
なぜ「家族のため」は、自分の人生を奪ってしまうのか。 ~その「優しさ」は誰のためのものか~
あなたは今、自分の人生を自分で選べていますか?
あなたは家族を優先しているつもりでも、気づけば「役割」を生きているのかもしれません。
序章:昨日までの「当たり前」が知らない間に壊れていく
1. 昨日までの日常が塗り潰される、音も立てずに忍び寄る「違和感」
「まさか、自分の人生がこんな形で足止めを食らうなんて」
どこか他人事のような、根拠のない自信が音もなく崩れ去る瞬間からこの物語は始まります。
ある日突然、昨日まで当たり前に社会の一員として働いていた親が自室の部屋のカーテンを閉め切り、光を拒絶して天井を凝視したまま動かなくなる。あるいは昨日まで優しかった言葉が今日になって突然、支離滅裂な怒声や執拗な被害妄想へと変貌する。
そんなにわかには信じがたい光景があなたの「日常」の風景を塗り潰し始めたとき、家の中の空気は一変します。それは分かりやすい衝撃音を立ててやってくるわけではありません。
自分自身でも気付かないうちに少しずつ自由がなくなり、交友関係が少なくなり、将来の選択肢を制限していくのです。 あなたの未来に対して音を立てずに忍び寄ってくる、終わりの見えない「任務」の始まりともいえるでしょう。
私もそうでした。しかし、あなたのその「家族を想うがゆえの優しさ」が、かけがえのないあなた自身の10代、20代という貴重な時間の大部分を費やしてしまうことになりかねません。
私の生活に家族の介護・ケアという事実が関わり始めたのは中学生だった10代前半。会社勤めをしていたはずの親が家にいることが多くなったことがきっかけでした。私も含め、他の家族はそんな親の状態を「一時的な体調不良だろう」と軽く考えていました。
結果、親は精神疾患を患い会社を辞めて療養生活に入ることになりました。その時に他の家族の勧めで私が親の介護を担当することになりました。
まさかその後、30年強にわたって現在に至るまで介護・ケアに携り続けることになるとは当時は夢にも思っていませんでした。
今、あなたの家庭の様子はどうでしょうか。冷蔵庫の中や部屋の様子、家族の表情など。日常生活の中にあるわずかな「違和感」をどうか見逃さないでほしいのです。その小さな違和感の積み重ねが、いつの間にかあなたの人生という大切な船の舵を自らから手放してしまうことに繋がるのですから。
2. 「立派な子」という鎖。自分の人生をいつの間にか明け渡す
家族の介護・ケアという役割は、いつ、どんな形で降りかかるか予測はできません。
そしてもう1つ言える真実は、「家族の介護・ケアが始まると、気がついた時にはあなたがその渦の中心に立たされている可能性がある」ということです。
「自分がやらなければいけない」
「家族を見捨てるわけにはいかない」
その責任感はとても立派です。そして非常に尊い決断でもあります。
ですが、経験してきた者としては別の観点からの事実もお伝えしなければいけません。
「家族の介護・ケア」。その責任感を背負った瞬間、あなたは「自分の人生」というハンドルを完全にコントロールすることは難しくなります。運転手は自分自身なのに、行き先を自分で決められないような感覚です。
厳しい言い方をすると、この時点で「家族の未来に対する責任をあなた自身が背負う」という人生の選択をしたということになります。そして、気付けば鎖に繋がれたかのような「ケアラー」という役割の中で自分の生活の中心が回っていくようになるのです。
この鎖は、一見周囲からは「親孝行」「立派な子」という綺麗な色に見えるかもしれません。 しかしその内側はそこまで綺麗事なわけではありません。時に重く。時に冷たく。あなたに負荷を掛けてきます。
友人と笑っているとき、新しい挑戦をしようとするとき、ふとした瞬間にこんな考えが脳裏をよぎります。
「家は大丈夫か」
「親がまた荒れていないか」
その気掛かりという「鎖」が、自分自身の人生の歩みを遅くし、少しずつ「自分として生きること」を諦めさせていくのです。あなた自身の今この瞬間も、その鎖が負荷を強いているかもしれません。
私は学生の頃、学校やキャンパスで笑い合う友人たちの声が毎日別世界の言葉のように聞こえていました。学校生活を送りながらも、一方では常に親の状態が頭の中に張り付いていたからです。自分自身の「普通の幸せ」に手を伸ばそうとするたびに、鎖が音を立てて現実へと引き戻すのです。
そんな誰にも言えない孤独を、これを読んでいるあなたは今1人で耐え忍んでいるのではありませんか。
3. 独白:正解を選び続けた先に待っていた30年分の「空白」
私は中学生だった10代前半の頃、本来であれば自身の将来について無限の可能性を広げることが出来る時期に、家族の介護・ケアという事態に直面することになりました。
親が精神疾患を患い、当時勤めていた会社を辞めて自宅療養に入ることになったのです。
突然の事態を認めたくなかったのでしょう。他の家族は、そんな親の状態にまともに向き合おうとはしていませんでした。そして、介護役を私に指定したのです。
理由は「いずれ、アンタがやることになるんだから」。
その一点張りでした。
(あれから30年強の時が経ち、現在進行形で介護・ケアを続けている現状を鑑みれば、その通りの状況になってはいるのですが・・・)
当時が何が起こっているのかよく分からないままでしたが、私には「断る」という選択肢はありませんでした。
「親のためになるなら」
「家族がそれで助かるなら」
こうして渦に巻き込まれるような形で、私は親の介護と向き合う生活が始まったのです。
親の介護が始まってからは、常に親の状態を気にかける生活になりました。
親は精神疾患で好不調の波が非常に激しい毎日を過ごしていました。調子が良い時は比較的穏やかでしたが、調子が悪いと突飛な行動(暴れだす、奇声を上げるなど)になる時も・・・
そんな生活を続けるうちに、いつしか考え方や行動が変わっていきました。
学校に行ってても、家族の状態が気になる。
休日に遊びにいく事が極端に少なくなる。
周囲の些細な変化に敏感になる。
周囲に相談したい気持ちもあるが、介護という事情を知られたくないので結局自分で抱え込む。
自分の人生の選択において「親の介護」という観点を考えざるを得なくなる。
結果、私は高校や大学、就職先といった自身の進路選択のタイミングについて「自分のやりたいことではなく、親の介護に極力支障がでない選択肢」を自ら選ぶことになりました。正確に言えば、自身の進路を考える時期やタイミングで「自分は何をやりたいのか」を考えなかった、という表現が近いと思います。
社会人になり、企業勤めを続けながら親の介護を続ける日々は続きました。時を経て、他の家族も体調を崩して療養することになり、都度、私が介護・ケアを担当することになりました。社会人になってからの方が、1日のトータルで家族の介護・ケアに向き合う時間は多かったかもしれません。
ただ、そんな生活に疑問を感じることはありませんでした。自分の中でそれが「当たり前」だったからです。
気が付けば、介護キャリアは30年を超えました。
しかし30年強の介護キャリアを経て、今の私だからこそ証明できることがあります。あなたが現在の生活の中で選択しようとしている道は、「自分が心から望んでいる道」ではないかもしれません。
私は、あなたの未来の姿かもしれませんー。
介護・ケアに向き合う日々が続くとどうなるか。日々のタスクに追われ「介護が自分の人生のすべて」と錯覚してしまう思考に陥りやすくなります。もちろん「介護・ケアが自分のやるべきことである」と本気で思う場合は、それは素晴らしいことです。
ただ、もしそうではない場合。表現を変えれば「家族の介護・ケア」という背景のもと、他人軸で生きるということになります。他人軸で生き続けると、やがて自分の望みが分からなくなります。だからこそ、どんなに余裕がなくても「自分はどうしたいか」という自分軸の時間を意識的に作る必要があるのです。
先にお伝えした通り、介護は「いつ」直面するか分かりません。私自身、身をもって体感しました。一方で、明日には状況が一変、好転する可能性もゼロではないのです。だからこそ、いつか来る「状況好転のタイミング」に備えて、「自分は何をしたいのか」を自分軸として明確にしておく必要があります。
極端な言い方ですが、介護は「いつか来るもの」と気楽に構え、目の前の課題・タスクを淡々とこなすこと。その日々の積み重ねは、いつか必ず、困難に立ち向かうための「強力な財産」へと変わります。かつての私がそうだったように、あなたも決して下を向く必要はありません。あなたの人生の主役は、他の誰でもないあなた自身なのです。
4. 私と同じ「空白」をあなたに作らせないために
今現在「家族の介護・ケア」という状況に直面し、誰にも頼ることなく1人で抱え込んでいるあなたに、伝えておきたいことがあります。
私はあなたに「頑張れ」という言葉は掛けません。
何故なら、あなたはもうとうに限界を超えて頑張りすぎているからです。その状態で周りから「頑張れ」と言われるとどうなるか。却って負担になってしまうのです。(言ってくれた人に悪気はないのでしょうが)
私は自分自身が辿ってきた30年強の経験を通して、そのことを誰よりも深く理解しています。
私が辿ってきた道が正解だったのかどうかは正直分かりません。後々後悔したことも数えればキリがありませんし、客観的に見れば「不正解」と言われる道だったのかもしれません。
ただ、そんな私が確実に言えること。それはー。
「自分が本当は何がやりたくて、どういう道を望んでいるのか」についてだけは自分自身と向き合って真剣に考えて欲しい、ということです。
詳しくは後述しますが、私はこのことを疎かにした結果、今現在も大きな壁として立ちはだかっています。
私のように「後々まで大きな壁が立ちはだかり続ける」状況を、あなたには絶対に迎えてほしくありません。
家族を愛していても、どれほど過酷な状況に立たされていても、あなたの人生の道筋は誰かに明け渡していいものではなく、あなた自身で選択して切り拓いていくものなのです。
本稿は、30年強にわたってという家族の介護・ケアに携り続けてきた私が、様々な経験・体験を経て、時に極限状態にありながらも「自分」という輪郭を失わずに済んだ、唯一の思考法と生存戦略を体系化したものです。
これはただの体験記ではありません。予期せぬ事態で立ち止まったり、あるいは遠回りになったあなた自身の人生を、あなた自身の手で切り拓くための「人生リスタート計画書」です。
焦る必要はありません。ここから、あなたの「新たなるスタート」を始めていきましょう。
第1章:なぜ、あなたは「自分の人生」を後回しにしてしまうのか
1. 「24時間」頭から離れない家族のこと
家族の介護・ケアという生活が始まったその日から、あなたの日常からは「自分自身の時間、心の余白」という大切なリソース(資源)が少しずつ失われていきます。
食事毎の薬の確認、食事の準備、予期せぬ感情の起伏や症状への対応……。これらは「あなたの時間を消費する」ことだけではありません。もっと深刻なのは、あなたの「思考パターン」そのものが「家族の介護・ケア」という事実を軸に「最適化されてしまう」ことです。
少し想像してみてください。私たちの脳が一日で処理できるエネルギーには限りがあります。
本来であれば「将来のキャリア」や「週末の楽しみ」など、自分自身に対して向けられるエネルギーが、すべて「現状の維持」と「リスクの回避」に費やされることになちます。
「親の機嫌はどうか」「食料や薬の在庫は足りているか」。自分自身の脳のメモリがこうした介護・ケアを適切に行うための思考が徐々に増えていき、自分自身の未来を描くための「思考の余裕」が削り取られていくのです。
私は当時、周囲の楽しげな会話が遠くの出来事のように感じられ、自分だけが深い霧の中に立っているような疎外感を覚えることが沢山ありました。振り返ってみれば、自分の将来を考えるための「心の鍵」を日々の忙しさによって知らず知らずのうちに閉ざしていたのです。
さらに、家庭内の事情を外に漏らすべきではないという「自分自身で縛った暗黙のルール」がある場合、あなたをさらに孤独な場所へ押し込めてしまいます。この沈黙を守るための精神的負荷が、知らず知らずのうちにあなたを追い詰めていくのです。
2. 社会的な「期待」という見えない重圧
あなたが1人で抱え込んでいる背景には、周囲が無意識に作り出す「理想的な家族像」という重圧があるかもしれません。
「家族で支え合うのは素晴らしいことである」
「若くて力があるんだから大丈夫」
こうした言葉が、あなたから「適切に助けを求める権利」を遠ざけてしまいます。
私は今まで、家族や親族たちが私が親を介護する姿をみて「立派だ」「偉い」と褒める一方、実際には介護・ケアに携わる私の生活に深く踏み込むことを避ける様子を肌で感じてきました。家族や親族の視点からすれば、私の人生は「献身をテーマにした美しい物語」であって、自分たちの生活に影響する「現実の課題」であってはならなかったのかもしれません。
このように、現代社会は時に個人の犠牲の上に成り立つ「美談」を求めがちのように感じます。その構造にあなたは今、客観的に気づく必要があるのです。
3. 「家族を支えたい」との思い。いつの間にか自分を追い詰める
これほどまでに大変な状況のなかで、なぜあなたは「家族の介護・ケア」という道を選び続けるのでしょうか。それは、あなたが心優しい責任感を持ち「大切な居場所や家族を支えたい」と、自分自身のことを後回しにしてまで懸命に向き合ってきた証でもあります。
「もし自分が手を離してしまったら、家族はどうなってしまうのだろう?」
そうした不安は知らず知らずのうちに、あなた自身の心をぎゅっと締め付け、絶え間ない緊張感を与えてきたのかもしれません。
ですがそんな緊張状態が長く続くと、人は物事に立ち向かう気力も、そこから離れる勇気も、少しずつ削られていってしまうものです。いずれ「今日という日を無事に終えること」だけにすべての力を注ぐような感覚になります。
「自分が家族の介護・ケアを担う。その役割を全うする」ー。
そう決意したあの時に胸の中にあったのは、家族への温かな愛情だったのか、それとも役割を全うしないことへの負い目だったのか。その答えはすぐに見つかるものではありません。
1つ言えることは、その優しさと不安が複雑に溶け合っているからこそ、あなたは今日までその場所を離れずに「介護・ケア」という状況に立ち向かい、耐え忍んでこられたのでしょう。その心の複雑さこそが、あなたをそっとその場に繋ぎ止めている「鎖」の正体かもしれません。
第2章:感情を消し、自分自身の人生を後回しにする危うさ
1. 感情を消して過ごす日々。何も感じない「理由」とは
家族の介護・ケアを自分の生活の中心に据えると、やがて自分自身の身体にも影響を及ぼし始めます。
肉体的な疲労はもちろんのこと、慢性的な睡眠不足。時には症状変化に伴う深夜対応からそのまま朝を迎えることも少なくありません。そのような日々を過ごすことはかなりの精神的負荷が掛かっていることは間違いありません。精神的負荷が限界を超えたとき、人間の脳は一種の「緊急避難」を行います。それは過度なストレスから心を守るため、「自身の感情の起伏を最小限に抑える」という現象です。
「辛い」「苦しい」と感じることさえも、実は膨大なエネルギーを消費しています。表現を変えれば、肉体的負荷、精神的負荷が強く掛かった極限状態の脳にとって、感情を感じることは「非常に燃費の悪い行動」になってしまうのです。
よって、脳が生き延びるために一時的に心の感度を落としてしまうのです。
当時の私は、まさにこの「感情の省エネモード」の中にいることが少なくありませんでした。家族、学校の先生、友人などから時に厳しい言葉を投げられても、心に波風一つ立たないのです。
周囲からは「落ち着いている」と評価されることもありましたが、その実態は「冷静」とか「落ち着いている」なのではなく、ただ「自分の心がダメージを受け付けないようにフリーズしている」だけだったのです。
もし今、あなたが「物事に対して何も感じない」「冷たくなったかもしれない」と不安を感じているなら、それはあなたの性格の問題ではありません。あなたの心がこれ以上のダメージで壊れてしまわないよう、あなた自身の脳が防衛策として選択した「省エネモード」の中にいるということが出来るのです。
2. 「私がいなければ」という存在意義が自分自身を消す
もう1点。「ヤングケアラー」「若者ケアラー」を経験してきた立場として私が強く訴えたいことです。
それは、今できている「家族の介護・ケアという役割」を、唯一の自分の価値だと認識し始めることです。ほかに選択肢が見えないとき、人は目の前の役割を完璧にこなすことに、すべてのアイデンティティを求めてしまいます。
これ、実はあなたにとって非常に切実な課題なのです。「自覚しにくい」からです。
「この家を守れるのは、自分しかいない」。
そう自分に言い聞かせることで他の選択肢を見ないようにし、現状を正当化してしまいます。
少なくとも当時の私はそうでした。「自分の意志でこの道を選んだのだ」と思い込むことで、自分の存在意義を見出していたような状態だったと思います。
しかしながら、役割を全うし続けたその先の未来に「自分の本当の意思や好み」が何一つ分からない状態になることを当時の私は想像もしていませんでした。周囲からの「家族思いだね」「親孝行だね」という言葉が、もしかしたらあなたの「本当の意思や好み」を縛ることになっているかもしれません。
先にも述べましたが、「家族の介護・ケア」はいつ直面することになるか分かりません。そしてその状況に携る決断をしたあなたの選択は非常に尊いものです。ただ一方で、「あなた自身の人生における本当の意思や好み」を大事にすることも、同じくらい、いや場合によってはそれ以上に尊いものなのです。
その構造を、あなたには今一度冷静に見つめ直してほしいのです。
第3章:「正解」を選び続けた30年の代償
1. 「正解」を選び続けた代償
「もし過去に戻れたら、違う道を選びますか?」
その問いには、私は今でも「いいえ」と答えます。即答です。
何故なら、それが当時の自分に考えられる最適解だったからです。家族を守るためなどと大層なことを言うつもりは全然ありませんが、図らずも結果的に長年にわたって「介護・ケア」のキャリアをもつことになったこと。その自負は、今も私のアイデンティティとして根底にあります。表現が適切か分かりませんが「誇り」でもあります。
しかし、私は別の観点からみた事実をあなたにお伝えしなければなりません。
家族の介護・ケアに携わってから30年強という月日が流れた今、私を待ち受けていたのは、自分の中に大きな「空洞」があることに対する気付きでした。周囲を悲しませないために「最善の選択」をし続けること。それは、自分自身の「本当の声」を少しずつ後回しにし続けることでもありました。
この気付きは、今現在も私にとって「大きな教訓」として立ちはだかっています。
もしあなたが「自分自身の本当の意思を押し込め、周囲のために最善の選択をしている」のだとしたら。その先に待っているのは、今の私と同じかもしれません。
もしあなたがこれを読んで違和感を感じている場合。それは、何年後かは分かりませんが未来のあなた自身からの「アラート」かもしれません。
私から伝えたいことー。
その違和感に蓋をしないでください。「自分を削ることでしか存在価値を証明できなくなってしまう前に。」
2. 「自分の心の声」を拾い上げる難しさ
私にとって忘れられない出来事があります。