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今も私の背中を押してくれる言葉


    「周りの人に言われて嬉しかったことはありますか?」

    そう聞かれたとき、真っ先に思い浮かぶ言葉があります。

    それは、高校生の頃に祖母が言ってくれた

    「mosaちゃんなら大丈夫」

    という一言です。

    今思えば、とてもシンプルな言葉でした。

    でも、その言葉は10年以上経った今でも、私の背中を押してくれています。

    高校3年生の私は、大学受験を控えていました。

    AO入試だったので、学力試験だけではなく面接もあります。

    面接練習はしていたものの、自信があったわけではありません。

    ちゃんと話せるかな。

    うまく答えられるかな。

    落ちたらどうしよう。

    そんな不安を抱えながら過ごしていた時期だったと思います。

    そんなある日、祖母に受験の話をしました。

    すると祖母は、

    「mosaちゃんなら大丈夫」

    と言いました。

    それだけでした。

    「たくさん勉強したんだから大丈夫」

    でもなく、

    「練習しているんだから大丈夫」

    でもなく、

    ただ、

    「mosaちゃんなら大丈夫」

    でした。

    祖母は私の成績を知っているわけではありません。

    面接練習を見たこともありません。

    受験の状況を詳しく知っていたわけでもありません。

    それなのに、なぜかその言葉にはものすごい説得力がありました。

    大丈夫な理由なんて何も説明されていないのに、

    「そっか。私なら大丈夫かもしれない」

    と思えたのです。

    結局、私は無事に大学へ合格しました。

    そして大学進学が決まったあと、祖母は亡くなりました。

    祖母は病気をしていて、長い間闘病生活を送っていました。

    だから今振り返ると、

    もしかしたら私の進路が決まるのを見届けたかったのかな。

    なんて考えることがあります。

    もちろん本当のことは分かりません。

    でも、そう思いたくなるくらい、私にとって祖母は大きな存在でした。

    祖母が亡くなったあと、母から聞いた話があります。

    「あんたが赤ちゃんの頃から、おばあちゃんはいつも『mosaちゃんなら大丈夫』って言ってたんだよ」

    私はその言葉を聞いて驚きました。

    受験だから言ってくれた言葉だと思っていたからです。

    でも違いました。

    祖母の中では、

    高校生の私も、

    受験生の私も、

    赤ちゃんだった私も、

    全部ひっくるめて

    「この子なら大丈夫」

    だったのです。

    根拠なんてなかったと思います。

    でも、祖母は私を信じてくれていました。

    だからあの言葉には、あんなにも力があったのかもしれません。

    最近になって、ふと思うことがあります。

    人は言葉そのものに救われるのではなく、

    その言葉に込められた信頼に救われるのかもしれない、と。

    例えば最近、親友から

    「早く会いたい」

    と言われました。

    たったそれだけの言葉なのに、すごく嬉しかったんです。

    恋人か!と思わず笑ってしまいましたが(笑)。

    でもきっと嬉しかった理由は、

    その言葉の奥に

    「会いたいと思っているよ」

    「大切に思っているよ」

    という気持ちがあったからなんだと思います。

    言葉は短くても、そこに込められた想いは大きい。

    祖母の言葉も、きっとそうでした。

    今でも何かに挑戦するときや、不安になるときがあります。

    在宅ワークに挑戦するときもそう。

    noteを書き始めたときもそう。

    自分の選択に自信が持てなくなる日もあります。

    そんな時、ふと祖母の言葉を思い出します。

    「mosaちゃんなら大丈夫」

    根拠はありません。

    でも不思議と勇気が湧いてきます。

    祖母が亡くなってから、もう10年以上が経ちました。

    少しずつ記憶は薄れていくし、顔を思い出すのにも時間がかかることがあります。

    それでも今はまだ、あの言葉だけは祖母の声で再生できます。

    だからもう少しだけ、このままでいてほしい。

    そしてこれからも、人生の節目で迷ったときは、あの声に背中を押してもらおうと思います。

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