
灰色のユートピア。
私たちは、豊かになった。
世界中の人と瞬時につながり、欲しいものは翌日に届き、AIが文章を書き、機械が代わりに仕事をしてくれる。
でも、満たされない。
なぜだろう。
現代は、あらゆるものを数値化した。
タイムパフォーマンス。
コストパフォーマンス。
生産性。
市場価値。
フォロワー。
年収。
偏差値。
見えないはず、見えなくてよかったものまで、
数字で比較できるようになった。
便利になったはずなのに、生きづらい。
なんか窮屈。
豊かになったはずなのに、心は貧しくなっていく。

現代人にあるのは、生きるために必要な臓器だけ。
効率よく働く。
効率よく学ぶ。
効率よく遊ぶ。
それ無駄じゃない?
時間もったいなくない?
無駄を削り、生産性を上げる。
そんな言葉が、当たり前になった。
でも、人間は本来、効率だけでできている生き物ではない。
ぼーっとする時間。
寄り道。
意味のない会話。
くだらない遊び。
絵を描くこと。
誰かと笑うこと。
利益にならない時間こそ、人間を人間たらしめるものなのではないか。
無駄を切り捨て続けた先に残るのは、人間ではなく、高性能な脳みそだけなのかもしれない。

いつから100円に感動できなくなったのだろう。
遊ぶことに、お金が必要になったのはいつからだろう。
資産。
投資。
人脈。
数字が増えることが、人生の目的になっていないだろうか。
もちろん、お金は必要だ。
お金がなければ困る。
しかし、必要なものと、人生の目的は違う。
便利さを得るために作ったはずのお金が、いつしか私たちを支配している。
目の前の幸福に鈍感で、打算的な未来に目を向ける。
数字が増えても、幸福は比例しない。
それでも、私たちは今日も、画面の中の数字を追い続ける。
まるで、十字架に磔にされたように。

「いい人生」をつくるための方程式。
いい大学。
いい高校。
中学受験。
幼児教育。
遺伝子編集。
脳にチップを埋め込む。
能力を最適化し続ける未来。
もし、その先にあるのが、誰もが同じ能力で、同じ顔で、同じ価値観を持つ世界だとしたら。
そこに、人間らしさは残るのだろうか。
胎児は、まだ何者でもない。
それなのに、すでに決められた未来へつながれている。
生まれる前から、最適化は始まっている。
私は、昔のほうが良かったと言いたいわけではない。
テクノロジーを否定したいわけでもない。
資本主義を壊したいわけでもない。
ただ、一つだけ思うことがある。
人間は、効率だけでは幸せになれない。
寄り道をする。
失敗する。
意味のない会話をする。
誰かのためでも、お金のためでもなく、ただ描きたいから絵を描く。
そんな「無駄」にこそ、人間らしさが宿っている。
現代は、多くのものを手に入れた。
だからこそ、失ったものにも目を向けよう。
数字では測れないもの。
効率では説明できないもの。
パンドラの箱を開けてしまった世界の、最期の希望であらぬこと。