
心は鏡に映るのか。
子供の頃、私はよく鏡文字を書いていた。
「あ」と書いたつもりが反転した「あ」になってしまうのだ。
「3」は「Ɛ」になるし、アルファベットもよく反転していた。
自分では普通に書いているつもりなのに、油断すると左右がひっくり返る。
そんな私だから、小学校のポスター制作でも失敗した。
確か環境問題についてのポスターだったと思う。
一生懸命描いた絵の横に、大きく文字を書き入れた。
それは見事な鏡文字だった。
私は、結構落ち込んだ。
自分なりにデザインにもこだわったし、他の誰とも被らない工夫もした。
なのに文字が読めないんじゃ、意味がない。
ぐへー、やってらんねー。と脱力している私をみて、先生が言った。
「とてもいいね、どんどん描いてごらん。」
私は不思議だった。
だって文字が反対なのだ。
本来とは逆を向いている。
私は自分の鏡文字の癖に慣れているから、スルスルと読める。
でも先生はこんなの読みにくいはずだ。
それなのに先生は「良い」と言い、なんならデザインも褒めてくれた。
子供ながらに、その言葉は妙に印象に残った。
大人になった今も、時々この時のことを思い出す。
文字というのは不思議だ。
昔から「字は人を表す」なんて言う。
丁寧な字。
乱暴な字。
優しい字。
急いだ字。
確かに文字というものは、その人の心が滲む気がする。
もし文字が心を映すものだとしたら。
鏡文字ばかり書いていた私の心は、一体どんなのだったんだろう。
さっぱり分からないけど、これだけは分かる。
私が伝えたかったことは、明確に私の中にあった。
文字の向きは反対でも。
線の流れが逆でも。
「伝えたい気持ち」そのものは、しっかりそこにあったのだ。
鏡の前で手を振る。
鏡の中の私は、反対の手を振っている。
右と左は逆になる。
けれど、それが私であることは変わらない。
きっと、心もこれと同じなのだ。
鏡に映れば左右は反転する。
それでも、そこに映っているのは、やっぱり自分だ。
そして最近、息子が鏡文字を書いた。
紙いっぱいに描かれた、反対向きの文字。
私はそれを見て、思わず笑ってしまった。
なるほど、ちゃんと読める。
何を書きたかったのかも、しっかり分かる。
「伝えたい気持ち」が、自由で奔放に、尻尾を振り乱して駆け回る犬みたいに、ここに在るよ!と伝えてくれている。
その瞬間、二十年以上前の教室がふっと頭に浮かんだ。
そして、分かった気がした。
先生は、読みにくい鏡文字を読んでいたんじゃない。
私の気持ちを、読んでくれていたのだ。
あの日の言葉は、文字だけに向けられたものじゃなかった。
あれはきっと、不安そうな顔でポスターを見つめる、ひとりの子供に向けられた言葉だった。
息子の鏡文字を見ながら、私は何も言わずに頷いた。
文字はそっぽを向いているけれど、その奥にある気持ちは、ちゃんとこちらを向いている。
そして、渾身のドヤ顔で作品の感想を求めてくる息子に、こう答える。
「とてもいいね、どんどん描こう」