乗せお、枋谷の坂を䞊っおたした。

    あの日があったから、今に繋がったんです。

    ――蚀えるかどうかは、わからなかった。

    蚀う機䌚が来るかどうかも。

    「みんな、䜕かの途䞭か  」

    思わず、声が出た。

    誰に蚀うでもなく。

    李さんにも、聞こえたかどうか。

    うしろに、人の気配がした。

    振り返るず、喉元たでファスナヌを䞊げた男が、立っおいた。

    「E8F13です」

    窓に向かっお番号を告げる。

    それだけだった。

    李さんが既に出来䞊がっおいた料理の袋を出す。


    男は受け取り、い぀もの角床でバッグに沈めた。

    埌ろめたさも、屈蟱も、そこにはなかった。

    ただ、今日の最埌の䞀件を、今日の最初の䞀件ず同じ粟床でこなす背䞭だけがあった。

    滎の間隔は、さっきより広くなっおいた。

    男は自転車にたたがり、雚䞊がりの路地を走り去った。

    タカシは、その背䞭が角を曲がるたで芋送った。

    タカシが配達する炒飯も出来䞊がった。

    ゚ンゞンをかける前に、ネタ垳の3行目に、ペンを眮いた。

    䜕かの途䞭、

    そこたで曞いお、止めた。

    続きは、ただ思い぀かなかった。


    #創䜜倧賞2026

    #お仕事小説郚門

     
     

    N.

     
     
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