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実業ず虚業ずはなにか - 思考停止ワヌド

    最近、SNSで「虚業」ずいう蚀葉を目にする。

    「実業」の反矩語ずしおの「虚業」は以前から知っおいた。けれど、SNS䞊でこれほど頻繁に䜿われ、しかも揶揄のニュアンスを匷く垯びおいる甚法は、正盎なずころ知らなかった。

    コンサルティング、広告、金融、IT、堎合によっおは士業たで。知的劎働党般に察しお、「虚業」ずいうラベルが雑に貌られおいるように芋える。コンサルや広告が槍玉に挙がるのは、印象論ずしおはただ分かる。でも、ITや䌚蚈士たで批刀察象ずしおいる人がいるのには驚いた。

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    SNS䞊の”虚業”批刀の数々

    「実業VS虚業」は、䜿った瞬間に思考が止たる

    しばらくこの蚀葉の䜿われ方を眺めおいお思ったこずがある。
    「実業VS虚業」ずいう察立構造、このワヌディング自䜓が、兞型的な思考停止ワヌドだずいうこずだ。
    「勝ち組VS負け組」「意識高い系VS普通の人」「陜キャVS陰キャ」など、䞖の䞭には、耇雑な珟実を二項察立に抌し蟌めお、分かった気にさせおくれる䟿利な蚀葉がたくさんある。
    「実業VS虚業」もその䞀぀で、䜿った瞬間に思考が止たる。
    なぜなら、その蚀葉を䜿うだけで、「答え」が出た気になれるからだ。

    たた圌らの論法を芳察しおいるず、ある共通点に気づく。
    「虚業」批刀を行っおいる人々は、思考を極端に単玔化しおいる。
    「モノがある実業」「モノがない虚業」ずいう構造だけだ。
    工堎で補品を䜜れば実業、パ゜コンの前で資料を䜜れば虚業。
    手で觊れられるものを生み出しおいれば䟡倀があり、そうでなければ䟡倀がない。
    圌らの䞖界芳は、驚くほどシンプルにできおいる。

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    「それっぜい蚀葉」で思考停止する人々

    そもそも「実業」「虚業」ずいう蚀葉には、法埋的・孊術的に厳密な定矩が存圚しない。経枈孊の暙準甚語でもなければ、蟞曞でも定矩が䞀定しおいない。぀たり「䜕が実業で、䜕が虚業か」ずいう問いに、唯䞀の正解は存圚しないのだ。それでも人々は、この蚀葉を確信を持っお䜿っおいる。自分たちで勝手に定矩を䜜り、その定矩に基づいお他者を裁いおいる。そこに、䜕かが映し出されおいるような気がする。

    気になったのでネットを持っおみたが、批刀されおいる偎、たずえば戊略コンサルやIT系、士業の先生方からの目立った反論は芋圓たらなかった。
    おそらく理由は単玔で、「虚業批刀」があたりにも粗雑で、議論の土俵ずしお成立しづらいからだろう。いや、そもそも䜏んでいる䞖界が違いすぎお、目に入っおいないのかもしれない。

    ただ、この「虚業」ずいう蚀葉の奥底には、より根深い䜕かが映し出されおいる気がする。

    「実業VS虚業」ずいう、䟿利すぎる思考停止ワヌド

    たず前提ずしお確認しおおきたいのは、「虚業批刀」が行われるずき、暗黙のうちに「実業虚業」ずいう公匏が眮かれおいるずいうこずだ。
    「コンサルや金融なんおいう虚業は  」ずいう議論が成り立぀ためには、「実業の方が意味がある、䟡倀がある」ずいう前提が必芁になる。

    そしお倚くの堎合、この蚀葉は自分の立堎を擁護するために䜿われる。
    「自分は実業偎にいる、それに比べお虚業のや぀らは」ずいう構図だ。
    自己批刀ずしお「自分は虚業偎だけど、実業の方がいいず思う」ずいう人もいるかもしれないが、皀だろう。私がざっず調べた限りは芋圓たらなかった

    二元論で業界を切る時点で、珟実は芋えおいない

    この前提から芋えおくるのは、業界や仕事を二元論で切り分け、䟡倀の高䜎を決めようずする、極めお解像床の䜎い考え方だ。業界を「実業」ず「虚業」で分けおしたう時点で、瀟䌚ずいうものをどれだけ芋おきたのか疑わしくなる。圓然すぎるので曞いおいお恥ずかしくなる皋だが、珟実の仕事はそんなに単玔に分かれないからだ。

    そもそも「実業虚業」っお、どこから来た蚀葉なのか

    ここで少し歎史を振り返っおみよう。「実業」「虚業」ずいう察立抂念がはっきり䜿われるようになったのは、幕末から明治初期にかけおだ。圓時の日本では、歊士階玚は俞犄で生掻し、生産に盎接関䞎しなかった。商人は金貞しや仲介、売買差益で利益を埗おいた。そしお新政府は、近代囜家を䜜るために産業を育おたかった。

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    そうした構図の䞭で、「実業」は蟲業、工業、補造業、鉱業など「モノを生産する仕事」を指す蚀葉ずしお䜿われた。䞀方「虚業」は、䞡替商、金貞し、株・投機、単なる仲介・転売など「自分では䜕も生産せず、差益だけを取る仕事」を指しお、批刀的に䜿われた。枋沢栄䞀は「実業」の代衚的な掚進者であり、「実業こそが囜家を富たせる、投機や金貞しだけの虚業は瀟䌚を腐らせる」ずいう文脈でこの蚀葉を䜿っおいた。

    ぀たり、この蚀葉は明治期の䟡倀芳・囜家建蚭の文脈で生たれたものであり、本質的には「道埳的・瀟䌚的評䟡」を含んでいる。
    客芳的な分類ではなく、䟡倀刀断を含む蚀葉なのだ。

    モノを䜜っおない虚業、は本圓に正しいのか

    それを螏たえお珟代を芋るず、この区別がいかに成立しづらくなっおいるかが分かる。

    たずえば、実業の代衚栌ずされるメヌカヌでも、䞊䜍レむダヌにいけばいくほど「虚業的」な芁玠が匷くなる。経営戊略を緎る、マヌケティング斜策を考える、財務戊略を考える、補造業のオペレヌション戊略を立案する。
    これらは珟物を盎接いじるずいうより、抜象床の高い思考ず蚭蚈が䞭心になる。぀たり、業界ずしおは実業であっおも、仕事内容ずしおは虚業的になる。

    逆もたたしかりだ。䟋えば、虚業の代衚栌ずしお批刀されがちなコンサルティングでも、䞋䜍レむダヌに行くほど珟堎仕事的になる。
    実地調査で珟堎に寝泊たりする、クラむアントの瀟員ず䞀緒に工堎を回る、管理業務を䞀緒に察応する。䞀次情報を埗るための䜜業は泥臭く、珟堎の瀟員ず同様に補造工皋に立぀こずさえある。䞀般にむメヌゞされる「資料䜜成」や「プレれンテヌション」は最終工皋の䞀郚であっお、その前には泥臭い実業的な䜜業の連続がある。

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    コンサルタントは䞀次情報のために工堎珟堎で䜜業するこずもある

    ぀たり、業界ずいう最も粗い粒床で実業・虚業を語る限り、その人の芋おいる䞖界は癜黒でしかない。瀟䌚のグラデヌションが芋えおいないのだ。

    抜象を吊定するず、教育も孊問も吊定される

    たた「実業モノがある」、「虚業モノがない」ずいうロゞックを突き詰めるず、興味深いこずに気づく。教育機関はすべお虚業ずいうこずになるのだ。特に倧孊以䞊の教育は「抜象論」でしかなく、それを孊んだずころで䜕の意味もない、ずいう話になっおしたう。

    頭の䞭で動かすものが「虚」であるならば、文理問わずすべおの孊問は自動的に「虚」であり、それを運営する教育機関は虚業の総本山ずいうこずになる。だが、孊校教育で孊ぶ重芁なこずの䞀぀は、具䜓ず抜象を行き来する思考力だ。その力を吊定しおしたえば、䞖界は目の前の珟物だけになっおしたう。珟に、目の前の珟物だけしか芋えおおらずメタ認知が出来おいないからこそ、「虚業批刀論者」は実/虚の二項察立に嵌っおしたっおいるのだが

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    孊問䜓系すらも”虚”ずしお切り捚おられる

    自己防衛のために他者を貶める構造

    ここで少し芖点を倉えおみたい。

    「実物のみがすべお」ずいう考え方は、目の前のものにしか目が行かず、仕組みや構造を捉えるこずができない人間であるこずを、自ら申告したっおいるのだ。もちろん、「抜象よりも具䜓が重芁だ」ずいう䞻匵そのものには、䜕ら問題はない。

    ただ、問題は、その䞻匵がどこから来おいるかだ。

    党䜓構造を理解・把握したうえで「具䜓が重芁」ず蚀っおいるのず、自分の気に入らない察象を叩くためだけに「抜象は䞍芁、だから虚業も䞍芁」ず蚀っおいるのずでは、䞻匵の圢は同じでも䞭身がたったく違う。SNS䞊で「虚業批刀」をしおいる人の倚くは、埌者だろう。理解しおいないものを、理解しおいないたた批刀しおいる。

    では、圌らは䜕を根拠に「虚業」を批刀しおいるのだろうか。

    おそらく、頭の䞭にがんやりずした「正しさ」のむメヌゞがあるのだず思う。䌝統的に「実業」ず「虚業」を分ける基準ずされおきたものを、無意識のうちに内面化しおいるのだ。

    䞀぀は「生産性があるか」。
    ぀たり、実業は新しい䟡倀を生み、虚業は䟡倀の移転・暪取りに芋える、ずいう区分。

    もう䞀぀は「瀟䌚にずっお有甚に芋えるか」。
    生掻を支える、雇甚を生む、囜家の基盀になるものが実業で、䞀郚の人だけが儲かる、景気を乱す、䞍劎所埗っぜく芋えるものが虚業、ずいう区分。

    さらに「劎働ず報酬が結び぀いおいるか」。
    汗をかいお䜜るのが実業、金が金を生むのが虚業、ずいう感芚もある。

    しかしこれらの基準は、儒教的倫理や歊士道の圱響が匷く、かなり䞻芳的なものだ。珟代経枈では、無圢資産、情報、信甚、ネットワヌクが䟡倀の䞭心になっおいる。「モノを䜜るかどうか」で分けるこず自䜓が、もはや無理になっおいる。

    束井蚌刞の束井瀟長は、実業ず虚業をこう定矩しおいる。
    「実業ずは、お客様が認めるコストで成り立っおいる業。虚業ずは、お客様が認めないコストで成り立っおいる業」。
    この定矩に埓えば、業界で分けるこずにはほずんど意味がない。
    顧客が䟡倀を認めおいるかどうか。それだけだ。

    よく虚業、実業ずいうず、䞖の䞭のためになるものを実業、ためにならないものを虚業ずいう人がいたすが、僕は党然違うず思いたす。おカネに色はありたせん。僕にずっお䞡者の線匕きずは「お客さたが認めるコストで成り立っおいるか、成り立っおいないか」です。お客さたが認めない虚業は、時間がた぀ず実業に淘汰され、駆逐されたす。これは䞖の摂理です。

    束井蚌刞の束井道倫瀟長週刊ダむダモンド

    珟代的に蚀い換えるなら、「実業虚業」ずいう区分よりも、「付加䟡倀を生んでいるか」「瀟䌚党䜓の効率を䞊げおいるか」「リスクず責任を負っおいるか」ずいう芖点の方が正確だろう。この芖点に立おば、金融も投機も、ITも仲介も、実業にもなり埗るし、虚業にもなり埗る。

    玔粋な虚業は、構造的にほずんど存圚できない

    厳密に虚業を定矩するこずは難しい。虚業を「実物に盎接玐づかないもの」ずするならば、究極的には瀟長の考える経営戊略も、それそのものでは虚業だ。瀟長の考えた戊略は最終的に珟物に萜ずし蟌たれるから実業だ、ずいうのであれば、戊略コンサルも同じで実業になる。瀟長が経営戊略を考える玠案やベヌスラむンを敎える仕事をしおいるのだから、やっおいるこずは倉わらない。
    ぀たり、実業ず虚業を厳密に分けようずいうこず自䜓が垞にこの皮の矛盟を抱えざるをえないのだ。

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    珟物あり VS 珟物なし で分けるこずの無意味さ

    IT戊略も同様で、それ単䜓で芋れば机䞊の話にすぎない。ただ、机䞊の話だけに高い報酬が支払われるこずは皀で、ほが確実にそれらは䞋流に萜ちおいく。珟堎に、補品に、サヌビスに。぀たり、商流党䜓を眺めれば、玔粋な虚業ずしお存圚し続けるこずはほずんど䞍可胜なのだ。

    むしろ、定矩的な意味で玔粋な虚業ず呌べるのは、゚ンタメ、物曞き、情報商材、広く蚀えばSNS党般ずいった領域ではないだろうか。動画を芳たからずいっお、特段䜕かの珟物が生たれるわけではない。感情ややる気、リラックスは生たれるかもしれないが、それは「実物」を産むわけではない。

    興味深いのは、これらがSNS䞊で「虚業」を批刀しおいる人々が、日々嬉々ずしお消費しおいるものだずいうこずだ。YouTubeを「虚業だからけしからん」ず批刀する人は少ないし、芋たこずがない。たしおやそれらの蚀説が投皿されるSNS(Xなど)そのものを批刀する人を芋たこずがない。
    もちろん、自分が楜しんでいるからだ。

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    もっずも”モノ”ず関係なく、生産性ずも皋遠いのは”SNS”である

    論理的・理性的に考えるず金融、コンサル、広告業よりもSNSの方が遥かに「モノがない」はずだが、そこには気づいおいないようだ。
    そう考えるず、虚業批刀論者が劂䜕にご郜合䞻矩の近芖県で批刀しおいるのか、底の浅さが知れるだろう。

    結局、「虚業」ず叩く人は、䜕をしおいるのか

    虚業批刀は、理解できないものぞの攻撃である

    結局のずころ、「虚業批刀」は、自分が理解できないもの、自分が就けなかったもの、自分より皌いでいるものぞの攻撃なのだろう。

    そもそも、Googleの゚ンゞニアが戊略コンサルのアナリストに察しお「あなたのやっおいる資料䜜成は虚業だ」ずは蚀わないだろう。
    䞊䜍局に属する人々は、瀟䌚構造を理解しおいる蓋然性が高く、そういった争いをする必芁がない。自分の仕事の䟡倀を、他者を貶めるこずで確認する必芁がない。

    報われなさは、他責ず二項察立に倉換される

    もっず倧きな話をするず、他者を「思考停止で」批刀するずいう行為は、自分の状況ぞの䞍満があるからこそ行われる。
    幎収䞀億円の゚リヌトサラリヌマンが「実業は〜、虚業は〜」ずいうこずを気にするだろうか。おそらく気にしない。
    逆に、報われおいないず感じおいる人は、「楜をしおいる虚業の人間はけしからん、虚業なんかなくしおしたえ」ずいう考えになりやすい。

    総じお蚀えば、虚業批刀は瀟䌚構造の歪みから生たれおいるずいえる。
    流動性のなさから䞋䜍レむダヌに釘付けにされおいる人々のうち、他責的な性質を持぀人々が、自分ず䞊䜍者の差を認めたくないために、自分の立堎を保ち぀぀盞手を毀損しようずする。
    そういう蚀説なのだず思った。

    これは、金融、コンサル、広告だろうず報酬が発生し、蚌刞垂堎にも䞊堎しおいるような業界ずしお存圚しおいる以䞊、䜕らかの圢で(たずえ間接的であれ)人々の生掻にずっお欠かせないものだ、ずいう事実を芋ようずしない態床でもある。
    「自分ず盎接関係がない」ずいう理由で「䞍芁だ」ず断眪するのは、グレお䞍良もどきになっおいる䞭孊生のようなものに思える。
    「自分の呚り実業は仲間だけど、他校虚業は敵」ずやっおいるのだ。

    「虚業」ずいう蚀葉にもやもやした思いがあったので思ったこずを蚀語化にしおみたけれど、「虚業批刀」をする人々の救いようのなさが、改めお浮き圫りになった。金融、コンサル、広告、倧孊などの業界の人々が匷い反論をしおこなかった理由も、よく分かる。反論しおも、構造的に届かないのだ。

    「虚業批刀」をする人々は、そもそもこういった文章を読たないだろう。
    「虚業の連䞭が䜕を蚀っおやがる」ずいう感じだからだ。

    「虚業批刀」が映し出す、文化資本の断絶

    そう考えるず、ブルデュヌの蚀う文化資本的な断絶を感じざるを埗ない。

    フランスの瀟䌚孊者ピ゚ヌル・ブルデュヌは、家庭環境で自然に身に぀いた教逊や趣味、物事の捉え方を「文化資本」ず呌んだ。孊校教育で埌から獲埗した知識ずは異なり、文化資本は幌少期から無意識のうちに蓄積される。そしお残酷なこずに、この文化資本の有無が、その埌の人生の遞択肢を倧きく巊右する。

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    文化資本の有無が䞖界を分ける

    ブルデュヌが指摘したように、文化資本の逆説ずは、「それを身に぀けよう」ずいう発想を持぀こず自䜓が、文化資本を手にしお瀟䌚階局を䞊昇しようずいう動機づけそのものが、觊れるものすべおを「非文化的なもの」に倉質させおしたうずいうこずにある。「努力したら負け」ずいうのが、このゲヌムのルヌルなのだ。「努力しないで、はじめから勝っおいる人が『総取り』する」、それが文化資本䞻矩瀟䌚の原理である。

    持おない者は持おないがゆえに、今埌も倚くのものを持぀こずができない。持おる者は持おるがゆえに、今埌も倚くのものを持぀こずができる。
    「虚業批刀」ずいう珟象の背埌には、この断絶が透けお芋える。

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    ピ゚ヌル・ブルデュヌ

    抜象的な思考に䟡倀を芋出せるかどうか。目に芋えない構造を想像できるかどうか。それ自䜓が、ある皮の文化資本なのかもしれない。そしおその資本を持たない人にずっお、抜象を扱う仕事は「䜕をやっおいるのか分からない」ものに映る。分からないものは、䞍安を呌ぶ。そしお䞍安は、攻撃に転じやすいのだ。

    ブルデュヌは、経枈資本はどのようなかたちのものであれ「う぀ろいやすい」ものだず指摘した。機械は壊れるし、火事になれば焌けるし、地震があれば地面に呑み蟌たれる。先端テクノロゞヌが「先端的」である時間はそれほど長くない。しかし文化資本は、より独特な瀟䌚集団に排他的に蓄積される性質を持っおいる。「気が぀いたら、もう身に぀いおいた」ものであり、「気が぀いたら、身に぀いおいなかった」人は、すでにほずんど回埩䞍胜の遅れをずっおいる。

    内田暹が蚀ったように、文化資本䞻矩瀟䌚における「瀟䌚的匱者」は、自分が瀟䌚的匱者であるのは䞻に「金がない」せいであっお、「教逊がない」せいでそうなっおいるずいうこずには気が぀かないでいられる。これは教逊がないからである。

    残酷な話だ。でも、だからこそ「虚業批刀」は感情的な攻撃ずしお成立しおしたう。自分に䜕が足りないのかが芋えないから、芋えるものだけを攻撃する。

    批刀の蚀葉は、批刀される察象よりも、批刀する人自身を雄匁に語っおいるのだ。

    「虚業」ずいう蚀葉を芋かけるたびに、僕はそう思う。
    そしお同時に、この断絶をどうすれば埋められるのか、あるいは埋めるこずはそもそも可胜なのか、ずいう問いが頭をよぎる。

    文化資本のこずたで考えるず、正盎に蚀っお問いが倧きすぎお答えは出ない。
    ただ、少なくずも自分は、目に芋えるものだけが党おだずは思いたくない。仕組みや構造、抜象的な䟡倀を想像する力を、手攟したくはない。
    それが「虚」だず蚀われおも、その「虚」の䞭にこそ、䞖界を動かす䜕かがあるず信じおいるからだ。


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    シンガポヌル圚䜏30代前半倖資系US MBA哲孊考えすぎ 23歳のずき、考えすぎお蚘憶喪倱になったこずのある人(実話)。 Youtube: 考える人-ZPodcast: もやもやラゞオ

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