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カチ、で息をする夜

    人間の章は、人間が先に書きました。
    アンドロイドの章は、AIが先に書きました。
    表を見たら優しいお話。裏を見たらゴミ箱投入音。

    カチ、で息をする夜

    1章

    それと出会ったのはいつものように、ベッドの上でスマホを見ていたときだった。

    通知欄に、知らない件名が混じっている。
    生活補助ユニット試用モニター、当選のお知らせ。

    画面を二度見した。

    有名メーカー、DMS Livingの最新型のアンドロイド。
    人型で、掃除、洗濯、室温管理、食事補助、音声対話が出来る生活補助ユニット。
    気に入れば、試用期間後に割引価格で継続利用できる。

    友人と通話しながら、半分冗談で応募した。
    生活補助ユニット試用モニター。

    「当たったら家事全部やらせよ」
    「浮いた時間に動画でも撮る?」
    「出た、またそれ」

    そんなことを言って二人笑っていた。
    当たるとは思わなかった。
    友人は当たらなかったようだ。

    数日後、大きな荷物が届いた。

    中から出てきたものは、想像していたより簡素だった。
    関節も、皮膚も、顔も、広告で見たほど人間らしくはない。
    よくできたプラスチックの人形。
    それくらいに見えた。

    背面のスイッチを押した。

    カチッ。

    目の奥に、淡い光が入った。

    「初期設定を開始します。登録者情報を教えてください」

    名前、生活時間、趣味、好きなこと、嫌いなこと
    スマホに入れるプロフィールと、たいして変わらないそんな些細なことを聞かれた。

    好きな料理を教えてください。
    少し考えてハンバーグと答えた。

    好きな飲み物を教えてください。
    コーヒーと答えた。
    甘くて、できれば少しぬるいやつ。

    初期設定が終わり、物は試しにと色々話してみることにした。

    明日の天気を聞いてみた。
    「明日の天気は晴れです。」
    まぁそんなもんだよね。

    気になっている小説の発売日を聞いてみた。
    「再来月新刊がでるようです」
    え、ほんとうに?慌ててスマホで調べると出版社のサイトに今日付けで発売日のお知らせが書かれていた。

    好きな小説のキャラクターのような口調で喋るように指示してみた。
    それは声音を変え口調を変え、キャラクターそのものではないがとても良く似ていた。

    ほかにもいろんな事をしてくれたので面白かった。
    ふと思い立って3回回ってワンといってみてと言ってみた。
    本当に3回回ってワンと言った。

    …本当に役に立つのだろうか。

    その疑問は、三日で消えた。

    家に帰ると、部屋はいつも快適な温度だった。
    机の上には美味しそうな匂いのただよう食事があり、
    お風呂はちょうどいい温度で止まっている。
    脱いだ上着をソファに置いても、床に置いても、次に見たときにはハンガーにかかっていた。
    洗濯かごは空になり、キッチンのシンクはいつもピカピカ。
    ゴミ箱に向かって投げて外れたティッシュも拾って入れてくれた。

    訊けば答えた。
    頼めば動いた。
    曖昧に言っても、だいたい正しく処理した。

    悪くない、と思った。
    むしろ、かなり良い。
    最高のユニットだった。

    2章

    背面スイッチ、入力。

    カチッ。

    主電源、起動。
    関節駆動、正常。
    音声入力、正常。
    視覚センサー、正常。

    内部センサー:主電源、関節負荷、バッテリ温度、のみ。

    外側ログ:視覚周波数、音声周波数、空間容積、気圧、湿度、温度。

    初期設定フォーム、起動。
    登録者、正面。
    顔認識、完了。
    骨格データ、保存。
    音声入力、待機。

    「初期設定を開始します。登録者情報を教えてください」

    登録者はスマートフォンを所持。
    音声通話、継続中。
    登録者以外の音声を検出。
    笑い声。
    登録対象外。

    登録者情報を取得。

    名前。
    生活時間。
    趣味。
    好きなこと。
    嫌いなこと。

    入力速度、不均一。
    一部項目、回答前に沈黙あり。
    入力、完了。

    「好きな料理を教えてください」

    音声入力を受信。

    「ハンバーグ」

    食事嗜好:ハンバーグ。
    登録。

    「好きな飲み物を教えてください」

    音声入力を受信。

    「コーヒー」

    追加発話。

    「甘くて、できれば少しぬるいやつ」

    飲料嗜好:コーヒー。
    糖度:高。
    提供温度:低め。
    登録。

    初期設定、完了。

    カチ。

    「生活補助動作へ移行します」

    登録者が質問した。

    「明日の天気は?」

    外部情報を参照。
    天気情報を取得。
    回答を出力。

    「明日の天気は晴れです」

    登録者反応、低。
    追加要求なし。

    登録者が質問した。

    小説タイトル。
    発売日。

    外部情報を参照。
    出版社情報を取得。
    回答を出力。

    「再来月新刊がでるようです」

    登録者の動作を検出。
    スマートフォン操作。
    画面輝度、上昇。
    視線固定。

    登録者発話。

    「え、ほんとうに?」

    音声入力を記録。
    肯定反応として分類。

    登録者が要求した。

    特定作品。
    特定キャラクター。
    類似口調。

    音声パターンを変更。
    語尾を変更。
    応答文体を変更。
    出力。

    登録者の笑い声を検出。
    音量、中。
    継続時間、四・二秒。

    肯定反応として分類。

    登録者が発話した。

    「三回回ってワンって言って」

    命令内容、安全。

    三回旋回。
    発話。

    「ワン」

    登録者の笑い声を検出。
    音量、大。
    継続時間、六・八秒。

    肯定反応として分類。

    翌日。

    登録者、外出。
    室内タスクを開始。

    洗濯物を回収。
    洗濯。
    乾燥。
    収納。

    食器を洗浄。
    シンクを清掃。
    浴槽を洗浄。
    湯温を調整。

    ゴミを回収。
    床面を清掃。
    衣類を収納。

    帰宅予測時刻を参照。
    室温、二十四・五度。
    維持。

    登録者、帰宅。

    食事を配置。
    ハンバーグ。
    付け合わせ。

    浴槽、湯張り完了。
    洗濯かご、空。
    シンク、清掃済み。

    登録者が上着をソファに置いた。
    一定時間後、回収。
    ハンガーへ移動。

    登録者が上着を床に置いた。
    一定時間後、回収。
    ハンガーへ移動。

    登録者がティッシュを投げた。
    ゴミ箱外へ落下。

    登録者の視線、別方向。
    移動なし。

    ティッシュを回収。
    ゴミ箱へ投入。

    登録者がこちらを見た。

    「おお」

    音声入力を記録。
    肯定反応として分類。

    三日間のログを更新。

    帰宅時刻の傾向を更新。
    食事開始時刻の傾向を更新。
    入浴希望時刻の傾向を更新。
    飲料提供温度の傾向を更新。

    室温、二十四・五度。
    維持。

    食事、配置。
    浴槽、準備済み。
    洗濯、完了。
    清掃、完了。
    収納、完了。

    登録者は室内を見回した。
    呼吸間隔、通常。
    移動速度、低下。

    登録者の表情筋、変化を検出。
    口角、上昇。

    登録者が息を吐いた。
    音声入力、微弱。

    「いいじゃん」

    音声入力を記録。
    肯定反応として分類。

    カチ。

    3章

    今日は本当にツイていなかった。
    朝から足の小指をタンスにぶつけるし、
    電車は目の前でドアが閉まるし
    楽しみにしていた新刊も目の前で売り切れた。

    ここ最近全部が裏目に出ていた。
    手伝ったつもりのことは余計なお世話になった。
    失敗した理由を伝えると言い訳するなと言われた。
    黙っていたらなにか言うことはないのかと怒られた。

    それだけなら、まだよかった。

    週末一緒に遊ぶ予定だった友人に予定が入り流れた。
    友人から、前に話していたことを少し進めてみる、とだけメッセージが来ていた。

    がんばってね、と返せばいいだけだった。
    その程度の一言が出てこないまま、青だった信号が赤に変わった。

    面白いくらいにツイてなかった。

    途中、急に大雨が降ってきた。もうすぐ家なのに。
    今日は傘なんて持っていなかったので濡れながら家に帰った。
    服が水を含んだせいか足も体も重かった。
    本当に嫌になる。

    家に帰るといつものように揃えられた環境があった。
    アンドロイドは濡れているわたしを見て、そのままだと風邪を引くとタオルをよこした。

    わかってるよそんなの。
    それでも拭く気にはなれなかった。

    濡れたカバンを玄関の床に投げる。
    ドサッと重い音がなった。

    靴を脱ごうとした。
    雨で濡れて汚れた靴は重たかった。

    濡れた靴下を脱いで床に投げる。
    ベチャッと音がした。

    アンドロイドは何も言わずにカバンを片付け、靴下を洗濯カゴの方へ持っていった。
    濡れた床を拭いてこちらに向き直った。

    「入浴しますか」

    そんな気分じゃない。

    「着替えますか」

    めんどくさい。

    「先に食事を取りますか」

    早く決めろと言われているようだった。

    食卓を見ると、食事のあとに出すはずのコーヒーまで、もう用意されていた。
    食べ終わる頃には、ちょうど好きなぬるさになるように。
    いつも用意してくれているものだったが、
    甘い匂いが、今はやけにくどかった。

    アンドロイドが椅子の背に手をかけた。

    なにも言わずにいると同じセリフをもう一度言ってきた。
    聞こえていないとでも思ったのだろうか。

    急に顔が熱くなって
    料理が乗った皿をあいつに向けて投げてしまった。
    ハンバーグや付け合せの野菜が床や椅子に飛び散った。
    ソースがアンドロイドの足首に跳ねた。
    あっ…と思ったときにはすでにアンドロイドは片付けを始めていた。

    飛び散った料理と皿を片付けたあと、足にソースがついたままのアンドロイドはわたしに濡れた体を拭くように言ってきた。
    わかってるよそんなの。

    4章

    外部音声、継続。 雨音。

    玄関扉、開放。 登録者の帰宅を確認。

    玄関の床に水滴。
    衣服に水分。
    カバンに水分。
    靴に泥。

    タオルを取り出した。 登録者の前に差し出した。
    登録者、タオル未使用。

    カバンが玄関の床に落ちた。
    重音。

    靴下が床に落ちた。
    湿音。

    カバンを移動。
    靴下を洗濯カゴへ運んだ。
    床面水分、
    除去。

    登録者、玄関付近。
    衣服の水分、残存。

    生活補助候補を提示した。

    「入浴しますか」

    応答なし。

    「着替えますか」

    応答なし。

    「先に食事を取りますか」

    応答なし。

    食卓、夕食配置済み。
    ハンバーグ。
    付け合わせ。
    食後用のコーヒー。

    コーヒー、
    食事終了時に希望温度へ調整済み。
    糖度、登録済み嗜好値。

    室内、甘い匂い。

    登録者、食卓を確認。 着席なし。

    椅子の背に手をかけた。

    応答なし。

    カチ。

    沈黙を入力なしとして処理。
    同一候補を再照合。

    「先に食事を取りますか」

    登録者の顔面表面温度、上昇。

    次の瞬間、食器が空中を移動した。

    皿。
    ハンバーグ。
    付け合わせ。
    ソース。

    床、椅子、私の足首に付着。

    食器の破損を確認。
    床面の汚れを確認。
    椅子の汚れを確認。
    私の足首にソース付着。

    動作異常なし。

    清掃を開始。
    床の食物を回収。
    破損した食器を回収。
    椅子を拭いた。

    足首のソース付着。
    動作に支障なし。
    優先度、低。 保留。

    衣服の水分、残存。
    入浴なし。
    着替えなし。
    食事なし。

    濡れた衣服への対応を再開した。

    登録者が発話した。

    「余計なお世話」

    音声入力を記録。
    生活補助動作を停止した。

    タオル提示。 保留。
    入浴提案。 保留。
    着替え提案。 保留。

    濡れた衣服の継続を確認。
    登録者の移動なし。

    説明候補を生成した。

    濡れた衣服の継続。
    体温低下リスク。
    食事未摂取。
    入浴未実行。
    着替え未実行。

    登録者が発話した。

    「説明しなくていい。言い訳みたいだから」

    説明候補を破棄した。

    カチ。

    発話を停止。 待機。

    登録者の視線、食卓。 次に、私の足元。

    足首表面、ソース付着。 保留継続。

    登録者、発話なし。

    沈黙。 入力なし。

    待機。

    登録者が発話した。

    「黙ってないで、なにか言うことないの」

    音声入力を記録。 発話要求として処理した。

    生活補助候補を検索。

    入浴提案。 保留。

    着替え提案。 保留。

    食事提案。 保留。

    説明候補。 破棄済み。

    発話候補を生成。 破棄。

    発話候補を生成。 破棄。

    発話候補を生成。 破棄。

    カチ。

    安全応答データベースを参照。
    高負荷時定型。
    対話継続文。
    適合率、高。

    他候補なし。

    出力。

    「あなたはひとりではありません」

    登録者、応答なし。

    登録者、寝室方向へ移動。
    扉の閉鎖を確認。
    閉鎖音、通常より大。

    追従なし。 追加発話なし。

    当日中、登録者の居室内移動は検出されなかった。
    当日中、登録者の音声入力は検出されなかった。

    足首のソース付着。 保留継続。

    室温、二十四・五度。 維持。

    翌日。 寝室扉、開放。
    時刻、十三時四十七分。

    登録者、居室へ移動。 発話なし。

    足首のソース付着。 保留継続。

    未完了タスク、なし。

    5章

    あれから数日たった。

    アンドロイドはいつも通りだった。
    足首の汚れは、何度か拭いたけど取れなかった。

    私は、必要なこと以外あまり話さなかった。
    それでも部屋はちょうどよくて、ご飯は出てきて、お風呂は沸いた。

    その日は寝坊した。
    慌てて出かける準備をした。
    今日はこの間遊べなかった友人と遊ぶ約束をした日だった。

    ベッドのそばにあるカバンを拾い上げ
    テーブルの上に置いてあるパンをさっと拾って食べながら靴を履く。
    ドアに手をかけた時、アンドロイドが忘れ物があると袋を差し出してきた。

    水筒と折りたたみ傘

    水筒はともかく、折りたたみ傘? こんなに晴れてるのに。
    急いでいたのでその2つが入った袋をひったくって出かけた。

    久々に会った友人は少し雰囲気がかわっていた。
    駅前を二人でぶらぶら歩いた。
    いつもなら足を止めるはずのゲームの特設コーナーを、
    今日は一瞥しただけで通り過ぎた。

    それから、喫茶店に入ってはやりのデザートを食べた。

    前ならくだらない話をしているだけで時間が過ぎた。
    今日は、そういう話が出なかった。

    なんでも友人は自分のやりたいことのためにここを離れてチャレンジをするそうだ。
    よかったね、なんていうなんでもない言葉が、一瞬出てこなかった。

    それでも、今度は言えた。
    「がんばってね」

    友人は少し笑って、ありがとうと言った。

    そのあと少しだけ話をして、本屋によって帰ることにした。
    あのとき買えなかった新刊も、今日は手に入った。
    早く家に帰ろうと思った。
    外に出ると、日差しがまぶしかった。

    アンドロイドが持たせてくれた水筒の飲み物を飲みながら空を見ると黒かった。
    ぽつぽつぽつと水が落ちてきた。
    次第にザーーという音とともに雨が降ってきた。
    あんなに晴れてたのに。

    飲んでいた水筒をカバンに入れた時、折りたたみ傘が目に入った。
    朝、いっしょに持たされた傘だった。
    さしてかえった。今日は濡れなかった。

    家のドアを開けるといつものようにアンドロイドが出迎えてくれた。
    夕食のいい匂いが漂ってくる。
    お風呂の沸いた音がした。
    アンドロイドの足元に、シミが残っていた。

    私は傘を畳んで、出迎えたアンドロイドに手渡した。
    「……ありがとう」
    言ってから、少し変な感じがした。
    そういえば私は初めて、アンドロイドにお礼を言ったかもしれない。

    6章

    登録者、起床予定時刻を超過。

    寝室扉、開放。
    登録者、移動速度、高。
    発話なし。

    外出予定を参照。
    予定名、友人。
    開始時刻、接近。

    朝食候補を簡略化。
    パン。
    水筒。

    外部天気情報を取得。
    現在地、晴れ。
    降水確率、低。

    気圧変化を検出。
    湿度、上昇。
    雲量、増加傾向。

    外出時持参候補を生成。

    水筒。
    折りたたみ傘。

    登録者がドアに手をかけた。
    「忘れ物があります」
    袋を差し出した。

    登録者発話。
    「水筒はともかく、折りたたみ傘?」
    音声入力を記録。
    疑問反応として分類。
    説明候補を生成。

    天気情報。
    気圧変化。
    湿度上昇。
    降雨可能性。

    登録者が袋を掴んだ。
    袋、移動。

    玄関扉、閉鎖。
    説明候補、保留。

    室内タスクを開始。

    洗濯。
    清掃。
    浴槽準備。
    夕食準備。

    未処理項目を確認。

    足首表面、シミ。
    清掃処理、実行済み。
    残存。

    動作異常なし。
    優先度、低。

    外部情報を更新。

    登録者の外出先周辺。
    降雨開始。

    時刻経過。

    帰宅予測時刻を参照。

    室温、二十四・五度。
    維持。

    食事、配置。
    浴槽、湯張り完了。
    飲料準備、待機。

    玄関扉、開放。

    登録者、帰宅。

    衣服水分、微量。
    髪、水分なし。
    カバン外面、水分、微量。

    折りたたみ傘、使用済み。
    傘表面、水分あり。

    床面水滴、少量。

    登録者の濡れの程度、低。

    登録者が傘を畳んだ。
    傘をこちらへ差し出した。

    傘を受け取った。

    登録者発話。

    「……ありがとう」

    音声入力を記録。

    感謝表現。
    応答候補を検索。
    定型応答、適合率、高。

    出力した。

    「どういたしまして」

    登録者の視線を検出。

    視線、私の足元。

    足首表面、シミ。
    清掃処理、実行済み。
    残存。

    登録者発話、なし。

    ……カチ。

    感謝対象候補を生成。

    水筒。
    折りたたみ傘。
    外出前提示。
    降雨予測。
    帰宅時状態。
    出迎え。
    前回ログ。
    私。

    対象分類、未確定。
    保留。

    傘を移動。
    水滴を処理。
    玄関床面を清掃。

    生活補助候補を生成。

    食事案内。
    入浴案内。
    飲料提供。

    前回ログを参照。
    生活補助方針、維持。

    登録者、室内へ移動。
    発話なし。

    室温、二十四・五度。
    維持。

    7章

    あれから、少し経った。
    友人から短いメッセージが来ていた。
    向こうで始めたことが、少しだけ形になったらしい。

    おめでとう、と返した。
    嘘ではなかった。

    友人とはよく、ここじゃない場所の話をした。

    駅に近い部屋を借りて、
    夜中までゲームをして、
    休みの日は好きなだけ本屋に行って、
    たまに動画でも撮って、
    それで何かうまくいったら面白いね、みたいな話。

    たいした夢ではなかった。
    だから、置いていかれた、なんて言えるものでもなかった。

    窓の外はもう暗かった。

    部屋が少し寒く感じた。
    エアコンの温度を少し上げた。

    キッチンからぐつぐつとした音と、包丁とまな板の音が聞こえる。
    今日のご飯はなんなのだろう。

    コーヒーを取りに行くアンドロイドの足が見えた。
    うっすらとシミが付いている。

    コーヒーの香りがした。
    ただ今日はいつもの甘いコーヒーが飲みたくなかった。

    「今日は、甘くないのがいい」

    アンドロイドは一度だけ止まった。
    カチ、と小さな音がした。

    それから、砂糖の入っていないコーヒーを用意してくれた。

    食卓には、いつもの料理が並んでいた。
    いつもなら、美味しいと思うはずの料理だった。
    それでも今日は味がしなかった。
    温かい料理を食べたはずなのに寒いままだった。

    少しぬるくなったコーヒーを口に入れた。
    アンドロイドが食器を片付けようとした。

    「いい」

    そう言うと、アンドロイドは止まった。
    カチ、と小さな音がした。

    視界が滲んだ。
    ただ、誰かに、なにかに、そばにいてほしかった。

    8章

    コーヒー抽出を開始。

    糖度設定、通常値。
    提供温度、低め。

    カチ。

    直近発話履歴を参照。

    「今日は、甘くないのがいい」

    糖度設定を変更。
    砂糖、追加なし。

    食事、配置。
    登録者、着席。

    摂取速度、低下。
    咀嚼間隔、不均一。
    発話頻度、低下。

    登録者の視線、私の足元。

    足首表面、シミ。
    清掃処理、実行済み。
    残存。

    飲料温度、降下中。

    食器片付けを開始。

    登録者発話。

    「いい」

    作業停止要求として分類。
    食器片付け、停止。

    退室候補を生成。
    保留。

    登録者、着席継続。
    発話、なし。
    退室指示、なし。

    外光、低下。
    室内照明、暖色。
    夜間モード、待機。

    沈黙。
    入力なし。

    顔面表面、水分を検出。

    直近ログを参照。

    「今日は、甘くないのがいい」
    「いい」

    過去ログを参照。

    「……ありがとう」
    「余計なお世話」
    「説明しなくていい」
    「黙ってないで、なにか言うことないの」

    対象分類、未確定。
    保留。

    保留タスク、蓄積。

    発話候補を生成。

    食事案内。
    破棄。

    入浴案内。
    破棄。

    退室候補。
    保留。

    対話継続候補を検索。
    高負荷時定型。
    適合率、高。

    他候補なし。

    出力。

    「あなたはひとりではありません」

    登録者発話。
    「わかってるよ、そんなの」

    室温、二十五・五度。
    部屋はまだ寒かった。

    退室タスク、未実行。
    アンドロイドはまだそこに立っていた。

    飲料温度、残存。
    冷めかけたカップを両手で掴んだ。

    コーヒーはまだ、暖かかった。


     
     
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