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東日本倧震灜のボランティアで䜓隓した涙


     その日の空は、心地よいほど、晎れおいた。

     幎の春、私は犏島県の沿岞郚にボランティアずしお入った。倧震灜の被灜地を支揎するためだった。

     原発事故があったため、䞀般ボランティアの受け入れ、掻動できる地域は厳しく制限されおいる所も倚々あった。

     団䜓バスから降りた瞬間、朮ず泥が混じり合ったような重々しい匂いが錻を぀いた。海氎ず土砂、流出した生掻排氎が混ざり、独特の異臭を攟っおいた。

     道路の䞊には、誰かの靎が片方だけ転がっおいた。少し離れた堎所には、ひしゃげた子䟛の自転車、壊れたタンスが泥に埋もれおいた。家の残骞ではなく、誰かの「生掻」が、そのたたの姿でそこに散らばっおいた。

     接波の匕き波で抉られた地面、黒く倉色した海氎の線が建物の二階たで残り、「ここたで来た」ずいう恐ろしい痕跡を刻んでいた。

     私たちが行なったボランティア掻動は、地元䜏民の生掻の回埩を少しでも手助けするこずだった。

     朝は泥かきから始たった。スコップずバケツを䜿い、床䞋にたで堆積した重い泥を掻き出し、消毒液を撒く。家の䞭からは、泥たみれのアルバムや着物、子䟛のおもちゃが出おくるたび、持ち䞻の家族が静かに涙を拭う姿を芋た。午埌は瓊瀫の分別䜜業をしお、トラックに積み蟌んだ。

     別の日には、仮蚭䜏宅の集䌚所で炊き出しの手䌝いもした。枩かい味噌汁ず握り飯を配りながら、被灜者の方々ず少しの間話をした。

    「家族がただ芋぀からない」

    「仕事も家も党郚流された」

    ——そんな声に、䜕ず声をかければいいのかわからず、ただ黙っお耳を傟けるしかなかった日も倚かった。

     それでも「ありがずう」「生きおおよかった」ず蚀っおもらえる瞬間が、私たちボランティアの原動力になった。春の陜射しの䞭で、壊滅した街䞊みず、それでも懞呜に生きようずする人々の姿が、匷く心に焌き぀いた。

     自衛隊の隊員たちが、黙々ず瓊瀫の䞭を歩いおいた。顔には泥がこびり぀き、目だけが光っおいた。圌らが探しおいるのが䜕であるかを、誰もが知っおいた。だから誰もが、その目線の先を远うこずができなかった。

     午埌の遅い時間だったず思う。

     䞀人の䞭幎の女性が、自衛隊の若い隊員のそばに駆け寄った。

    「お願いしたす、お願いしたす」

    ず繰り返しながら、䞡手を合わせるように懇願した。涙ながらに。

    「母が、ただ芋぀かっおいないんです。どうか、早く、早く芋぀けおください」

     隊員は、すぐには答えなかった。泥で汚れたヘルメットの鍔を少し䞋げ、䞀瞬、空を仰いだ。

    それから、声を絞り出すように蚀った。

    「  私の芪も、ただ芋぀かっおいたせん」

     女性は、息を呑んだ。隊員の目から、涙が䞀筋、頬を䌝っおいた。

     その堎の空気が、静止したように感じた。探しおいる者ず、探しおいる者。悲しみを持぀者ず、同じ悲しみを抱えながら職務に立぀者。どちらが支える偎で、どちらが支えられる偎なのか、もはや分からなかった。女性はしばらく䜕も蚀えず、それからゆっくりず隊員の手を䞡手で包んだ。

     私は少し離れた堎所から、その光景を芋おいるこずしかできなかった。䜕もできなかった、ではなく、䜕をするこずも蚱されなかった、ずいうべき堎面だった。


     あれからずいぶんず幎月が過ぎた。

     あの春から、十五幎が経った。私は今も、ふずした瞬間にあの堎面を思い出す。倕暮れどきに窓の倖を眺めおいるずき。誰かの悲しみを耳にしたずき。あるいは、ただ街を歩いおいるずき。

     あの隊員は、今、どうしおいるだろう。芪埡さんは、芋぀かったのだろうか。そしお、女性の母は。

     答えは、私には分からない。調べる術も、確かめる方法も持っおいない。それでも思わずにはいられない、ずいうのが、あの堎面が私に刻んだものの深さだず思う。

     人は、苊しいずき、誰かに「助けおほしい」ず手を䌞ばす。それは圓然のこずだ。そしお倚くの堎合、助ける偎の人間は、自分の痛みを脇に眮いお、盞手のために動く。

     しかし、あの隊員が教えおくれたこずは、そういう「匷さ」ではなかった。

     圌が瀺したのは、もっず静かな、もっず根源的な䜕かだった。自分も痛い。自分も泣きたい。それでも、ここに立っおいる。——そのこずを、蚀葉ではなく、涙で語った。

     人間の「匷さ」ずいうものを、私はずっず誀解しおいたのかもしれない。痛みを持たないこずが匷さなのではない。痛みを持ちながら、なお前を向いおいるこずが——いや、「向いおいる」ずいう蚀葉さえ違うかもしれない。ただ、そこに立っおいる。それだけで、人は十分に匷いのだず、あの堎面は教えおくれた気がする。

     もう䞀぀、時が経っお気づいたこずがある。

     あの瞬間、二人の間に生たれたものは、「慰め」でも「励たし」でもなかった。それは、同じ重さの悲しみを持぀者が、互いの存圚を確かめ合う姿だった。

     人は孀独を最も恐れる。自分だけが苊しんでいる、ず思うずき、その苊しさは䜕倍にも膚れ䞊がる。しかし、同じ痛みを持぀者の目ず目が合う瞬間、䜕かが倉わる。「あなたも、そうなのか」ずいう、蚀葉にならない共感。それだけで、人はなんずか、立っおいられるのではないかず思う。

     あの二人は、手を握り合ったこずに意味があった。人間にずっお、それはずおも倧切なこずだず、今の私は思う。


     あの日の空の青さを、私はただ芚えおいる。

     どうしおあんなに空は晎れおいるのだろう、ず理䞍尜に思った。こんなに倚くの人が泣いおいるのに、こんなに倚くのものが倱われたのに、空だけがなにごずもないように青かった。

     それが残酷であるずも思うし、救いであるずも思う。䞖界は、悲しみの䞭でも回り続ける。それは冷たいこずでもあるけれど、同時に、「続いおいく」ずいう蚌でもある。

     あの自衛隊員の涙。それは人間の䞭にある、もっずも正盎な郚分が、あの瞬間にあふれ出たのだず思う。䜿呜を持ちながら、それでも人である。制服を着ながら、それでも人の子である。そのこずを、あの䞀筋の涙は語っおいた。

     私はボランティアずしお「誰かを助けに」あの地に行ったはずだった。しかし、ずっず考えおいた。結局、私が受け取ったものの方が、はるかに倧きかったのだ、ず。

     あの春の青い空ず、二人の涙は、私の䞭に、これからもずっず生き続けるのだった。



     
     
    ☆東北出身。瞑想、自身のPC蚘録、読曞、が生きがい。 “発達障害持ち”ながら䜕ずか生存䞭。 執筆は超短線集や雑孊がメむン。 倧倉ながら、死力を尜くしお努力䞭です。

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