
寂しさの奥
鬱の底でカフェをやると決めた時、第二チャクラが激しく振動した。今思えばあれが、初めて「したい」から動いた瞬間だったのかもしれない。寂しさを埋めるためじゃなく、真我が顔を出した瞬間。
人生を振り返ってみると、ほとんどの行動が寂しさを埋めるためだったと気づいた。でも気づけたということは、もうその必要がなくなってきているということでもある。
「寂しかったんやね」と過去に寄り添っていたら、ふと疑問が出てきた。今の自分は寂しいのか?下腹部に聞いてみたら、答えははっきりしなかった。根っこが変わってきているのかもしれない。
そしてもう一つの気づき。人間の根っこは全て寂しさじゃないかと思っていた。生まれた瞬間から始まる寂しさ。でもお腹に聞いたら、もっと深いところから答えが来た。
根っこは愛だ。
寂しさは欠如じゃない。愛があるから寂しいのだ。愛を知らなければ、寂しいとすら感じない。たとえば、誰かと繋がりたいと思うのは、繋がりという愛を知っているからだ。受け取りたいと思うのは、受け取ることの温かさを知っているからだ。寂しさはいつも、愛の裏側にある。
そして人間は生まれた瞬間、最初の寂しさを体験する。母親のお腹の中にいた温かさ、完全に繋がっていた感覚から切り離される。その寂しさが出発点だ。そこから人生をかけて、もともと自分の中にあった愛に気づいていく。より深く愛に気づくために、最初に寂しい思いをさせられる。寂しさは愛への道だ。
みんな寂しさを抱えながら生きている。それはみんなの中に愛があるからだ。その寂しさに気づいて、寄り添って、奥にある愛に気づいていく。それが人間が生きる意味なのかもしれない。
自分に「寂しかったんやね」と言えた瞬間、寂しさが愛に変わる。
最初から根っこはずっと愛だった。