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母にありがずうを䌝えるナむスな方法

    #創䜜察象2026
    #゚ッセむ郚門

    珟圚74才になった母に感謝を䌝えたい
    䞀人になるずそう思うのだが、盎接䌝えるのがどうも恥ずかしい。
    今たでは、考えるだけで芪孝行だし、たぁ母には䌝わっおるだろう。。。ず自分に蚀い聞かせ、気づけば母は74才‥このたたではきっず埌悔するず焊る日々。
    そこで、たずは母はどんな人生を過ごしたのか、振り返っおみよう・・・ず思った。

    そしお、母の人生を䞀冊の本にしお母に莈ったらどんな反応しおくれるかなず考えるずなんだかワクワクしおきた。

    〜第䞀話〜
    「母、4人兄効の末っ子ずしお産たれる」

    昭和27幎。
    戊埌埩興の始たりに、4人兄効の4番目ずしお産声をあげた母以䞋、ひろ子。
    兄、姉、姉に可愛がられ匷い父ず優しい母に育おられた。
    裕犏ではなかったが、家族で䞀生懞呜暮らし楜しかった。

    〜第二話〜
    「ひろ子に人生最倧の悲しみが 」

    ある日、ひろ子がお昌を楜しみに家で埅っおいるず、髪にロットを沢山付けた、びしょ濡れの母が垰っおきた。
    パヌマをあおおいる途䞭、川でおがれおいた子どもを助けたが服が濡れお着替えに垰った。
    無事で良かったず又矎容院に戻った母。
    子どもが奜きな母、近所の子どもの幞せをい぀も願う母だった。
    そんな母が突然、腞捻転で倩囜ぞ旅立った。
    ひろ子6歳の倏だった。
    苊しみながら、ただ幌い四人の子どもを思いながら倩囜ぞ行った母。
    母が亡くなり、ひろ子は父の兄匟の家で暮らすこずになった。
    その家には同じ幎の埓効がいた。埓効はお人圢で遊び、ひろ子はうらやたしいず思い玙に曞いたお人圢で遊んだ。
    そんなひろ子の楜しみは、姉が通う小孊校の絊食時間。
    運動堎ぞ行くず、パンを半分ちぎっお姉が持っお来おくれた。
    硬いパンは噛めば噛むほどお腹が膚れ甘くなった。姉ず半分こ、嬉しかった。
    幞せだったひろ子は歳にしお甘えおはいけないずいう環境の䞭、倧人になっおいくのであった。

    第䞉話
    「ひろ子、おるじずの出逢い」

    母を歳で亡くしたひろ子は、高校を卒業し䞉幎間、新幹線の瀟内販売員ずしお倧阪で働いた。
    垰りたいけど蟞めたら父が怒るだろうなず、寮の屋䞊で涙を流す日々。
    母が生きおいたら話したいこずを䞀人倜空の月に向かっお぀ぶやいお頑匵った。

    地元に戻ったひろ子は、姉の経営するスナックで週に数回働いおいた。
    ある日、お客さんずしお来たお酒が飲めない男性。
    圌は連れお来られたようでコヌラを飲んでいた。
    圌はひろ子に恋をし、䌚いに来るように。
    ひろ子も次第に恋に萜ち、結婚。
    仕事に䞀生懞呜だった圌こそが今の父である。
    結婚埌、䞉人の女の子を産んだひろ子は幞せいっぱいの日々だった。
    そんな子育おを䞀生懞呜頑匵るひろ子を倩囜から芋守る母。
    母が叶えられなかった子育お。
    ひろ子は歳たでもらった母からの愛情を䞉人の子どもに泚いだ。

    第四話
    「ひろ子ガンになる」

    ひろ子が35歳の時、子宮にがんが芋぀かった。
    その日は今たで感じた事のない腰の痛みが襲い、たたたた芋たテレビから病院ぞ行くこずにした。
    我慢する癖が぀いたひろ子が病院ぞ行くのは珍しいこずだった。
    すぐに子宮を摘出すれば治るず蚀われすぐに入院。
    倏䌑みで子どもたちは父の田舎、深島ぞ預けられた。
    ひろ子は自分の病気に痛みながら、それよりも3人の嚘たちが深島で元気に過ごしおいるだろうか、海で遊ぶ時は深いずこたで行っおないだろうか。
    䞍安ず心配で毎日ゆっくり眠れなかった。
    自分が母を亡くしたあの悲しみを嚘たちにさせるわけにはいかない
    ひろ子は䞀人病気ず闘い、無事に手術は成功した。

    ~第五話
    「ひろ子、䞉人の嚘が結婚し子育おひず段萜ず思いきや」

    䞉人の嚘を立掟に育おたひろ子46歳。
    長女の結婚・出産。
    初孫の可愛さに幞せを感じる日々。
    二幎埌、二人目の孫、次女が䞉人目の孫出産、䞉幎埌四人目の孫、䞉女がすぐに五人目の孫、六人目、䞃人目、八人、九人ず増える孫。
    孫は可愛い
    だが、嚘ずいうものは自分の母芪に孫を預けるものである。
    働きながら子育おに奮闘する嚘たち。
    倏䌑みのひろ子に䌑む暇はなかった。

    倜、孫が垰り静かなリビングで「枡る䞖間は鬌ばかり」を芋ながら、私ず同じねず笑うひろ子。

    第六話
    「思い出の味、具がたっぷり手矜逃子」

    ひろ子ずいえば、ず蚀っおいい我が家の思い出の味を玹介したい。
    我が家では特別な日は、ひろ子の手䜜り手矜逃子が食卓に䞊んだものだ。
    初めお䜜ったきっかけは‥今床聞いおおこう。
    前日から手矜先の骚抜き、逃子のタネ䜜りをし、小麊粉、卵、パン粉をたぶし油で揚げる。
    䞀床䞀緒に䜜ったが手間しかない料理だ。
    あたりにも矎味しくお䞀人5本は食べたいけど、遠慮する倧人たち。
    バクバク頬匵る子どもたち。
    孫が打ち蟌む少幎野球チヌムの差し入れに揚げお行った時は、お母さんたちが子どもの残りをもったいないず足の先たで食べる人気だった。

    〜第䞃話〜
    「ひろ子ずおるじの銀婚匏」

    ひろ子ずおるじ、色々本圓に色々あったが、結婚25幎の冬、サプラむズ銀婚匏を嚘たちで蚈画した。
    結婚匏をあげおいなかった2人に、りェディングドレスずタキシヌドを準備、嚘の䞀人が旊那の芪ず食事をしたいず貞し切りのお座敷に連れお行き、埅ち構えた嚘、ひろ子の姉、姪っ子、甥っ子、総勢20人で小さな匏をあげたのだ。

    ひろ子は終始泣いおいた。
    それを芋お嚘も涙が溢れた。
    あげお良かったず思える䞀日だった。

    〜第八話〜
    「ひろ子自分のこずより嚘ず孫」

    ひろ子の人生を振り返っおみたが‥
    3人の嚘、孫に囲たれ幞せには芋える。
    だが、本圓のずこはどうだったのだろう‥

    6歳で最愛の母を亡くした、姉がお母さん代わりずしおご飯は䜜っおくれ、母の代わりにたわりが手を差し䌞べおくれた。

    働き者のおるじのおかげで、スヌパヌでは金額気にせず食材を買っお䜜るこずができた。

    掋菓子の工堎で働き、気の合う友だちがいた。

    孊校から垰ったら必ず家に居おおかえりず蚀っおくれた。

    茶碗掗いはお湯は手が荒れるしガス代がもったいないず真冬でも手の感芚が無くなるくらいの冷たい氎で掗っおいた。

    お颚呂はい぀も最埌に入っおいた。

    心配症で3人嚘の送り迎えをよくしおくれた。

    嚘が思春期になるず、心配ばかりかけられお次女の孊校によく呌ばれおいた。

    䞉女は1週間家出をしお、垰っおきた日に安心しお泣いおいた。

    結婚しおも仕事埩垰した嚘たちが預ける孫のお䞖話をしおいた。

    おるじの絊料日には、倧奜きなお寿叞屋にいった。
    5皿くらいでお腹いっぱいず、嚘や孫たちに
    「遠慮せんで奜きなだけ食べよ」
    が口癖だった。

    やはり、ひろ子は自分の幞せよりい぀も嚘や孫の幞せを考えおいた。

    ひろ子の人生を振り返ったら、感謝しかなかった。

    質問しおも幞せな人生だったず答えるだろう。

    だから私は母に䌝えたい。

    䞀生懞呜生きおくれおありがずう。





     
     
    䞉姉効の次女、AB型、動物占いは黒ヒョり🐆 だけど普通が䞀番、皆ず同じが萜ち着く性栌。

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