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20歳で倢も倧腞も倱った僕の新しい垌望を芋いだすたでの話

    ※これぱッセむです。

    痛い、ずにかく痛い。この痛みはい぀たで続くのだろうか。
    「痛い」ずいう蚀葉にさえ拒吊反応を瀺すほど、僕はお腹の激痛に苊しめられおいた。
    本圓はプロサッカヌ遞手ずいう倢に向かっお走っおいたはずだった。倧孊の仲間たちず、汗ず泥にたみれお笑い合っおいたはずだった。それなのに、なぜ僕は今、無機質な病宀のベッドに瞛り付けられ、身動きすら取れない状態になっおいるのだろう。
    なぜ、倧腞も倱っおしたったのだろう。
    頭の䞭の自分ず、䜕床答えの出ない問いを繰り返したか分からない。
    20歳の冬。僕は難病を患い、倧腞を党摘出し、身䜓障害者になった。

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    狂い始めた歯車

    事の発端は19歳、倧孊1幎生の冬だった。
    トむレに行くず、䟿噚䞀面が真っ赀な血で染たっおいた。しかし、圓時の僕はサッカヌを通じお限界たで鍛え䞊げた身䜓に絶察的な自信を持っおいた。「アスリヌトの自分に限っお」ずいう過信から、ただの痔だろうず楜芳芖しおいた。
    そこから3週間が経っおも、血は止たらない。むしろ増えおいく。
    いよいよ䜕かがおかしいず思い、䜓育䌚サッカヌ郚の激しい緎習を終えたその足で、近くの町医者に駆け蟌んだ。
    「これは痔ではない。しっかりした怜査ができるずころを玹介するから」
    そう蚀われお受けた倧腞怜査で突き぀けられた病名は、難病の『朰瘍性倧腞炎』だった。
    䞍思議なこずに、圓時の僕は「ガンじゃなくおよかった」ずほっずしおいた。
    医垫からの「普通にサッカヌも続けお良いよ」ずいう優しい蚀葉を鵜呑みにしお、心底安心しきっおいたのだ。
    プロになるために、身䜓に鞭を打ち、さらなる鍛錬を重ねた。
    この病気には明確な原因が分かっおおらず、完治させる方法もない。無理をした結果、病気を悪化させおしたったのか。あの時の安心が人生の転換点だったのか。それは神のみぞ知るずころだ。
    ただ䞀぀確かな事実は、病気が刀明しおからわずか4ヶ月埌、僕は症状が急激に悪化し、救急搬送されたずいうこずだ。

    絶望の病宀ず、消えた笑顔

    症状を萜ち着かせる「寛解」を目指すのがこの病気の治療方針だが、僕の身䜓はどんな薬にも抗った。治療の遞択肢が幅広い倧孊病院ぞ転院もしたが、それでもダメだった。
    痛い。ずにかく痛い。
    倢も、茝くはずだった倧孊生掻も、すべおが指の隙間からこがれ萜ちおいく。残されたのは、24時間絶え間なく襲っおくる激痛ず、それに耐えるだけの自分自身。
    折り悪く、䞖間はコロナ犍の真っ只䞭だった。心の支えになるはずの家族ずの面䌚すら蚱されない。䞀人きりの孀独な病宀で、20歳ずいう幎霢は、すべおを倱うにはあたりにも若すぎた。
    身䜓も心も限界に達した頃、䞻治医から宣告された。
    「倧腞を摘出する手術をしよう」
    僕は芚えおいる。消灯埌の暗い病宀で、䞀人で声を殺しおたくさん涙を流した倜を。
    人生経隓も浅い20歳の若者が、臓噚を倱うずいう圧倒的な絶望をすんなりず受け入れられるはずがなかった。倱ったものを数え、手術の恐怖に怯え、僕は完党に「悲劇の䞻人公」になりきっおいた。

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    絶望の淵で気づいた垌望

    だが、そんな僕の思考を根底から芆す出来事があった。
    ふず、面䌚制限の合間を瞫っお僕のサポヌトに奔走しおくれおいる家族の顔を芋たずきだった。僕を心配し、日々の生掻を支えおくれおいる家族から、い぀の間にか笑顔が消え、深い疲匊の色が滲んでいたのだ。
    その瞬間、頭を匷く殎られたような衝撃を受けた。
    僕が自分の痛みに溺れ、悲劇のヒロむンを挔じおいるこずで、䞀番倧切にしなければならない家族の心をすり枛らしおいる。
    「俺が望んでいるのは、こんなこずじゃない」
    プロサッカヌ遞手になるずいう倢は、もう叶わないかもしれない。
    でも、今の僕には、新しく生み出したいものがある。
    それは、健康な状態で生掻を送るこず、
    そしお、䞀緒に暮らす家族に、無理に䜜った䜜り笑いではなく、心からの笑顔で「おはよう」ず蚀うこず。
    「今日の䜓調は倧䞈倫だよ」ず䌝えお、圌らを心から安心させるこずだ。
    倱ったものを数えお泣くのはもうやめよう。僕を支えおくれる人のために、このささやかで䜕よりも尊い日垞を取り戻すこずから始めよう。
    そう決意したずき、僕の思考はようやく絶望の底から抜け出した。
    人生に絶望したこずで、僕は匷くなったのだ。

    僕が今生み出したいもの

    あれから数幎が経ち、25歳になった僕は今、障害者雇甚でバリバリ働いおいる。
    珟圚の戊うフィヌルドは、芝生のピッチから職堎ぞず倉わった。
    倢を倱い、倧腞を倱っおも、絶望の䞭で気づいた「僕の思考」だけは誰にも奪えなかった。思考さえあれば、絶望を受け入れ、新しく垌望を生み出せる。倢だっお、新しく描き盎せばいい。
    身䜓障害者になり、䞖の䞭の働きづらさや生きづらさを痛いほど味わった僕だからこそ、今の倢がある。
    それは「誰もが働きやすい、生きやすい瀟䌚を創る」こずだ。
    絶望を知り、人の匱さに底からの共感を持おるようになった僕だからこそ、人の成功ず安心を支える仕事で生み出せる䟡倀があるず信じおいる。
    今、郚屋の片隅で、あるいは無機質な病宀のベッドで、すべおを倱ったず泣いおいるあなたぞ。
    どうか、絶望の先にある自分の「思考」の力を信じおほしい。

    倱ったものを数えるな、生み出したいものを考えろ。
    僕はこれからも、この蚀葉を思い出しながら、新しいピッチで生きおいく。


    ※远蚘
    自分の䜓隓談をもっずオヌプンにするこずで、誰かの圹に立ちたいずいう想いがあるので、曞籍ずか蚘事曞きたい所存です。

    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

     
     
    サむボりズ株匏䌚瀟 難病ず身䜓障害を抱えながら 「誰もが働きやすい瀟䌚を創る」をミッションに 掻動しおおりたす。 ・投皿内容 仕事や読曞、病気や障害を負った経隓から 埗た知芋を発信しおいたす。 ※本蚘事は個人の芋解であり 所属組織を代衚するものではありたせん。

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