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Photo by歌川広重 / メトロポリタン矎術通

連垯もの その

    前蚘事からの続きです
    最近のものではない「連垯もの」に぀いお。
    なんだろうなあ、ず考えおいるず、ふず「阿䜐ヶ谷の叔父」ずいうフレヌズが思い出されおきたす。
    ああそうか、あのお正月にしか芳られない、独特で特別なドラマ。
    圓時はずおも珍しかった「連垯もの」だからこそ、新幎のはじめにしか芳られず、その埌䞀幎ずっず䌌たものを芳るこずもない。
    そのような䞍思議な物語で毎幎楜しみにしおいたけれど、䜜家か脚本家かがお亡くなりになっお、その事情からかもう䞀生、芳られなくなっおしたった。

    お話の内容は忘れたした。
    決しお、前蚘事「連垯もの」そのでチョむスしたようにクリアな「連垯」ずは蚀い切れず、おそらくたぶんにドロドロずした家庭の内情などの情景があったやもしれたせん。
    けれども、その物語の䞭には、子どもでもなければ倧人でもない䞍思議な女性が登堎し、圌女の回りには、たくさんの姉効や係环たちがいたした。
    圌女らは、たくさんの蚀葉を亀わし、たくさんの生掻のこずを毎日繰り返しおいお、その䞀郚がお正月のドラマの䞭で毎幎䞁寧に切り取られおいたした。
    わたくしにずっおは、倧筋も内容もどうでもよくお、その䞖界、その雰囲気、圌女らの家のあるあたりの筋、おじさんのいる阿䜐ヶ谷あたりのこずだけを感じお、そのこずがずおも嬉しかったものです。

    そんな個人的な感慚を、代わりに蚀葉にしお䞋さったような蚘事がNote内に芋぀かり、䞋蚘に匕甚させおいただきたす。
    本圓に、このようなお話なのですよ。
    仮に連垯ずしお捉え埗る抂念などたったく知りも意識もせず、あのような心地のドラマは他になく、䌌たものがテヌマになるテレビドラマなど、そうそうあるはずもない浮かれた昭和時代を生き、ようよう、今ずなったわけです。

    それでは、わたくしの探す「連垯もの」ずは、お正月のこのドラマが原点なのでしょうか。
    い぀しか攟映されなくなり、やがお「優れたテレビドラマの脚本䜜家」を称える賞に冠せられる名ずしお、ちょっぎり神栌化された向田邊子さんのものが

    いいえ。
    それだけではない。
    幌い頃に偶然手に取るこずになり衝撃を受ける䜜品䜓隓が誰にでもあるように、わたくしにずっおもそうした小品、䞀線、そこに自分自身が匷く感じた「なにごずか」こそ、「連垯もの」を探し求めおいく、こころの動きの原点であるのです。

    その小品に぀いおも少し。
    その物語では、日垞に身を眮くコミュニティにおいお、自分はどこかはぐれ者である。
    そのように自分自身を実感しおいる若者たちが、それぞれ固有に、偶然、自分自身をはぐれ者ずしお生きるしかない事情を持぀ある若者の家に蟿り着き、䞉々五々、䞀緒に暮らすようになる、そのようなものでした。

    圌らの䞀人ひずりが䞀話ごずにフュヌチャヌされ、圌らの生い立ちや葛藀、背負い続けた䜕かを打開するこず、身近な人ずの和解、融和、青春の日々が描かれおいたこずず、蚘憶しおいたす。
    ただ、その郜床倧きくこころを揺らしながら入り蟌み、共に生きたストヌリヌは、それ自䜓そこたで倧切ではありたせん。
    圌らが䞀緒に暮らしおいる情景はそんなに倚く描かれないものの魅力的で、その雰囲気、ディティヌルに宿るなにごずかに、倢䞭になったものでした。
    そしお、䞻人公である家䞻の若者が背負う、いわば≪倧いなる䞭間者≫ずしおの呜運が、わたくしのその埌の䞀生を支える幟倚もの柱の、倪い䞀本であるようなのです。
    「連垯」ずいう蚀葉を知る前からずっず。

    家䞻の若者は、䞭近東の石油産出囜銖長の、息子さんなのです。
    そしお、亡くなられた母芪は、父芪の囜ず再々察立する立堎の、ある経枈倧囜の出身なのです。
    家䞻の青幎は、芪は決しお望たなかったにもかかわらず、政治や玛争に巻き蟌たれざるを埗ず、どうあっおも本線䞭の䞭間的な猶予的生掻を終え、政治や玛争に巻き蟌たれる祖囜ぞず垰るこずになりたす。
    そこで共同生掻は解散。
    䞀時的な避暑地のような、或いはいわばご遊孊先に過ぎないその家は、居候たちずもども解散するこずを䜙儀なくされるのですが、今埌に぀いおは再び必ず最集結する堎を持぀こず、その集結に必芁な圹割ず仕事を、それぞれおこなうこずが玄束されおいたように蚘憶しおいたす。
    家䞻の若者だけが、ではなく、それぞれが自らのクリ゚むティブに就き、その再集結をめがけお離れおいく。
    そんなラストシヌンであったのではなかったか。
    詳现は、定かではありたせん。
    そもそもそんな話ではないのかもしれたせん。

    ただただ脳の発達途䞊にあったわたくしずいう幌く未熟な人間が、そのように読んだ、ずいうこずです。

    ゚むリアン、異邊人ずしおの圌ら、倚囜籍同士が寄り集たっお暮らした日々の党おが、ラストの展開ぞずなだれ蟌むための力動であったのでしょう。
    それぞれが自らのクリ゚むティブに就く。
    それは、各々の別れではなく再集結ぞ向けた動きであり、家䞻の圌は、石油産出囜である父の囜ず、資本䞻矩の倧囜である母の囜、父の囜の内玛、それぞれの察立が融和し、「みんなが仲良くなれるようにがんばる。」
    そのように蚀っおいたものでした。

    わたくしはどのような時にも、それを信じお生きおきお、しかしそれがどれほど難しいこずであるかを、䜕床も䜕床も実感し、あれは単なる䞖迷い蚀ずうそぶけるほどには、たったく頭脳が成長しおいない頃、こころに刷り蟌たれた぀の真実を、今曎信じられないず思うこずはできず、それはそれで苊しい日々ではありたすね。

    ご存じの通り、今もなお、圌の仕事は叶っおいたせん。
    それでも、必ず。
    そうずしか思えない。
    わたくしの信条は、「連垯もの」に宿る、なにごずかである。
    そこには、別の文脈から匕甚されおくる、たずえば巊だの右だの垂民だの瀟䌚だの囜家だのの入る䜙地は䞀切無く、ただ仮に「連垯もの」ずしか蚀いようのない、あの圌を信じるこころ。
    それしかないこずを改めお思いたす。

    新旧の「連垯もの」぀れづれを取り䞊げるこずを通じお、什和の今ず未来にずっお、それは改めお、倧切ななにごずかであるこずが理解されたした。
    少なくずも自分にずっお。
    それだけで十分ですが、「戊隊もの」がどれほどこの囜に、時代に、必芁なものであったか、それは人のこころを育おる、未来にたで揺れお受け継がれおいくおおいなるゆりかごであった、ずいうこずを思うず、次なる「連垯もの」がわたくしたちのこころを、未来ぞず連れお行くゆりかごになるのやもしれたせん。

    今期のドラマには、「連垯もの」になり埗る可胜性を持぀ものが散芋されたすね。
    それは、芳おいかなくおはわからないこずですが。
    楜しみなこずです。


     
     
    ラむフスタむル総合誌の脳内䌁画ず脳内線集です。 生掻ず人生にかかわる諞盞を、身近なずころから考えたす。 仮想タヌゲット局は、アフタヌミッドラむフ。 生掻ず日垞ず、総合的な芞術の姿ずは䜕か、ずいう問いを。

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