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自分への劣等感を愛する方法、のようなもの

    最近、すごく好きな人がいる。

    その人とは出会ってもすぐ1年だ。今はいろんなところを旅しながら生活するスタイルだけど、なんやかんやと拠点が変わる度に一緒になって、夏も秋も冬も春も一緒に過ごした。

    最初はその人のことは苦手だっと思う。正確に言うと、その人を知れば知るほど、いい部分しか見当たらなくて、そしてそれが私が自分自身に欲しいと思っていた要素だったりするから、要するに嫉妬していただけなんだと思う。だから初めのうちは特に上手く話せてなかった気がする。

    仲のいいグループ内に属していて、二人きりではなく数人で行動を共にすることが多かった。自分の中で何かを警戒していて心を全く開けていなかったし、開くつもりもなかった。今考えると、自分の劣等感が露わになることが怖かったんだと思う。

    それがある時、もういいやって思った。もう、その人のことを本当は好きだと認めてしまおう、本当は憧れていて羨ましくて、だからこそ大好きなんだと負けを認めようと思えた瞬間があった。冬だったな。でも何がきっかけかは特にわからない。仲のいいみんなで一緒に旅行した日だったことは覚えてる。

    そして今では、もっと仲良くなりたいと言う、私からの一方的かもしれないラブコールが頭の中で止まらない。ちょっとキモいね。

    それは私の中で、自分に対する劣等感が消えたわけじゃない。今でもその人を初め、魅力的だと感じる人に出会っては自分と比べてしまうところがある。本当に時間の無駄。何してるんやろ。そのくらい、私の周りは魅力的な人で溢れているということかもしれない。困っちゃうなぁ。

    今、少しずつ、自分の張っていた意地のようなものを解いて、好きな人に自分をさらけ出して、仲良くなれているんじゃないかって感じることが、楽しくて嬉しい。

    そうやって自分の劣等感みたいなものを、認められるようになった自分のことも、少し愛おしく思ってみたりもする。

    人に対する接し方というのは、自分に対する接し方でもあるのかもしれないね。「愛おしい」っていい言葉だ。

    どんなに嫌な人も、落ち込む1日も、自分の劣等感も。愛おしいって言ってみたら可愛く思えて、楽になる気がする。ね?

     
     
    フィルムカメラを片手に旅したり山に登ったり。今は富山の山にいます。ワーホリ体験談のZINE作りました。

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