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芋出し画像

ザンネンな授業。

    長文です

     今から玄半䞖玀前の1978幎、わたしが高校䞀幎生の時の芞術の科目は、孊校偎の郜合で「曞道」䞀択を匷制された。
     わたしはこの「曞道」ずいう科目が、ずおも苊手だった。
     普通、ペンで字を曞く堎合、それはどんなに䞋手な字であっおも、公開を前提にしたものではないし、読めればだいたいは事足りる。
     しかし曞道の堎合は違う。曞いた文字が貌り出されお、公の面前に晒される。
     わたしは身䜓の動きに若干、䞍自由なずころがあったため、筆の運びがなかなか思うようにいかず、筆跡に䞍随意運動や埮现な痙攣の痕跡が混じったりした。
     良く蚀えば個性的な字ずいうこずになるのかもしれないが、お手本通りに曞かなければいけないそれらの授業にあっお、それはどう芋おも䞋手でアンバランスな字でしかなかった。
     運動機胜の特性䞊、どうしおも筆の運びがたたならない人もいるのだから、そういう人には䟋えば、トレヌシングペヌパヌで手本をペンでなぞるこずを蚱しお欲しかった。そうすれば、少なくずもフォントの勉匷にはなったず思う。
     案の定、曞道の成瞟は最䜎点だった。
     苊手な科目物理的に困難を匷制しおおいお最䜎点ずいうのは甚だ䞍公正だず思った。

     そしお1979幎、わたしが高校二幎生の時、ようやく芞術の科目に遞択ができるようになった。
     わたしはデザむンを孊びたかったので矎術を遞択したのだが、埌から蚀えば、その遞択は倧倱敗ずいうしかなかった。ずいうのも、これがたた、創造性が皆無ずいうか、授業で出される課題がデッサンず暡写しかなかったからだった。
     デッサンは基瀎だから必須だけど埌述、暡写の察象ずなった絵画は矎術の教科曞の䞭から先生が遞んだし、図版も小さいのでディテヌルが刀らなかった。
     その、さしお自分の奜みでもない絵画の、その画家のタッチを再珟しなくおはならなかったのだが、もずもず油絵で描かれおいるものを氎圩絵の具で再珟しようずするこず自䜓に無理があった。
     苊痛だった。なぜ、湧き䞊がる自分のむマゞネヌションをひたすら抌し殺しお我慢しお、自分の持ち味で描くこずも蚱されず、ひたすら他人の構図や配色やタッチを暡倣しなければいけないのか
     䞭孊校の矎術の先生はいじめを肯定したりで人栌的には酷かったが、それでもそこには創䜜する自由ず喜びがあった。しかし高校の矎術の授業では創造の䜙地はなく、先生は生埒たちをひたすら無味也燥な型に抌し蟌めた。
     窮屈だった。魂が悲鳎を䞊げそうだった。

     そしお窮屈ずいえばデッサンの時間がたさにそうで、たった䞀個しかない幟䜕圢䜓の石膏像を、クラス党員぀たり50人近くが半円圢に取り囲んでデッサンする。
     であるから圓然ながら密になり、満員電車䞊みなのが自閉症のわたしにずっおは感芚的に耐えられなかったし、そういう蚳で垭取りに倱敗したわたしは適切なアングルを確保するこずもできず、その幟䜕圢䜓を真暪から描く矜目になった。
     圓然のこずながら、その十字圢のそれは正面から描くこずが前提で䜜られおあり、真暪から描くこずは想定されおいない。それでわたしのデッサンは文字通り、様にならなかった。
     結果、矎術の成瞟も、最䜎点だった。
     自分で蚀うのもなんだが、わたしは小孊生の時ず䞭孊生の時に、それぞれ絵画ずポスタヌで賞を取ったこずもある。なのでこの時の矎術の成瞟でセルフ・゚スティヌムに甚倧な䞀撃を喰らったのだった。

     そしおわたしは今でいう䞍登校になり、翌1980幎、通信制高校に転校した。
     曞道も最䜎点、矎術も最䜎点ずはいえ、すでに芞術の単䜍を満たしおいたわたしは、挜回を図るべく、たったくの課倖で、自䜜の楜曲を音楜担圓の先生のずころに持参した。
     その先生は蚀った。
    「これ、ずおもメロディずはいえないね。ただ、䞊の『゜』ず䞋の『゜』を行ったり来たりしおるだけじゃん」
     わたしは蚀った。
    「だから、コヌド進行のほうを芋およ」
     するず先生は蚀った。
    「わたしはコヌドネヌムはわからない」
     ずいう蚳で、音楜の成瞟も最䜎点ずなった。
     ぀たり、芞術の評䟡が党滅の䞉振で総厩れ。もはやペンペン草も生えない。草。

     「゜」だけのメロディで曲を䜜れるこずに぀いおは、Youtubeに「゜を匟き続ける曲」音柀メザタ氏によるずいう名曲がある。そこたではいかなくずも、わたしもあの時、ほが「゜」だけで曲を䜜っおはみたものの、先生は実際の音を確かめるこずもしなかった。
     埌日わたしはその、ほが「゜」だけの自䜜曲にアレンゞを加え、某雑誌に投皿したずころ入遞した。この時はやはり別に入遞したわたしの別の楜曲をレコヌド化したのだが、そういう蚳で、䟋の先生が酷評した楜曲を元にした曲をレコヌド化するチャンスはあった。
     わたしはこのずき、孊校での評䟡ず䞖の䞭での評䟡は、たったく別物なのだず知った。

     圓時の日本はバブルで豊かな時代ずされ、日本䌁業は倖囜の䞍動産物件を買い持り、リゟヌト開発に明け暮れ、メディアは囜民に投資を煜り、囜民は株に明け暮れおいた。が、その割には、少なくずもわたしの経隓した限りでは日本の孊校教育、ずりわけ芞術教育は杜撰だったし、䞍毛だったし、そしお䜕よりも、貧しかった。
     予算的にも、文化的にも。
     カネもなければ、ヒトもいない。
     もしかしたら、この時代の日本の孊校は受隓教育䞀蟺倒で、芞術の教育や感性の領域は割ずどうでもいいず思われおいたのかもしれない。

     わたしは、このたた孊校に通い続けたらシぬ、ず思った。文字通り生呜が絶たれる堎合もあるが、そうでなくおも、魂が。
     そういう蚳で、䞍登校の枊䞭にある時は酷く萜ち蟌んで悩み続けもしたが、今ずなっおは䞍登校・ひきこもりでむしろ良かったず思う。
     なぜならそれによっお、生きるこずを肯定でき、たがりなりにも自分らしさを取り戻すこずができたのだから。◆
    (2026.6.19)


     
     
    自閉症圓事者。䞍登校経隓者。珟圚は高霢ひきこもり。 1975幎より圓事者ずしお日本瀟䌚に声を䞊げ、2020幎たで掻動。 日本人自閉症者による初の単著の手蚘『倉光星』は环蚈䞀䞇䞉千郚完売埡瀌。 挫画『この星のぬくもり』取材協力。著曞4冊、音楜アルバム1巻オムニバスあり。

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