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ひとりご飯も誰かとつながっているんだよ

    森のあいこ

    私は、ひとりでごはんを食べる時間がけっこう好きです。
    誰かに気をつかわなくていいし、会話を盛り上げなくてもいい。
    静かな部屋で、今日の自分にちょうどいいものを、ちゃんと選んで食べられる。

    ひとりご飯というと、少しさみしいもののように聞こえるかもしれませんが、私にとっては心がほどけて深く満たされる時間でもあります。

    そして満たしてあげたいなあ~と思う、そんな日の私の定番はせいろ蒸しです。せいろの蓋を開けた瞬間に、立ちのぼる湯気の向こうにたくさんの人の顔や時間や記憶が見える食卓があるんですよね。

    せいろを火にかけて、湯気が上がるのを待つ時間。
    蓋を開けたときにふわっと立ちのぼる香り。
    蒸されてやさしく色づいた野菜を見ていると、それだけで心がゆるっとゆるみます。

    豪華な料理ではないのに、ちゃんと満たされる。
    せいろ蒸しにはなんだか不思議な力があるなあと思うものです。

    せいろに入れる野菜は、お父さんが育てて送ってくれたもので、

    毎月段ボールを開けるたびに、ただの野菜じゃなくて時間や手間や気持ちごと届いているような気がします。
    でもそれって、私の勝手な想像じゃなくって、そこにちゃんと愛がめぐっていることを実際に見ているんですよね~

    朝と夕方に水やりをしていること。
    試行錯誤しながら、失敗もしながら育てていたこと。
    はじめて実ったときの、あのうれしそうな顔。
    初物が採れたら、送ってくれていることも知っています。

    私の手に届くまでに、野菜ひとつひとつに数か月分の愛情がこもっている。
    段ボールに詰めているときのお父さんの顔まで、なんとなく浮かんじゃうんです。
    言葉では「野菜送ったよ」しかないけど、私が喜ぶ顔を想像しながら段ボールぱんぱんに詰めているんだろうな、と。

    だから、せいろの中に並んだ野菜を見ていると、
    私はただ野菜を見ているんじゃなくて、その向こうにある時間まで見ている気がするんですよね。

    そして、その野菜を食べるときに欠かせないのが、自分で作っているぽん酢です。

    ベースにしているのは、醤油麹。
    その米麹は、応援したい農家さんのお米からできたものです。
    お醤油も、ただスーパーで買っただけのものじゃなくて、作っている人の想いも蔵の環境も見に行って、2年半以上かけて人の手と、菌の力と、季節の移ろいが重なって時間をかけて育つ味。

    そんな背景を知っていると、調味料もただ味をつけるためのものではなくなるんですよね。

    またそこに合わせちゃうのが、昨年、梅をお酢につけて熟成させた梅の酢です。

    小さい頃、実家の庭に梅の木がありました。
    おばあちゃんが作ってくれる紅梅漬けと、おじいちゃんが作ってくれる梅酒につかった梅が大好きで、今はお母さんが梅干しを作ってくれます。

    だから梅の香りには、私の家族の時間がしみ込んでいます。
    懐かしさや、季節の手ざわりや、台所の空気まで、一緒によみがえってくるんですよね。

    その梅の酢と、醤油麹を合わせてぽん酢を作る。
    すると、野菜を育てたお父さんだけじゃなくて、米を育てた農家さん、麹にしてくれた人、お醤油を仕込んだ人、蔵の空気、おばあちゃんの紅梅漬けの記憶、お母さんの梅干しの手仕事、そんなものまでそっと重なってきます。

    さらには、私が使う調理器具や食器は、どれも見るとなんだか嬉しくなっちゃうお気に入りのものばかりで、

    このせいろ自体にも思い出があって、3年前、地元の神社へ初詣に行ったときに買ったものでした。
    そのときは、なんかほしいな~と思ったのがきっかけで、こんなに何度も使うことになるなんて思っていなかったけれど、今ではすっかり、私の台所に欠かせない大切な道具になりました。

    せいろをのせる鍋も、取り皿も、箸も、小鉢も。
    自分が好きだと思って選んできたものに囲まれていると、ただ空腹を満たすための食事じゃなくて、自分の暮らしをちゃんと大切にしている時間だなと感じることができるんですね。

    好きな道具を使って
    思い入れのある器に盛って
    背景の見えるものを食べる。

    それだけで、ひとりの食卓は、どこかあたたかくなります。

    ひとりで食べるせいろ蒸しなのに、
    そこにはたくさんの人の手があります。

    育てた人。
    仕込んだ人。
    受け継いできた人。
    届けてくれた人。
    思い出を残してくれた人。
    そして今ここで、その全部を受け取りながら食べている自分。

    だから私は、ひとりで食べていても、ひとりだとは思わないのかもしれません~

    ひと口食べるたびに、
    ああ、私はいろんな人や時間につながって生きているんだな、と思います。

    心を満たすごはんって、きっと、豪華なごはんのことじゃないし、
    栄養が完璧なごはんのことでもない。
    誰かの手や時間や想いが感じられるものを、自分でちゃんと選んで、味わって食べること。

    食事はただ空腹を満たすものじゃなくて、心の奥まで静かにあたためてくれるものになるんですよね。

    ひとりで食べているけれど、ひとりじゃない。
    食材ひとつひとつに生産者さんの姿が見えて、
    調味料にも思い入れがあって、
    味つけにも思い出があって、
    道具や器にも、自分の暮らしの記憶がある。

    そんな食卓に向かうとき、
    「いただきます」って、ただの挨拶じゃなくて、今日ここまで届いてくれたものを、まるごと受け取る言葉になるものです。

    私にとって心を満たすひとりご飯は、
    せいろの湯気の向こうに、たくさんのぬくもりが見えるごはんです。

    皆さんの「心を満たすひとりご飯」って何ですか?
    教えてもらえたら嬉しいです。

    今日も最後まで読んでくれてありがとう^^

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    この発信のはじまり
    → 管理栄養士の私が、栄養だけでは足りないと気づくまで

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