
「要らなかったら捨てて」。この言葉が信頼関係を壊した理由。
自宅に突然届いた段ボールの中身が、得体の知れない古着の山だったら-。
そんなことが本当にあるのかと思うかもしれない。
だが、これは私が学生時代に実際に経験した出来事だ。
学生の頃のこと。
とある知人から荷物が送られてきた。
大型のフィギュアでも入っているのかと思わせるような段ボールだった。
荷物に心当たりはなかった。
ただ、気心が知れたうちの1人ではあったので、
何だろうと荷物を開けてみた。
中には、知人が着古したと思われる衣類が大量に詰められていた。
シャツやジーンズ、アウターまで様々な種類の衣類がこれでもかというくらい敷き詰められていた。
その知人からは特に何か連絡があった訳ではなかった。
送り間違いか?
そう思い、知人に連絡を入れた。
知人から返ってきたのは、以下の言葉だった。
「あぁ、オマエに送ったよ。」
「なんで?」
「ん?なんでって、何かの役に立つかなーとか思ってさ。
要らなかったら捨ててくれていいから。」
…言葉を失った。
「役に立つかなと思って」ではない。
何をあっけらかんと言い放っているのだ。
聞けば近々引っ越すことにしたらしく、荷物整理の際に不要と思ったものをあれこれと詰め込んで送ってきたのだそうだ。
当時の私は古着は好きだったし、何だったらその知人の持っているアイテムは個人的に好みのアイテムも沢山あった。好みのセンスが似ていたのだ。
ただ、そんなことは問題ではなかった。
それ以上に引っ掛かった部分があった。
「要らなかったら捨ててくれていいから。」
この言葉だ。
なぜ、自分で「要らない」と判断したものを勝手に送ってくるのだ。
要らないのであれば、自分で処分するか古着屋にでも売れば良い。
誰かに譲るにしたって、最低限事前に連絡するのが筋ではないのか。

問題は古着そのものではなかった
この知人は自分で処分するでもなく、譲るにしても一言の確認もなかった。
その両方が欠けていたのだ。
「自分が不要と判断したものを、意思確認せずに無断で送ってきた」のである。
悪い言い方をすれば、
「不用品の処分を丸投げ」してきたようなものなのだ。
さすがに看過できず、知人に対して抗議した。
ただ、知人はなぜこちらが怒っているのかは理解できていないようだった。
「そんな怒ることじゃねーだろ。要らなきゃ捨ててくれていーんだし。」
こんな調子であった。価値観が違うのだと感じた。
それ以上、話をするのを止めた。
「善意」と「押し付け」の境目
この事象について、一旦俯瞰で考えてみる。
好意的に考えれば「知人に自分が着なくなった古着を譲り渡す」という構図である。
気心知れた知人同士の話だし、一見すると気前の良い話に見えるかもしれない。
ただそれは、「相手方への意思確認」があっての話だ。
今回はその「意思確認」が無かったのである。
その結果、私には「不要になったものの処分を押し付けられた」としか思えなかった。
知人としては本当に悪気なく、不要になった古着を送ってきただけなのかもしれない。
その「良かれと思った行為」が、ほんのささいな確認を怠っただけで全く違う印象を与える結果になる怖さを知った出来事だった。
善意には「一言」が必要ではないか
この知人とはこれ以降、連絡を取らなくなり疎遠になっていった。
送ってきた衣類は、そのまま箱に詰めてゴミとして出した。
なぜ自分がその段ボールをゴミとして出しているのかの意味が全く分からなかった。
知人の行為を「善意」として受け取ることは、どうしても出来なかったのである。
知人が一言、「送ろうと思うけど要る?」と聞いてくれていたら、
この出来事はまったく違う思い出になっていただろう。
人は悪意よりも、確認不足で相手を傷つけることの方が案外多いのかもしれない。
あの日の出来事以来、私はそう思うようになった。
善意は、相手への「一言」があって初めて善意になるのだ。