
雑に四季を味わう
四季に敏感になったのは鬱のせいか歳のせいか。
鬱のおかげとは思いたくないので、そういう年齢なんだと思うことにする。
現在は春だ。朝は涼しく昼間は夏日の時も多く、昔のような一日中微睡むような空気はあまりないように感じる。
暖かい日が増えて花の開花も早くなっている。奈良の吉野に今年こそは行こう!と計画していたのに計画の2週間ほど早く満開になり行くことができなかった。では藤を見よう!と思ったが、先日関東の方で藤が見頃だとにぎわっていた。体調と日程と合わずこれも見ることができない。
自然とは人間の思いなどお構いなしに花を咲かせ枯れる。見ることができなくて残念には思うが、それこそが自然の醍醐味でもあるように思われる。手に入れられない、見ることができないからこそ、自然という超然的な存在の良さや憧憬となるのだろう。
で、結局桜の物見は近所で済まして、ナチュラルキッチン(百均)で桜の造花を買ってきて部屋に飾ってある。これはこれで結構満足するものであった。
春は新〇〇が出回る季節。前までは大して気に求めていなかったが新じゃがいもと新玉ねぎを買ってみた。
新じゃがいもは蒸してからスパイスで焼いて、新玉ねぎは酢玉ねぎに。
正直違いがわからない。甘い気がする。それは甘いと言われているから甘いと感じるだけでは?と思うくらい違いがわからない。仮に新玉ねぎたちの話を振られたら「甘いですよね〜!」とは言うが、実際そんなに違いがあるか?と心では思っている。いつでも玉ねぎとじゃがいもは美味しいってことか。
今から遡って秋冬は何をしていたか。
冬はワクワクしていた。
私は寒さに耐性があるようで夏はぺちゃんこだが冬はもそもそと動き回っている。
それに秋と冬はイベントが多く、ショーウィンドウなんかの飾り付けも可愛らしい。好みだ。
10月はハロウィン、12月はクリスマス、1月は正月、2月はバレンタイン。休む暇もなく行事が目白押し。これは年齢関係なく毎年ワクワクしたものだ。「クリスマスなんてわざわざ気にしなければいいのに」などと冷笑していた一時期の学生時代も遠くなってきた。
気になること、それはこの空白の11月が問題である。
11月って何をする期間?
ずっとハロウィンでワイワイした後クリスマスまで1ヶ月邪魔よな。
四季を楽しむようになって、11月は海外のインスタのおしゃれリールを見漁ったり、紅葉狩りに出かけたりしているが、この空白の期間、一体どうする?さつまいもも栗も11月だと時期が外れてこないか?微妙に楽しむところがない。
そんな私を救ったのはフライングタイガーだ。フライングタイガーは雑貨屋で四季折々の小物が売ってある。そして秋用に売っていたどんぐりのライト。マスキングテープで壁に貼り付けたのだが、これが最高だった。明るい暖色でどんぐりが輝くのだ。どんぐりが輝くことにこんなにも感動を覚えたことはない。もしかしたら幼年期にどんぐりを輝かせたいと思っていたのかもしれない、と思うほどに嬉しい。10月はハロウィン、11月はどんぐりライトの季節になった。みんなもどんぐりも輝かせよう。ついでにキノコのランプも売っていて、それは買わなかったのだが、今年は買おうと思う。どんぐりときのこを輝かせると人生も輝くのだ。
夏。
こいつはだめだ。
暑すぎる。梅雨もなくなっているじゃないか。
夏の良いところは祭りや花火だが、祭りなど人の非常に多いところは行きたくない。的屋や空気は好きだから近くで見守るくらいで良い。
花火の美しさには驚いた。ずっとテレビでいいやと思っていたものに、あんなに心を動かされるとは思わなかった。花火はとても美しい。花火が上がる音、色、儚く消えていき、また上がる。あの輝き、あまりに風流ではないか。
そして風鈴。近年窓を開けて涼しむなど出来っこないが、風鈴の音の涼しさは実感できる。小さく安いものでも作家ものの高いものでもなんでも良い。その音があれば気持ちよくなれる。この訳のわからない暑さの中で少しばかりの涼を感じることは、夏を楽しむ一歩ではないか。
前述のように夏はぺちゃんこなので、本当に何もしていない。
昔は夏休みにはお祭りに出かけ、プールや海に入り、かき氷を毎日食べていたから昔の方がよっぽど四季を楽しんでいたように思う。
四季のものといえば熱中症対策の塩飴を舐めること。塩分タブレットの梅味が結構美味しい。
今年は何か野菜を育てようかと画策している。夏を無駄にするには勿体無い。
人間から気力を奪い、記憶をなくす、諸悪の根源は暑すぎることだ。
夏の楽しい過ごし方(室内だとなお良し)を募集する。