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宝箱をあけるようなこと

    旅のはじまり


    2026年1月、わたしは関西国際空港のロビーを無い風を肩で切るように早歩きしていた。

    既に14キロある使い古したスーツケースはあっちこっちに方向を定めず、心もとなくわたしについてくる。


    旅の行き先はイタリア。
    そして隣にいるのは海外初心者で、結婚したばかりの主人。今から新婚旅行に飛び立つのだ。

    わたしの心の風船は7割の期待と3割の緊張で膨んでいる。

    ポ

    最高のツアーコンダクターになる!と意気込んだものの、なれるだろうか。

    そして7割分の期待には諦めも少し混じっていた。

    約2年前、夢だった小学校の先生を辞めた。

    やりがいも大きく、子どもたちへの想いも募っていく。けれど自分自身の想いとは違う方針の中で生きることの生きづらさ、新米先生としての足りなさから思いつめ、自分を見失った。


    それからは心が大きく動かないローモードで、ずっと自分を諦めて生きているような感覚。

    そして今ではもう、自分らしくない自分の方が、「自分らしい」


    でもふと、本当のわたしをまた生きてみたくなる。そんな願いがずっと心にあった。


    ポ
    乗り継ぎの地、イスタンブール。
    足早に歩きながら、搭乗ゲートの看板を目で追った。クアラルンプール、ワシントン、パリ、ローマ。


    そっか、世界はいつでもそこにあったんだ。
    わたしが立ち止まっていた間も。

    それに気づいて泣きそうになった。


    大切な人と行くこの旅が、何かわたしに魔法をかけてくれるかもしれない。


    答え合わせはバチカン市国で


    歴史の街、ローマ。
    今と過去が共存する、不思議な街。

    少し歩けば、自分が生きている時代すら定かでなくなるような感覚に襲われる。

    目の前には何千年も前に建てられた教会や神殿。大好きなオードリーヘップバーンがジェラートを食べたスペイン広場。「カルボナーラ」そのものが生まれた場所…その一つ一つが、この地で時を超え、力強く、この時代にそびえ立っていた。

    あぁ景色がすべてモノクロで見えてくる。

    何もかもが「本物」の世界に、今わたしは立っている。

    そんな壮大さを前に、わたしってこんなにもちっぽけで、可笑しい。

    ポ

    ローマの中心地から30分ほど地下鉄に揺られると、世界最小の国バチカン市国がある。そこにある名作揃いの豪華な美術館を目指してやってきた。

    約6年前、大学の卒業旅行でイタリア―バチカン市国も訪れた。当時はこの美術館を見ずに通り過ぎた。でも今は、自分から逢いに行きたい。


    さて、今は大目玉の一つ「ラファエロの間」に向かっている。

    ラファエロの間の先には、かの有名な「システィーナ礼拝堂」があり、そしてそこには『最後の審判』がある。

    今回の旅で『最後の審判』を見ることを一つ、大きな目標にしていた。


    高校では世界史を専攻していたものの情報量の多さに挫折したといっても過言ではない。それでも『最後の審判』は心に残っていた。


    教科書の中のものは、わたしの中でどこか架空の生き物のような感覚だ。

    何度も眺めたあの絵はどんな風にそこにあるのか。それを自分の目でみてみたい、と思ったのである。


    ポ

    「ラファエロの間」には『アテネの学堂』という名画が飾られている。

    ツアーコンダクターになるべく何度もガイドブックを読んだのに、わたしは「ラファエロの間」=『アテネの学堂』だと認識していなかった。

    わたしの中では「ラファエロの間」とは、勝手ながら「ラファエロの部屋」だった。

    だって「青山剛昌ふるさと館」には青山先生の書斎が再現してあるし、「長谷川町子記念館」には原作サザエさんの居間を再現した部屋だってある。ラファエロにだって「間」があるはずだ!

    ポ

    さてそんな「ラファエロの間」、何度も「→ラファエロの間」という案内看板が現れるのに肝心の「間」が一向に現れない。

    ポ

    突然目の前に素晴らしい空間が広がった。
    視界全体がセピアオレンジの光に包まれる。どこまでも続くその世界にとたんに心が躍りだした。

    まるでお城の中みたいだ。
    あぁ今すぐ「くるみ割り人形」の音楽をかけてほしい。踊りたい!


    バレエは6年踊っても下手なままでずいぶんと恥ずかしい思いもしたが、この場所に来たらそんなことは気にしていられない。
    体が踊りたがって仕方がない!


    そしてそんな空間を創り出しているのは、展示品である「絨毯」ではなく、天井だ。


    いや、もちろん展示品そのものも美しい。しかし、わたしたちを含む全員がこぞって展示品ではない「天井」を見上げながら歩いていた。


    天井いっぱいに、端から端までぎっしりと描かれた絵、そして黄金と白の、存在感を放つ装飾。

    それは額縁に飾られた絵のようで、でももっと近い…
    そうだ、切手みたいだ!


    どこまでも果てしなく続く「切手の綴り」にこの上なく心奪われた。


    この世には、こんなに美しいものがある。

    2人そろって、もしかしてここがラファエロの間か、と思った。

    ポ

    明るく豪華な絵画に心軽やかに歩みを進めていたが、主人がパタ、と足を止めて、静かに言った。


    「これがアテネの学堂。」


    『アテネの学堂』はものすごく大きな作品だった。部屋を右と左に大きく分けたら左側全部がそうだった。


    教科書で見たことがあった。


    世界史の移動教室にある古い木の机のにおいを思い出す。

    梅雨の湿気が机の中にまで入り込んで木をふやかしたみたいなにおいが、部屋中に広がっていた。


    そこで開く暗記用の分厚い参考書。

    書き込むシャーペンの線、こすれて黒くにじんだ紙、なぜかいつまでも新しい教科書と同じにおいがして、青い文字で右端にひっそり書かれた『アテネの学堂』は黄色の蛍光ペンのせいで、緑っぽく変わっていた。


    そこまでして詰め込んだ知識は忘却の彼方で、今この地に立ってもなお思い出せない。

    これは勉強とは言えなかったか…

    今になって、ハッとする。
    言葉で覚えた「アテネの学堂」はほとんど暗号を覚えるのと同じようなことだった。


    こんなに大きい作品だなんて知らなかった。

    ポ

    わたしは絵を見つめて、思わず心の中で「自由だな!」とつっこんで、こっそり笑った。

    モデルとなった偉人たちは、友達と話したり、階段に座り込んで本を読んだり、寝転んだりしている。歴史に名を残した人たちが、こんなにも自由に学んでいる。


    学ぶってわたしが思うよりもっと、自由でいいのかも。


    教科書では気がつかなかったことも、この場に立つと見えてくる。

    旅は知識に温度を与えてくれた。



    そして、こここそが
    「ラファエロの間」だった。

    わたしは何も気づかず写真を撮り、撮られていた。

    ポ
    ポ

    ついに「システィーナ礼拝堂」へと続く地下階段の前に出た。

    看板を見てわたしは
    「もう礼拝堂になっちゃうけど、ラファエロの間なかったよね?」
    とすぐ後ろの主人を振り返って言った。

    ポ

    この下に礼拝堂があるなんて変な感じだ。

    いかにもみてほしい門構えをしていない。密かに、ヒミツごとであるような。

    それくらい重要で、精神的で、見せ物ではないような。


    ここに入ってもいいのだろうかと、階段を降りる足にだんだん自信がなくなっていく。

    ポ

    そうして、ごくっと唾を飲み込んで右足を踏み入れた瞬間のことはどう表現していいものか。

    体中の毛が逆立つような。見るのが怖いような。


    ポ

    そして最高のポジション、真ん中へと進み、一気に振り向いた。


    視界が足りない。


    上から下まで頭を動かさないと全てを一度には見えない。全部、絵になっている。

    口だけでなく心までポカン、だった。

    ポ


    そしてわたしは、何も思わなかった。
    何も思えなかった。
    めいっぱい興奮すると思っていた。


    でも静かに、そこに立っていた。

    ポ


    冷静でも、冷めていたわけでもない。
    「無」に近い、初めての自分に出会った。

    ポ

    鑑賞スペースでじっくり、シンとした心で、天井と目の前いっぱいに広がる『最後の審判』を眺めた。

    時間をかけてぽつ、ぽつっと気づきや感情が湧いてくる。

    最初はなんだか一見感動が薄いように感じてショックだった。

    でも圧倒されたら人は言葉を失うものなのかもしれない。

    饒舌に語れるようになるのは、その圧倒を自分にちゃんと取り込めた証拠なんだと思った。


    だから大丈夫、と自分に言い聞かせた。


    立って天井画を眺めると、ひっくり返りそうになった。これを描くのは首の不調、めまいやふらつきとの戦いでもあっただろうなぁ。

    わたしたちはやはり、ポカンと口をあけるしかなかった。

    ポ

    ふと主人が
    「天気の良い日はまた見え方が違うのかもね。」
    と言った。

    なーるほど

    確かに光の入り具合でこの空間は見え方、感じ方もきっと違うのだろう。

    今日は曇りだ。

    システィーナ礼拝堂の『最後の審判』はズシンとした重みが感じられた。


    時々差し込む日光で部屋全体が明るくなると、より絵がはっきりと見えた。

    天使の光みたいだ。

    あぁいつか、晴れの日のシスティーナ礼拝堂も味わってみたい。

    ポ

    そして天井画を見て、おもしろい発見をした。


    天井画には、もう一つ別の絵が描かれているみたいだ。

    周りに描かれるイエス様の祖先たちが、真ん中の絵つまり『創世記』をまるで眺めているかのように感じたのだ。


    ガイドブックにも載っていない、わたしだけの大発見。主人に話しながら、ちょっと得意げに笑った。

    ポ

    雰囲気主義のその先に


    主人とわたしは正反対。

    わたしは芸術ではバレエやクラッシック音楽が好きだ。

    絵画は有名作品を見てみたいが、美術館自体の西洋建築に興奮してそちらに目が行きがちだったりする。

    つまり空間と雰囲気に弱い。


    一方、主人は一枚一枚の彫刻や宗教画も丁寧に見て回るタイプ。

    雰囲気主義なわたしに対して、そのもの主義だ。


    だから予め自由に見て回ろうと話していた。ところがわたしに合わせて進み、若干名残惜しそう。

    何回も「ゆっくり見て」と小声で言うとついには少しむっとしている。

    わたしもだんだん腹が立ってきて、いいや、もう知らない!とずんずん進んでやった。


    せっかくだから楽しんでほしかっただけなのに。

    ポ

    ところでこのピナコテカ、キリスト教にまつわる作品ばかりだ。

    シーンは様々だが、その全てがリアルで怖い。描き手が目の前で見てきたかのような現実感と緊迫感に気がめいる。


    かわいそう。
    作品が美しい、よりも、描かれる人たちの苦しさに気持ちが寄っていくのが分かった。

    ポ

    さて一方の主人は、お気に入りの一眼レフをのぞき込んでは一生懸命にシャッターを切っている。こんなに一緒にいてこうも捉え方が違うのかと思うと不思議だ。


    「ねぇ見るのも痛々しいのに写真とるの?怖いんだけど。」

    と言うと主人は、そう?と、また写真を撮ったり、ながめたり。

    可笑しくなってきてクスクス笑うと主人は分かりやすくフン!と横を向いた。

    ポ

    ピナコテカ、早く出たい…まるでお化け屋敷だ。

    これが何を隠そう、わたしの胸の内。

    ポ

    どんよりした気持ちで進んでいくと、不意に部屋が真っ暗になった。

    そして、一瞬で空気が変わった。


    そこにあるのはラファエロ最後の作品『キリストの変容』である。

    私が気になったのは、右下に描かれた少年だ。
    この少年、目を大きく開きイエス様を取って食べるかのように、力の入った手を伸ばしている。

    どうしてこんな表情を…

    すると主人が、あれは悪魔に取りつかれた少年だと教えてくれた。


    そうか、どおりで。
    背景を知ると、一枚の絵が急に物語に見えた。


    それから主人が解説してくれるようになり、どんどん興味もわいてきた。

    ポ

    いつのまにか主人はカメラの代わりにガイドブックを握りしめて、真剣なまなざしで絵と本とを見比べている。

    そしてわたしは解説を待ち、絵を眺める。


    本当、でこぼこコンビだ。

    そしてわたしはツアーコンダクターの座を主人に譲った。

    ポ

    ピナコテカをでて、エジプト美術館に行く。

    わたしは古代エジプトに小さい頃から妙に惹かれた。イギリスへ留学中、大英博物館で初めてミイラをみた時も、血が騒いだ。

    今日も目の前にミイラがある。
    やっぱり血が騒ぐ。食いつくようにのぞき込んだ。

    そうか、わたしがエジプトに感じるのと同じような感覚で主人はピナコテカにいたのか。

    そう思ったら怖がって申し訳なくなった。

    ポ

    わたしはエジプト館にいる間、気づけば「気になる」「なんでだろう」と何度も呟いていた。
    そこに答えはなくともいい。

    ただあれもこれもに興味を持ち「なんでだろう」と口にしてしまうのは、今この瞬間、わたしが夢中になっているサインなのである。

    ポ
    ポ

    美術館を出て、サンピエトロ大聖堂へと向かう。狭い入口から足を踏み入れると視界が一気にひらけた。

    天井ははるか遠く、クーポラの周りからは日の光が差し込んでいる。そして大聖堂の中は黄金色に輝いていた。

    ミサが行われる音を聴きながら、わたしたちはクーポラの真下に立った。

    下から望むと、まるで花火みたいだった。



    6年前、雲一つない青空の日の大聖堂は、白くもやがかかるような空間だった。それはまるで幻の大聖堂みたいな存在だった。


    けれど今はそうじゃない。

    わたしたちが立っているのは確かに実在する、歴史あるサンピエトロ大聖堂だった。


    来た…わたし、来たんだなぁ。ちゃんとここに。

    おかえりの魔法


    ローマ2日目、わたしはローマンから「おかえり」と言われた。

    初めて会った人だったけれど、その「おかえり」にこの6年のいろいろを、まとめてよしよしと頭をなでてもらったような気がした。

    ポ

    そこは「AL CAMINETTO」というレストラン。
    以前ここのラザニアに感動してまた来たいと思っていた。

    コロナ禍を乗り越えてローマの地にまだあった!という喜び。


    外のテラス席で道ゆく人を眺め、ヒーターであたたまりながら、当時と同じラザニアを食べた。

    主人と一緒のものを食べて、「おいしいね」って喜び合えることが嬉しい。

    一人旅も楽しいけれど、こうして大切な誰かとしあわせを分かち合う瞬間もまた、旅の醍醐味だ。


    勇気を出して店員さんにつたない英語で6年前に来たことがあると話した。店員さんは大きく頷きながら

    「よく戻ってきてくれたね!」

    と笑顔で言ってくれた。


    写真も見せたくて準備していたのに、もじもじして、できなかった。
    あとちょっとの勇気がでなかった。

    あー、これまでもいろんなチャンスを逃してきたんだろうなぁと自分に少しがっかりした。

    ポ

    それでも、主人と食べたあの味と店員さんの「おかえり」のおかげで、最高にしあわせな気分でお店をあとにした。

    「ただいま」と「おかえり」は国境を越えて、イタリアにもあたたかく存在していた。

    そしてじわじわと心に沁みこんだ。
    「ここはあなたの居場所だよ」と言ってもらえた気がして。

    ポ

    ほら、やっぱり世界はまるい。

    しあわせはいつも


    この大事件はヴェネツィア最終日に起きた。

    前日主人から何口かもらったイカ墨パスタが一瞬のうちに食わず嫌いを克服するほどおいしかったので、今日はわたしもイカ墨パスタだ!と決めていた。

    ポ

    運ばれてきたお皿を前にすると、やっぱりこの黒さにドキドキしてフォークを持つ手にぎゅっと力が入る。

    歯がどれくらい真っ黒になるかと、そわそわしながら食べるのも、初めての経験で楽しい。

    でも添えられたまんまるのイカは、見慣れた格好で少し安心した。


    いただきます、と小さく呟いて口に運ぶ。
    そしておいしさに喜んで、手を叩いた。

    食べ進めると気が大きくなってきて、どうせなら思いっきり黒くなる方がおもしろい、なんて思い始める。


    しかしこの真っ黒な食べ物がおいしいだなんて、三日前は想像がつかなかったなぁ。


    あっという間に平らげ、お手洗いのついでに鏡を見ると、歯じゃなくて口の端っこが少し黒くなっていた。

    あぶないあぶない、すれ違う人みんなにイカ墨パスタを食べてきたってばれちゃうところだった。

    ポ
    ポ

    その後は、水上バスの一日券を手に周辺の島の散策と移動を繰り返し、本島へと戻ってきたのは夕方をすぎた頃だった。

    ホテルで休憩をしていると、急にお腹にあまり経験したことのない痛み方と、みぞおちにグーパンチを食らうような鈍い痛みが同時にやってきた。

    なんだろう、何か食べたっけ…?
    不安がどんどん膨れ上がっていく。

    こともあろうにヴェネツィア最後の日、夕食前にだなんて。

    ポ
    ポ

    最後の夕食は食べ損ねていた念願のエビのリゾットを食べると決めていた。

    それでも、わたしの様子を見て、主人は無理せず何か買って帰ることを提案してくれた。

    そしてわたしはそれを押し切ってすっかり暗くなった街に飛び出した。

    お店につく頃には腹痛から少々青ざめていたけれど、あぁこれでリゾットを食べられる!
    痛みなんかどうでもよかった。


    ところが安心したのも束の間、リゾットが来るまでわたしは強烈な腹痛とトイレ通いと戦うことになったのである。


    それでも、いい香りとともに目の前に置かれたリゾットは想像していた以上に美しくて、おいしそうだった。

    手をたたいて喜ぶわたしを見て、主人は目を細めて喜んでいる。


    ささ、食べましょう!とゆっくり少しずつ口に運ぶ。

    一口食べて、分かった。最高のリゾットだ!と。疲れ切った心と体にやさしく沁みこんでいく。

    頑張ってここまで来て、よかった。

    思わず

    「連れてきてくれてありがとう」

    と言うと主人は

    「頑張ってきてくれてありがとう。みーちゃんが食べれてよかった。」

    って嬉しそうに笑った。

    ポ

    半分だけは絶対食べる!と底力で口に運んでいると、大量のパンが届いた。お通しらしい。食べられそうもないので、主人にみんなあげることにした。


    お手洗いからやっと席に戻り、冷水を口の中で温めながら飲んでいると突然主人は「ふっふふふ…」と笑い出した。


    つられて笑うと、主人は
    「めっちゃしんどそうやのに俺1人で呑気にパン食べててごめん。」
    と肩を揺らして笑う。


    完全にツボに入っているな。
    わたしもなんだか可笑しくなってきて2人でしばらく笑った。


    リゾットは半分を何とか食べ、残りは「呑気な」主人にプレゼントした。たくさん食べて喜んでくれて、わたしは救われたけれど、主人はそんな風に思っていたんだなぁ。


    わざわざ言葉にしなくても、お互いにいろいろな思いを抱えながら、今を生きている。

    そこにこれからも、お互いへの想いがやさしく穏やかに、そして時に可笑しくなるような滑稽さも含みながら存在していたら、いいなと思う。


    こんなに苦しかったけど、とってもおもしろい一日だった。


    辛い出来事も何かの拍子に一緒に笑い合えたなら、いい思い出に変わる。

    だって今、この日のことを書き綴りながらわたしはケラケラと笑っているのだから。

    ポ

    でも実はこの話、まだまだ序盤である。
    ホテルに帰ってからもそれはもう大変だった。

    海沿いにあるホテルだったせいか水回りは下水のにおいがして、それがもう、弱った体にはたまらなくつらかった。

    そして便座の冷たいこと。
    あぁ、体の芯まで冷え切ってしまった。
    日本ってなんて素晴らしい国なんだろう。
    なんて体に優しい国なんだ。

    毎日当たり前に使うトイレが快適であることはこの上ないしあわせだったのだ。

    ポ
    ポ
    やっとのことでシャワーをあび、部屋に戻ってきたわたしを、主人はぎゅっと抱きしめてくれた。

    「昨日買った絵本、読み聞かせしようか?もうお布団入る?」

    と背中をさすりながら言う。

    前日行ったドゥカーレ宮殿の売店で、ゴンドラ乗りのねずみの絵本を買っていた。イタリア語だったので迷ったけれど、主人が翻訳してみようと提案してくれ、旅の思い出にとお迎えした。

    「うん、読んでほしい!」


    主人はどうしたらわたしが笑えるかを、いつも一番に考えてくれる。

    大げんかもするし、全然気持ちをわかってくれない!と思う日もあるけれど。

    辛い時、
    前を向けない時、
    気分の変え方すらわからない時、
    主人はいつも自分じゃ思いつかないような方法で、暗闇のような世界から連れ出してくれる。


    主人はケータイで翻訳機能を使いこなしながら、絵本を読んでくれた。

    主人公の名前が分からずわたしたちは「ゴンドさん」と名付けた。

    ゴンドさんは人のアドバイスに耳を傾け、次々と性能がよい大きな船に乗り換え、大航海にも出た。でも次第に、自分にとっては小さいゴンドラにお客さんを乗せてこぐことがしあわせだったと気づいていく。


    今日、わたしは体がそれはもう辛いし、ようやくありつけたリゾットだって本当は全部食べ切りたかった。

    でも、そんな幸せが叶わなくても、主人が読み聞かせをしてくれたその優しさだけで、わたしはもう一生分主人に恋をした。

    そう思うくらい、とってもしあわせだ。

    「ゴンドさん」と主人が一緒に、ヴェネツィア最後の夜を最高にあたたかいものにしてくれた。


    あぁ、降参だ。
    ヤワなわたしでも、いい。
    こんな今日が、いとおしい。


    この素晴らしい夜の出来事とやさしさをきっとこの先、一生忘れることはない。

    ポ

    帰国して随分とたったが、わたしたちは日本で、未だイタリアを楽しんでいる。

    今度は2人で「ゴンドさん」の絵本を翻訳中だ。言葉の意味を調べ「ゴンドさん」らしい話し方をイメージしながら。

    ポ

    そしてこの章の最後に添えたい。


    このひどい腹痛の原因はあのイカ墨パスタだったこと。

    宝箱はわたしのなかに


    日本に到着したその足で立ち寄った関西国際空港のトイレで泣きそうになった。本当に安心した。

    便座があたたかかったからだ。

    そして無意識に手を合わせ、誰に言えばよいのかもわからず「ありがとう」と心から感謝をした。

    ポ

    大切なことは、この旅がみんな教えてくれた。


    わたしの中にはずっと2人の自分がいた。

    心をときめかせ、目を輝かせながら世界を味わうわたし。

    そしてどこかスイッチの入り切っていない、アンバランスなわたし。


    そんな自分を無意識に「良い」「悪い」と評価ばかりしていた。

    美学として、心をときめかせ、目を輝かせて生きるわたしでありたいと願ってきた。

    それこそが、自分らしさだと信じていたから。


    だからこの旅に来るまで、そうできなくなってしまった自分にずっと苦しかった。

    ポ

    これまで、自分の好きな自分になりたくて、わたしは旅に出た。

    ある時は変わりたくて。
    またある時は本来の自分を守るために。
    そんな自分がどこまで広がるのか知りたくて。


    旅はいつも「もっといきいきと生きていいんだよ」と、わたしを解放してくれた。

    ポ

    この新婚旅行でも、少しずつ目を輝かせる自分が顔を出し始めた。心のあちこちを刺激され、気づけば今を生きることに夢中になっていた。

    この旅を通して、ときめきに貪欲なわたしがまだちゃんと自分の中で生きていたことに心からほっとした。

    ポ

    旅はわたしにとって、大切なカギだ。
    自分の中に眠っている宝箱を開けるカギだ。
    まだ知らない自分や、眠っていた可能性に出逢わせてくれる。

    ポ

    でも同時に、心がときめくものを全部抱きかかえようとすると、わたしの体はついてこなかった。


    楽しいから、知りたいから、余すことなくこの街を味わい尽くしたいとどんなに心が欲しても、その疲れは知らぬ間に蓄積されていった。


    ごはんも、旅そして知への追求も、
    腹八分目が結果的にちょうどよくなるのだと学んだ。悔しいけど。

    ポ
    もし、以前のわたしならこんな自分にも状況にも、がっかりしたんじゃないかと思う。


    でも今は。
    気もちはあるのに完璧にできない恰好悪い自分も、わたしなんだと思える。


    そんなヤワな自分だって、ちゃんとわたし。
    そんなわたしにもちゃんと価値がある、と。

    ポ

    それでもやっぱり、ときめきに夢中になろうとする心だけはぎゅっと抱きしめていたい。

    そして明日を、ようやく目を覚ました自分の心とともに生きたい。
    それを諦めない。

    旅のそのあと


    最近、仕事で遺跡発掘に携わった。目の前から平安時代の土器が出てくるのを目の当たりにした。


    千年もの時を経て、また人の手へと戻ってきた。土器もこの日を夢見て、何層にも積み重なる暗く深い土の中で待っていたことだろう。

    あの日、バチカン美術館で見たものもこうして見つけられ、修復され、保管され、展示されたものだ。展示品を見ていたわたしが「発見する」立場になった。

    こんなに心おどることがあるだろうか。


    旅の最中には想像すらしていなかった。
    日常の延長線でそんな奇跡的な瞬間に立ち会った。

    もう旅でしか出逢えないのではと思っていた、目を輝かせた自分が「仕事」といういつもの場所でも暴れだした。

    生きていると何が起きるかわからない。

    ロマンは今、生きるところに、いやこの地面の下にさえも転がっていた。

    ポ

    こうしてご褒美のように起きる奇跡を、小さいことから大きいことまで掬いとって、目の前の今日を味わいたい。


    でも、それもこれも腹八分目に、いい塩梅で
    ごきげんに生きていきたい。


    そして旅するように毎日、主人と心ときめく素敵なものを分かち合って生きていきたい。


    もしいつか。
    今日にときめけなくなる日が来たら。


    その日のために、この旅にスピンをはさんで。



    #創作大賞2026 #エッセイ部門  



     
     
    元小学校の先生、ただ今ドボジョ。 未来はきっと、作家になる。 ・ もっと明日を自分らしく輝いて生きるためにこころゆくままにつづる、心のノート。 #旅 #日常 #教育 #絵本 #夢 #エッセイ

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