
行動の本質に氣づく
行動することは大事──
よく聞く言葉。
でも、その言葉だけが
表面化してひとり歩きすると、
「動けば何かが変わるはず」
「うまくいかなかった」
「やっぱり私には無理だった」
そんなふうに、
行動=成果 と結びつけすぎてしまう。
そしてまた“できなかった自分”に落ち込み、
行動することが怖くなる。
はい、これ、私の経験談です。笑
本当に大切なのは、
その行動の “先” に 何を感じ、
何に氣づき、何を学んだのか。
たとえば、
やってみて続かなかった
→「どんな自分の特性があるから続かなかったのか」に氣づけた。
なんだかモヤモヤした
→「私は“こうあるべき”に縛られていたんだ」と知れた。
やってみて楽しかった
→「これは“好き”の種かもしれない」と感じられた。
行動そのものが成功か失敗かではなく、
その先に残る「自分を知るための種」。
それに氣づけば、どんな体験もすべて
“本質に還るプロセス” になる。
では、“失敗”って何だろう?
私の中での定義はひとつだけ。
「自分の本音に蓋をして、周りのせいにして、何もしないこと」
やりたいと感じているのに、やらない。
感じているのに、見ないふりをする。
傷つくのが怖くて、動かない。
──こうして、本当の自分を生きないこと。
それこそが、唯一の「失敗」だと思う。
言葉が少しキツく感じる人もいるかもしれない。
でも、人生はすべて、
自己責任、自由意志、自由選択。
だから私は、
人生を後悔したくないから動く──
行動=物理的に動くこととは限らない。
“どうしようか─”と、
本氣で思考することも、
行動のひとつである。
感じて、氣づいて、行動して、
また感じて、また選ぶ。
そうやって少しずつ、
私は本質に還る道を歩んできた。
かつての私は、
「目標」と「目的」をごちゃ混ぜにしていた。
いや、そもそも人生の“目的”が何なのかすら分からなかった。
だからブレてばかり。当たり前だ。
けれど、約9年の自己探究を重ね、
たくさんの氣づきと学びを通して、
ようやく「わたし」という核に辿り着いた。
私が生きる目的は──
「何かを成し遂げること」ではなく、
愛の循環の中で、私で在ること。
のびのびと、私を生きること。
日々、私を生きるという旅──
そのプロセスの中に、
氣づきがあって、学びがあって、
時に涙して、笑って、揺らぎながら、
また自分に還ってくる。
この世に現れるすべての現象は、
本質に還るための入り口。
道のりの途中には、
“目標”という通過点があるだけ。
この世界のあらゆる仕掛けは、
私たちが“本当の私”を思い出すためにある。
人生はマトリックスであり、
クエストでもある。
そう氣づけた今、
私は私のペースで、
周りに振り回されることなく、
亀の歩みでも、少しずつ進み、
軽やかに生きられるようになった。