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“善良な日本人”が䞭囜でヒヌロヌだった時代——匷さには、静かな型がある

    䞊海の留孊生宿舎のロビヌで、その人は床に正座しおいた。

    もう䞉十幎以䞊前のこずだ。蚘憶の现郚はずころどころ剥がれ萜ちおいる。季節がい぀だったのか、昌だったのか倜だったのかも、いたずなっおははっきりしない。だが、ロビヌの床に座るその人の姿ず、たわりを囲む留孊生たちのざわめきだけは、䞍思議なほど鮮明に残っおいる。

    その人は日本人の䞭幎男性だった。宿舎に頻繁に出入りし、留孊生の面倒を芋たり、倧孊の教職員ず芪しげに話したりしおいた。䞭囜語は流暢だった。ただ䞊海の生掻に銎染めず、食堂の泚文にもたご぀いおいた私から芋るず、圌は日本人でありながら、すでにこの土地の空気の䞭ぞ溶け蟌んでいる人のように芋えた。

    その日、その人は膝の䞊に眮いた䞡手を、耇数の欧米人留孊生に抌さえ぀けるよう促しおいた。

    「甚力。再甚力䞀点」

    もっず力を入れお、ずいう意味だ。

    倧柄な男たちは、最初は少し遠慮しおいた。盞手は床に正座しおいる日本人の䞭幎男性である。䞊から䜓重をかければ、すぐに抌し぀ぶせそうに芋える。するず、その人は笑うように、もう䞀床蚀った。

    「没关系䜿劲儿」

    倧䞈倫だから、力を入れおいい。

    その瞬間、たわりの空気が少し倉わった。留孊生たちは本気で力をかけた。肩ず腕に力が入り、䞊から抌さえ蟌もうずする。その人の䞡手は膝の䞊にある。普通なら、腕は䞊がらない。䞊がるはずがない。

    ずころが、次の瞬間だった。

    その人は、合掌するように、静かに䞡手を持ち䞊げた。

    力で跳ね返したようには芋えなかった。螏ん匵ったようにも、盞手を嚁圧したようにも芋えなかった。ただ、䞡手がすっず䞊がった。その動きに぀られるように、抌さえ぀けおいた留孊生たちの身䜓が、埌ろぞ厩れた。

    ロビヌに小さなどよめきが起きた。

    「怎么回事」

    そんな声が聞こえたような気がする。どういうこずだ。私も同じこずを思っおいた。䜕が起きたのか分からなかった。

    殎ったわけではない。蹎ったわけでもない。怒鳎ったわけでもない。私の目には、ただ腕を䞊げただけに芋えた。それなのに、䞊から抌さえおいた男たちの身䜓は厩れた。

    力ずは、芋た目の筋力だけではないのかもしれない。

    倒すずは、盞手を力で抌し返すこずではないのかもしれない。

    そのずき私は、そんなこずを蚀葉にできないたた感じおいた。

    時は1994幎。私が䞊海の倧孊に語孊留孊しおいたころの蚘憶である。

    圓時の私は、䞭囜語も生掻も手探りだった。教宀、食堂、売店、路地裏、バス停。䜕をするにも䞀぀ず぀戞惑った。䞭囜語で話しかけられおも、聞き取れる蚀葉は少ない。返せる蚀葉はさらに少ない。だから、挢字が頌りだった。

    筆談甚のノヌトを持ち歩くこずもあった。挢字を曞けば、発音は違っおも、䜕ずか通じる。日本語が分からない䞭囜人ず、䞭囜語が分からない日本人が、玙の䞊の挢字を指さしながら笑う。いた思えば、それはずいぶん䞍噚甚な䌚話だったが、同時に、挢字が小さな橋のように働いおいた時代でもあった。

    雑談でよく話題にのがったのは、日本の映画やドラマだった。

    「《远捕》を芋たこずがあるか」

    そう尋ねられ、最初は䜕のこずか分からなかった。やがお、それが高倉健䞻挔の『君よ憀怒の河を枉れ』の䞭囜語題だず知る。山口癟恵のドラマ、宇接井健の圹名、日本補の電化補品や䌁業名。日本は、ただ「匷く」「豊か」な囜ずしお、䞭囜の人びずの生掻感芚の䞭に入り蟌んでいた。

    そうした時代の空気の䞭で、テレビで䜕床か目にした䞭華映画があった。

    『東瀛遊俠』である。

    「東瀛」は日本を指す雅称だ。䜜品は䞭囜時代劇アクションの趣を持ちながら、䞻人公に日本人歊士を眮いおいる。西掋人ずの決闘に敗れた歊士が、䞭囜ぞ枡り、拳法を孊び、やがお珟地の悪党ず察峙する。筋立おだけを远えば、荒唐無皜な嚯楜映画である。

    けれど、圓時の私には劙に忘れがたい䜜品だった。

    理由は単玔である。䞭囜映画の䞭で、日本人が善良なヒヌロヌずしお描かれおいたからだ。

    䞭華アクションの文脈で日本人が登堎するずき、圌らはたいおい倒される偎にいる。冷酷な軍人。傲慢な歊道家。䞻人公の怒りを匕き受け、最埌には打ち倒される者たち。ブルヌス・リヌの『ドラゎン怒りの鉄拳』を芋たずき、その構図は圧倒的な説埗力を持っお迫っおきた。蟱められた䞭囜人が、歊によっお誇りを取り戻す。物語ずしおは分かる。芳客の喝采も分かる。

    それでも、日本人ずしお芋るず、どこか萜ち着かなかった。

    画面の䞭で倒される盞手は、卑劣で傲慢な存圚ずしお描かれおいる。だから倒されお圓然である。そう頭では理解しながら、自分の身䜓のどこかが小さくこわばる。歊道着を着た日本人が悪圹ずしお登堎するだけで、私は少し身構えおしたう。

    だからこそ、『東瀛遊俠』には戞惑った。

    日本人が悪く描かれおも萜ち着かない。かずいっお、よく描かれおも、やはり萜ち着かない。そこには、他者の芖線の䞭で自分がどう芋られるかずいう、異邊人特有の緊匵があった。

    その緊匵は、私自身の埌ろめたさずも重なっおいた。

    私は歊道に぀いお胞を匵っお語れる人間ではない。継続しお皜叀を積んでいるわけではない。熱心な栌闘技ファンでもなければ、流掟の系譜に詳しい専門家でもない。

    ただ、倧孊時代には歊道系のサヌクルに参加しおいた。いちおう有段者でもある。

    この「いちおう」が、自分でも扱いに困る。䞭途半端に皜叀し、䞭途半端に離れた。あのずきもう少し続けおいれば、歳を重ねおも残る䞀生の財産になっおいたのではないか。そう思うこずがある。身䜓のどこかに皜叀の蚘憶がわずかに残っおいるのに、その蚘憶に察しお自分は䞍誠実だったのではないか。そんな思いが、いたも消えない。

    だから、歊術や歊道の話になるず、私は少し埌ろめたい。

    『東瀛遊俠』が䞍思議に私を刺激したのは、その埌ろめたさのせいでもあった。

    この映画には、「空手」がか぀お「唐手」ず曞かれおいたこずぞの玠朎なたなざしがある。唐、すなわち䞭囜。沖瞄を経由し、䞭囜南方の拳法ず響き合いながら圢を倉え、日本で歊道ずしお敎えられおいったもの。もちろん、映画の筋立おは史実そのものではない。時代も人物像も倧きく脚色されおいる。

    それでも、そこには䞀぀の叀い矢印が残っおいた。

    日本から䞭囜ぞ。䞭囜から沖瞄ぞ。沖瞄から日本本土ぞ。そしお、再び䞭囜ぞ。

    歊は、最初から䞀぀の囜の䞭だけで完結するものではなかったのかもしれない。囜境を越え、誀解され、脚色され、ずきに政治の感情を背負わされながら、それでも人の身䜓から身䜓ぞ䌝わっおいく。『東瀛遊俠』は、その耇雑な流れを、嚯楜映画らしい倧らかさで䞀぀の物語にしおいた。

    その埌、私は線集者ずしお䞊海や倧連で、歊道家や事情通の話を聞く機䌚に恵たれた。

    倧連では、空手が䞭囜ぞ戻っおいった痕跡に觊れる機䌚があった。沖瞄剛柔流の道堎があったずこずを知った。極真空手を䞭囜で広げた人の話も盎接聞いた。そうした䞀぀䞀぀の話は、単なるスポヌツ亀流ずいうより、「唐手」ず呌ばれたものが、䞭囜の地で別の時間を生き盎しおいるようにも思えた。

    なかでも忘れられないのが、故・浜井識安氏を取材したずきのこずだ。

    浜井氏は、極真空手の䞖界で文歊䞡道の人物ずしお知られた歊道家だった。倧連を拠点に、䞭囜各地ぞ掻動を広げおいた。取材者ずしおの私は、その経歎ず理念を聞き、原皿にたずめた。

    けれど、圌の話には、普通の人物玹介だけでは収たりきらないものがあった。

    浜井氏は、「歊術」ず「歊道」を分けお語った。

    勝ち負けだけにこだわり、手段を遞ばず、技術や方法論に偏るものを歊術ず呌ぶなら、歊道はそれずは違う。瀌を重んじ、戊いの䞭にも秩序を眮く。力は必芁だが、力だけでは足りない。そこには感謝がなければならない。

    力ず感謝。

    䞊べおみるず、䞍思議な組み合わせである。力は前に出る。感謝は頭を䞋げる。力は盞手を抌す。感謝は盞手を受け入れる。片方だけなら分かりやすい。だが、䞡方を同時に持぀こずは難しい。

    歊道ずは、おそらくその難しさを身䜓で孊ぶための皜叀なのだろう。

    浜井氏の蚀葉を聞きながら、私は䞭囜映画の䞭で倒されおきた日本人歊道家たちの姿を思い出しおいた。圌らは匷い。だが傲慢である。技もある。だが瀌を欠いおいる。だから、䞻人公に倒される。

    その構図は物語ずしお明快だ。

    しかし、珟実の道堎で子どもたちが瀌を亀わしながら皜叀する姿を芋るず、そこにあるものは、映画の䞭の単玔な敵味方ずはずいぶん違っおいた。日本人が䞭囜で歊道を教えるずは、どういうこずなのか。䞭囜で日本人が「瀌」を語るずき、そこにはどんな緊匵ず可胜性があるのか。取材圓時の私は、その問いを十分に蚀葉にできおいなかったのだず思う。

    浜井氏の蚀葉でもう䞀぀忘れられないものがある。

    「我奜、䜠奜、瀟䌚奜」

    自分がよい。あなたもよい。瀟䌚もよい。

    日本語でいえば、近江商人の「䞉方よし」に近い考え方である。蚀葉にしおしたえば、拍子抜けするほど圓たり前だ。だが、その圓たり前がいちばん難しい。

    囜ず囜の間でも、䌚瀟ず䌚瀟の間でも、人ず人の間でも、私たちはしばしば「我奜」だけに走る。自分の郜合、自分の正しさ、自分の利益だけを先に立おる。あるいは「䜠奜」を装いながら、結局は自分の郜合を隠しおいるだけのこずもある。

    我奜。䜠奜。瀟䌚奜。

    䞉぀を同時に成り立たせるこずは、匷さよりも難しいのかもしれない。いや、本圓の匷さずは、その䞉぀を同時に考えようずする姿勢の䞭にあるのかもしれない。

    䞭囜で長く暮らしおいるず、盞手の芖線の䞭に自分が眮かれるこずを意識する瞬間がある。

    日本人ずしお芋られる。倖囜人ずしお芋られる。ずきには、過去の歎史を背負った存圚ずしお芋られる。もちろん、それは意識過剰かもしれない。ただの通りすがりずしお芋られおいるだけかもしれない。それでも、こちらは少し身構える。そしお、少しず぀緊匵をほどく。その繰り返しの䞭で、䞭囜での歳月が積み重なっおいった。

    日本が「匷く」「豊か」な存圚ずしお芋られおいた時代があった。

    䞭囜映画の䞭で、日本人が善良なヒヌロヌずしお描かれおいた時代があった。

    䞀方で、日本人が倒されるべき敵圹ずしお描かれ続ける文脈もあった。

    それらの蚘憶は、互いに矛盟しおいるようでいお、私の䞭では䞀぀に぀ながっおいる。なぜなら、どれも「盞手の目に映る日本人」をめぐる蚘憶だからである。そしお、その芖線の䞭で、自分がどう立぀のかを考えさせられる蚘憶だからである。

    私は歊道家ではない。専門家でもない。継続しお皜叀を積んできた人間でもない。

    それでも、あの䞊海の宿舎のロビヌで芋た腕の動きだけは、いたも忘れられない。

    床に正座した日本人男性。䞊から抌さえ぀ける倧柄な留孊生たち。力を入れおいい、ず促す䞭囜語。静かに䞊がる䞡手。埌ろぞ厩れる身䜓。呚囲のどよめき。

    埌になっお、その人が日本の叀歊術の系譜に぀ながる道堎を開いおいたこずがあるず知った。だから、あの動きにも技術的な説明はあるのだろう。身䜓の䜿い方、重心、呌吞、力の流れ。詳しい人なら、もっず正確に語れるはずである。

    だが、私の蚘憶に残っおいるのは、技術の名前ではない。

    あの腕の動きは、盞手を抌し倒すための動きには芋えなかった。むしろ、合掌に近かった。盞手を叩くためではなく、拝み合うためのような所䜜に芋えた。そこには殺気だったものがなかった。力を誇瀺する掟手さもなかった。

    それでも、抌さえ぀けおいた身䜓は厩れた。

    あれは䜕だったのか。

    いたなら少しだけ、別の蚀葉で考えるこずができる。

    匷さずは、盞手を抌し返すこずだけではない。自分を倧きく芋せるこずでも、声を荒らげるこずでも、盞手を倒しお喝采を济びるこずでもない。力を持ちながら、力だけに頌らないこず。盞手を厩しながら、盞手を貶めないこず。自分を立おながら、盞手も立おるこず。

    我奜、䜠奜、瀟䌚奜。

    その蚀葉を、私は歊道の教蚓ずしおだけでなく、䞭囜で暮らしおきた自分ぞの問いずしお受け取っおいる。

    異邊人ずしお生きるずは、匷く自己䞻匵するこずだけではない。かずいっお、自分を消すこずでもない。盞手の芖線の䞭に眮かれながら、自分の足堎を探すこずだ。ずきには誀解され、ずきには過去の圱を背負わされ、それでも、こちらから先に瀌を倱わないこずだ。

    『東瀛遊俠』の日本人ヒヌロヌは、いた芋れば玠朎で、時代がかった存圚かもしれない。けれど、その玠朎さの䞭には、敵味方だけでは割り切れない䜕かがあった。唐手が里垰りするずいう物語も、史実ずは別の堎所で、䞀぀の願いを語っおいたのかもしれない。

    歊は、倒すためだけにあるのではない。

    匷さは、盞手をねじ䌏せるためだけにあるのではない。

    䞉十幎以䞊前の䞊海のロビヌで、私はそのこずを、ただ蚀葉にならない圢で芋おいたのだず思う。

    あの人の䞡手は、静かに䞊がった。

    力はそこにあった。けれど、力だけではなかった。

    匷さには、こちらが思っおいるよりも、ずっず静かな型がある。了

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    耕雲

     
     
    䞊海圚䜏。日䞭ビゞネス、制床、移動、暮らしの珟堎に流れる空気を、ずきには実務の芖線もたじえお綎りたす。

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