後悔の質
は20歳の時に父を亡くし、フリーター
母は38歳の時に看取り、准看護師
この2つの看取りの後悔に大きな違いに気付きました
それが、「後悔の質」です
20歳の時の父の死、それはつい数週間前まで出来れば思い出したくない、「出来事への蓋」として向き合うことすら出来ずに逃げていました
その月日は、30年以上です
当時私は、まだ若く、徐々に悪化していく父の、死への恐怖と不安から逃げ出したに近いもので、父が亡くなったときに、病室にも居ませんでした
その出来事は今でも口を閉ざす中身です
その後も誰に話すこともなく、後悔すら出来ない思い出にも出来ない状態です
その後私は結婚し二人の子どもを育てます
その中で、元夫との気持ちのすれ違いにより離婚を決意します
二人の子どもを育てるために生きていくには、と考えたのが准看護師です
二年間の教育を終え、その後離婚
取得した准看護師免許、その1年後に母の体調不良が見られるようになります
毎日微熱が出る、部屋から台所までの距離が歩けない
当時私は、正看護師の学校に通っており、仕事が休みの日に近くのクリニックに行きました
その日のうちに紹介状を渡され、大学病院を受診し、入院となります
結果は、余命1年の急性白血病です
看護学校は丁度夏休みに入るため、「休学」をします
同時に、以前父から逃げ出した、恐怖と不安から逃げずに向き合おう、と決意します
毎日仕事の生活を送るだけの日々が続きます
そして、夏休みが終わるときに、決断をします
退学です
その後は仕事をしながら病院受診を卒なくこなします
当時は「本当に悪くなるのかな」「学校辞めなくても良かったのかな」と言った後悔もありました
月日は流れ翌年の春ごろ、再入院となります
病状というよりも検査数値が悪く、「治療をするのであれば入院を、ただし根本的な治療ではないため、完治はしない」と告げられました
入院をし、病室で無菌状態を作られた母に会ったとき、私は「本当に悪いんだ」と現実を認識しました
2度目の入院は、毎日通える距離の病院だったため、仕事が終わってから毎日面会に行きました
治療が終わり退院する頃には、私の心境は「学校を辞めて良かった」へと変化していました
その後は徐々に悪化していく母
そんな中で、死への恐怖と不安は、准看護師の免許を持っていてもなくなるわけではありませんでした
しかし、今回は、子どももいる
そんな状況で逃げる選択はありませんでした
徐々に悪化していく母と買い物に行ったり、京都に旅行に行ったりと、充実した日々を過ごすことが出来ました
京都旅行の8日後、母は息を引き取ります
全力で向き合った看取りはこの様に振り返ることが出来ます
しかし、逃げ出した父の看取りは思い出にも変えられず、出来事としてしか覗くことしか出来ません
しかし、つい最近この気持ちに変化が起きました
私は、准看護師として施設で働いています
その中で、看取りを経験しています
数人の方の、偲ぶ言葉を綴った事はありました
その中で、何が出来て良かったのか
看取りで私が行う目標は、口腔清拭を行い、誤嚥性肺炎を起こさない、褥瘡をできる限り作らない、悪化させない、体調の良いときにできる限り入浴に努める、皮膚の乾燥を防ぎぐため、保湿ケアを行う、事を目標に掲げてケアを行い、見送ることです
その目標を掲げながら、看取りを実践して行く中、夜間、ベッド上で亡くなっていたと
高齢なため、最期の兆候に気づけなかったことをとても残念に思いました
その時に思うのは、残された家族です
終末期を伝えられず、親に会えなかった現実をどう受け止め、今後過ごすのだろうか
と言う後悔です
「あの時もっと何かしておけば良かった」「もっと足を運んでおけば良かった」など、しておけばと言う後悔です
実際、私でも母に関してはもっと何か出来たのではないかとと言う後悔は残っています
しかし、母への後悔はあの時母の看取りの全ての決断を間違えなくて良かったと言う後悔の質です
父の看取りを振り返るきっかけは、施設での偲ぶ会に参加したことから始まります
看取りに対する目標と達成により、自分のケアは自分の中で満足出来たことを言語化出来たことです
過去の出来事は事実として受け止め、その後悔をどう振り返ることができるのか
それは、自己満足なのかも知れません
しかし、30年以上思い出に出来なかった父の死と向き合おうと出来るようになったのは、やはり、自分で決断したことを最後まで納得出来る選択を選ぶことで、後悔を思い出に変えられるのではないかと私は思います