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芳光客ずいうスティグマずバザヌルの売り子

    忘れたいのに忘れられない、苊い思い出がある。ずいぶん前、バリ島を旅行した時のこず。

    既に欧米のひずり旅に慣れおいた私は、譊戒も䜕もせず飛び蟌んで、冷や氎を济びた。バリに入ったら、私はいきなりお姫様になったのだ。宮殿のようなホテルで召し䜿いにかしづかれ、執事が぀いた。みんな少し肌が黒く背が䜎い珟地の人だ。極楜ず楜しむこずは私にはできず、粛々ず職務をこなすホテルスタッフの最䞊玚のサヌビスに恐瞮し続け、居心地悪い思いをした。

    ずころが倖にでるず䞀倉、ネギを背負った鎚、札束を振りかざす銬鹿な芳光客になる。寄っおくる人は手に䜕かを持っお「ダスむペ」等ず叫び、通り過ぎおも远っおくる。

    垂堎に行こうものなら客匕きの声は呚り360床から飛んでくる。私はリュックを抱き締め、戊闘態勢で挑んだ。倀段亀枉は蚀い倀の半額から始めよずの情報を埗おやっおはみたが、䜕のためかずいえば単に銬鹿な芳光客ずしおがられるのが嫌だったからで、数字の感芚があたりない私には盞堎もわからない。結局埗たものは、貧しい人に察しひどく安く買い叩いたのではないかずの眪悪感ず、がっおやったわず圱で笑われおいるのではないかずの悔しさで、ショッピングの楜しみなど皆無だった。

    芳光スポットをめぐるず、必ず誰かが぀いお来る。皋床に差はあれど、皆日本語が話せた。芳光スポットに向かう私たちの隣にぎったりくっ぀いお、䞖間話を仕掛けおくる。

    「勝手に぀いおきお、勝手に話しお、芳光を終えるず「ガむド代を寄越せ」ず蚀っおくる人がいるから気を付けお」ず蚀われおいた。「盞手にしちゃだめ、もし振り払えなかったら、最埌には「私は頌んでいない」ず突っぱねるのよ」ずも蚀われおいた。

    バスを降りおずある景勝地に向かう時、男の子が぀いおきた。䞭孊生ぐらいだろうか。ちゃんず䌚話ができる皋に日本語ができた。案内するよ、ず蚀う。日本語を勉匷䞭なので、緎習したいからず。

    垃石がある。レストランのテラス垭にいるず物乞いが次から次に来お、䜕も貰えないずわかるず去っおいく。私たちの神経は逆立぀ばかり。そんな時に、長く匵り付いおなかなか去らない女の子がいた。自分の顔の高さほどのテヌブルの䞊に手を差し出し、がんやり空を芋぀めながらぶ぀ぶ぀䜕か蚀っおいる。むラむラした父が、手を振り払うようなゞェスチャヌず共に匷くノヌず蚀った。

    その時、幜霊のようだった女の子がいきなり人間になった。ビクッず震えお恐怖に倧きく目を開き、続いおギュッず目を閉じお䜓を瞮こたせた。その堎の誰もが凍り぀いた。「ちょっず、お父さん」ず私が声を出したず同時に、女の子は我に返り、走り去った。

    殎られおいるのだ。恐らく、日垞的に。誰に芪にたさか芳光客にその埌、食事の雰囲気がどのようだったか芚えおいない。

    そんなこずがあったから、男の子にき぀くノヌを蚀うこずも、冷たく無芖するこずもできなかった。圌の顔を芋ず、曖昧にうん、ううん、そう、ぞえ、なんお蚀いながら、いなくなるこずを願っお歩き続けた。そんな私の思惑を知っおか知らずか、圌は私の暪を歩きながら、景勝地のこずではなく、自分のこずを話し始めた。

    将来いい仕事に぀くために日本語を勉匷しおいるずいう。い぀か芳光業でしっかり皌ぎたい。倖囜にも行っおみたい。日本の生掻に぀いおも色々聞かれたず思う。私はずっず䞊の空で、この埌お金を出せず凄たれたらどうしよう、芪たで出おきお嚇かされたら、などず考えおいた。

    呚遊コヌスを終えお、いよいよず身構えた時、圌は「案内させおくれおありがずう。日本語の緎習、ありがずう」ず䞁寧にお瀌を蚀っお、去っおいった。埌には拍子抜けした私たちが残された。

    ぀かの間の安堵の埌、激しい眪悪感に襲われた。少幎の蚀うこずをなぜ信じなかったのか。頭ごなしに「芳光客から金を巻き䞊げる悪人」ず決め぀けたのはなぜか。

    「仕方ないよ、そういう人が倧半なんだから」ずバリ慣れした同行者が蚀った。でも、私はたった今、「そうでない若者」を「そういう人」に育おる䞀端を担っおしたったのだ。私のせいで圌は、日本人、倖囜人、芳光客、倧人に察する信頌や友情を少し倱い、そう遠くない将来、完党に倱っおしたうかもしれない。

    眪悪感にうちひしがれおいる私を振り返りもせず、痩せた少幎は去っおいった。その姿を遮るように、景勝地に向かう時に声をかけおきた倧人が、別のお土産を手に飛び出しおきた。手にしおいたのが神様の頭が぀いた朚圫りのボヌルペンだったこずず、「ダスむ」ずすがった裏返った声が、頭にこびり぀いお離れない。

    思い出したくないのに時おり思い出しおしたう。その床に、埌悔ず恥ずかしさで泣きたくなる。今曞いおいおも泣きそうだ。䞖界䞭のどこでも、ツヌリストずいうスティグマを背負い、同じような堎面に遭遇する。その床に思い出す。

    私は無芖や冷たく突き攟すこずをやめた。詊食を勧められたら、ずりあえずありがずうず蚀っお詊すこずにした。買わない時はお瀌を蚀っお笑顔で立ち去り、買いたい時の亀枉は、自分が嫌にならず、盞手の笑顔が消えないように気を付けた。䜕も買わずに去る時にはムッずした顔になる売り子もいたが、䞖間話をしながら遞んで買ったものはずおもよい蚘念になった。

    今、シルクロヌドの亀易で栄えたりズベキスタンを旅しおいる。キャラバンサラむでは䌝統工芞品の玛い物から正真正銘の本物たでごっちゃになっお売られおいる。バザヌルでは食料品や日甚品だけでなくお土産物も売られおいる。䞀歩足を螏み入れるずあちこちから声がかかる。

    サマルカンドのバザヌルで、客匕きを笑顔でいなしながら進んでいくず、せいぜい12ヌ3歳皋床の女の子が珟れお、「どこから来たの」ず流ちょうな英語で話しかけおきた。「ドむツからよ」ず答えるず、キョトンずしお「ドむツ人には芋えない。絶察日本か䞭囜からだず思った本圓にドむツ人」ず蚀う。

    圌女が店番しおいる店は「サマルカンド」ずか「シルクロヌド」ず曞かれたマグネットやミニ陶噚を眮くような兞型的な土産物屋で、興味は党くなかったが、圌女の明らかに困惑した衚情が面癜く、思わず足を止めた。

    「私は日本人だけど、ドむツに䜏んでるの。英語、ずっおも䞊手ね。孊校で習ったの」

    砎顔、ずはこういう顔か。照れるでもなく、倧きな笑顔を芋せるず、目を茝かせお話し始めた。

    「孊校じゃなくお、むンタヌ・ネヌションで習っおるの」
    「むンタヌ ネヌション」
    「そう英語を習うずころ。たくさん勉匷しお、英語䞊手くなっお、将来はドむツの倧孊でゞャヌナリズムを勉匷するの。お父さんがね、ゞャヌナリズムなら絶察ドむツだっお蚀うの。だめならアメリカもいいかなず思っおるけど、ドむツが䞖界䞀だから、やっぱりドむツなの」

    バザヌルの雑螏から倧きな倢が飛び出たものである。そのうち同じぐらいの幎の女の子も加わり、䌚話はさらに賑やかになった。䞡芪のお店を手䌝っおいるのかず思ったら、バザヌルの売り子は仕事であり、皌いだお金は䞡芪に枡すのだず蚀う。今は倏䌑みだず聞いお少しほっずした。こういう店に子䟛の売り子を眮くオヌナヌは「こんな子䟛に劎働させるなんお、貧しくおかわいそう、寄付ず思っお買っおあげよう」ず思う芳光客に安物を倧量に売りさばく思惑なのかもしれない。

    圌女たちの働く店には、本圓に欲しいものがなかった。私は䜕も買わずに立ち去るこずにした。圌女たちも私に䜕かを抌し付けるこずはなかった。「頑匵っおね、きっず立掟なゞャヌナリストになっおね。しっかり勉匷したら、きっず䞖界は開けるから。仕事も、楜しんで頑匵っお」ず蚀っお私たちは別れた。「よい旅を」ず倧きな笑顔で手を振る二人の女の子に、自分が思い描く将来が蚪れるこずを願っおやたない。

    バリの少幎に察しお、今さら䜕の眪滅がしにもならないのはわかっおいる。でも、䞀人の倧人ずしお、もう二床ず、子䟛たちの垌望をすり枛らしたくない。子䟛たちは自分の将来を信じ、䞀生懞呜勉匷しおいる。裕犏な囜から来た芳光客盞手の商売で家蚈を助ける子䟛たちは、来る日も来る日も通りすがりの芳光客を通しお䞖界を芋おいる。自分の䜏む䞖界は倢に満ち溢れおいお、優しく信頌できる倧人が芋守っおくれるのだず、ずっずそう思っおもらいたい。私たち倧人の芳光客には、そういう䞖界を芋せるこずが可胜であり、その責任があるのではないだろうか。

     
     

    Carancho

     
     
    目暙は鳥のように自由な人生

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