芋出し画像

行っおなど芋る回@Day02テヌトモダン

枡英したのでその蚘録である
今回は第2日目で、1日目は以䞋の投皿を参照



2日目開始

あさ8時半ころに朝飯があるので起きお食堂ぞ行く
前回曞いたように宿は孊生向けの䞋宿なので、ピアノの緎習の音などが聞こえおた。朝から熱心なこった・・・

朝飯

やっぱ郷に入っおはなのでポリッゞ早い話が麊粥
食ったのはりォヌタヌポリッゞだったミルクポリッゞもあったが、芋おくれほどたずくはない。぀ヌか、うたいたである
圓然のような顔しおも䞊んでたが、自分はチリビヌンズずかチリコンカンを憎んでるので「゚クセプトビヌンズ゚ブリシング」ずいうプロンプトで以䞋のプレヌトを生成した

ちなみに肉類ずキノコは激うたなので仮に麊粥がくそでもプラマむで勝぀

Day2行動蚈画

1日目でならしも終わったのでこっから本気出す日になる
ので本䞞のテヌト・モダンからせめお、有名コマヌシャル、ちかくの公立矎術通、そんで残り時間はメむフェアに戻っお画廊芋る、ずいう蚈画

具䜓名挙げるず

  1. テヌトモダン

  2. ホワむトキュヌブ

  3. ホワむトチャペルギャラリヌ

  4. メむフェアの画廊

っお順路になる
移動手段は䟋によっお地䞋鉄ず埒歩

ほんずはオヌトグラフAutographも芋たかったが、移動手段がor埒歩だったため断念ホワむトチャペルから北に行くずある

これで2䞇歩くらいしか歩かなかった ロンドン狭い説

ちなみに1日目に回ったメむフェアの画廊はこんな配眮
むちゃくちゃ密集しおお効率いい

それぞれ埒歩2、3分くらいの近さ

テヌトモダン

その道䞭

地䞋鉄Blackfriars駅で降りお、橋わたっお、川沿い歩いおくずある
倩王掲アむルから寺田倉庫くらいの距離感

こんな感じ

で、これがきねんに撮圱したテムズ川だが、氎質半端ねえな・・・
䞊にあるのはオヌバヌグラりンドのBlackfriars駅

豪雚埌の目黒川ず同じドブ色

川沿いの小道みたいなずこを進んでくず察岞に芋えおくる
この没萜垝囜を支える金融街が

悪の巣窟

ずか䜕ずか蚀っおるず぀いに目的地が
火力発電所をリメむクした矎術通なため、でかい煙突があるのだ

いかにもGBな怍生の裏にみえる煙突の色すら倧英垝囜色

珟着

看板の指瀺にしたがっおくず、この「タヌビンホヌル口」に到着する
たあたぶんタヌビン宀があったずこなんじゃろ
こっから入るのが正芏のルヌトらしい

぀いたで
うおおお 広れえええええ

入口では䟋によっおドネヌションを求めおくるが、こちずら通貚が暎萜䞭のアゞアからの貧乏旅行者なので遠慮した
ただ、マップ代2£の寄付はした

案内板

チケットマヌクあるずこは芁チケット有料、ないずこは無料
今回は無料だけ回ったが、冷静に考えるずダペむはずもかくフィリップ・ガストンは芋ずいた方よかった気もする・・・

たあ、ダペむは゜ヌルドアりトなんでどのみちみれなかったんすけどね

こういうので売り切れっお初めおみたわ
どういうこっちゃ

マップ的にいうず、赀䞞がタダなのでここみおくっちゅう話ですわ。
十分でっしゃろ
さすがにみたもの党郚蚘録すんのはだるいので適圓にたびく

ちゅうこずで、行くぞっっっ

最初の郚屋

で、最初の展瀺宀は、わかりやすい珟代矎術オヌルスタヌだった

Bridget Riley, To a Summer's day 2, 1980

ブリゞット・ラむリヌ
こういう幻芚的な効果がある䜜品を圓時はやったポップ・アヌトをもじっおオプ・アヌトオップ・アヌト、op art、Optical-Artず呌んでた60幎代を代衚する䜜家
これが面倒なのは、実際に光るラむト・アヌトずは別物っおこずだ

56、7幎のアンフォルメル旋颚から65幎に至るたでネオダダ~反芞術の嵐が吹き荒れおいた日本では、ずにかく「なんか名前の぀いた新様匏、しかも絵画」っおいうのが神々しかったようで、ラむリヌは矎術誌でもよく取り䞊げられおる。そうしおキネティック・アヌト、ラむト・アヌト、゚ア・アヌトなどが走り抜けおいく
80幎代になるずルりィットなどに代衚されるシステム的な絵画も登堎したあずなので、むしろそっちの文脈から解釈すべきなのかもしんないが、けっこう同時代の日本の䜜家にも圱響䞎えおるず思う

キャプションはラむリヌが癜黒の抜象画からスタヌトずしお、やがおグレヌ、そしおカラヌぞず進展しおいったこず、あずこの䜜品のタむトルがりィリアム・シェむクスピアの゜ネット「Shall I compare thee to a summer's day?」に由来しおるこずを説明しおいた

近くにぱルズワヌス・ケリヌの64幎のリトグラフもあった
このあず66幎にベネチアで賞を獲るず考えるずいい時期のや぀だず思う。ハヌド゚ッゞ・ペむンティングず呌ばれる人だ
ケリヌに代衚されるハヌド゚ッゞから、ポップアヌトアヌスワヌク、ミニマルアヌトを経お、バッド・ペむンティングニュヌペむンティングぞず欧米の矎術はざっくり遷移しおいくこずになるが、日本の堎合はハプニング反芞術の時代から、もの掟爆誕なんずなくもの掟っぜいミニマル志向平面ぞの回垰ニュヌペむンティングっぜいものになり、暪尟忠則が絵画やり始めたりしお珟圚に至る

Sonia Delaunay, Triptych, 1963

゜ニア・ドロヌネヌ
こうやっおみるず60幎代ずしおはすでにクラシックな感じだ
圓時から旊那のロベヌルず同じくらい取り䞊げられおた印象ある

Alexander Calder, Mobile, 1932

カルダヌのモビヌル
キネティック・アヌトになるんだろう
こうやっおラむリヌの䜜品ず䞀緒に芋られるのは趣深い

この近くにはMaria Lalic、Winfred Nicholsonの䜜品があり、どっちも自分は知らんかったんだけどむギリス出身の人で、地元の人を掚しおく姿勢が感じられた

Yves Klein, IKB 79, 1959

そんで猛烈にわかりやすいむブ・クラむンのむブ・クラむン・ブルヌIKB
IKB79っすよ、IKB79
キャッチヌすぎる

19歳のずきにフランスの空みお「これが俺の初めおの䜜品だ」ず思った、みたいなこずがキャプションに曞いおあったが、奜きだった高校の先生に家に連れ蟌たれその先生がヌヌドモデルになっおくれたのに䜕も描けなくお癜いたた残されたキャンバスを芋た先生に「これが小林君の初めおの䜜品ね💛」などず蚀われた小林正人に匹敵する゚ピ゜ヌドだず思った

Farah Al Qasimi

次の郚屋はこんな感じのファラ・アル・カシミの展瀺スペヌスになっおた
映像、写真を組み合わせた展瀺だが、すげえよかった
↓日本語の蚘事あったので参考に茉せる

うおおおお ええやん

写真では映像はみれないが、ずりあえず展瀺颚景を䞀通り貌る

2、3本の映像䜜品がルヌプで流れおた
ヘッドフォン3぀くらいあっお耇数人で同時に芖聎できる

ちゅう感じである
ずにかく映像がおもろい 音楜も自分で䜜っおるそうだが、ふ぀うに芋お楜しいもの䜜っおくれるのはマゞで助かる

で、䌚堎での説明もあるが、長いのでgpt4君の芁玄にしおおく

ファラ・アル・カシミは、境界を超えた画像ず装食的なむンテリアがアむデンティティ、怍民地䞻矩、趣味を語る䞖界を構築したす。
圌女の写真は、鮮やかな色ず芪密な瞬間で生きおいるシヌンで、顔やゞェスチャヌがよく隠されおおり、最初は違和感を芚えるかもしれたせん。
ニュヌペヌク垂ずアブダビで撮圱された圌女のクロスカルチャヌな生掻のむメヌゞは、怍民地の歎史、珟代のアむデンティティ、消費文化の間の繋がりを探りたす。
アル・カシミは、「写真は地理的に混乱する感じで、倚くの耇雑な堎所にいるこずを瀺しおいる」ず説明し、過去ず珟圚の物語を楜しく重ね合わせたす。
ここで展瀺される䜜品は、アル・カシミの家族や友人の家庭や職堎でのプラむベヌトな瞬間を垣間芋せ、ニュヌペヌクずアブダビの地元コミュニティや小芏暡ビゞネスの詳现を描写したす。
これらのむメヌゞは、瀟䌚における性別圹割の実践、およびアラブ銖長囜連邊における英囜ずポルトガルの怍民地圱響の長期的な遺産を探りたす。
アル・カシミはたた、鮮やかな色ずきらめくテクスチャヌを通じおデゞタル消費文化の目眩く効果を捉えたす。さたざたな圢のむメヌゞメヌキングが重なり合い、ここでは写真やビデオ䜜品を掻気づけるビニヌル壁玙にたで及びたす。
アル・カシミは、芖芚文化、地理的参照、瀟䌚芏範をがかすこずで、たすたす盞互に関連し、ハむブリッド化する䞖界瀟䌚における堎所や事物に察する認識や理解を問いかけたす。

キュレヌタヌはナビラ・アブデル・ナビ、囜際アヌトキュレヌタヌ、ビラル・アッコりシュ、アシスタントキュレヌタヌ、囜際アヌト。ブラむアントギャラリヌで開催。

䌚堎キャプションの画像ocrから蚳・芁玄gpt4
改行、倪字は蚘事執筆者

ゞェンダヌロヌル、怍民地の圱響、デゞタル消費文化、ハむブリッド化する䞖界、そしお個人的な願望などが織り亀ざったものを提瀺しおくれおるので、なんか倉な颚に極端にならず、味わいが深いものになっおるんだろうず感じた
率盎によかったのでたた芋たい䜜家だ

次の郚屋

いろいろあったが、気になったものは以䞋だす

Siah Armajani, From Seven Rooms of Hospitality, 2017

3Dプリンタで䜜られた立䜓䜜品
こう曞くずバカみたいだが、しょがい3Dプリンタで出力するず、圫刻っおいうか、プラモデル的な立䜓造圢物がコピヌずしお「䜎解像床化される」っおこずに今曎気づいおおもろかった

で、キャプションは重いこずが曞いおあるので党郚はる

Seven Rooms of Hospitality7぀のもおなしの郚屋は、移民や難民が耐えおいる状況を3Dプリントした暡型のシリヌズである。 䜜品は、難民、亡呜者、囜倖远攟者が䜏むこずを䜙儀なくされる䞍安定な空間を探求しおいる。
2015幎8月、むラク、シリア、アフガニスタンからの亡呜を求める71人がオヌストリアの高速道路に攟眮されたロヌリヌの荷台で窒息死した事件を受けお、アルマゞャニはこの䜜品を制䜜した。
このシリヌズは、哲孊者ゞャック・デリダずアンヌ・デュフヌルマンテルが1990幎代のペヌロッパの移民改革に察しお亀わした䌚話「Of Hospitality」にちなんで名付けられた。

画像ocr、DeepLèš³

3Dプリンタによる䜎解像床な出力は「難民、亡呜者、囜倖远攟者が䜏むこずを䜙儀なくされる䞍安定な空間」を䜜り出すための手法のようだ

自分的にはこういう話が、結局䌝聞やニュヌス番組ずいうメディアに出力された圢でしか受け取れず、すべおがやけた印象になるこずを象城しおるのかずも思った

ボむスずホルツァヌの郚屋

無料ルヌムではかなりの目玉ず思われる郚屋

Jenney Holzer, BlUE PRINT TILT, 2007
なんずなく斜めから

ホルツァヌはネオ・コンセプチュアルに属するらしい
玹介は矎手垖の以䞋を読んでくれ

で、この䜜品のキャプションは以䞋

ゞェニヌ・ホルツァヌ 1950幎 アメリカ生たれ、アメリカで掻動。

BLUE PURPLE TILT 2007幎 7぀の発光ダむオヌド列

ホルツァヌは1970幎代埌半からテキストベヌスの䜜品を䜜り始めたした。これには数癟のスロヌガンや、倚くの異なる芖点を衚珟する䞀般的な蚀い回しが含たれおいたす。BLUE PURPLE TILTは圌女の以前の䜜品からのメッセヌゞを繰り返しおいたす。その他のテキストは、「芋぀けた」フレヌズで、文孊や政治の゜ヌスから借甚されおいたす。ホルツァヌは圌女のLEDディスプレむに぀いお次のように述べおいたす「サむンの玠晎らしい特城は、動く胜力です。私はそれが話された蚀葉のようなものだから倧奜きです。あなたは物事を匷調するこずができ、動かしたり䞀時停止したりするこずができたす。これは声の抑揚に盞圓する運動的なものです。」

ARTIST ROOMS テヌトずスコットランド囜立ギャラリヌ。 The d’Offay Donationを通じお共同で取埗し、 ナショナル・ヘリテヌゞ・メモリアル・ファンドず アヌト・ファンド2008の支揎を受けおいたす。

ocrからgpt4

「1970幎代埌半からテキストベヌスの䜜品を䜜り始め」たらしいが、圓時の日本の矎術雑誌で芋た蚘憶がないので、これはかなり遅れお玹介されるパタヌンず芋た
圓時の矎術誌はナムゞュン・パむクや久保田成子すらあんたり取り䞊げおくれないのでメディアアヌトに関しおはきほん冷たい

Jsseph Beuys, Blitzschlag mit Lichtschein auf Hirsch, 1958-5
人ずのサむズ比范甚

でかいのでペシ系の匷みを感じるが、キャプションによるず耇数の䜜品を組み組み合わせたものらしい
アむロン台の鹿っおいのうがボむスっぜい「タむトルの鹿は、䞞倪の䞊にバランスをずるアむロン台で、光沢のあるアルミニりムで鋳造されおいたす」っお説明が郚屋の説明の方には曞いおあった


この䜜品は、圫刻の5぀の異なるセットから構成されおいたす「鹿」元々は1958幎に䜜られた、「皲劻」、「ブヌシア・フェリックス」、「山矊」、そしお「原始の動物たち」。これらは、ボむスの1982幎のむンスタレヌション「ワヌクショップ」に含たれるオブゞェクトから鋳造されたした。
ボむスによるず、鹿は「苊境ず危険の時に珟れる、導きず保護の印」ずされ、「枩かく肯定的な生呜の芁玠」をもたらすものです。アルミニりムで鋳造された唯䞀の郚分である「鹿」は、たるで皲劻に照らされおいるかのように茝きたす。
「皲劻」の倧きな䞉角圢は、倧きな粘土の山から鋳造されたした。ボむスにずっお、「粘土は地球の物質であり、私たちが立っおいる基盀であり、恐ろしい殺戮の埌に惑星を生呜に目芚めさせるものです。」

gpt4èš³

いちおうこの郚屋党䜓の説明はこれ↓

ペヌれフ・ボむスずゞェニヌ・ホルツァヌは、異なるメディアずアプロヌチを䜿甚しお、瀟䌚的および環境的な珟実に぀いおの暗号化されたメッセヌゞを䌝えおいたす。

ボむスの「皲劻ずその眩惑の鹿」は、厳栌で石化した環境です。ボむスは、可胜な生態系の倧惚事をほのめかすシンボルでそれを満たしたした。圌は、地球の自然゚ネルギヌを衚す倧量の粘土から、皲劻が地面を打぀こずを衚す倧きなブロンズの塚を鋳造したした。タむトルの鹿は、䞞倪の䞊にバランスをずるアむロン台で、光沢のあるアルミニりムで鋳造されおいたす。ドむツ神話では、鹿は困難や危険の時に珟れる導きず保護の印です。

目を匕くホルツァヌの「BLUE PURPLE TILT」は、衚面䞊ははるかに盎接的な方法でコミュニケヌションをずるように芋えたすが、それでもなお謎めいおいたす。圌女は私たちに圌女のメッセヌゞを自分たちで読み解くように招埅したす。点滅するLED文は、私たちが毎日盎面する情報過倚ず察立する芖点に察凊したす。圌女は尋ねたす、「これらの芖点が存圚し、時には喧噪し、時には戊い、時には殺人的であるずき、内倖でどのように察凊したすか」

キャリアの初期に、ホルツァヌは圌女のメッセヌゞをポスタヌやTシャツに掲茉し、博物通やギャラリヌではなく、日垞的な文脈で芋られるようにしたした。LEDサむンは、広告や金融垂堎のディスプレむに䜿甚されるもので、圌女のテキストベヌスのプロゞェクトのための別の手段を提䟛したした。スクロヌルする電子テキストは、人々が郜垂の通りでテキストの断片に出䌚う方法を反映しおいたす。

キュレヌタヌは、バレンティヌナ・ラノァリア、ディスプレむむンタヌナショナルアヌトキュレヌタヌです。
ARTIST ROOMSは、テヌトずスコットランド囜立ギャラリヌが所有する囜際アヌトの巡回コレクションで、アヌトファンドずヘンリヌ・ムヌア財団の支揎を受けお、英囜䞭の展瀺䌚で玹介されおいたす。

䌚堎キャプションの画像ocr、gpt4èš³

たた歎史的なや぀

実は間に映像䜜品ずかもあるが飛ばしお有名な人出おくるずこあんた知らない人も出おくるがに぀いお

Nelson Leiner, Homage to Fontana Ⅱ, 1967 

フォンタナっぜさずカラヌフィヌルド、ハヌド゚ッゞなどが共存しおる感じのおもろい䜜品

ネル゜ン・レむナヌ 1932-2020 ブラゞル生たれ、ブラゞルで掻動。

フォンタヌナぞのオマヌゞュ II 1967 綿、鋌、アルミニりム

パトリシア・フェルプス・デ・シスネロスによっお寄莈され、 ティキ・アテンシオ・デミルゞアン2009幎の名誉を称えお ラテンアメリカ買収委員䌚を通じお。 112976

「フォンタヌナぞのオマヌゞュ II」は、キャンバスに穎を開けたり切り蟌みを入れたりしお絵画の衚面の向こうに新しい空間を䜜り出したむタリアのアヌティスト、ルチオ・フォンタヌナぞの遊び心あふれるトリビュヌトです。レむナヌの䜜品は、カットの代わりにゞッパヌを䜿甚し、異なる色の垃のパネルを明らかにしおいたす。元々、レむナヌは芳客がパネルを開閉しお自分たちのリバヌシブルな「カット」を䜜るこずを招埅しおいたした。圌は「フォンタヌナぞのオマヌゞュ」䜜品の耇数のバヌゞョンを非垞に䜎いコストで補䜜しお販売する蚈画でした。

レむナヌは最初、1963幎の第7回サンパりロビ゚ンナヌレで展瀺したした。1969幎には、ブラゞルの軍事独裁政暩の抑圧的な行動に抗議しお第10回ビ゚ンナヌレをボむコットした数名のアヌティストの䞀人でした。

Zilia Sánchez, Las Amazonas, 1968

ゞリア・サンチェスっお読むのかはしらないがgpt君の説だの68幎の䜜品
ちょっず誰のだか忘れおしたったが京郜近矎の「珟代の動向」展で䌌たような䜜品を芋た蚘憶がある動向展は63~70幎に開催されおいた
これも68幎なので、こういう䌞瞮性のある玠材で半立䜓な䜜品を䜜るのは䞖界的な傟向ずしおあったのかもしれない

ゞリア・サンチェス 1926幎生たれ
キュヌバ生たれ、キュヌバずスペむンで掻動、アメリカで䜜品を䜜る

ラス・アマゟナス 1968 アマゟン アクリル絵の具のキャンバス

この絵画では、抜象的な女性の䜓ず幟䜕孊的な圢が䌞ばされたキャンバスから浮かび䞊がっおいたす。絡み合った圢は激しい物理的な぀ながりを瀺唆しおいたす。サンチェスの䜜品は、独特な圢をした朚補のフレヌムのためにしばしば「゚ロティックなトポロゞヌ」ず衚珟されたす。タむトルは、叀代ギリシャ神話でその激しい独立心で知られる䌝説の女性戊士ず狩猟者であるアマゟンにちなんでいたす。サンチェスはハバナ、キュヌバに䜏んでいる間に抜象䜜品の制䜜を始め、1959幎に第5回サンパりロビ゚ンナヌレに出展したした。

Fernand Léger, Leaves and Shell, 1927

特城的な「パむプ」がばっちり出おるレゞェの䜜品

フェルナン・レゞェ 1881-1955
フランス生たれ、フランスずアメリカで掻動

葉ず貝殻 1927
キャンバスに油絵

レゞェの絵画はしばしば機械補の物䜓や珟代の郜垂生掻を祝犏したす。しかし1920幎代埌半には、圌は自然の圢を䜜品に取り入れ始めたした。絵の巊偎を䞋る曲線は、氎平および垂盎の線の基本的な幟䜕孊的構造を柔らかくしおいたす。それはたた、葉や貝殻の有機的な圢ぞのリンクずしおも機胜したす。これらの自然䞻矩的な芁玠は、その流線型の圢状で、画像の抜象的な郚分ず密接に぀ながっおいたす。 ​​

Antoine Pevsner, Maquette of a Monument Symbolising the Liberation of the Spirit, 1952

うおおおペノスナヌ 初めおみた
ロシア構成䞻矩に「構成䞻矩」っお名前぀けた人
やっぱボむスずかずの関係を考えるず、シュプレマティズムや構成䞻矩は無芖できないっおこずなんだろう

アントワヌヌ・ペノスナヌ 1884-1962
ロシア垝囜生たれ、ロシア垝囜、ロシア ゜ビ゚ト連邊瀟䌚䞻矩共和囜およびフランスで掻動

粟神の解攟を象城する蚘念碑の暡型 1952 ブロンズ

これははるかに倧きな䜜品のための暡型であり、 囜際圫刻コンペティションぞのペノスナヌの応募䜜品です。'未知の 政治犯'は1952幎にロンドンの珟代矎術研究所が組織した蚘念碑の 委蚗によるものでした。ペノスナヌは、完党に盎線的な芁玠から 耇雑な有機的圢態を構築したした。圌は、あらゆる方向から党䜓を 芋るこずができる建築的な存圚感ず幟䜕孊的なデザむンを持぀ 抜象的な蚘念碑を䜜成しようずしたした。繰り返される線は'監犁の象城'です。 球䜓の深淵に浮かぶ動機は捕虜のむメヌゞを匷調し、それは 现胞の圢で具珟化されたす。

Kazimir Malevich, Dynamic Suprematism, 1915 or 1916

そんで隣に䞊んでるのは圓然シュプレマティズムのマレヌノィチ

カゞミヌル・マレヌノィチ 1879-1935 りクラむナ生たれ、ロシア垝囜で掻動、埌に゜ビ゚ト連邊で掻動

ダむナミック・シュプレマティズム 1915幎たたは1916幎
スプレムス キャンバスに油絵

マレヌノィチの抜象絵画は、第䞀次䞖界倧戊ずボリシェノィキ革呜の激動の時期に発展した、芞術実隓の激しい時期に属しおいたす。1915幎にマレヌノィチは具象圢態を捚お、幟䜕孊的抜象ずいう玔粋な創造的䜓隓を远求したした。圌の最初のそのような䜜品は、癜いキャンバスに黒い正方圢を描いた声明であり、絵画の発展にずっお重芁な瞬間を瀺したした。ダむナミック・シュプレマティズムは、癜い背景に察しお空間で掻性化された明確な幟䜕孊的圢態を䜿甚しお開発した䞀連の䜜品に属しおいたす。

Josef Albers, Untitled Abstraction V,  c.1945

アルバヌスのたぶん45幎頃circa぀いおたんねんの䜜品
時代を考えるず盞圓先取りしおる感じもする
このころの村井正則ずか吉原治郎ずかがもしアルバヌスず接觊できおれば・・・ず思ったりしおしたう

ゞョセフ・アルバヌス 1888-1976
ドむツ生たれ、ドむツずアメリカで掻動

タむトル䞍明 アブストラクション V c.1945
玙にグラファむトずグワッシュ

アルバヌスは芖芚的認識の性質に魅了されたした。タむトル䞍明 アブストラクション V の連動する圢は、遠近法のアむデアを䜿っお前景ず背景を区別するこずを困難にしたす。ドむツでは、アルバヌスは1923幎からバりハりス矎術工芞孊校で教鞭を執り、1933幎にナチス政暩によっお閉鎖を匷いられた埌、圌はナヌトピア的なアむデアを持っおノヌスカロラむナのブラックマりンテンカレッゞの新しい教職に移りたした。䞋のショヌケヌスに展瀺されたネオコンクリヌト宣蚀では、アルバヌスがブラゞル運動に重芁な圱響を䞎えたず述べおいたす。

Alexander Calder, Stabile, c.1945

カルダヌのたぶん45幎頃の䜜品
こうやっおみるずめっちゃかっこよいので、圓時みんなやられおしたったのがよくわかる
こうやっお実䜜みるず、圱もすげえいい感じだし、それを芋せおくれる照明も玠晎らしい

アレクサンダヌ・カルダヌ 1898-1976
アメリカ生たれ、フランスずアメリカで掻動

スタビレ c.1945
塗装された金属、鋌、ワむダヌ

カルダヌの圫刻は質量ず重さの固䜓物䜓ずしお珟れるのではなく、それを取り巻く空気の流れず共に動きたす。䞉脚の構造をスタンドずしお䜿甚し、この䜜品は、カルダヌの吊り䞋げられた圫刻「モビヌル」ず圌の静的な䜜品「スタビレ」の䞡方の芁玠を組み合わせおいたす。1953幎の第2回サンパりロビ゚ンナヌレでは、カルダヌに捧げられたセクションがあり、いく぀かのモビヌル-スタビレのハむブリッドが含たれおいたした。圌の䜜品は、幟䜕孊的抜象ずシュルレアリスムの間の぀ながりを提䟛したした。圌のサスペンションず動きの䜿甚は、コンクリティズムやネオコンクリティズムなどのブラゞルの芞術運動に匷い圱響を䞎えたした。

Lucio Fontana, Spatial Concept 'Waiting', 1960

フォンタナ 空間䞻矩
この䜜品を64幎にテヌトは買ったらしい えらい

ルチオ・フォンタナ 1899-1968
アルれンチン生たれ、むタリアずアルれンチンで掻動

空間抂念「埅ち」1960
キャンバス

「空間抂念、埅ち」は、切り蟌みが入った塗装されおいないキャンバスで、黒のガヌれが裏打ちされおいたす。これは「タリ切り蟌み」ず呌ばれるシリヌズの䜜品の䞀郚で、フォンタナが1958幎から1968幎の間にミラノで制䜜したした。キャンバスに切り蟌みを入れるこずで、二次元ず䞉次元のアヌトワヌクの境界線をがかしたす。この切断は、損害を䞎える暎力的なゞェスチャヌずしお芋るこずもできたす。しかしフォンタナにずっお、それは平面の圫刻的な可胜性を解き攟぀こずです。「私は砎壊したのではなく、構築した」ず圌は説明しおいたす。黒のガヌれは虚空のような倖芳を䜜り出し、私たちを匕き蟌むか、リスクの感芚を呌び起こすかもしれたせん。

Maria Helena Vieira da Silva, The Corridor, 1950

ノィ゚むラ・ダ・シルノァの50幎の䜜品
ぜんぜん知らんかったんだけど、河原枩の初期䜜品に䌌たような傟向があるず思った。時代的にも近い
これも53幎に買っおいるらしいが、正盎すごい

マリア・ヘレナ・ノィ゚むラ・ダ・シルノァ 1908-1992
ポルトガル生たれ、ポルトガル、フランス、ブラゞルで掻動

回廊 1950
キャンバスに油絵

ノィ゚むラ・ダ・シルノァは第2回サンパりロ・ビ゚ンナヌレに参加し、第6回1961幎のメむン賞を受賞したした。圌女は戊埌パリにおける衚珟䞻矩的抜象画の重芁人物でした。圌女の䜜品は垞に可芖的な䞖界ぞの蚀及を保持し、しばしば迷路のような建築圢態を耇雑な遠近法の線で描いおいたす。この䜜品は、ノィ゚むラ・ダ・シルノァが育ったポルトガルの家庭の空間に䞀般的なタむル匵りの衚面を想起させたす。圌女は玫、青、緑、黄色、赀を䜿っお「回廊」を描きたした。倚くの癜い絵の具ず混ぜ合わせた圌女の色は、遠くからでは埮劙な色合いが芋えにくいです。

あずはクリストもあった䜜品名メモっおない
他にもゎンチャロワの䜜品あったりしおよかったんだけど、スルヌ

たさかのミン・りォン郚屋

なんかみたこずあるなず思ったら、ミン・りォンじゃねヌかっおいう郚屋があった
すげえ人だったんだな、ずいう気持ちでいっぱいである
↓以䞋にそのミン・りォン「宇宙歌劇」に぀いおの蚘事がある

Ming Wong, Life of Imitation, 2009

そんで映像䜜品が䞊映されおいた

このアヌティストは、映画ずニュヌスメディアがアむデンティティを圢成する䞊での䞖界的な圱響を探求しおいたす。

ミン・りォンは、映画の代替歎史を想像するアヌトワヌクを䜜りたす。『暡倣の人生』では、りォンはダグラス・サヌクの1959幎のハリりッドメロドラマ『暡倣の人生』のタむトルを反転させおいたす。この映画は人皮的アむデンティティず「通過する」ずいう抂念を怜蚎しおいたす。りォンのバヌゞョンでは、圌は黒人のメむドず、肌が癜く「癜人ずしお通過する」こずができる圌女の嚘の間の感情的に充電されたシヌンを再挔したす。りォンは、シンガポヌルの䞉倧民族グルヌプ、䞭囜人、マレヌ人、むンド人の男性俳優を採甚しおいたす。これらの女性の圹割で男性をキャスティングするこずにより、りォンはメロドラマの誇匵された動きず衚珟ず、ドラッグのそれずの間に関連性を描きながら、同時にシンガポヌルのアむデンティティの抂念を耇雑にしおいたす。

*「通過」(passing)ずは、自分のものずは異なる人皮的アむデンティティの倖芋を䞎える行為を説明するために䜿甚される甚語で、通垞はより特暩的な倚数掟が通垞享受する瀟䌚的および経枈的利益にアクセスするために䜿甚されたす。

passingに぀いおの()は蚘事執筆者が远加

ビペンド・ポップ

っおいう説明のある広い空間に来た
が、けっこう混んでたのであんたり写真撮っおない

どっかで芋たこずあるのが䞊んでる郚屋

ポップを超えお

䞖界䞭のアヌティストたちは、瀟䌚的および政治的問題にコメントするために、倧衆メディアから画像を借甚しおきたした。

ポップアヌトは倧量生産されたポピュラヌカルチャヌのむメヌゞず関わりを持ちたす。しばしば北米やむギリスの珟象ず思われがちですが、実際には様々な文化や囜々が1960幎代から1970幎代にかけおポップムヌブメントに貢献しおいたす。

この郚屋の倚様な䜜品を結び぀けおいるのは、人物やその他の認識可胜な圢態の存圚です — これは20䞖玀半ばのアヌトにおける抜象衚珟の支配に察する反応です。むメヌゞはしばしば広告や倧衆プレスから借甚され、倚くの䜜品が商品パッケヌゞやサむンの倧胆な圢や色を暡倣しおいたす。

しかし、ここに展瀺されおいる䜜品が瀺すように、ポピュラヌや商業的な゜ヌスを描くこずがポップアヌトを消費䞻矩を祝うこずに぀ながるわけではありたせん。代わりにそれは、クヌルな皮肉から反䜓制的な瀟䌚批評に至るたで、さたざたな反応を包含するこずができたす。

キュレヌションフラノィア・フリゞェリ

Chryssa, Study for Gates No. 4, 1967

クリッサのラむト・アヌト
日本でもこれやっおる人たくさんいたし、いたもいる気がする

R.B. Kitaj,  Isaac Babel Riding with Budyonny, 1962

ホックニヌず同じく具象絵画やっおポップアヌトの先駆け的な人になったRB
たずもに芋たこずなかったので助かった

片山真理からの「具䜓 Gutai」

ここで日本の䜜家がどかんず来る
ずか蚀っおるが、実は写真撮っおないだけで、ここたででも小枅氎挞ず菅朚志雄、安霊重男のいろいろな70幎代の東京の展瀺写真、あず工藀哲己のあのちょい立䜓䜜品ががっ぀り展瀺されおいたので、日本の䜜家は実はかなりの分量で展瀺されおるこれに぀いおは最埌にたた曞く

片山真理䜜品の展瀺颚景

そんでもっお隣の郚屋行くず「具䜓コヌナヌ」が広がる
芋たこずないのが倚くお倧興奮

「具䜓矎術協䌚」の解説ボヌド

長いが玠晎らしい解説なので党文匕甚する

具䜓矎術協䌚

日垞の材料を䜿甚し、具䜓アヌティストたちは芞術制䜜に新たな自由をもたらしたした。遊び心を持っお、圌らは絵画、パフォヌマンス、むンスタレヌションずいった拡匵された圢匏で実隓したした。

具䜓矎術協䌚は芊屋垂を拠点ずしお、吉原治良によっお1954幎に蚭立されたした。個人の粟神は圌らの哲孊の䞭心でした。第二次䞖界倧戊䞭、日本の党䜓䞻矩的な政暩は統䞀された囜家アむデンティティを掚進したしたが、個人の衚珟は抑制されたした。戊埌、具䜓は芞術的実隓を远求したした。

「具䜓」ずいう蚀葉は、アむデアの物理的な䜓珟を意味したす。この甚語は「gu」぀たり道具や䜕かをする方法、「tai」぀たり身䜓を意味する蚀葉から来おいたす。行動ず玠材はアヌティストにずっお同じくらい重芁でした。異なるスタむルで䜜業をしおいたずしおも、具䜓のアヌティストたちは実隓的なアプロヌチで団結しおいたした。圌らは埓来の制䜜方法を拒吊し、裞足で絵を描いたり、ゞョりロ、自家補の倧砲、さらにはリモヌトコントロヌルされたマシンを䜿いたした。圌らのアヌトワヌクや「パフォヌマンスペむンティング」は、それを生み出した行動の蚘録ずしお残っおいたす。創造の行為は、結果のアヌトワヌクず同じくらい重芁です。

このグルヌプはさらに、ギャラリヌの枠を超えお展瀺䌚を行うこずで䌝統を砎りたした。圌らは公園や舞台、さらには空に展瀺䌚を開催したした。圌らの䜜品の倚くは堎所特有であり、儚いもので、「芞術を生きた時間に持ち蟌む」こずを目指したした。今日、これらの䜜品は䞻にドキュメンタリヌ写真ずしおのみ存圚し、その倚くがこの展瀺に含たれおいたす。

キュレヌションヘレン・オマリヌずキャサリン・りッド

リアルタむムで具䜓をみおた日本の批評家は「タピ゚の通埓者」くらいにしか思っおないようだが、千葉成倫などが指摘しおいる通り「前期具䜓」の掻動こそ真の具䜓矎術なんだよっおいうこずを蚀っおくれおる最高の解説
スカむフェスティバルアドバルヌンに䜜品括り぀けお屋䞊から飛ばした展芧䌚たで蚀及しおるのがすばらしい

嶋本昭䞉, 穎, 1954

本物芋れお最高にうれしい嶋本昭䞉の䜜品
54幎っおこずは小原䌚通に展瀺したや぀なんじゃろうか

それはずもかく、「2002幎にアヌティストによっお寄莈」っお曞いおあっおびびった
なんで日本の矎術通が収蔵しおないん

倧蟻枅叞, 村䞊䞉郎、突砎する、第2回具䜓矎術展, 1956幎、2012幎にプリント

有名な村䞊䞉郎のパフォヌマンスを撮圱した倧蟻の写真䜜品
これも「2019幎アゞア倪平掋賌買委員䌚の資金提䟛により賌入」ずのこずなので、最近収蔵されおいる

倧蟻枅叞, ç”°äž­æ•Šå­ã€ã€Œã‚šãƒ¬ã‚¯ãƒˆãƒªãƒƒã‚¯ãƒ‰ãƒ¬ã‚¹ã€ã€ç¬¬2回具䜓矎術展 , 1956幎、2012幎にプリント

田䞭敊子の電気服パフォヌマンス写真
田䞭の絵画䜜品の展瀺には、この写真も䞊べおほしいずいうか、䜕かしら配慮しおほしいず思う
でないず平面に閉じ蟌められ、その先駆性の倧郚分が死ぬからだ
このテヌト・モダンに䞊ぶ50幎代のどの䜜品ず比べおも、田䞭のやっおるこずが䞀番尖っおる

「゚レクトリックドレス」は、手塗りの赀、緑、黄、青の点滅する電球で䜜られた着甚可胜なアヌト䜜品です。田䞭敊子は、テクノロゞヌずアヌトを融合させた実践を行った最初の具䜓のアヌティストの䞀人でした。圌女は1950幎代の新しいネオンで満ちた日本の郜垂颚景にむンスパむアされたした。この䜜品は、パフォヌマンスを行う間に着甚するこずを意図しお蚭蚈され、小さな電気ショックを着甚者に䞎えるこずができ、圌らが光の電球の物質的な特性ず盎接的に察話するこずを可胜にしたした。

田䞭竜児, ç”Ÿ(9), 1962-3

パンリアル矎術協䌚ず具䜓、どっちにも所属したこずがある珍しい人
䜜品初めおみたが、確かに日本画感ある
62幎ずいうこずはアンフォルメル以降だが、ほずんど流されおない感じがしお匷い
解説では癜髪䞀雄ぞの蚀及があり、癜髪のネヌムバリュヌがよくわかる

田䞭隆二は、京郜垂立絵画専門孊校で日本画を孊びたした。別の具䜓のアヌティストである癜髪䞀雄も圌ず䞀緒に孊びたした。日本画では、顔料に糊を混ぜお固定剀ずしお䜿甚したす。これを筆で塗りたす。この䜜品では、田䞭は鉱物顔料に小石を加え、矜を䜿っお絵の具を塗るこずで、䌝統的な日本画のスタむルず技法に挑戊したした。

名坂有子, 無題, 1964

名坂有子の䜜品、本物初めおみた
「2017幎 アヌト賌入基金により賌入」ずのこず

名坂有子 生たれ 1938幎 日本で掻動

無題 / 1964幎
合成ペむント、プラスタヌず接着剀を綿に塗り、朚補ボヌドに取り付け

この䜜品は8枚のプラスタヌパネルから成り立っおいたす。氞島掋子は陶噚の車茪を回しながら、プラスタヌにパレットナむフで暡様を圫りたした。その埌、圌女はプラスタヌにダヌクブルヌのラッカヌ塗料を斜したした。テクノロゞヌを駆䜿した䜜品を詊みた具䜓アヌティストの䞖代の䞀人です。圌女の䜜品は、工業玠材を䜿甚し、日本の急速な経枈成長を象城しおいたす。

前川匷, äºŒã€ã®æŽ¥ç¶šç‚¹,1962幎

麻垃にこだわりのある前川匷の䜜品
前川䜜品も初めお芋た

前川匷 1936幎生 日本で掻動

二぀の接続点 1962幎
キャンバスに油絵の具ず麻垃

二぀の接続点を創るために、前川は麻垃の切れ端を配眮したした。麻垃は元々米袋などに䜿われる垃で、キャンバスに固定し、その䞊に油絵の具を泚ぎ、瞫い、捩じり、匕っ匵るこずで、抜象的なテクスチャヌを創り出したした。このプロセスは、画面の倖偎にある物質的な゜ヌスを探求するこずで、絵画ずは異なるむメヌゞを生み出したす。前川は具䜓掟の重芁なメンバヌで、圌らの䜜品は日垞的な玠材や工業的な方法を採甚し、絵画ずパフォヌマンスの関係性を探求しおいたす。

この他に小野田寊の、もう絶察に小野田寊以倖ありえない䜜品もあったが、写真がひどかったのでここには茉せおない

党般的に収蔵されおる具䜓の䜜品は
・前期具䜓のパフォヌマティブな䜜品
・60幎以降、具䜓第二䞖代の平面䜜品

ずなっおおる
こうするこずで、そもそも具䜓が䞀番茝いおるずころのず、アンフォルメル以降の぀たんなくなったずいわれる平面䜜品が倚くなり始めた具䜓の姿の、䞡面を芋せるこずができる

たぶんこのキュレヌタヌもそう思っおるず思うが、「具䜓はアンフォルメルに収れんしおいっお぀たんなくなった説」は衚面的すぎる

テヌトモダンの党䜓的かんそういい加枛疲れた・・・

駆け足でみたテヌトモダンはこんな感じである
もっずバ゚る展瀺いっぱいだったが、鑑賞の事情もあっおずっおない
リキテンスタむンの郚屋ずかは授業䞭だったりした

で、ずりあえず芋た感想を挙げおきたい

  • 自囜の䜜家を頑匵っお玹介しおる
    たじでこれ。堂々ずむブ・クラむンの前に食る
    倖囜の矎術通で展瀺されないんなら、自囜の矎術通に眮くべき
    どっちかっおいうず、日本はこの逆をやっおる気がする

  • 郚屋ごずに傟向がわかりやすい
    で、↑を可胜にするのがこの「傟向ごずのたずめ」である
    なんか「色圩ず圢」みたいな郚屋なら有名無名問わず、そういう傟向の䜜品をならべられる。クラむンずケリヌずしらん人䞊べる理由ができる
    たあ単玔に芋る方にずっおもわかりやすいずいうのももちろんある

  • ガキが倚い
    ここだけじゃないが、これはマゞでショック
    小孊生くらいのガキがマレヌノィチの絵にたかっおる
    自分は矎術教育すべき掟じゃないが、もしたたたた才胜ある子がいたら、そい぀はものすごいスタヌトダッシュ決めそう
    斎藀矩重がたたたたガキのころロシアの䜜家の展瀺芋お目芚めた、っお話しおたず思うがその発生率増やせる

  • 矎術通の職員がめっちゃしゃべっおる
    客いなくおもがやがやしおる
    日本だず文句出そうだが、さっき曞いた通りガキが走り回っおるのでぜんぜん気にならない
    おかげでこっちもふ぀うに䌚話できる

  • 日本の䜜家すげえ取り䞊げられおる
    マゞでっおくらい扱い倧きいが、その反面いろいろ思うずころある

マレヌノィチの䜜品前で䜕か熱心にをずるども

日本代衚は「具䜓」な件

䞀番倧きく取り䞊げられるのが「もの掟」じゃなく「具䜓」だっおこず
これはある意味しょうがないずころがあっお、具䜓はちゃんず「具䜓グルヌプ」が存圚するのに察し、もの掟は別にグルヌプじゃない
なので矎術運動䜓ずしおの玹介のしやすさは具䜓だろう

たた、単玔に掻動のレベルずしおも50幎代にパフォヌミング、テクノロゞヌアヌトをやった具䜓は䞖界的に芋お異垞な目線の高さにいる
ポロックはアクション・ペむンティングやっおたかもしんないが、こっちは癜髪がセメントの䞭のたうちたわっお、元氞はビニヌルに色氎ためお、村䞊は玙に䜓圓たりし、田䞭は電気服着お螊っおたんだから、「ペむンティング」どころの隒ぎじゃないたあ、それを圓時の批評家は完党にスルヌしたんだけど・・・

䞀方の「もの掟」は、ちゃんずリアルタむムで理論化しようずしおた矎術運動ずしお画期的なものだったが、䞖界的なミニマルアヌト、プラむマリヌ・ストラクチャヌの朮流があった䞭なので、突き抜けお先行しおたかず蚀われるず若干もにょる

なので珟代矎術の䞭で、それもWW2盎埌に起こった矎術運動ずしお芋るず、「具䜓」が䞖界的にみおも皀有なものずしお評䟡されるのは正統だろう

もちろん、もの掟も無芖されおるわけじゃなく、テヌトモダンでも実質的に語られおはいる
菅朚志雄、小枅氎挞、高束次郎、ずいった真正もの掟からもの掟呚蟺の䜜家、そんで菅の掻動他を写真に収めおきた安斎重男がいれば、十分フォロヌできおるずいえる

で、この具䜓ずかの垞蚭展瀺が日本東京ではない件

たじで困る
なんでっお、こういうこずが起きる

テヌト・モダンに䞖界䞭から客が来る
 ↓
みんな「Gutai」を芋お興奮する
 ↓
本堎の日本で「Gutai」をもっず芋たくなる
 ↓
札束持っお来日する
 ↓
ねえんだな、そんな矎術通・・・・

倧阪䞭之島矎術通ならただ少しは垞蚭にある倧うそ、垞蚭ないが、東京はさらに壊滅的だ
珟代矎術も浮䞖絵みたいなこずになりそう

おえかきコヌナヌ

などず蚀い぀぀テヌトモダンを埌にするのだった
ダペむに芋守られお

※くっそ長くなったので2日目のこの埌は別蚘事にするわ

やよいのおかげで日本珟代矎術に察する芖線は
だいぶ違っおる気がするのでマゞで感謝すべき


いいなず思ったら応揎しよう