
お布団の中から、新時代の勇者になるための責任と覚悟について【散文】
この物語には、二人の登場人物がいます。
僕と俺。
「僕」は、ずっと、なにやら言っています。
「俺」は、僕が何かを言うたびに、いちいち嫌なことを言います。
※俺の発言は引用マークしています。
①20代のうちにやっておくべきこと、仕事・結婚・ネット断ち。
僕はA3用紙に、どこかでもらった記念品の書き心地が最悪のペンを使って、とりとめのないことを書き連ねていた。
唐突に誰かすごい人が頭に浮かんだ。
お前なんてそいつと比べたら、ゴミみたいなもんだな。
頭の中で声がした。
僕は受話器から遠ざかるように、顔をそむけた。
大人になったら、お前にもわかるんだよ。
そんなことを言われた気がした。
いつ言われたのかを一生懸命思い出そうとしてみたけれど、全然思い出せなかった。
『二十代のうちにやっていくべきこと三選!』
昔見た動画のことを思い出した。
その動画では、二十代のうちに旅行に行った方が良いと言っていた。
理由は思い出せない。
僕は旅行になんていってない。
年をとってから誰かに指図するようになる人間は、外交的で社交的に決まっている。
そして、あいつらは外に出るのが好きで、外出の最たるものが旅行なだけだろ。
こんなものは実質、身内ネタだ。
聞く価値がない。
そんなことはさておき、こんなもので感情が刺激されているお前はどうかしている。全然パンチがないじゃないか。
二十代でやっておくべきことは、TOP3じゃなくて、三択だ。
めちゃくちゃ仕事を頑張るか、結婚して子供を作るか、ネットを止めるかに決まっているだろ。
僕は全部やっていない。
僕はふとした時に思うんだ。
全然頑張れない、自分は不幸だって言うけれど、僕よりも恵まれなくてつらい人はいる。
それに理由があって頑張れない人もいるのに、僕が言っているのはただの言い訳で自己正当化なんじゃないかって。
そんなことどうでもいいだろう。
世界のどこかにお前よりつらい人間がいたところでなんだっていうんだ。
そいつがつらかったら、お前はつらくなるのか?
お前が幸せだったら、そいつはつらくなるのか?
お前の辛さとそいつの辛さには何の関係もないだろ。
僕が言いたいのは、と言うか、考えたいのはそういうことじゃないんだよ。
僕が気にしているのは、どうして僕はこんなことを考えてしまうかなんだ。
僕がつらくても幸せでも、つらさを抱えている人が辛いのは変わらない。
それなのに僕は、つらい人たちのことを考えて、自分の中で沸き起こった感情を再解釈するんだよ。
世の中にはもっとつらい人もいるんだから、恵まれている僕はもっと頑張らないとって。
僕はだめな人間だから、実際に頑張ったりしないけれど、何かとても不誠実なことをしている気がするんだ。
だって僕は、そのつらい人達のことを考えても実際に何かするわけでもないのにさ。
その人たちをだしにつかって、自分を慰めているように感じられるんだ。
僕はこの間、紛争解決の支援活動団体に、月額1500円のサブスク登録したんだよ。
初めのスタート額は三千円に設定してあったんだけど、値段の横のボタンを押して、上にスクロールして一番安い値段を選んだんだ。
1500円、寄付しようとしたけれど手が止まってしまった。
僕は恥ずかしいと思ったんだ。
だってそうじゃないか、最初は3000円に設定されていたんだよ?
それなのに1500円に変えて、最低金額を寄付しようとしているんだからさ。
けちけちしやがってとか思われないかと心配になったんだ。
この話の何が面白いんだよ。
それはお前が人からどう思われるかを気にしているだけの話だろう。
そもそも寄付の目的は活動に必要な資金を集めることだ。
多ければ多いほどいいに決まってんだろう。
1500円が少ないかどうかは、お前が決めることじゃなくて、向こうが決めることなんだよ。
どうせお前は、1500円を寄付するのはただの自己満足じゃないのか、偽善じゃないのかとか、感情的なことを考えたんだろ?
寄付を募っている目的は、活動に必要な資金を集めることだぜ?
寄付するやつが自分の名誉や欲望でやっていようが、純粋無垢な利他性でやっていようがそんなこと向こうは興味ねぇよ。
それはそうかもしれない。
でも、僕が言いたいのは僕の話なんだ。
他人からどう思われるかではなく、僕がどう思うかなんだ。
いや、もっと正確に言うのであれば、僕が良いと思っていること、他人がどう思うかによって、僕がどう思うかなんだ。
寄付していることを僕がどう思うかではない。
寄付していることをどう思われるかでもない。
僕が良いと思っている行為が、他人に何かしらの評価をされる。
その評価によって自分のした行為をどう感じ、その感じたことによってなされる自分自身への評価なんだ。
何言っているかわかんねぇけどよ、それで寄付をしてどう思ったんだ?