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「会話」と書いて「へいそう」と読みたい。

    ぼくは本当に会話が下手だ。記者として取材するたびに思う。

    なんというか、息が詰まるような時間が流れるのだ。聞きたいことを一問ずつリストアップして臨んでいるわけではないのに、いつのまにか、ぼくが問いかけて相手が答える、面接のような取材になっている。そのことに焦りを覚え、歯切れが悪くなり、会話のリズムが崩れる。相手もどことなく居心地が悪そうになる。

    取材がうまくいっていないときの、あの感じ。表情は必死に明るく保っているのに、喉が締め付けられ、滴るほどの手汗が噴き出す。まるで向こう岸にいる相手に問いかけているような、あの感覚だけは、一生慣れそうにない。

    こんな悩みを記者の先輩に相談すると、おそらく同じ道をたどってきたであろう人たちはみな、自身の取材スタイルについて「自分の話、してるかなぁ」と話す。

    たしかに今日、とあるテーマパークの完成にあわせてプロジェクトの責任者にインタビューした際も、例のごとく歯切れが悪くなったぼくを見かねて、先輩は「いやね、実は完成してからもう三回も来てるんですよ、娘連れて!」と切り出した。完全プライベートな話にぼくは拍子抜けしたが、その一言が凝り固まった空気をほぐしたのは間違いない。取材相手にも笑顔が戻り、インタビューが円滑に進みはじめた。

    思えば、ぼくにも似たような経験がある。休日によくふらっと出向く北千住で取材をしたときのことだ。土地勘があることに加え、相手が同じ「書くこと」を生業としている書籍編集者だったこともあり、いつも以上に会話が進んだ。あのときはどこか、ぼくの円と相手の円が重なり合っている感覚だった。

    経験したことがない未知の存在にふれるとき、ぼくはよく、自身と相手のあいだに一線を引いてしまう。無意識に一定の距離感を保ったまま物事を進めようとする。「人見知り」と言ってしまえばそれまでなのだが、毎日のように「はじめまして」を経験する記者にとっては、致命的かもしれない。

    逆に、よく知っていること、好きなこと、相手と共通していることなら、いくらでも話を続けられる。そう考えると、取材で大切なのは、相手と同じフィールドに立ち入って、どっぷり浸かってみることなのかもしれない。

    一対一で向き合って進めるものだと思っていた取材。
    実は、隣に立って肩を組みながら話し込むくらいが、ちょうどいいのかもしれない。

    会話とは、面接ではなく、並走。

    取材で大ポカした日だから、こんな極論にたどり着くのかもしれない。
    たぶん明日には、別の考えが浮かんでいるだろう。

    けれど今夜に限っては、ぼくは会話をこのように解釈してみたい。

     
     
     
    鹿児島県出身の26歳。普段は新聞記者をしています。モヤっとしたときにnoteを書いて、虫かごを覗くように文字を眺めています。

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