
私の夫は口下手です
私は夫が好きだ。
結婚したんだから当たり前だろうと言われるかもしれないが、私のまわりには「この世で一番憎いのは夫」と言う子も結構いる。
夫も多分、私のことが好きだ。
推測なのは、夫はそういうことを口にしないタイプだから。
「気持ちを言葉にするのが苦手」
昔ケンカして、仲直りした時、言っていた気がする。
そんな我が家の愛情表現を比率で表すなら、夫2:私8くらいだろうか。
私の青春の代名詞、ミスチルは
"僕はつい見えもしないものに頼って逃げる
君はすぐ形で示してほしいとごねる"
と歌っていた。
私は夫と付き合ううちに、櫻井さんが歌うような女性のいじらしさを、完全に失ってしまったらしい。
愛情表現は壁打ち、と言わんばかりに、日々返答のない夫の背中に「ラビュー!」と叫び続けている。
こう言ってはなんだけど、私たちのお付き合いは夫の猛アタックによって始まった。
多分夫は、告白までのプロセスで、愛を言葉にする体力を使い切ったのだ。
照れながら「今度ご飯行こう」と連絡先を渡してきた夫はとても可愛かった。(あの頃の熱意は一体、どこに行ってしまったのだろう)
そしてそんな夫は、耳触りはいいけど意味はない、つまりキュンとさせることが目的、みたいな言葉を、絶対に使わない。
その鉄のポリシーは、最愛の妻がひどくメンタルを病んでいる時だったとしても、もちろん曲がらなかった。
数年前、基本能天気な私が、環境の変化から心のバランスを崩した時のこと。
布団から出たくなかった。
何をしていても泣けてきた。
多分、言っていることも、めちゃくちゃだったと思う。
夫はそんな取り乱した私の話を、最後まで静かに聞いてくれた。そして咀嚼するように数回頷いたまではよかった。
でも、その後発せられた言葉は、「大丈夫?」でも「つらいよね」でもなくこうだった。
「人間の三大欲求に則って考えてみよう。」
……は?
夫はポカンとする私をおいてきぼりにして、こう続けた。
「今の話を聞いてると、ゆりちゃんの欲求で満たされてないのって、多分、社会的欲求だよね。
ということは、そこを満たす仕事を見つければ、気持ちは回復するんじゃないのかなって思ったんだ。だから一緒に、どんな仕事がいいのか、考えていこう」
あまりに通常運行な夫のテンポにつられて、私はつい派遣会社に登録してしまった。
放っておくと「選挙に立候補しよう」などと、言い出しかねない勢いだったからだ。
その後私はじたばたしたまま、気がついたら、社会復帰していた。
「こんな状態からすぐに働けるのか」
そんな不安な気持ちをよそに、社会的欲求が満たされた私の心は、夫の目論み通り、みるみると上向いていったのだった。
そんな感じで結果的にはファインプレーを生み出せる夫なのだが、彼は直接的な愛情表現だけではなく、LINEも苦手だ。
LINEも、というより、もしかしたら夫の苦手最大手かもしれない。
送られてくるのは基本、業務連絡のような内容とスタンプのみ。
スタンプの8割はコナンで、夫のお気に入りはFBIのスナイパーである赤井さんと公安警察である安室さんであるため、夫と私のLINEの画面は、いつもやや物騒な雰囲気が漂っている。
大学院生時代は論文提出に追われて、社会人になってからは仕事に追われて、私からの重要な連絡をスルーする夫。
そしてその度、ものすごく怒られる夫。
付き合い始めの頃こそ「なんでそんなことするの?」と本気で悲しみ、本気で怒っていた。
それが10年も一緒にいると、怒りながらも「もっと序盤で私の機嫌を取るとかさ」とか「忘れないようにピン留め機能を活用するとか」など、助言めいたことを言うようになってしまうから慣れというのは恐ろしい。
でもそんな事が出来てしまったら、もはや彼は夫ではないのかもしれない、とも思う。
かっこうのご機嫌取りになるプレゼントを、私が心から喜べるタイミングでしか渡さない。それが夫なのだ。
そんなこんなで愛のラリーが成り立っているのか成り立っていないのか、それでも仲良く過ごしていた私たちに昨年、ちょっとした危機があった。
夫の超現実思考に懐柔されていた私が、子育てという正解もゴールもわからない超長期タスクに取り組むうちに、"形で示して"といういじらしさを、なんと復活させてしまったのだ。
毎日間違えないように神経を張りつめても、それが正解かどうか教えてくれる人も、努力を採点してくれる人もいない。
大袈裟なくらいに労われたい気持ちを降り積もらせて、勝手に拗ね、めんどくさい感じになる日が増えた。
でも夫は、思っていないことは言わない。
私も、嘘をついてほしいわけじゃない。
どうしたらいいか数日悩んだ末、私は夫にこう提案してみた。
「おはようとおやすみ、ありがとうとごめんね、いってらっしゃいとただいま、だけ、全力で言ってみない?」
夫は自分だけが出来ていなかったと受け止めたらしいく、ハッとした顔をしてごめん、と謝ってきた。
「もしそれが出来ていない時はしっかりと指摘してほしい」
夫の目力に気押されて言いたかった「お互いさまだよ」の言葉は、言いそびれてしまった。
今日も夫は朝から晩まで仕事に明け暮れ、私は私で、起きた瞬間から家事と育児に翻弄されている。
そんな私たちを支えるのは、いつもよりちょっと気持ちをのせた、当たり前で、短い言葉のやりとりだ。
私たち夫婦は最近、挨拶に全力をこめようとすると
「今日も頑張ろうね」
「1日ありがとうね」
などという、相手を思いやる枕詞を付けられることを学んだ。
「いってきます」
と言いながら、夫は私の目をじっと見つめる。
どうやらそれが、夫の愛情表現らしい。
私は私で、今日も出勤する夫の背中に向かって「ラビュー!」と叫ぶ。
振り向きもせずひらりと手をあげる夫を見送りながら、私たちは似たもの同士なのかもしれない、なんて思った。