
【エッセイ】ボクは、ドラえもんがキライ☹️│AI時代をのび太として生きるプライド🤖
☹️僕は、ドラえもんが嫌い
私が小学生だった頃、
年下のいとこの発した一言に衝撃を受けた。
国民的アニメ『ドラえもん』が
嫌いな子供がこの日本にいるのか?
毎年「大晦日だよ!ドラえもん」を
心待ちにしていたような少年だった自分は
信じられない気持ちになった。
いや。さすがに今は見ていないよ。
ドラえもんのストーリーは型が決まっている。
何かと暴力的なジャイアンに対して
泣き寝入りをするところ、
ドラえもんの道具でジャイアンをこらしめる。
何かと鼻につくスネ夫に対しても同じく
ドラえもんの道具でスネ夫を圧倒する。
しずかちゃんがそこに華を添える。
出木杉はたまに出てくる噛ませ犬だ。
そして最終的に調子に乗ったのび太が
痛い目を見て、めでたしめでたし。
どこに好き嫌いが入る余地があるんだ?
そもそも好きか嫌いかなんて
考えることすらなかった。
🤔なんでドラえもんが嫌いなの?
理由を聞いてみた。
「だって、のび太がダメすぎるんだよ。
何か困ったことがあれば
ドラえもんに頼るだけだし。
自分では何の努力もしないし。」
まだ幼いいとこが
「ドラえもん」のダメなところについて
必死に私に訴えかける。
なるほど。
そういう見方もあるのかと妙に納得した。
同時に自分の芯を持って
物事を見ていることに感心した。
彼は、後に旧帝大の医学部に入学。
現在は医療関係の仕事に就いている。
「のび太がダメすぎる。」
そう訴えた少年は努力を怠らず、
自分の信じた道を突き進み、
今は幸せな家庭を築いているのだ。
😐️話はそこで終わらない
時代は移り変わり
私たちの手の中には今
AIと呼ばれる「ドラえもん」がいる。
私たちがアニメ「ドラえもん」を
楽しんだ頃とはまるで状況が違うのだ。
CVが大山のぶ代さんだった頃、
ドラえもんはあくまでSFだった。
「あんなこといいな♪出来たらいいな♪」
これは実現が不可能な空想(wish)の世界の話だった。しかし今は実現可能な望み(hope)へと変わってしまった。
「タケコプター」はないが
「ドローン」が空を舞う。
「どこでもドア」はないが
「テレビ電話」でどこでもつながれる。
「ほんやくこんにゃく」は
スマホがあれば無用の長物。
単なるおでんの具材だ。
🤔のび太の存在意義
のび太はいわゆる落ちこぼれ。
ジャイアンには力では敵わない。
スネ夫には財力では敵わない。
出木杉においてはもう、全てにおいて敵わない。
それがひとたび
ドラえもんが手を差しのべることで
この物語の世界で輝きを放つ。
それは何の取り柄もない
自分のような存在をのび太と重ね合わせ、
夢を見させてくれるような
そんなワクワクを感じさせた。
😗世界はのび太で溢れている
しかし現実の世界はどうだ。
この世界でチャンスを掴んでいるのは
ジャイアンでもスネ夫でも
ましてや出木杉なんかでもない。
AIを使いこなしているのび太だ。
生成AIを使えば文章はもちろん
画像だけでなく映像まで作れる。
車の自動運転やスマート農業、
あるいは配膳ロボットも。
フェイクニュースだってそうだ。
間違いなく今の世界を動かしているのは、
良くも悪くも最新技術を使いこなしている
のび太たちだ。
😀世界を作るのび太の視点
かつてドラえもんに頼りきりで
幼い子供(いとこ)にすら
バカにされていたのび太は
まさにダメな人間の象徴だった。
しかし、
AIに囲まれた時代を生きる子供たちの目に
彼はどう映っているのだろう?
「この道具をいかに使いこなすか」
そんなのび太の視点こそが、
この世界を少しずつ変えてきたのだ。
もしかしたら今の時代、のび太の方が
出木杉よりもはるかに優秀なのかもしれない。
🤔ドラえもんと生きる私たち
AIという名のドラえもんは
いつでも誰でも呼び出すことができる。
しかしひとたび使い方を間違えれば、
他人を傷つけたり、
逆に窮地に追い込まれたりすることもある。
それは他でもないのび太が教えてくれた。
☹️僕は、ドラえもんが嫌い
そう言っていた、いとこの言葉を
今でも時々思い出す。
彼は今の時代に何を思うだろう。
そして今の私を見てどう思うだろう。
それは私自身が
指先ひとつでドラえもんを呼び出す
のび太そのものなのだから。
😀のび太として生きるプライド
しかし、ドラえもんの言葉を丸ごと
コピペするような真似はしない。
もしそれをしてしまったら、
私はのび太ですらなくなってしまう。
ドラえもんは「生き方」までは
決して教えてくれない。
私は何かに喜び、悲しみ、
そして時には怒り、悩む
そんな「のび太」という人間でありたい。
それが私が私らしく生きていくプライドだ。