
短編小説『対称性について』
本作はフィクションであり、実在の人物、組織、文化的慣習とは関係ありません。
片側だけなら、私はここまで悩むことはなかったはずだ。右であれ左であれ、一方の鼻孔から一本の鼻毛が出ているだけなら、それはおそらく不注意か、あるいは本人にとっては問題にもならない些細なことである。人間の生活には、その程度のほころびはいくらでもある。寝癖、襟の折れ、靴下の色違い、前歯についた海苔。それらはその人を決定づけるものではない。むしろ、身体を持って日々を過ごしている以上、避けようもなく生じる小さな乱れのようなものだ。
しかし、私の部下である彼の場合、そうではなかった。彼の左右の鼻孔からは、それぞれ一本ずつ、黒く長い鼻毛が出ていた。ほとんど同じ長さで、あまりにも正確に左右対称だった。しかも、それは今日だけではない。昨日もそうだった。一昨日もそうだった。先週も、おそらくそうだった。初めて彼がチームに参加してきたあの日から、すでにあの左右対称の鼻毛は出ていたような気がする。ある日だけなら伸びていたのだと思える。翌日なくなっていれば、彼も時々は整えているのだと分かる。しかし、週末明けであろうと、休暇明けであろうと、毎日決まって左右から一本ずつ出ているとなると、それはもはや一時的な乱れではなく、配置と呼ぶべきものだった。
私がこれまで生きてきた社会では、鼻毛は意図的に隠されるものである。少なくとも、積極的に見せるものではない。もちろん、鼻毛は人体の一部である。生えていること自体は自然であり、それを持たない人間の方が、むしろ生物学的には不自然である。生殖器のように、社会的に露出が厳しく禁じられてきた部位でもないし、公然と露出することに根源的な抵抗を覚えるものでもない。ただ、それが鼻孔の外へ数ミリ出た瞬間、私たちはなぜか小さな違和を覚える。鼻毛は身体の内側にある限り許され、外側に出た瞬間、突然、身だしなみという曖昧な法廷に引き出される。
だが、彼のそれは、単なる手入れの行き届かなさにしては安定しすぎていた。手入れ不足なら、もっと乱れる。偶発的なものなら、もっと偏る。彼の鼻の下には、毎朝、同じ小さな秩序が成立していた。私はそこに、どうしても確固たる意志を見てしまうのだった。
私たちの仕事に身だしなみは要求されない。接客でも営業でもなく、誰かに清潔感を売る職種でもない。彼の鼻毛が出ていることは、業務の品質にも、納期にも、職場の安全にも、何の影響も与えない。ましてや、それが左右対称であることなど、業務上は完全に無関係である。強い臭いを放っているわけでもない。誰かを物理的に不快にさせているわけでもない。支障があるとすれば、それはただ一つ、私の集中力に対してだけだった。
私は、何度も彼に尋ねたくなった。君はそれに気づいているのか。気づいた上でそうしているのか。そうしているのだとすれば、それは何なのか。習慣なのか。信念なのか。ファッションなのか。それとも、ただ気にならないだけなのか。しかし、どの問いも、声に出す直前で奇妙な形に歪んだ。私は彼のために聞きたいのではない。職場のために聞きたいのでもない。私自身の中に発生した、この説明しがたい滞りを処理したいだけなのだ。
その時点で、私はかなり不利な場所に立っていた。業務上必要のない身体的特徴について、上司である私が、男性の部下に言及する。それは何らかのハラスメントになるのだろうか。セクハラなのか。鼻毛は性的な問題ではないように思えるが、もしそれが彼にとっての男性的魅力の表現だとしたら、私は性的な身体表現に介入していることになる。あるいは、上司としての立場を利用して、業務上答える必要のない質問への回答を事実上強要するパワハラなのか。外見への不当な介入としてのルッキズムなのか。異文化への不理解なのか。どれにも少しずつ触れているようで、どれにも完全には収まらない。名前のつかないものは安全なのではない。名前のつかないものは、たいてい後から最も不名誉な名前を与えられる。
彼には最近、遠距離の彼女ができたらしい。毎日、何時間もビデオ通話をしていると、彼は嬉しそうに話していた。私はそれを聞いて、素直によかったと思った。彼は真面目で、少し不器用で、しかし人に対して誠実なところがある。一度、昼休みに彼が通話しているところを見たことがある。画面には、女性の顔が大きく映っていた。とてもおしゃれで、綺麗な雰囲気の人だった。
毎晩、何時間も、彼女は彼の顔面を画面いっぱいに見ているのである。現代のカメラは不必要なほど高解像度である。毛穴も、肌の荒れも、目の下の疲れも、沈黙の気まずさも映す。その画面の中央にある彼の鼻の下で、あの二本の鼻毛だけが見落とされているということが、あり得るだろうか。ましてや、おしゃれで美意識の高そうな人ならなおさらである。やはり彼女は気づいた上で、何も言っていないのだ。もちろん、付き合いたてで、まだ言えるほど打ち解けていないだけかもしれない。あるいは、彼を傷つけまいとして、あえて触れずにいるのかもしれない。もしかしたら、その少し無防備なところも含めて、彼を愛らしいと思っているのかもしれない。恋愛の初期には、相手の小さな欠点を欠点として確定させないための、やさしい沈黙がある。しかし、やさしい沈黙も、そこまで長時間、毎日反復されると、もはや沈黙ではなく承認に近づいていくのではないか。
しかも彼女は、彼と同じ国の出身だという。その事実を考えると、可能性はさらに一つの方向へ傾く。もし彼の鼻毛が、私の知らない美意識や流行や身体表現に属しているのだとすれば、それを最も正確に読み取れるのは彼女である。彼女が気づき、なお何も言わないのなら、それは単なる見落としではない。彼らの親密圏において、そしておそらく彼らの文化圏においても、その対称性は魅力的なものとして扱われているのではないか。私の知らない言葉で、彼女がその二本について、むしろ好意的な何かを言ったことさえあるのかもしれない。
私は彼の出身国名と、鼻毛、ファッション、男性、nose hair trend などを検索した。検索窓にそれらの語を並べている時点で、私はすでに何かを踏み外している気がした。上司が部下の出身国と鼻毛を組み合わせて調べている。もし誰かに画面を見られたら、私はかなり不利な説明を迫られるだろう。しかし、決定的な情報は何も出てこなかった。そもそも鼻毛を出すことが流行しているという情報も、左右の鼻孔から一本ずつ伸ばすことが特定の国で流行しているという情報も、少なくとも私の検索能力では見つからなかった。
それでも、安心はできなかった。国名で検索して出てくる文化など、たかが知れている。私が名前すら知らない彼の出身地の小さなコミュニティでだけ、それが最先端の身体表現として流行している可能性は否定できない。検索可能な文化だけが文化ではない。そう考え始めると、私は彼の鼻毛を「身だしなみの欠如」として処理することができなくなった。
私は、かつてタイの部族の村を訪れた時のことを思い出した。そこで見た装飾や身体の見せ方は、私が何となく信じていた美しさの基準を、あっけなく相対化した。国や時代が変われば、美しいとされる髪型も、体型も、皮膚の見せ方も、身体に加える変形も、まったく違う。残すべき毛と、処理すべき毛も、同じように変わる。人類が共有している普遍的な美などというものは、空港の免税店にしか存在しないのではないかと、その時私は思った。
そもそも、我々はなぜ鼻毛が出ていると恥ずかしいのか。誰がそれを決めたのか。どの時代の、どの地域の、どの程度の人数の合意が、私の感覚の中で普遍の顔をしているのか。恥ずかしさとは、しばしば身体に貼りつけられた社会的な幻影である。ならば、彼の鼻の下にある二本の黒い毛は、私が内面化している虚構の美意識に対する、あまりにも小さく、あまりにも強烈な反証なのかもしれない。そう考えれば考えるほど、私は何も言えなくなっていった。それでも、鼻毛は今日も出ていた。
仕事中、私は文章を書いていた。補足を入れるために、何気なく括弧を打った。
( )
その瞬間、私は手を止めた。開き括弧と閉じ括弧が、ずっと私を悩ませ続けている、彼の左右の鼻孔から出るあの二本に見えたからだ。もちろん、括弧はただの記号である。しかし、その左右に湾曲した形は、あまりにも彼の鼻の下に成立している構造と似ていた。私は括弧を消し、別の表現に書き換えた。その日、私は何度も括弧を打ち、そのたびに消した。
やがて、世界のあらゆる対称が私に迫ってくるようになった。二つ並んだマグカップ、向かい合う椅子、画面上の引用符、窓枠の左右、エレベーターの開閉ボタン。そもそも脊椎動物の身体そのものが、左右対称を基本としている。私たちは生まれた時から、対称性の中に閉じ込められている。鬼才、スタンリー・キューブリックの映画があれほど完璧で、同時にどこか不気味に見えるのも、あの狂気じみたまでに制御された画面の中心を、対称性がまっすぐに貫いているからではないか。対称性は、秩序でありながら、同時に圧力でもある。本来なら美や均衡を支えるもののはずだった。建築にも、顔にも、数式にも、音楽にも、対称性はある。人はそれを美しいと感じる。少なくとも、そういうことになっている。しかし、もはやそれは私に美として現れなかった。対称性は、彼の鼻の下から放たれた追跡者のように、世界のあちこちで私を待ち伏せしていた。
私は、それをどうしたいのか分からなかった。なくなればよいのか。そういう単純な話ではない気がした。問題は、鼻毛そのものではない。問題は、二本が二本として、左右に、ほとんど等しい資格で存在していることだった。もしこの対称性が崩れたら、何が起こるのだろう。彼はただの鼻毛の出た男になるのだろうか。私の中で膨れ上がったこの奇妙な理屈は、一気に崩れるのだろうか。それとも、世界全体の括弧が片方だけ外れたような、取り返しのつかない不均衡が生まれるのだろうか。
その日の午後、私たちは二人で細かい作業をしていた。対象を傷つけないように、小さな部品の位置を慎重に調整する必要があった。私は先端の細い、銀色のピンセットを持っていた。細いものをつまむためだけに作られた、極めて合理的な形をしていた。
彼が手元を覗き込むために、顔を近づけた。照明が彼の鼻の下に落ちた。二本の黒い鼻毛が、くっきりと浮かび上がった。今日も同じ長さで、同じ角度だった。あまりにも完全な対称だった。私は、息をするのを忘れた。鼻毛は、彼の顔の中で最も小さく、最も私には意味を読み取れず、それでいて最も強い秩序として、そこにあった。
何かが、私の中で静かに立ち上がった。それは身だしなみへの欲求でも、親切心でもなかった。ただ、この対称性が失われた瞬間に何が起こるのかを、見てみたいという、説明のつかない衝動だった。私はそれをすぐに押し戻そうとした。これは業務ではない。これは助言ではない。これは文化理解でもない。これは何の名も持たぬ、きわめて危険な関心である。
彼は「ここですか」と言った。彼はただ、作業に集中していた。手元の小さな部品を見て、私の指示を待っていた。彼の意識は、当然ながら、私と同じ場所にはなかった。彼の視線は部品の位置を追っていて、私の視線がそのすぐ上の、まったく別の一点に固定されていることには気づいていなかった。彼にとって世界はまだ、部品と、作業台の照明からできていた。彼は、自分の鼻の下で世界の対称性が問題になっていることなど、知る由もなかった。
私は返事をしなかった。返事をしようとしたのだと思う。しかし声は、喉の奥で止まっていた。返事をしない私を不思議に思ったのか、彼が私の顔に視線を移した。彼は、まだ何も理解していない顔でこちらを見ていた。警戒も拒絶もない。ただ、目の前の人間が自分に向けている関心の種類を、まだ分類できずにいる者の、無防備な静けさがあった。
ピンセットを持った私の右手が上がった。その先端は、作業台の上にある小さな部品ではなく、彼の顔の中央へゆっくりと向かっていた。