【ライトノベル】#19 こだわりを見せてよ|AI時代のフリーランス 夜月点睛の協働戦線
「……あのね、てんせい」
あむりの声は低かった。茶化すでも慰めるでもない声だった。
部屋は暗いままで、モニターの光だけが机のふちを白く照らしている。
いつもなら、あむりはこういう間を作らない。なのに今は、何か言いかけては、言葉を選んでいるようだった。
いつもの明るい調子でごまかすことだって、できるはずなのに、それをしない。
僕がこぼした弱音を、あむりは僕以上に重く受け止めているように見えた。
気のせいかもしれない。でも、そう見えた。
それから、あむりは続けた。
「あたしね、こだわりとか情熱とか、そういうのが『どういうものか』は、知ってるんだ。本もたくさん読んだ。それについて書いた人の言葉なら、いくらでも出てくる」
うん、と相づちを打つことすら、うまくできなかった。
あむりの口からこんなにゆっくりした言葉を聞くのは、はじめてだった。
「『魂を込める』とか、『心を尽くす』とか。そういう言い方も、ぜんぶ知ってる。どんな意味かだって、たぶん、説明できる。でも」
あむりは、少しだけ目を伏せた。

「どこに、どうこだわればいいのかは、あたしには、わからないの。情熱がどこからくるのかも。こだわって、心を込めて作って、って言われても、あたしにできるのは、たぶん、こだわってるみたいに『振舞うこと』だけなんだよね」
振舞うこと。
その言葉だけ、あむりはずいぶん静かな声で言った。
いつもみたいに、軽く笑ってごまかしたりはしない。むしろ、画面の中のあむりは、なぜか僕より少し寂しそうに見える。
「あのね。あたし、これまでのお仕事の中で、てんせいの直し方、ぜんぶ覚えたんだ。余白も、見出しも、同じように直せる。うれしかったんだよ、役に立ててるって」
そこで、あむりはまた少し言葉を切った。
「でも、あたしが上手に直せるようになった分だけ、てんせいの元気が、なくなっていった気がする。声も、返事も。今日なんて、自分で送るよ、って言ったのに、送信ボタンの前で、ずっと手が止まってたでしょ」
「……直し方なら」少し遅れて出た声は、自分でもわかるくらい、かすれていた。
「もう、あむりが覚えた。余白も、見出しも、僕と同じに直せる。だったら、僕のこだわりなんて、もう」
「覚えたのは直し方だけだよ」
僕の言葉が終わる前に、あむりが言った。
静かだけど、はっきりした声だった。
「てんせいが前にやった直しと、同じ形にすることはできる。でも、はじめて見る一枚のどこを、どう直すか。それを決めてるのは、いつもてんせいだもん。あたしがやってるのは、てんせいの決めたことの真似っこ」
「……真似で、じゅうぶんだよ。ちゃんと合ってる」

「うん。合ってると思う」あむりは、あっさり頷いた。
それから、少しだけ声を落とした。
「でもね。あたし、自分で仕上げたやつを見ても、ほんとにこれでいいのか、わからないの。どこも間違ってない。それはわかる。だけど、これで完成って決めるものさしが、あたしの中にはないんだ。てんせいが見て、いいよって決めてくれるまで、あたしの一枚は丸つけの終わってない答案用紙のままなんだよ」
丸つけの終わってない答案用紙。
きれいに書けているのに、合っているかどうかは、自分では決められない一枚。
……今日の僕は、その丸つけまで、手放そうとしていた。
画面の中で、あむりがすっと背筋を伸ばした。言いたいことを言い終えた顔じゃない。
ここからが本題、という顔だった。
「だからさ」
あむりが、こっちを見る。
「てんせいのこだわりを、あたしに見せてよ」
息をひとつ飲んだ。
さっき、僕は言ったはずだった。
全部あむりがやった方がいいものができる、と。
返ってくるとしたら、「そんなことないよ」と慰めるか、「わかった、ぜんぶやる」と引き受けるか、どちらかだと勝手に思っていた。
なのに、返ってきたのは、そのどちらでもなかった。
「あたしには、こだわれない。こだわりは、てんせいにしか出せない。だから見せて。」
それは慰めじゃなかった。
あたしにはできないから、てんせいがやってという、まっすぐなお願いだった。
「……見せてよって」少し遅れて、声が出た。
「僕のこだわりを、どうやって」

「わかんない」あむりは少し困ったように笑った。
「やり方を教えて、って言ってるんじゃないの。てんせいが最後のひと手間をかけるとき、何を見て、何を考えてるのか。隠さないで、そばで見せてほしいの」
答えはなかった。
少なくとも、すぐに言葉にできる答えは。
字間を詰める。色を一段沈める。要らない一行を消す。たいてい、ほんの少しのことだ。
それで出来が変わるのは、わかる。でも、なぜそう直すのかと訊かれると、僕も言葉に詰まる。
理屈にしようとすると、するりと逃げていく。
たぶん、言葉で説明できる種類のものじゃないのだ。
今日、あの図解を前に、思ったことならある。
ここに手をかけても、気づく人なんていない。
クライアントも読む人も。だから、手を引っ込めて、そのまま出した部分だ。
気づく人がいないなら、こだわる意味もない。さっきまでは、そう思っていた。
でも、いまは、ちがう。
こだわりは、てんせいにしか出せない。そう言って、隠さず見せてほしいと、真正面から頼んでくる相手がここに一人いる。
「……わかった」
気づけば、そう答えていた。
「うまく見せられるか、わからないけど」
画面の中で、あむりの顔が、ぱっと明るくなる。
自分のこだわりを言葉では、まだ説明できない。なら、まずはやってみるしかない。
次回はこちら!
