
ハワイ在住58歳、もうすぐ無職?!
1998年大好きな此の島で、働ける権利を得てその一歩を踏み出してから28回目の夏を前にして、無職の危機?
◆閉店・撤退....無職の危機
約2年前、今勤めている会社のオーナーさんに誘って頂き15年間勤めていた靴屋さん退職し、転職を決めた。
此の島にきて6度目の転職だった、その時もう人に雇用されて働くのは今回限りで…という思いがあった。
28年見てきて此の島で、長期にわたってビジネスを成功させることは、かなり難易度が高いと認識している。
アメリカ本土からの大手のハワイ進出、日本からの海外進出…
多くの会社、個人事業主が… 数年で撤退を余儀なくされているのを見てきた。
では、何故そうなってしまったのか…
此の島では、彼らが他の場所で成功を収めた
方法と同じ方法が、全く同じ様には通用しない事に、気づくか気づかないかなのではないかと、個人的には思っている。お店に来店頂くお客様一人ひとりに対する接客の仕方が異なる様に、その土地に応じてビジネスのやり方にもアジャストが必要なのではないか…
◆苦渋の決断 恩人との決別
最初の仕事は、ワーキングビザをとって頂いた会社だった、この会社のオーナーさんとの出会い そしてサポートがなければ僕が此の島で働ける事は叶わなかったかもしれない。今でもこの思いは変わらず、感謝しかない。
ハワイを拠点とした会社で、当時日本に進出して最盛期は7店舗を展開していた。ハワイの8店舗と合わせると15店舗くらいの規模の会社だった。
日本サイドで3年間、ハワイでは約9年間くらいお世話になった。
L-1ビザの法的に定められていた最低賃金が当時$2500…家賃がStudioで$725だった。結婚をして我が子が生まれ… 当時の給料ではギリギリになり… その会社も衰退し始めていたので給料交渉をするといった選択肢は、僕にはなかった。事情を直接オーナーに伝えにその日、社長がいたアラモアナの店に行き外のベンチで2時間くらいは色々話をさせて頂き
退職させて頂くという方向でという事になり、新しい職場に行った後も週2〜3日間のバイトとして、働かせて頂いていた。しばらくして全ての店が閉店となった。
◆守るべき者達がある強さ
次の仕事は、高級時計の専門店 面接に行った際、かなりの厳しい事を言われた、
『最初の半年くらいは、今の仕事と同じ金額の給料は稼げないと思うし
2週間のトレーニングの後 3が月連続でノルマを達成出来なかった場合は辞めてもらう契約なので…』
その会社には、4年近くお世話になったがその間にこのサバイバルなルールによって退職した新人さんを4〜5人みる事になる。今考えても条件的には、僕には良い会社だった。当時は、自分より10歳以上年上の方々がいるのを見ていてこのまま、この会社でずーっと働くのもありかなぁ〜と思っていた。
そんな矢先…
『将来は、何をやりたいの?』と問いかけられ
夢を語り…
『じゃ〜その夢を一緒に叶えましょう!』
時計屋に勤務しながら1年間、無償で会社立ち上げ、出店準備をして無事店をOpenしたが…
全ては、嘘だった…色々な人に迷惑をかけてしまった。
まだ、直接お詫びを伝えられていない方もいる… あれ以来疎遠になってしまった。今も、申し訳ない気持ちを抱えて過ごしている…
3ヶ月、無給で働き真夜中のATMで独り口座の残高を確認した…$80限界だった。
半年間…なんだったのか、店舗リースのバックアップの保証人としてサインしていた事もあり、やりたい事を夢見た代償は精神的にも金銭的にもかなり高くついた。
捨てる神、あれば拾う神あり…その時動いた事で 一期一会 出会った素敵な人達!今も繋がっている。やっぱりやりたい事!
60歳を前に、BabyStepで証拠にもなくまた一歩踏み出してみようを画策中!
◆USPS運命の再会👞
選択の余地なし、騙されついでに言われるがままに、誘われるがままに転職!
かなり美味い話を持ちかけられた。店舗のペナルティー、我が子の幼稚園の月謝$600、家賃…とにかく 2週間後には給料が、お金が必要だった…案の定、実際支払われた金額は提示金額の1/3〜2/3勤務時間は
大幅に超過…その店のオーナーに、話が違うと言うと
『嫌ならやめてもらってもいい』
ならば、『この扉を出た瞬間から、仕事を探すから…』
その数分後、商品発送のため向かった郵便局でその後お世話になる靴屋さんのオーナーと再会、実は時計屋さんの時のお客様だった。
『そういえば、OPENしたインディアンジュエリーの店はどう?
今、うち店舗を拡張するから日本人スタッフ探してるんだよね、良い人いないかなぁ〜?』
『はい 只今 目の前に!』心の中で即答していた!
次の日、ランチを食べながら次回の出勤日が決まった。
その日から、15年間色々な事があった。商品供給の枯渇事業拡張をやり過ぎた結果多大の負債を従業員の大量の離脱…コロナ禍でのロックダウン…
色々一緒に乗り越えた?
我が子とオーナーの息子は、一歳違いでお互いに父親として一緒にお互いの家族を守る立ち位置… 自分の中ではそんな、お互いの共通項もあって共に頑張ってる感みたいなものが勝手に芽生えていたと思う。
コロナ禍、無給で働いた…そして、コロナが終わり
ビジネスは再開された。
しかし以前の様には観光客は戻って来ず
コミッションは減り御給料は激減していた。
そして、僕が以前高級時計店で勤務していた事を聞いて興味を持って頂いて、今の会社のオーナーさんに直々にお誘い頂いた。
突然、自分の都合とお金の問題で転職を告げるの事に違和感を感じた、15年という月日はそれなりの重みがあった。
靴屋のオーナーに伝えた、今 仕事のオファーをもらっていると…
先方はどんな条件なのかと確認された。
雇用条件を伝えると…14年間据え置きだった時給をその条件に合わせるからと伝えられた。
その時、心の中で僕は新しい可能性に舵をきった。
15年間、月300足近い靴を売り続け会社に貢献してきたつもりでいた。店の売上の半分以上を叩き出し続けた。会社が生き残る為に
そんな、僕の中の自負や同じ境遇の父親としての仲間意識は只の己の中の勝手な妄想に過ぎなかったのだと自覚した。
転職後も、やり残した仕事をお世話になったお客様の為に続けさせて頂き…ほぼ、落ち着いた頃に退職させてもらった。
色々あったが、良い出会いの沢山あった仕事だった。
どの仕事も、そうだがお客様との出会いにはとても恵まれている。
本当に感謝しかない。
◆58歳での、ジョブハンティング 我が子に伝えたい事
そして、2026年今 転職先の現職場のオーナーさんが閉店、
ハワイからの撤退を決めた。それを知ったのは日本から来ているGMの携帯画面の文字からだった…店としては2年間だった。
さぁ〜ハワイ在住28年、58歳の男 新たなステージへ!!
面白過ぎて笑うしかない!
人は、成功より失敗から学ぶことの方が多いという
僕は、常夏のこの島で5人の成功者の失敗を間近に見てきた
各々で僕なりに何故彼等が、失敗したのかを知っている。
色々あるが、任せる人を見極める目はかなり大事だと思う。
オーナーが、自身の目で全てを見れない状況下
己に代わって、それを見極める目を…人を選ぶ事の重要さ
その逆も然りで、その人の為に働くオーナーを見抜く
千里眼を鍛える事の大切さをこれからの我が子に伝えたい。
口先や、偽りを見抜く力…
日本に居た時も、含めて多くのオーナーさんの下で働かせて頂いた。
仕事に向かう車中でうちの奥様に
『Fujikakeさんに、誘われたらまた、一緒に仕事すると思える』
僕に、ハワイに住む機会を与えてくれた恩人でもあり人間としても、魅力のある 義理や人情 侘び寂びのある人だった。
ビジネスマンとしては、アイデアと行動力のある…
本当だったら、かなりのヤバイ状況下
こんな時、いつも僕を支えてくれているのは
少年の頃に見た、アニメの主人公 尖ったナイフの様などんな時も『最後は、カッコがついちまうもんだぜ』と涼しげに
言っていた。彼の姿だったりする。
どんな、状況下でも諦める事をしないで、不利なアクシデントすらもプラスに捉えるその感性…勝者であることの1番のコツは勝者になるまであきらめない事の様な気がする。
昨日も、ずっと応援していた元K-1 ファイターが幾つもの困難を乗り越え
勝者である事を求め続け、見事引退試合で勝利をその手に掴んだ姿に感動。素晴らしい!生き様を見せてもらった。
我が子に、カッコ良いと思ってもらえる背中を見せる為に
いつまでも、
カッコつけていようと思うから
今回も、乗り切る道を進むのみ🤙🏻
〜Keep Never Give Up Mind〜

此の島で働くキッカケを頂いたトイレの再会は
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今も昔も、座右の銘は『波瀾万丈』
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