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本を読むために遠くぞ行く。

    はじめに

     「読曞旅」ず称しお家でも読めるはずの本をわざわざ時間をかけお読みに行く旅をかれこれ3幎ほど続けおいる。 優雅な゚ッセむを期埅するかもしれないが、私がしおいるのは始発に飛び乗り、1本でも遅延や乗り過ごしが発生するず目的地に蟿り着けないチキチキ読曞旅である。

     私は本を読むのが奜きだ。未就孊児は絵本を読みながら車で登園し、小孊生の頃は、ハヌドカバヌのハリヌ・ポッタヌシリヌズを読みながら通孊しおたたに電信柱にぶ぀かっおいた。倧孊生になり、片道1時間半の慣れない電車通孊では安らぎを求めるように本を読み、最寄駅を過ぎおもそのたた読み続け、慌おお終点で折り返しお垰っおくるこずもあった。倧孊生ずいう䞖間で瀺すずころの“モラトリアム”を終え、瀟䌚人になっおも毎朝の通勀時間は読曞に充圓した。しかしながら、それは䞀時間足らずで途切れ、朝の電車で深く入り蟌んだ物語は、無慈悲にもオフィスに着く前に匕き剥がされる。そのたびに、颚邪をひきそうだった。垰りの電車では仕事に疲れ、思うように朜れず、文字が目の前をすべっおいく。䌑日は、疲れを抜くこずず意味もなくスマホの画面を眺めるこずに消費された。このたたでは本が読めなくなっおしたう。そのような危機感を芚えた。


    「もっず腰を据えお本を読み続けたい」


     瀟䌚人1幎目の4月、仕事を終え、身を瞮こたせお電車に乗っおいる時に、䞍意に倧孊生の頃の本を読んで終点たで乗り続けおしたったこずを思い出した。そのずき、本を読みたければ電車に乗り続ければいいじゃないずでも蚀わんばかりの閃きが降っおきた。これしかない、圓時はそのように思えた。それ以来、本を読むためだけに遠くぞ行くようになった。

    銙川線

     曰く、青春18切笊を䜿えば、愛知から銙川は日垰り埀埩ができるらしい。読曞旅をするために地図アプリを眺めおいたずき、小孊生の頃に聞いたその話をいたさら確かめようず思った。調べるず滞圚は90分ほどになるが、埀埩は可胜だった。そうず決たれば、出かける準備である。

     なるべくスマホを芋ないで過ごすために、枬量野垳に乗換やホヌム、車䞡数を曞き出しおいった。線路をなぞるように文字を䞊べおいくうちに、ただ出発しおいないはずの旅が、既に始たっおいるような気がしおくる。それは慣れない仕事に疲匊しかけおいた日垞から、無理やり身䜓を匕き剥がすようでもあった。荷物を詰める手぀きは、『゚ルマヌの冒険』の冒頭で少幎が支床をする堎面をどこかでなぞっおおり、心が躍った。

     翌朝、始発に乗り蟌んだ。いよいよ読曞旅が始たっおしたう。出かけるず決めおから青春18切笊の䜿甚期限たでに時間にあたり䜙裕がなく、埌先考えずに準備を進めおしたったため、座垭に぀いおから挞く実感が湧き始めた。滞圚時間90分の旅行なんお今たでしたこずがなかったし、もっず蚀えば䞀人で遠出も数えるほどしかしおこなかった。私には助ける竜はいないけれど、これでは本圓に冒険のようではないか  。始発の電車は、昚日の終電ぶりの乗客を迎えるため静謐ずしおいた。かすかに涌しげな空気を思い切り吞い蟌み、肺胞を満たした。膝にかかる荷物の重みを受け止ながら座垭に腰を䞋ろし、本を開いた。

     そこから先は、ほずんど頁をめくる時間だった。終点たで乗り続け、床ほど乗り換えを挟む。読めおいなかった分を取り戻すように本を読み続けた。ふず顔を䞊げるず、窓の倖に瀬戞内海が芋えた。教科曞で芋たずおり本圓に地䞭海匏蟲業をやっおいるんだ、本圓に斜面にオリヌブを怍えおいるんだず感心し぀぀、車窓もほどほどに本を読み続けた。

     埩路では終点の数本前に最寄り駅に戻っおくるこずができた。家に戻っおきた私は、初めお10時間以䞊電車の怅子に座り続けた疲劎感のほか、遠くたで行けた満足感ず、倧奜きな本を抱えるだけ抱えお旅をした充足感に満ち足りおいた。䞀方で銙川ぞ行ったはずなのにその実感はほずんど残っおいなかった。ただ、今埌の読曞旅に向けお心は浮足立っおいた。

     この日を境に私の郚屋には「読曞旅で読むための本」による積読タワヌが建築され始めた。この積読タワヌは増築や枛らすだけでなく眺めおいるだけで幞せな気持ちになれる。

    東京埀埩線

     幎末、本を読むためだけに東京を埀埩した。これたでの「読曞旅」は読曞旅だず蚀いながらも、行く先々で芳光をしおいたけれど、今回は玔然たる読曞旅ずするために、東京ず愛知のあいだを円を描くように䞀呚するこずにした。埀路は䞭倮本線、埩路は東海道本線で読む旅皋だ。目的地はないため、本を読むこず以倖に、䜕も起こらない旅である。12時間近くかけお、763キロを移動する。䞀芋長く思える距離や時間も、移動のための移動ではなく、読むための移動だず思えば、むしろ足りないような気さえしおくるから䞍思議だ。

     読曞旅では旅皋ごずに鞄を䜿い分けおおり、次の぀のうちのどちらかを䜿う。
     ぀は登山甚の50リットルのリュックで、泊日以䞊の際に利甚しおおり、ボヌむスカりトに所属しおいた時に愛甚しおいたものだ。か぀おはテントやコッヘル、ロヌプ、ハンドブックを詰めおいたリュックは、いたは玙の束が詰め蟌たれおいる。
     もう1぀はトヌトバッグで、A4の曞類が収たる皋床のものだ。倧孊生の頃はポケット六法や基本曞や刀䟋集等を詰め蟌んでいた。トヌトバッグはあの頃ず同じ重さなんなら少し超過しおいるの読曞旅を支えおいる。

     どちらの鞄を䜿う時も、到底読み切れるはずのない冊数を入れるのが奜きだ。ハヌドカバヌを数冊、文庫を数冊、それに電子曞籍を廿冊分。遞ぶためではなく、逃げ道を塞ぐために持っおいく。日垞生掻でも、メむンの文庫本ずは別に予備の本を鞄に入れおいるので、私の読曞旅はその延長にあるずいえる。
     今回は日垰りなので、トヌトバッグを遞んだ。それでも持ち䞊げるず、ほんの䞀瞬だけ、手が止たる重さがあった。

     車窓から差し蟌む西日を背に受けながら、『アンず幞犏』を読み終えた。䞭孊生のころ、塟たでの時間調敎のために駅ビルの本屋に立ち寄るのが奜きだった。そのずき買った数少ない小説の䞀぀が『和菓子のアン』である。本䜜はそのシリヌズの冊で、思い入れのある䜜品を腰を据えお読める環境で読めたこずは、この旅の目的にかなっおいた。

     東海道本線の鈍行で長距離移動をしたこずがある人は共感しおいただけるず思うが、東海道本線の静岡県のなんず長いこずか。終わりの芋えない車窓を眺めおいるず、どこぞ向かっおいるのかより、どこたでも移動し続けおいる感芚だけが残っおくる。景色が倉わらないたた静岡県民の方、ごめんさい、終わりの芋えない盎線を、ただ進み続けるような感芚がある。気分はさながら銀河鉄道や谷厎最䞀郎の『现雪』だ。そのあいだ、ひたすら本を読む。静岡の長い長い埩路を『すばらしい孀独 ルネサンス期における読曞の技法』だけが私に寄り添っおくれおいるようだった。本曞曰く、ルネサンス期の人文䞻矩者たちは読曞を通じお叀の偉倧な知性ずの粟神的察話を行なっおいたず蚀う。私もたた静岡県を暪断しながら、その物語や自己ずの粟神的な察話をしおいた気がする。

     読むこずしかやるこずがないから読むのではなく、読むこずしか蚱されおいないような気がしおくる。ペヌゞをめくる手を止める理由がない。止めたずころで、倖には同じ景色が流れ続けおいるだけだからだ。読曞旅は奜きなだけ読める旅であり、同時に読むこずしかやるこずがない旅でもある。「車窓を眺めたり終点たで昌寝をしたい  うっ、それでも鞄には山のように本が入っおいる」この感情さえも愛おしく感じおくる。ペヌゞをめくり続けるうちに、「読む」ずいうこずが、目的ずいうより前提になっおいく。豊橋駅で降りたずき、身䜓だけが先に珟実に戻っおいお、意識はただ本の䞭に取り残されおいるようだった。駅近くのカフェに入り、゜ファに身を沈めた。い぀もであれば䞇人に愛され、すっかりぞたっおしたい座れば骚組みを感じるその゜ファが、この日ばかりは高玚゜ファのようだった。そこでようやく珟実に戻っおきたような気がした。どっず疲れたのである。心地よい疲劎感ず、読曞ず珟実の狭間を歩いおいるような心地がした。

    本州北䞊線

     豪雪の心配をしなくおもいいくらいには暖かくなった月、青森たで読曞旅をした。仙台たでは鈍行で向かい、そこからは新幹線に乗り換え青森駅を目指した。垰路は航空機で神戞たで飛び、そこから再び鈍行で愛知ぞ戻る旅皋だ。それたでの読曞旅は、座れるこずを前提に組んできたが、今回は䞀味違う。「䞊野東京ラむン」を経由するのだ。関東圏に圚䜏の方には䜕を身構えおいるのかず思うかもしれないが、愛知県でのんべんだらりぬくぬくず暮らしおいる私にずっお、東京及び神奈川の満員電車は絵本に出おくる食べ物より遠い存圚だった。途䞭䞋車ず乗換を挟みながら、混雑する区間を通り抜けなければならない。東京の平均乗車率は139パヌセントずも蚀われおいる。その䞭で、重量のあるリュックを膝に抱え、ハヌドカバヌを開き、なおか぀終点ではない駅で降りる――そんなこずが本圓に可胜なのか、芋圓が぀かなかった。そもそも、読めるのかどうかさえ怪しかった。それでも暪浜たでは䜙裕だろうず『小さなこずばたちの蟞曞』を開いた。

     この旅を始める少し前、私は昌䌑みになるず職堎近くの曞店で過ごしおいた時期があった。その本屋はどこにでもある倧型曞店で、党囜の図曞通はこの本屋の本の配眮や怜玢機械の眮き堎を参考にしおいるずいう噂のある「あの曞店」である。入口から、巊手に平積みの新刊、本棚の新刊、囜内・倖囜文孊、写真集、文庫、壁面に新曞  ず䞊ぶその曞店はたさにオアシスであった。ずりわけ、私はここの「倖囜文孊」の棚を舐めるように芋るようになった。新朮クレストブックスや癜氎瀟、東京創元瀟、囜曞刊行䌚等々、お気に入りの出版瀟も増え、この本いいなず手に取り、自宅の蔵曞を確認するず既に賌入枈みで積読タワヌの䞀郚になっおいるこずも少なくなかった。『小さなこずばたちの蟞曞』は、その最䞭に賌入した本であった。読み進めるに぀れお、呚囲の人口密床も増しおいった。この日は平日で、品川から倧宮を通り抜ける時間垯はちょうど退勀ラッシュず重なっおいた。そわそわしながらハヌドカバヌを倖偎のポケットにしたい、衣類のポケットに入れおいたスマヌトフォンを取り出し、電子曞籍版の『ハリヌ・ポッタヌず炎のゎブレット』を開いた。文庫本も考えたけれど、完党によそ者である私が満員電車の䞭でリュックの䞭からあれこれ本を入れ替えるずいう行為は、あの時は至難の業に思えた。普段は玙媒䜓愛奜家を暙抜しおいるけれど、この日ばかりは電子曞籍のありがたみを感じざるを埗なかった。 『ハリヌ・ポッタヌシリヌズ』は、幌少期の頃ず今ずで肩入れをするキャラクタヌが倉わっおくるこずや、情景描写ぞの感想が異なるからい぀読んでも面癜い。叀垌になっおもハリヌポッタヌシリヌズを読み続けおいたい。倧宮を抜けるころには文字を远うこずに慣れ、皋なくしお尻尟爆発スクリュヌトに吹き飛ばされるようにその日の宿泊地である黒磯駅で降りるこずに成功した。満員電車を経路に組み蟌むのは今埌はやめるこずを固く胞に誓った。

     北関東で泊し、翌朝、日の出前の始発に乗った。寄り道をしお䌚接若束ぞ向かう道䞭、雪が降っおいた。道䞭の車内では『十二囜蚘 癜銀の墟 玄の月 第䞀巻』を読んだ。私が『十二囜蚘』を読み始めたのは十数幎ぶり埅望の続線が発売されたたさにその時である。新朮瀟ビルの壁面いっぱいの、固い衚情の青幎ず「泰麒、垰還」ずだけ曞かれた倧きな広告を芋お、倧倉なこずが起きおいそうだず䜕も知らないながらも浮足立ったのを芚えおいる。倧孊の教授から熱烈な垃教を受け、その䞖界の虜になるたで半月もかからなかった。

     しんしんず雪が降る䞭、わずかに芋える朝日を車窓から眺めた。固くなった雪の䞊に新雪が重なり、颚で新雪だけが舞う情景を芋お、囜が荒廃するなか肩を寄せお暮らす戎囜の民や泰麒も同様の景色を芋おいたのかず思うず感慚深いものがあった。車窓から飯盛山を芋るこずは叶わないが、さしずめ飯盛山は涵逊山ずいったずころだろうか。

    飯田線完乗線

     少し肌寒さの残る3月。読曞旅の初心に返るべく、乗り換え回数の少ないルヌトを調べたずころ飯田線がヒットしたので、名叀屋から䞭倮線で蟰野たで登り、蟰野から豊橋たで降りる飯田線完乗読曞旅を決行した。飯田線は6時間乗車するうちの乗り換え回数は0回、倚くおも回である。本圓にひたすら読んでいればよい、なんお玠敵なこずだろうか。

     この日は『十二囜蚘 癜銀の墟 玄の月 第四巻』ず『Spring』ず電子曞籍耇数冊をもっお始発に飛び乗った。『Spring』は恩田陞が曞くバレ゚界を舞台にした小説である。私が読曞奜きになった理由の぀に絵本専門店の偏屈店䞻ずの亀流がある。幌少期は無口ながらも優しい店䞻ずいう印象だったが、蓋を開けおみれば読曞奜きの人付き合いが苊手な偏屈店䞻だず蚀うこずがわかった。たた、この本屋は、絵本専門店でありながら、絵本でもなければ児童曞でもない本が陳列されおいる棚がある。『ルリナヌルおじさん』や『ナルニア囜物語』『ガラスのうた』などが䞊ぶ隣に『蜜蜂ず遠雷』や、ぱっず芋ただけでは連関性のない新曞や文庫等がみっちり入っおいる棚である。それは偏屈店䞻の私的厳遞図曞であった。そしお䞍思議なこずに私はその本棚に吞い寄せられるこずが倚かった。それらをレゞに持っお行くずその店䞻は嬉しそうに「わかっおるね〜」ずいうのだ。恩田陞の䜜品を読み始めたのは偏屈店䞻が「倚分奜きだよ」ず『蜜蜂ず遠雷』を薊めおくれたずころからだ。『蜜蜂ず遠雷』は内容は勿論、ハヌドカバヌの装䞁が本圓に玠晎らしかった。カバヌをめくり、衚玙ず花垃ずしおりを芋た時、たさかあの店䞻はここたで芋越した䞊で薊めおきたのではないかず驚いた。真盞は確認しおいないが、倚分芋透かされおいるような気がする。

     電車で本を読むこずの利点は぀ある。぀は誰にも邪魔をされずに読めるこず。぀目は車窓を呆けながら芋るこずに理由が生たれる点である。片道時間以䞊も乗っおいるのだから、正盎ずっず読んでいるわけにはいかない。時には䌞びをしたり、頭を䌑めるこずもある。腰を据えおどっぷり読むず決めた時、緊迫したシヌンを「次は最寄り駅」や、「このあず乗り換えないずな」などに遮られるこずは通勀䞭や出かける䞭での読曞では圓たり前のこずだが、実際のずころはストレッサヌずなり鬱屈は蓄積しおいく。ずころが、こずに読曞旅ではずりわけ飯田線のように乗り換えが1回もない電車に乗っおしたえば、文字通りずっず読むこずができる。どこたでも深く深く朜り蟌める。か぀お、『同志少女よ、敵を撃お』を䞀気に読み通した日は、びゅうびゅうず北颚が吹きすさぶ䞭、倧孊の誰もいない薄暗い研究宀で足元ヒヌタヌずブランケットをかぶりながら物語に熱䞭した。あのずきの凪ずもいえる静けさの䞭をセラフィマず䞀緒にレニングラヌドを駆け抜けた疟走感は、䜕ずも蚀えない満足感が私を満たした。今思えば、電車の䞭で本を読むのが奜きなだけでなく、静かに物語に打ち蟌める環境が欲しかったのだず思う。私は静かに本ずずもに沈める堎所を探しおいる。倧孊を卒業し、満足に本を読む堎所は薄暗い研究宀から瞊暪無尜に駆け巡るJR列車に倉わっおいった。


    幎版飯田線線

     私は「18切笊読曞旅」ず称しお瀟䌚人になっおから様々なずころぞ出かけおいた。宇奈月枩泉ぞ赎いた埩路で岐阜を瞊断したこずもあれば、鈍行で日間かけお北海道を呚したこずもある。17時間かけお別府たで読み続け、フェリヌで倧阪入りしお玀勢本線をなぞるように垰っおきたこずもあった。これらの旅は玔然たる読曞だけの旅行ではなく、行く先々でかねがね蚪れたかった堎所ぞ出向き、読曞旅ずは名ばかりの数倚くの人情あふれる䜓隓もした。今回は觊れないが、こちらもい぀か蚘録にしたいず思う。

     3幎以䞊このような旅をしおいるず、職堎の人ずの「かなどめさんは電車で旅行をするのが奜きなの」「いいえ。私は電車のシヌトで本を読むのが奜きで、そのためにあちこち出かけおいるのです」ずいうやり取りの信憑性が薄くなっおきおいた。

     私はこれたでの電車旅を思い返し、䞀番読みやすい環境はなんだったのか、初心に返るこずにした。乗換なしで乗り続けられる「飯田線」である。ただし、今回は18切笊を䜿わずにJR東海のお埗な切笊を掻甚しお、倩竜峡を埀埩するこずにした。どちらにしろ乗り換えなしで4時間以䞊読み続けるこずができる。やはり読曞奜きが乗るべきは飯田線である。

     今回の本は厳遞をし『タタヌル人の砂挠』『地䞋図曞通の海』『図曞通巡瀌』の3冊を読み切るこずを目的ずした。以前の私は、逃げ道を塞ぐように倧量の本を鞄ぞ詰め蟌んでいたが、今回は粟神的ゆずりのある読曞旅である。翌朝、最寄りの始発に飛び乗り、本を開いた。

     『タタヌル人の砂挠』は、珍しく「垯買い」をした本である。森芋登矎圊が「これはおもしろい」ず蚀ったず聞けば買うほかに遞択肢はあっただろうか。あらすじを調べるに幻想小説ずあった。私が幻想小説を幻想小説ずしお意識しお集めだしたのは、『地䞋図曞通の海』からである。この本は2幎前宇奈月枩泉ぞ出向いた際に読了した。比范的乗換の少なかった宇奈月枩泉旅行は、地䞋図曞通の海ぞ朜氎するのにぎったりだった。䞻人公ザカリヌが『かいじゅうたちのいるずころ』の扮装をしたマックスに連れられお地䞋図曞通に入る構造から、いく぀もの䞖界が亀錯する物語構成、ありずあらゆるファンタゞヌ小説が土台ずなっおいるのがひしひしず䌝わるその内容はたさに圧巻の䞀蚀で、私は幻想小説の虜になっおいた。たたこの時の本の垯も玠晎らしかった。「子䟛の頃、衣装簞笥の奥がナルニアに続いおいないか確かめずにはいられなかった人々のための物語」――垯にはそう曞かれおいた。最高だった。たさにナルニアの物語を読んだ頃、ルヌシヌず幎霢が近かった私は倜䞭に和宀の衣装タンスに足を螏み入れ、䞡芪のコヌトやスヌツに皺を残しながら奥ぞ奥ぞず入っおいた経隓があった。私はこの旅から、電車で物語にのめり蟌む楜しさず苊しさず幻想小説が䞀等奜きになった。

     飯田線を北䞊しおいくず同時に、『タタヌル人の砂挠』のなかでドロヌゎ少䜐は砊ぞず銬を進めた。今回の旅皋は比范的距離が短く、飯田駅で折り返し、埩路で倩竜峡での乗り換えを挟むものだった。昌過ぎに倩竜峡を出発し、豊橋ぞ向かう倖の景色は段々暗くなっおいく。埀路の時に車窓から眺めた倩竜川や満開になった山桜や朚蓮、高くそびえる山肌は私を遠くぞ連れおいくスむッチのようで、前向き䞔぀愉快なものに感じられた。しかし、埩路はどうだろうか。昌間はあれほど近く芪密に思えた山肌は、日が暮れるず遠く恐ろしいものぞず倉化した。飯田線は人里離れた山間をひたすら走り続ける。昚幎床飯田線を完乗したずきにはその暗ささえ、物語にのめり蟌むためのトリガヌに過ぎないず高揚しおいた。これがここたで恐怖心に代わるのは、ひずえに『タタヌル人の砂挠』を読んでいたからだろうか。䞡偎から迫る真っ暗な山々が私の心身を狭くさせた。タタヌル人は幻想小説の皮をかぶった怪物のような「ペヌゞを捲るたびに月日」が流れおいく恐ろしい小説であった。終点に぀く30分前くらいに本線ず解説を読み終え、電車を降りるたで攟心状態であった。その昔、浪人しおいたころに『珟代文ず栌闘する』ずいう参考曞を解き蟌んでいたが、栌闘の指し瀺すものが異なるずは蚀え、たさにこの時は栌闘しおいるような心地がした。

    終わりに

     幎間電車であちこちに出かけ、旅行をしおいるが、電車旅行は特段奜きではない  ず思っおいる。電車の䞭でしか読めないから読み続けるために電車に乗っおいるのだ、宇奈月枩泉、東北、北海道等も、読み続け、物語ず向き合うための舞台装眮に過ぎないのだず蚀い聞かせおいる。

     瀟䌚人4幎目になり、読曞は油断するず簡単に倱われるものであるこずを実感した。仕事が終われば動画を芋おしたう。䌑日になれば家事や雑事が割り蟌む。本を開いおも、調べ事を思い出しおスマホに手を䌞ばし、気づけば別のこずをしおいる。孊生時代の頃、息をするように読んでいた時間は、い぀の間にか特別な時間ぞ倉貌しおいた。読曞旅を始めおからそれはより䞀局顕著なものずなり、読曞旅は、本を読むために確保した避難所のように思えた。旅をしおいる間は、私ず本を匕き剥がすものはない。それ故に私は北海道ぞ行くし、飯田線にも乗る。旅がしたいわけではなく、ただ本を読みたいだけなのだ。

     最近、職堎で小さな読曞䌚をするようになった。職堎の人に「この本面癜いよ」ずすすめられたそれは、普段であれば自分では買わない内容の本だったが、詊しに読んでみたらたいそう面癜かった。勢い䜙らせず、諞突猛進に感想を䌝えるず、あれよあれよず読曞䌚の蚈画が進んでしたった。共通の1冊を読み、お互いが読み終えたタむミングでその感想を蚀い合うその䌚は、今たで積極的に参加しおこなかった系統の䌚合であったけれど、驚くべきかな、いたや冊目である。最近は職堎の読曞䌚のおかげで、通勀時間や始業前のわずかな時間にも本を開くようになった。瀟䌚人になっお倱ったず思っおいた読曞の感芚は、案倖なくなっおはいなかったらしかった。私は長いこず本を読むための堎所を探しおいた。静かで薄暗く快適な研究宀。埐々に人がいなくなる終発列車。おおよそ本を読むためだけに乗っおいる人はいない早朝の始発列車。雪の降る䌚接若束ぞ向かう車内。日が昇り、暮れる飯田線。そうした堎所では、䞍思議なくらい深く物語に朜るこずができた。電車に乗らないず本が読めなくなっおいたらどうしようず䞀瞬考えるこずもあった。しかし、先日は読曞䌚の本のために幎次有絊䌑暇を䜿い、1日䞭家の䞭で䞞たっお読み通した。家で読む達成感を久しぶりに味わったが、正盎物足りなさを感じおいた。それは車窓の向こうぞ流れおいく景色を暪目に、物語の䞭ぞ朜っおいく楜しさを知っおしたったからではないか。切笊を買い、枬量野垳に乗換案内を曞き写し、゚ルマヌよろしく鞄に読み切れないほどの荷物(本)を詰め蟌む。私は竜を救いにいくこずはないけれど、本ず向き合う時間を救いに行くための旅行をしおいるのだ。その季節が近づくたびに胞が高鳎るのを感じおいる。春の始発で、倏の乗換たでの数時間で、冬の西日を背に受けお読み続ける莅沢さをなんずしようか。

     もうすぐ倏の青春18切笊のシヌズンが到来する。そしたら私は切笊を買い、枬量野垳に行皋衚を曞き蟌み、ああでもないこうでもないず積読タワヌを前に唞り読曞旅遞定タワヌを䜜り䞊げるのだ。
     䞀昚幎の倏に北海道を1呚した時はゲヌテの『むタリア玀行』を持っおいった。新千歳空枯から札幌ぞ向かう䞭で読み始めるず、なんずゲヌテが誕生日䌚を抜け出しおむタリアぞ旅立った日付ず、私が読曞旅ぞ出発した日付が偶然にも同じだったのだ。本の䞭の旅ず珟実の旅が䞍意に地続きになったようで、あの時の興奮はいたでも芚えおいる。

     本でファスナヌが壊れそうなリュックを背負う倏が間も無くやっおくる。


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    かなどめはしがないOLである。酒ず読曞ず電車旅を愛しお暮らしおおり、たた思い出しおキッチンにも立぀。