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【第七話】押忍❗ワイの漫画家物語 ~初めての出版社まわり、漫画持ち込み編🔥

    還暦を迎えた元漫画家

    大学4年の冬休み。
    ワイは、大阪へ帰省する途中、千葉の友達の友達の家(頼れるものはなんでも頼った😅)数日泊めてもらった。

    理由はひとつ❗

    東京で、漫画の持ち込みをするためだ👊


    大学を卒業したら、東京へ行って漫画家になると決めた。
    ならば、
    『高橋幸慈が東京に出てきましたでぇ~!
    よろしゅうお頼み申し上げます🙇』

    と色んな出版社に顔を売ろうと思ったわけですw

    今、考えたら『何様やねん?💢』って感じですよねぇ~🤣

    🗼【なぜ東京へ行くしかなかったのか?】✈️


    当時は、現代のような環境はなかった。

    携帯もメールもSNSもない。

    漫画賞に応募しても、
    編集の目に留まるレベルでなければ、
    返事すらもらえない。
    せっかく送っても、 結果は『スルー』。

    どこが悪いのか?
    何が足りないのか?
    何を直せばいいのか?
    何もわからない💦

    友達に見せても同じだった。
    『うーん…いまいち。』
    それだけ。

    ワイの作品が未熟なのは分かっていた、

    ——でも、

    『どうしたらもっと面白くなるんだ?』
    『今のワイに何が足りないんだ?』

    と常に考えていた。

    『地方にいたら、一生上達はあり得ない❗』

    『プロの指導を仰ぎたい❗』

    ずっと、そう思ってたんだが......

    ——しかし現実は、こうだった。

    出版社のほとんどは、東京である。
    東京に住んでいれば、
    ✅原稿を直接持っていける
    ✅編集に会える
    ✅その場でアドバイスがもらえる

    つまり、東京は

    プロに見てもらえる『唯一の場所』だった。

    プロの言葉は友達100人の感想より重い!


    それくらい価値があるんだ💪

    どうせ働きながら漫画を目指すなら――
    地方で孤独に描くより、東京で、プロの近くで描こう❗
    アシスタントにも入りやすいはずだ❗
    (当時は先ず、アシスタントになりたかった😆)

    そう思った。

    ワイの中で、
    『東京へ行く』という選択は、夢ではなく、

    必然になっていたんだ。


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    写真はイメージです。東京駅もこんなじゃなかったよねぇ~😆

    📞【弱気な新人、あえて“小さな出版社”へ(笑)】


    そんな、強気なワイやったんやが、

    失礼な話、
    『でっかい出版社はワイみたいなもんは相手にもしてくれんやろ、先ずは小っちゃい出版社でアットホームなところに売り込もう』

    ......いや、今思えば、小さい出版社にかなり失礼な偏見でした💦

    上京前、ワイは3社ほど出版社に持ち込みの予約を取っておいた。
    持っていったのは、16ページのギャグ漫画。

    パチンコ+『オレたちひょうきん族』のパロディ👊

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    東京へ行く名刺代わりに描いた、『気分はパチプロ!』P16😆


    今、思えば……

    よく、これもって行ったな、ワイ😅


    ※後程、外伝として、このギャグ漫画を公開いたします❗
    (これ持って行ったの?度胸あるなぁ~と笑ってもらえれば幸いです。)

    😨【現実は甘くなかった。門前払いの連続⤵️】


    そして始まった、出版社巡り。

    今ではもう、どの出版社に持っていったのかも
    覚えてないんだけど、めちゃくちゃ緊張💦してたのは
    覚えている。

    そして、ここで『現実』を知る...

    まず――予約して行っても、

    編集者は遅れてくる。


    今思えば、編集さんは漫画家に合わせて動いているので忙しい。
    時間は常に変動しているのだ。しょうがない🙇‍♂️

    編集部の片隅で、原稿を抱えて、ただ待つ。

    『なめられてるんだろうなぁ...』

    被害妄想がもくもく湧いてくるw

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    写真はイメージです。


    周りには、本や資料がいっぱい。
    忙しそうに働く編集者たち。

    自分だけが、場違いな存在のように感じる。
    この待ってる間、だれも話しかけてくれないし、

    『お茶』も出してもらえなかった...


    やっと来た編集者が、
    原稿を手で持ったままパラパラと読み、

    『うーん……まだまだだな』
    『このレベルじゃ、うちでは載せられねぇな』

    冷たい東京弁で終わり。

    技術的なアドバイスもない。
    何が悪いのかも言われない。

    当然『名刺』も、もらえない😭

    全く相手にしてもらえなかったのだ。


    これを、三社連続で経験した😭

    想定はしていたよ。今のワイはこんなもんだって...

    でも、やっぱり――

    『前途多難やなぁ...』と心細くなった…


    🔥【若いって素敵💕負けず嫌いの炎】


    ただ、不思議なことに。
    落ち込んだ先に、こうも思った。

    『心配すんな!東京に出てきたら、
    めきめきレベルアップしてやっから👊』


    三社とも、会話は数分。
    思ったより早く終わってしまった。

    時計を見ると、まだ昼過ぎ。
    『もう一社、回れそうやな……。』

    その時、ふと思い出した。
    📝週刊ヤングジャンプ、『持ち込み歓迎』の記事。

    『こうなったら、当たって砕けろや‼️』



    ダメ元で、公衆電話から電話してみた。

    『あの、これから持ち込みに行きたいんですが…』

    すると、返ってきた言葉は、

    『いいですよ。見ますよ』

    ……え?



    『本当に『今!』行っていいんですか?』

    『はい、どうぞ』

    その一言で、心臓が一気にバクバクし始めた💦

    😳【初めて見た、大手出版社編集部。】


    集英社(ビルでけぇ~💦)の受付を通って、

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    ドーン❗今はこんな感じ。昔は古いビルで建て直したんですよねぇ~。すごいっす😆


    編集部へ。

    緊張のあまり、エレベーターではなく、階段で上がった記憶がある。

    ドアを開けると――
    そこは、まさに漫画の世界だった。

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    写真はイメージです。当時はパソコンもなく、もっと昭和感がありましたねぇ😆

    広々とした空間。
    机の上には原稿の山。
    資料、本、ネーム。
    編集者たちが忙しく動き回っている。

    『す、すげぇ~ほんもんのヤンジャン編集部だぁ~』💖😍🥰

    『す、すいません💦持ち込みの高橋です!』

    そう声を出すと、奥の机から手が上がった。

    『はい、こっちこっち』

    その人が――
    後にヤングジャンプ編集長になる、Y路さんだった。

    ☕【小さい出版社との“決定的な違い”】


    挨拶をすると、Y路さんはすぐにこう言った。

    『おい、コーヒーとってくれ』

    喫茶店から、ちゃんとしたコーヒーが運ばれてきた。

    三社回って、水すら出なかったワイにとって、

    神待遇だった😍🤩


    この時、思った。

    『この出版社、ワイを作家扱いしてくれてるのか?』

    ※のちに分かったことだが、Y路さんは、少年ジャンプから出てヤンジャンを立ち上げた編集だった。少ジャンで若い作家が『化ける』のを嫌というほど見てきているのだ。だから、若い人を大切にしていた。
    逆に小さい出版社は中堅からベテランを使う。新人を育てる気がないしノウハウもなかったんじゃないかな…とワイは思った。

    『お茶をだす。』

    これはその出版社の向き合い方そのものだと思った。

    🎯【プロの指摘は、心に刺さる】


    Y路さんは、丁寧に原稿を読んでくれた。
    そして、いくつかのアドバイスをくれた。

    まず、
    『線、太いね。力入りすぎだよ』w

    そして、もっと大きなアドバイス。
    当時パチンコはブームだったが、編集部の誰もやっていない。

    つまり――
    パチンコ屋での普通の所作が分からないし、
    パチンコのシステムさえ分からないのだ。

    ここでワイは気づいた。

    なるほど、そりゃそうだな、

    『知らない世界を描いても、伝わらないんだ💦』

    『知らない人にも、分かるように描く❗』


    これは、漫画の本質だった。

    💥【さらに衝撃の一言】⚡


    漫画のラストのオチは、
    当時、流行っていたテレビのバラエティ『オレたちひょうきん族』の
    パロディだったんだが...

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    『これ、どういう意味?』って言われたw
    『ばかぁ』って言葉はひょうきん族での『西川のりお』の締めのギャグなのでした😅



    それを見て、Y路さんが言った。

    『商業を目指すなら、パロディはやめなさい』


    理由は明確だった。
    ✅元ネタを知らないと面白くない
    ✅読者が限定される
    ✅商業では成立しない

    そして、最後に言われた言葉。

    『パロディする側じゃなく、される側を目指しなさい』


    この言葉は、今でも忘れられない😭


    📇【そして、人生を変えた一枚の名刺】


    結構、長い時間話をした。
    帰り際、若い編集者が呼ばれた。

    『このタカハシ君、頼むよ』

    その人が、初代担当『O穂井さん』だった。

    ※のちに、Y路さん曰く、『あの時、やべぇー奴が来たなぁと思って、O穂井に振ったんだよ!』ってゲラゲラ笑いながら言ってたw 
    かわいそうなO穂井さん🤣🤣🤣

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    写真はイメージです。

    編集部から出て、
    O穂井さんと喫茶店に行った。

    原稿を丁寧に読んでくれて、
    色んな話をして、
    最後に『名刺』をくれた。

    『僕が担当します。よろしくね。』


    『担当?』🤔


    当時のワイは、まだ知らなかった。

    漫画は『担当』がついて、プロット、ネーム、下書き、ペン入れ、
    全て二人で相談しながら、『連載漫画』を創っていくんだと...

    大手出版社のプロ編集が、構想の段階から付き合ってくれる?😬

    『これが、東京か...』


    ワイ、震えました。

    『やっぱり、東京に出てこなあかん❗』



    『ワイ!大学卒業したら東京に出てきますので、
    よろしくお願いいたします‼️』
    って絶叫してたんだけど...

    ※のちに聞いたんだけど、Y路さんにもO穂井さんにも『早まるな!先ずは地元で就職して地盤を固めてから漫画を描きなさい』ってずっと『来るなぁー💦早まるなぁー💦』って止めてくれてたらしいw

    ワイ、全く聞いてなかった🤣🤣🤣


    🍀【振り返って思うこと】


    この日。
    三社で門前払いされた同じ原稿が、
    ここでは、未来につながった。

    『これ、なんだと思う?』


    漫画家に必要なのは

    努力?

    実力?


    それも必要だが、もう一つある❗

    『運』だ。


    あの日、門前払いされて昼に時間が空かなければ...

    ヤングジャンプに電話しなければ...

    たまたま居た、Y路さんが電話に出なければ...

    O穂井さんが『担当になるよ』って言ってくれなければ...

    ワイの漫画家人生は、確実に違っていた。

    これは断言できる❗

    人生には、

    人生を変える『出会い』があるんや👊


    次回、
    上京して漫画を描き始めるのだが、『働きながら描く』という
    とてつもない壁にぶち当たる...
    『ワイ、このまま潰れるかもしれんなぁ...』

    どうなるワイ? 頑張れワイ❗ 
    応援よろしくお願いいたします🙏

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    本日も最後まで読んでいただいて、ありがとうございました🙏

    次回、【第八話】ワイの漫画家物語はこちら👇

    当時の持ち込みしたギャグ漫画を読みたい人はこちら👇

    まとめて読みたい方はこちら👇
    ▶ マガジン


    👉ワイの漫画家物語~初めての方はこちらから👇
    ▶ 第一話


    【追記】

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    燃やして、燃やして、書き続けます❗
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    シリーズ累計発行部数2100万部突破❗️『押忍‼︎空手部』👊元『ヤングジャンプ』連載作家、高橋幸慈(たかはしこうじ)と申します。昭和生まれ、現在64歳。このnoteでは、漫画の裏話・創作エッセイ・漫画ネーム・ソロキャンプ・ゴルフなど、趣味と人生を語っていきますよー🙌 押忍!🔥

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