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拍手って、ちょっと宗教っぽい。


    入場の拍手が、昔から怖かった。
    まだコールをされる前から、歩幅に合わせて揃う手拍子。

    観客席からの視線が自分たちだけのものになる。

    体育館の13m四方のフロアの上。見上げるような観客席からの揃った声援を全身に浴び、胸を張り、入場する。
    それに畏怖する間もなく、曲が始まると手拍子とカウントが重なる。脳内でカウントを取り、メンバーとアイコンタクトを取り、練習と同じように、同じようにと言い聞かせながら、たった2分半の戦いが始まる。


    ミスがあろうがなかろうが、終盤に向けて応援のボルテージは上がっていく。ミスをしたときは、どういう対処を取るか。そこまで練習してきた。何百回も繰り返した2分半の、ノーミスだったときの感情を反芻しながら。より力が入る熱気と狂気をどこか頭の片隅に置いたまま、曲は止まらない。もちろん身体もその演技を覚えていて、あっという間に2分半は終わる。
    演技を終えると、またその歩幅に合わせた手拍子で退場し、一礼する。ふと観客席を見上げると、ギャー!!という歓声と鳴り止まんばかりの拍手が振ってくる。

    ノーミスだ。

    狂喜乱舞する応援席に手を振る余裕など当時の私にはなく、心臓はバクバクと止まらず、高揚感に包まれたままフロアを降りる。
    フロアに一礼をして、更衣室で着替え、応援席に戻る途中、また、ものすごい歓声が聞こえてきた。慌てて下級生が飛んできて、今のところ…優勝かも…です。それだけ言って、また戻って行った。
    点数が出てこんなに悲鳴が上がるものなのかと、不思議に思っていた。

    優勝した。

    疲れ果てて表彰式は少し眠たかったけど、優勝旗の重さを感じたとき、やり遂げたんだ、とほっと胸を撫で下ろした。表彰状を読み上げられて、手渡されたとき。観客席からおめでとー!!とまた歓声が飛んできた。嬉しくて、照れくさくて、それまで真剣に真一文字に結んでいた口元が緩んだ気がした。


    初めて球場に足を運んだとき、なんだかこの光景を見たことがあるような気がした。打席に入ると、応援歌を歌い、チャンスになると、チャンステーマが流れ、誰が教えたわけでもないのに、わっしょいわっしょいと揃う声。本塁に生還すると、バンザイ三唱。

    なんかこれ、してもらったことあるかも。

    事前に打ち合わせをした訳では無いのに、球場が一体となって打者のバットを見つめる。かっ飛ばせー〇〇!!と始まり、気付いたら応援歌を口ずさむ。視線は打球を追い、フェンス際でフライに倒れると、ああ……と落胆の声。打球が伸びフェンスを超えると、ビジョンにはホームランの文字が並び、大歓声といいぞ!いいぞ!〇〇!という揃ったコール。太鼓の音に合わせ、手を叩く。大きなアーチを描き、ダイヤモンドを一周してベンチに戻る選手はハイタッチをし、全員で祝福する。応援席で私はその日初めて会った隣の人と思わずハイタッチをした。


    最初は応援側だった。せーの、ガンバー!!と叫び、手拍子をしながら、大技のときは両手の手のひらを合わせて祈るように握りしめた。ノーミスで演技を終えた先輩たちの凛とした佇まいが神々しく見えた。早く自分もそこに立ちたい!そう思って必死でレギュラーを掴み取った。

    初めての試合ははっきりと覚えていない。
    でもミスをした。
    その瞬間は今でもスローモーションで鮮明に覚えている。はっ!と息を飲んだその瞬間、コンマ数秒、視界から色が無くなった。真っ白になりかける頭の中で、このときはどうしたら減点を少なく抑えられるか。必死にもがいた2分半だった。

    初めての公式戦で緊張しまくっていた私が応援の声を聞いたのは、見返したビデオの中。母たちの、"取ってー!""よしよし"、大技の前には、ぁぁぁぁぁ落ち着いて……という声と、リボンがフロアからはみ出たときのギャアアアアアアアアアアア!!!!という絶叫。ほぼ絶望に近い絶叫。
    経験の少なかった私は、退場のとき応援席を見ることが出来ずに、ミスをしてしまった…という、これから怒られることだけを恐れ、2分半が巻き戻ればいいのに、いや、巻き戻ったとしてもきっとミスするはずだ、とぐちゃぐちゃの感情の中、涙を流すことすら忘れて、己の練習不足を恥じたものだ。

    手拍子、応援、観客席、そして審判から自分たちだけに向けられる目線。全てに飲み込まれてしまい、怖いというよりは何が何だか分からない2分半だった。ほろ苦い思い出。


    それから数年後、球場で感じたデジャブ。もっと大きな人数で、応援団の太鼓とトランペットだけで応援は揃う。儀式のように手の振りは決まっており、7回のラッキーセブンでは皆がタオルを揺らす。打球の行方に一喜一憂し、球審がストライクをコールすれば、一気に拍手が沸き上がる。バッターに送られる視線は新体操のそれよりも多く、熱い。
    絶対打ってくれ!と両手を合わせ祈りながら、また、絶対抑えてくれ!と、球場の全ての目線はバッターボックスへと送られる。

    初めて行ったときは、その光景に驚いた。
    脳裏にふと、こんな感じで応援されてたのかな?と、少しだけフロアに立ってた自分を思い出した。
    そして、バッターに当たりが出ると、ピッチャーが三振に仕留めると、っしゃああああ!と自然に声が出る。長打が出ると、回れ回れ走れぇ!と。盗塁を決めると、っしゃあ!と。ホームスチールを決めたときには、身震いがした。3塁からリードめっちゃ取ってる……もしかして…という期待から、瞬足で本塁に突っ込む姿はヒーローそのものだった。

    帰り道に自分が撮ったプレー中の動画を見返すと、思ってた数倍の声でいいぞ〜!と叫ぶ自分の声が入っていて、思わず笑ってしまった。ホームラン見れてめっちゃ嬉しかったね!と隣を歩く友人の声も、私の笑い声も、心なしか掠れている。立ったり座ったりで、明日は筋肉痛かな?なんて言いながら、また次の日のチケットを握りしめて。

    かつて、入場前に奇妙に揃った手拍子に、恐れおののきながらフロアに立っていた私へ。今、あなたは球場のたくさんの人たちと一緒に手拍子をし、チャンステーマを球場で歌っています。
    怖かったはずの拍手の熱狂の中、一生懸命に応援し、数万人のファンと合わせて手を叩き、ときには祈り、必死になって野球を見ています。

    応援されるのが気持ちいいって、知ってたみたい。

    怖いくらいに揃った手拍子、心からの応援をしてもらったから、こうやって今、誰かと一緒に野球を応援することが楽しくて仕方ない。きっとそれは、10代の頃にフロアに立っていた私を応援してくれていた両親の気持ちに近いのかな?(と思って、一度母に、どんな気持ちで応援してたのか聞いたことがあるが、正直毎回吐きそうだった。と返ってきた。ミスせんかったら、楽しかったかもしれんけど、あんた毎回ヒヤヒヤするしミス多いし。それは本当にごめん、でも、ありがとう。)

    あのとき必死に応援してくれたから、声が、手拍子が力になることが分かるんだと思う。今誰かを一生懸命応援できることが楽しいし、それを初めて会う人と分かち合う一体感にハマってます。
    野球だけじゃなくて、小さな頑張れを周りの人にそっと伝えられるように。そして、自分自身にもしっかりせんかい!と喝を入れながら。

    13歳のとき、怖くて仕方なかった拍手は、今では誰かを、ときには自分を鼓舞する音になった。
    だから明日も、私は知らない誰かと一緒に、祈るみたいに手を叩くんだろうな。


    #創作大賞2026 #エッセイ部門

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