民主主義には「必ずポピュリズムに陥る」というバグが仕込まれている。
日本においては「参政党の躍進」のような「右派ポピュリズム」のムーブメントが起き始めていて、社会はちょっとした混乱に突入しているが、ご存知の通り、これは日本だけの現象ではない。
アメリカにおけるトランプ大統領の再選を応援したのも、「アメリカファースト」を掲げる右派ポピュリズムの波であるし、ヨーロッパにおいても「移民反対」を掲げる右派政党が民衆に支持されるようになってきている。
いわば、世界中でこうした「右派ポピュリズム」が大きなうねりになってきているのだが、これはある意味では
「もともとそうなるように最初から設定されている民主主義のバグである」
と見ることもできる。
さて、ここで、ちらっと「ポピュリズム」とは何か?その定義を振り返っておこう。
平たく言えば「大衆主義」「大衆迎合主義」あるいは「衆愚政治」「扇動政治」なんて呼ばれ方もするが、
◆ 社会の階層を「エリートや金持ち」と「バカとビンボー人」に分け、庶民側を味方につけようとする政治手法
と考えるのが、いちばんわかりやすいだろう。
いかにも煽るように「バカとビンボー人」という書き方をしたが、実際に参政党が躍進してから、日本のメディアでは
◆ 参政党を支持するなんてカルト
とか
◆ 日本人ファーストとは、すなわち差別主義者
といったイメージで語られることも多く、すごい言説になると
◆ 投票率が上がることは、果たしていいことなのか?
なんてのもあった。
要するにこれは
「バカが選挙権を持つと、ロクなことがねーな」
という一部のエリート層の思いが、漏れ出してしまったのである。
しかしまあ、武庫川哲学的には、「ポピュリズムが盛り上がる」のは、いわば自然なことで、これは一種の「民主主義が成熟した証」でもある。
というのも、次のグラフはウィキペディアにも載っている「偏差値」の図だが、

人間の「能力」というものは、基本的には「偏差値図」で表せるような分布を取る。
一般的には「学力」においてこの図を利用することが多いが、べつに学力だけではなく、人間の能力全般において、おおむね当てはめることができる便利な図だ。
さて、この図の中で、右側の0.1%とか2.1%などに当たるのが「トップエリート層」あるいは「めちゃんこ賢い人達」「すっげーやつら」「おかねもっちー」であり、中央の右34.1%+左34.1%に当たるのが、「一般人」「モブ」「中流」である。
そして左側に位置するのが「残念な人たち」とか「可哀想なので保護して上げたい人たち」とか、そういう層になる。
まあ、ここに登場する人たちがどれくらい「賢しこ(かしこ)」であるかとか、どれくらい「バカ」であるかとかは本筋とは関係ないが、中央の左右だけで68.2%もいるのだから、これで
「じゅうぶん過半数が取れ」「じゅうぶん人口の7割近くを叩き出せる」
ということがわかる。
そして、当たり前だが、「エリートをいくら合算しても、15.8%くらいにしかならない」のだから、
『一票の重みが同価値であれば、エリートはかならず大衆に選挙で負ける』
のである。これが、民主主義が本質的に持っている構造だ。
このシンプルかつ重要なデータを、どのように受け止めればいいのだろうか?
武庫川さんがエリート側の民主主義対策本部長だとしたら、作戦は2つある。というか2つしかない(笑)
ひとつは、
◆ エリート側に特権を与えて、神聖にして犯すべからず、という条項で支配する
という方法である。これを現実セカイで行っているのが「共産党一党独裁」である。
共産主義というのは「人民は平等だけれども、指導者層だけは必要だよね」という理屈になっていて、指導者層だけを特別扱いするので政治が成り立つ、という手法だ。
”人民は平等だけれども”の部分を生かしながら、エリートを別枠に仕立ててしまうわけだ。
あるいは本筋からちょっと離れるが、大日本帝國などでは、「選挙権を与えるヤツと与えないヤツを分ける」ということをやっていた。これも当然エリート側が恣意的にコントロールすることができるが「一票の重みが同価値ではない」という点において今の感覚では、民主主義とは呼ばれない。
さて、対策本部長として実行できる2つ目の作戦は、
◆ 右側の34.1%の人たちを、エリート側だと思わせる
というワザである。
ここで、なぜ左側の一般大衆34.1%を放ったらかしにしてもよいのか、というのがこの作戦のミソで、よーくその理屈を考えてみてほしい。
右側のエリート層、15.8%と右側中央の34.1%を合算しても49.9%にしかならず「過半数」は取れない。
それでも大丈夫なのだが、実は、左側の下層・最下層は絶対に選挙にも来ないし、バカなので民主主義の権利を振りかざさないため(ひどい!)、総合的には影響を与えないのである。
なので、エリート層は、右側の34.1%だけを「俺たち仲間だもんね」と思わせればよい。それで社会は安定するのだが、実はそれこそが
◆ ついこの間までの一億総中流社会
というものであったのだ!
一億総中流!なんて言っていたが、実態は半分ちょっと切れるくらいの人数だけ中流だと思わせておけばよく、それで選挙に勝てるのがこの作戦である。
これまで「自民党がスキ」となんとなーく思わせられていて、それで政治がなんとなーく回っていたのは、こういう仕組みだったのである。
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このように偏差値目線でものごとを分析すると、「中流幻想」を与えてくれていたかつての自民党が、どこで失敗したのかは、めちゃくちゃ明白にわかる。
それは、「正規雇用の確保」をやめて「非正規雇用の拡大」を容認した、というただ一点においてミスをしたのだ。
これだけで給料の偏差値が左側(仮想側)にガクンと振れる。
「俺たち、まあまあ給料もらってるわ」
と思えない人たちが多数になった時点で、第一作戦はもとより、第二作戦も失敗に陥るのは明白なことだったわけだ。
日本においては1990年代から「新自由主義」的な政策がつぎつぎに導入され、規制緩和やら構造改革の名のもとに旧来の社会安定が崩されていったのだが、この「新自由主義」こそ「ネオ・リベラリズム」の訳語である。
ほら、リベラルがやらかしたせいで、ポピュリズムが台頭してしまった、というのは、ちゃんとつながっているでしょう?(笑)
武庫川的には、社会の安定を図るには
「右側の中央34.1%におこぼれを与える」
だけで良いと考えているのだが、果たして新自由主義者たちは、どう出てくるだろうか?
(ちなみにこれも余談だが、日本における新自由主義政策の推進者は、小泉・安倍首相、ということになる。今の状況に陥った答え合わせがはっきりしすぎているでしょう?ww)
了
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