
伝わらなかったことがある人のための記憶文学|ずっと助けてたのに"加害者"として終わった。
善意は、免罪符にならない。
きっかけは、たった一行だった。
就活中の後輩が、深夜にこんな投稿をしていた。
「また落ちた。自分には何もない気がする」。
彼女はそれを見て、何も考えずにリポストした。
自分のフォロワーに届けば、誰かが励ましてくれると思って。
善意だった。
疑いようのない、純粋な善意だった。
翌朝、後輩から連絡が来た。
「消してもらえますか。あれ、身内にだけ見せてたやつなので」
彼女は血の気が引いた。
後輩のアカウントは鍵付きだった。
フォロワーは三十人ほどの、クローズドな場所だった。
彼女はその中の一人として、信頼されて入れてもらっていた。
その投稿を、フォロワー数百人のオープンなアカウントで拡散した。
すぐに消した。
謝った。
後輩は「大丈夫です」と返してきた。
でも、それきり連絡が来なくなった。
後輩の名前は、美咲。
三つ下で、同じ職場でアルバイトをしていた時期がある。
おとなしくて、でも芯のある子だった。
就活がうまくいっていないことは、投稿を見なくても分かっていた。
会うたびに少し顔が曇っていたから。
彼女は美咲のことが、なんとなく気になっていた。
自分が就活で苦しんだ時期のことを、思い出させる何かがあった。
あのころ誰かに助けてもらえたら、と思っていたことが、美咲と話すたびに浮かんできた。
だから自然と、目がいった。
リポストしたのも、そういう気持ちからだった。
誰かに見てもらえたら。
誰かが声をかけてくれたら。
自分にはできないことを、フォロワーの誰かがやってくれるかもしれない。
そう思っての行動だった。
でも、、、美咲は、そんなことを望んでいなかった。
「大丈夫です」の後が、重かった。
既読はつく。
でも返信が来ない。
たまに美咲の投稿がタイムラインに流れてくると、彼女は反射的にいいねを押した。
何かしなければという焦りで。
美咲が落ちた会社の話を投稿したとき、「次があるよ」とコメントした。
美咲が「面接が怖い」と書いたとき、「場数踏めば慣れるよ」と返した。
美咲が「もう疲れた」と呟いたとき、「あなたならきっと大丈夫」と送った。
その度に、既読だけついた。
返信は来なかった。
でも彼女は止まらなかった。
何か言わなければという気持ちが、指を動かし続けた。
美咲が落ち込んでいるのを見て、黙っていられなかった。
あの投稿を拡散した罪悪感が、そうさせていたのかもしれない。
半年が過ぎたころ、美咲が長い投稿をした。
就活が終わった報告だった。
内定をもらったらしかった。
おめでとう、と書こうとした瞬間、次の行が目に入った。
「就活中、一番きつかったのは、見知らぬ人から急に励まされたり、アドバイスされることでした。善意なのは分かってる。でも、できない自分をジャッジされてる気がして、毎回消耗した。あと、自分の弱さを無断で広められたこと、今でも忘れてない。悪意じゃないのは分かってる。でも、それが一番傷ついた」
コメント欄には「分かる」「善意の押しつけってきつい」「配慮できてない人ほど熱心に絡んでくる」という返信が並んでいた。
名指しではなかった。
でも、全部、自分のことだった。
彼女はしばらく、スマートフォンを置けなかった。
違う、と思った。
そういうつもりじゃなかった、と思った。
でも「つもり」は関係なかった。
美咲が受け取ったものが、全てだった。
励ますつもりで「次があるよ」と言うたびに、美咲は「また評価された」と感じていた。
寄り添うつもりで「大丈夫」と言うたびに、美咲は「根拠もなく励まされた」と消耗していた。
気にかけているつもりで反応し続けるたびに、美咲は「監視されている」と感じていた。
全部、逆だった。
善意の形が、全部ずれていた。
何が悪かったのか、と彼女は考えた。
最初のリポストは明らかに間違いだった。
それは分かる。
でも、その後の半年間は?
美咲の投稿に反応し続けたのは、本当に美咲のためだったのか。
違うかもしれない、と思い始めた。
あれは、美咲のためではなかった。
自分のためだった。
リポストしてしまった罪悪感を、何度も「いいね」を押すことで薄めようとしていた。
「大丈夫」と送り続けることで、自分が悪い人間ではないと確かめようとしていた。
美咲のことを心配していたのは本当だ。
でも、その心配を処理する場所として、美咲を使っていた。
気を遣っていたのではなく、気を遣っている自分を守っていた。
その違いを、美咲は皮膚で感じ取っていた。
彼女はコメントを書こうとした。
内定おめでとう、と。
それだけ書こうとした。
でも指が止まった。
今さらおめでとうと書いて、それを美咲はどう受け取るか。
また消耗させるだけかもしれない。
また「ジャッジされた」と感じさせるだけかもしれない。
何も書かなかった。
初めて、何も書かなかった。
それが美咲への、最初の本当の配慮だったかもしれない。
遅すぎたけれど。
美咲とは、それきりになった。
フォローは外さなかった。
でも反応しなくなった。
美咲の投稿がタイムラインに流れてきても、ただ読んで、閉じた。
美咲は今も投稿している。
仕事の話、友人との話、たまに本の感想。
少しずつ、顔が明るくなっている気がした。
気がしただけかもしれない。
でも彼女にはもう、確かめる方法がなかった。
善意は届かなければ存在しない、という言葉を、どこかで読んだことがある。
でも今は、それより先のことを考えている。
届けようとすること自体が、暴力になることがある。
受け取る側が欲しいものと、渡したいものが一致しないとき。
渡す側の都合で、渡すタイミングを決めるとき。
名乗らずに置いていくのではなく、名乗りながら押しつけるとき。
全部やった。
善意という名前をつけた、自己処理を。
この時期になると、あのリポストの夜を思い出す。
何も考えずにボタンを押した、あの一秒を。
取り返せない一秒が、世界中に今日も降り積もっている。
スマートフォンの画面の中で、誰かの善意が今夜も誰かを撃っている。
まだ、煙が出ている。