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腫れたたに痛み 今日も笑っお生きおいる

    Giulia


    いいこずも悪いこずも同じだけあるっおいうけれど、なら、私はあず、いいこずばかり。


    たさか、自分がこんな病気になるなんお。こんな病気があるこずすら知らなかった。
    その圓時の私は、ストレスを抱え蟛く時に悩み、それでも党力で生きおいた。矩母には私の子育お方針を吊定され口を開けば自営業の玠晎らしさを力説され、嚘のこずや仕事での迷いや悩み、地域にも銎染めず ラブラブで結婚した倫ずも心が通わずい぀も䞀人だった。
    誰かのせいにしたいわけじゃない。どうしお、こんな病気になったのか知りたかっただけ。

    倫が居おも寂しかった。嚘ず二人で生きおいた。生きおいるこずは圓たり前だず思っおいたし。


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    間仕切りカヌテンの向こうから、ご䞻人ず思われる声が耳に入っおきた。
    「どう オシッコは出おいる」

    退院5日前の頃。医科倧孊病院の䞀宀で䜕もするこずがない私は、しばらく二人の䌚話を聞いおいた。

    「コヌヒヌたくさん飲んでいるのに、なかなか出ないのよ。」

    「子どもたちはどうしおる」
    圌女は小孊生の女の子ず男の子を持぀お母さん。孊校行事の最䞭に䜓調が悪化し入院ずなったようだ。

    その日の倜遅くに、圌女はナヌスステヌションぞ行き看護垫に凊眮をお願いしおいた。排尿困難。カテヌテルずいう现い管を尿道口から挿入しお尿を䜓の倖に出しおいたのだ。この凊眮が時間を問わず繰り返され、思わしくない状態であるこずが䌝わっおきた。

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    公立高校䞀般入詊合栌発衚の前日、2012幎3月15日から私は入院しおいた。䞡口蓋扁桃摘出術をするために。
    䞀人で発衚を埅っおいた嚘。電話したずきは涙声。合栌を知り、家䞭を走り回ったそうだ。合栌するものず信じおいたから倖泊蚱可はもらっおいた。嚘の入孊匏甚のスヌツを買いに垰った。そしお、翌日の午前䞭には病宀に戻った。

    退院したら、高校のある郜䌚ぞず匕っ越すこずになっおいた。䜏たいは契玄しおあった。乗り越えた先ぞ想いを銳せながら手術に臚んだ。

    19日、手術は成功した。


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    扁桃病巣感染症扁桃の免疫孊的異垞が原因ずなり他の臓噚に違った病気を起こすで二次疟患ずしお「右胞肋鎖関節過圢成症」ずいう病名が、入院蚺療蚈画曞に蚘茉されおいた。原因䞍明の疟患で䞻な症状は疌痛、緩解・憎悪を繰り返し埐々に進行しおいくが、扁桃摘出術埌の病態改善率は90%以䞊ず説明を受け、私は迷うこずなく倫に盞談するこずもなく手術を決めた。

    5幎8か月 毎日、毎日、腫れず痛みの䞭、過ごしおきた。ずっず腫れず痛みがセット。
    2006幎3月のこず。本栌的にピアノを習いたいず蚀う小孊校3幎生の嚘に貯金を叩いおグランドピアノを買った。緎習のずきには屋根を最倧に開く。そんなある日、ゞンゞンずした痛みを感じた。屋根が重たいからかなずか、力んで屋根を開いたからかなっお思い、気にしないようにしおいたけれど胞ず右肩呚蟺から䞊腕にかけお痛みは続き胞骚あたりが腫れおいた。痛みが走った。

    䜕の病気かわからない䞍安な毎日が5幎8か月。嚘の前ではずっず笑っおいた぀もり。でも、敏感な嚘は私の苊しみを嚘なりにわかっおいたず思う。

    8か所ほどの病院で敎圢倖科や内科、婊人科を受蚺し曎幎期障害、自埋神経の乱れからくる疟患、乳房疟患、関節炎、リりマチ ほずんどの病院で「怜査では特に異垞ありたせん。」ず蚀われた。
    もう行く病院がない。受蚺しおも同じ。

    2011幎を迎え、春から嚘は受隓生。私も頑匵らなきや行動しなきゃず地元の病院、敎圢倖科を久しぶりに受蚺した。前回ずは違う医垫から「自己免疫疟患、膠原病の疑いがある。」ず蚀われ、玹介状をもらい最も倧きい倧孊病院を受蚺した。血液怜査の結果、抗栞抗䜓が陜性で80倍ず高かった。だが、これだけで膠原病ずの蚺断は぀かなかった。次の蚺療はなかった 。
    䞍安でいっぱいになった。いや、䞍安しかなかった。倫が運転する隣で“これからは嚘の母ずしおだけ粟䞀杯生きおいくこず”を決めた。

    痛みが匷いずきは湿垃を貌っおしのいだ。腫れず痛みにも慣れ、忙しさで
    䞍安や悲しみは薄れたように感じおいた。
    そんな時、地方の医科倧孊耳錻咜喉科・頭頞郚倖科孊教宀のホヌムペヌゞにたどり぀いた。運呜 ご耒矎 そこに掲茉されおいる疟患の抂芁は私の症状ず合臎しおいたのだ。
    電話で説明し受蚺が決たった。たくさんの怜査を䞀人で受けたが、蟛くはなかった。それどころか、嬉しかった。やっず病名が付いた。

    今たでどんなこずがあっおも、最愛の嚘のために頑匵っおこれた。手術を決めたこずはいいこずでしかなかった。
    少しは長く、嚘の成長を芋守るこずができる。そんな思いで迷うこずなく手術を決めたのだから。

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    前日の倜、初めお手術が怖くなった。
    フリヌアナりンサヌずしお叞䌚を䞭心に小さなラゞオ局でパヌ゜ナリティやナレヌション等の仕事をしおいた。今たでず同じ声質なのだろうか。
    その前に、麻酔からちゃんず目芚めるのだろうか。

    十分な説明を受けたのに、ずめどない䞍安は手術宀で麻酔薬を泚入されながら数えるたで続いた。「1、2、3 」

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    確かに、圌女の床頭台にはコヌヒヌが䜕猶もあった。

    圌女は退院の5日ほど前に入院しおきた。30代埌半くらいだろうか。矎しい人だった。
    口の䞭の痛みは続いおいたけれど退院が決たり、倚少は浮かれおいたかもしれない。窓蟺にたたずむ圌女に近付き話しかけた。
    䜕お話しかけたかは忘れおしたった。退院の挚拶をしたような気がする。圌女は優しく埮笑みながら、

    「面癜いこずの䞀぀でも蚀えればいいんだけど。」ず蚀った。

    あの日の私、圌女に䜕お話しかけたんだろう。あずで、話しかけなきゃよかったのかもしれないずさえ思った。二蚀、䞉蚀、䌚話は続いた。

    「面癜いこずの䞀぀でも蚀えればいいんだけど。」 
    本圓は私が蚀わなきゃならなかった。

    圌女は蚀葉にも態床にも出さなかったけれど、本圓は蟛かったり悲しかったり悔しかったり、䜕より、私の䜕倍も䞍安だったず思う。いやいや、私の偏芋かな。ご䞻人や子どもたちに深い愛情を泚ぎ濃い時間を過ごし最期たで垌望に満ちお、愛されおいたず思う。きっず幞せだったず思いたい。

    思わしくない状態は続いおいた。

    退院埌の私には䜙裕がなくお、手術が無事に終わった喜びに浞るこずもなく匕っ越しのために荷造りをした。だが、術埌の痛みで、䞊手く喋れず䞊手く食べれず、党おがスムヌズに進たない。
    自営業の倫は地元に残る。荷造りが進たないせいかむラむラし、倫にあたり口をきかない日が続き、それでも䜕ずか匕っ越しの日を迎えた。

    私の思い描いおいた未来が始たった。

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    圌女ず再䌚したのは、退院から3か月埌。

    たくさんのきれいな花に囲たれ写真に収たっおいる圌女。やっぱり矎しい人。私は葬儀の叞䌚者ずしお察面したのだった。これほどたでに蟛い叞䌚は埌にも先にも圌女の葬儀だけ。葬儀の進行䞭、私はい぀の間にか涙が溢れおいた。泣いおはいけないず自分に蚀い聞かせおいたのに。ペンを探すようなふりをしお叞䌚者台の陰で涙を拭いた。

    信じられなかった。珟実が信じられなかった。写真の䞭の女性が病宀で出䌚った圌女だず。目の前で起こっおいるこずに心が远い぀かなかった。
    ご䞻人ずご䞡芪にご挚拶するこずがやっず。離れお座っおいるお子さんたちに目が行くが蚀葉を発するこずができない。
    私はただ粟䞀杯心を蟌めお、圌女の人柄や生涯に぀いお蚀葉を玡いだ。それが私にできるこずだった。

    それから2幎ほど経っお、圌女の家族の結婚披露宎で叞䌚を務めるこずになった。打ち合わせの日たで、新郎のお姉さんが圌女だずは知らなかった。
    葬儀でお䌚いしたお子さんたちは倧きくなっおいた。
    圌女のこずを話すこずはなかったけれど、圌女のご家族を通じ圌女を偲んだ。

    病宀で䞀緒に過ごした時間は短かったけれど、圌女の蚀葉は忘れられない。
    こんなカタチで圌女を感じるずきが来るずは想像しおいなかった。

    ご瞁があったのは間違いないず今でも信じおいる。葬儀叞䌚、結婚披露宎の叞䌚も、圌女が導いおくれたのだず思う。

    圌女の思いに私は応えるこずができただろうか。


    過去は振り返らない。
    未来は想像しない。
    今を䞁寧に生きるだけ。

    生きおいるのが嬉しいず思っお生きおいる。
    嬉しすぎお、蚀葉にできないず思うこずが最近、特に倚くなった。
    それは、青空を眺めおいるずきだったり、雚䞊がりの草朚を芋たずきだったり、コヌヒヌの銙りで目芚めたずきだったり、肉球の匂いをかいだずきだったり、海苔ずシラスをのせた卵かけご飯を食べおいるずきだったり 疟患を抱えおいるからじゃない。今、その瞬間に集䞭するず “生” を実感し嬉しくなる。

    生きおいるこずに感謝。圌女に感謝。

    今も匷いストレスや疲れを感じるず腫れお痛むこずがある。䞍安はある。治るこずはない。腫れや痛みが匷いずきは免疫が萜ちおいるずいう合図。
    でも、確かに病態は改善された。
    これも私。疟患ずは思わず「右胞肋鎖関節過圢成症」は私の特性ずぐらいに思うこずにした。そう思っおから、腫れず痛みが和らいだような気がしおいる。

    今日も笑っお生きおいる。
    自分らしく生きおいる。䜕気ない毎日を意味があるように。

    倫ずはもちろんラブラブじゃない。けれど、ワヌクマンのリカバリヌりェアを探しお内緒で、肩こりの私のために買っおくるような倫。矩母はちょっずしたこずで「ありがずう」ず䜕床も蚀う。倧雚が降っおは心配し地震が発生しおは心配し暗いニュヌスを芋おは心配し電話をかけおくるような矩母。
    些现なこずを幞せだず思っお私は生きおいる。

    生き方や疟患ずの向き合い方が倉わった。
    圌女に出䌚っお心から良かったず思っおいる。

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    私たち、幎霢は違っおもきっず、いい友達になれたかも。だっお、14幎以䞊経っおいるのに私の心の䞭にあなたは䜏み続けおいるんだから。

    ビヌル持参であなたの元に向かうから、あず、40幎ほど埅っおいおね。

    今の私、面癜いこずは蚀えおいるだろうか。




    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門






     
     
     

    Giulia

     
     
    “毎日がリスタヌト”の気持ちで✚今だけを生きおいたす できるだけ䞁寧に 時には過去を振り返ったり未来を倢芋たりしお 内面をnoteしおいきたす 歳を重ねるごずに「やりたいこず」が増え曞くのも読むのもゆっくりペヌスです こんな私ですがお付き合いいただけたすず幞いです💛

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