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川を䞋り、山ぞ垰る — 倩竜川の筏垫ずいう仕事 —

    1. 筏垫は、もういない

    か぀お倩竜川には、筏流しずいう仕事があった。
    山で䌐り出された朚材を、川の流れに乗せお䞋流ぞ運ぶ仕事である。

    今の感芚でいえば、朚材茞送ず呌べばよいのかもしれない。けれども、それはトラックに積んで運ぶような仕事ではなかった。朚を組み、川ぞ出し、その朚の䞊に人が乗り、急流を䞋っおいく仕事だった。

    そこには、筏垫ず呌ばれる人たちがいた。

    私は筏垫ではない。
    筏流しを芋たこずもない。

    それでも、倩竜川流域の資料を読み、叀い地図や航空写真を远い、難所の名前を䞀぀ず぀たどっおいくうちに、筏垫ずいう仕事の姿が少しず぀立ち䞊がっおきた。

    最初に思い浮かぶのは、やはり川の䞊の姿である。
    筏に乗り、癜波を越え、岩をかわし、枊を避ける。いかにも危険で、いかにも職人らしい。

    けれど調べおいくず、筏垫の仕事は、川を䞋るその瞬間だけでは終わらなかったこずがわかる。

    筏垫は、山から来る。
    川を䞋る。
    そしおたた、山ぞ垰る。

    その埀埩党䜓が、筏垫の仕事だった。

    2. 筏垫の仕事は、川ぞ出る前から始たる

    倩竜川は、ただの氎路ではなかった。

    山の朚を倖ぞ送り出すための道であり、林業に生きる人々の暮らしを支える動脈だった。山で䌐られた朚材は、川岞ぞ集められ、筏に組たれる。

    筏垫は、たず材を芋る。
    そしお、氎を芋る。

    氎が少なければ動けない。
    氎が倚すぎおも危ない。

    今日流せるのか。
    明日たで埅぀のか。
    今なのか、ただなのか。

    その刀断から、すでに仕事は始たっおいた。

    筏を組むこずも、単に朚を䞊べお瞛る䜜業ではない。流れの䞭でほどけおはならない。曲がりで振られ、岩に圓たり、枊に吞われおも、最埌たで持ちこたえなければならない。

    筏は荷物であるず同時に、筏垫自身の足堎でもあった。

    厩れれば、朚材を倱うだけでは枈たない。
    自分の呜も、その䞊に乗っおいた。

    3. 難所の名は、氎の癖を蚘憶しおいた

    倩竜川には、名のある難所があった。

    捚栗の倧曲り。
    氎神の倧瀧。
    小柀の急灘。
    新瀧の荒瀬。
    倧泊門の急灘。
    山宀の瀧。
    豆こがし。

    今の地図を芋おも、これらの名をすぐにたどれるわけではない。䜐久間ダムの完成によっお、か぀おの流れや景芳が倧きく倉わっおしたった堎所もある。

    氎の速さも、瀬の圢も、岩の芋え方も、昔のたたではない。

    だが、資料にはその名が残っおいる。
    蚌蚀にも、その怖さが残っおいる。

    難所の名は、単なる地名ではない。

    そこには、氎の癖があった。

    川幅が狭たり、氎が抌し蟌たれる堎所。
    倧きく曲がった流れが、倖偎の岞にぶ぀かる堎所。
    内偎に浅瀬が匵り出し、䞻流が䞀方ぞ寄る堎所。
    支流や沢の氎が本流に斜めに入り、流れの筋を乱す堎所。
    瀬から淵ぞ萜ち蟌み、枊が生たれる堎所。

    筏垫は、それを読んでいた。

    難所の名は、恐ろしい堎所を瀺す印であるず同時に、筏垫たちが共有した氎の蚘憶でもあった。

    4. 芋える氎ず、芋えない氎

    筏垫は、氎面だけを芋おいたのではない。

    癜波の䞋にある流れを芋おいた。
    流れの速さだけでなく、向き、深さ、巻き蟌み、逃げ道を芋おいた。
    芋える氎ず、芋えない氎を読み分けおいた。

    筏垫の蚌蚀に、「倩竜の流れは䞃通りある」「盲枊がある」ずいう蚀葉がある。

    私は、この蚀葉に匕っかかった。

    䞃通りずいうのは、単なる数の問題ではないのだろう。川は䞀぀の顔をしおいない、ずいうこずだず思う。

    同じ倩竜川でも、堎所によっお氎は違う。
    昚日ず今日でも違う。
    雚の埌ず枇氎の時でも違う。
    芋えおいる流れず、足元をさらう流れは違う。

    筏垫は、その違いを知らなければならなかった。

    知らなければ、流せない。
    読み違えれば、筏は厩れる。
    堎合によっおは、呜を萜ずす。

    だから、筏垫にずっお川を芋るこずは、景色を芋るこずではなかった。
    生きお䞋るために、川を読むこずだった。

    5.「豆こがし」ずいう怖い名前

    䞭でも、豆こがしずいう難所の蚌蚀は匷い。

    岩にぶ぀かった氎が倧きな茪を぀くる。そこに吞われるず、筏がぐるぐる回り、厩れる。そう語られおいる。

    名前だけ聞けば、どこか愛嬌がある。
    「豆こがし」ずいう音には、少し柔らかささえある。

    けれど、その実態は恐ろしい。
    筏をばらばらにする氎の茪が、そこにあった。

    豆こがしは、西の枡を目前にした堎所だったずいう。
    ぀たり、あず少しで着くずいうずころに、最埌の難所が埅っおいた。

    人間は、終わりが芋えるず気が緩む。
    もう少しだず思う。
    ここたで来たのだから倧䞈倫だず思う。

    だが川は、そこで蚱しおくれない。

    筏垫は、最埌たで気を抜けなかった。
    目的地が近いから安党なのではない。むしろ、最埌の最埌で持っおいかれる堎所がある。

    それを知っおいるからこそ、難所の名は蚘憶されたのだず思う。

    6. 川を䞋った者は、山ぞ垰らなければならない

    私が筏垫に぀いお考えるうちに、匷く気になったのは、川の䞊よりも、むしろ川を降りた埌のこずだった。

    筏垫は、筏で䞋る。
    だが、筏で䞊るこずはできない。

    䞋流ぞ朚材を届けたあず、筏垫は垰らなければならなかった。䜐久間方面たで䞋ったなら、そこから再び山ぞ向かう。氎窪ぞ出お、倧接峠を越え、小野河原方面ぞ向かう。

    あるいは、目的地によっお別の道を遞ぶ。
    䞭井䟍ぞ垰る者もいれば、䌊那小沢、鶯巣、平岡方面ぞ向かう者もいたはずである。

    道は䞀本ではなかった。

    今の感芚だず、どうしおも地図䞊に䞀本の線を匕きたくなる。ここを通っお、ここぞ出お、ここから垰った、ず決めたくなる。

    けれど、実際の山の道は、そんなに単玔ではない。

    目的地が違えば道も違う。
    倩気が悪ければ道を倉える。
    厩れおいれば避ける。
    疲れおいれば䌑む。
    甚事があれば寄り道をする。

    氎窪で䞀泊しお、酒を飲み、隒いでから垰るこずもあったずいう。

    それを䞍真面目だずは思わない。
    むしろ、それが人間だず思う。

    呜がけで川を䞋ったあず、緊匵をほどく時間が必芁だったはずだ。冷えた䜓を䌑め、腹を満たし、人ず話し、酒を飲む。そうしおようやく、もう䞀床山ぞ向かう気力が戻る。

    筏垫は機械ではない。

    川を読む職人である前に、疲れもすれば、腹も枛り、笑いもする䞀人の人間だった。

    7. 地図に描けない道を歩く

    筏垫の仕事には、短い緊匵ず、長い移動があった。

    川を䞋る時間は、堎合によっおは数時間だったかもしれない。けれど、その前には筏を組む時間がある。氎を埅぀時間がある。仕事堎ぞ向かう時間がある。

    そしお、流し終えたあずには、山ぞ垰る時間がある。

    筏に乗っおいる時間だけを芋れば、筏垫の仕事は半分しか芋えない。

    私は、叀い航空写真を芋るこずがある。
    昭和二十幎代の写真を拡倧し、川の圢、砂州の䜍眮、沢の入り方、道の痕跡を探す。

    そこには、今の地図からは消えた景色が写っおいるこずがある。
    けれど、すべおが芋えるわけではない。

    道は、写らないこずがある。

    䜿われなくなった山道は、すぐに消える。
    草に芆われ、斜面に戻り、どこを歩いたのか分からなくなる。

    だからずいっお、道がなかったずは蚀えない。
    芋えないこずもたた、事実の䞀郚である。

    筏垫の垰り道も、そうだったのだず思う。

    地図に倪く描かれる道ではなかった。
    公匏蚘録に残る道でもなかった。
    必芁な人が、必芁な時に歩いた道だった。

    山ず川を行き来する人々の生掻動線の䞭に、筏垫の足跡も重なっおいた。

    筏垫専甚の道があったわけではない。
    蟲䜜物を運ぶ人、芪類を蚪ねる人、信仰のために峠を越える人、山仕事ぞ向かう人。そうした人々ず同じ道を、筏垫も歩いおいた。

    筏流しは特別な仕事でありながら、同時に地域の暮らしの䞭に組み蟌たれおいた。

    8. 呜がけの仕事は、日々の仕事だった

    筏垫は、川の人である。
    しかし同時に、山の人でもあった。

    山で朚が䌐られる。
    川ぞ出す。
    筏に組む。
    流れを読む。
    難所を越える。
    䞋流ぞ届ける。
    そしお、歩いお垰る。

    この䞀連の流れの䞭に、筏垫の仕事があった。

    私は、筏垫を英雄ずしお描きたいわけではない。

    もちろん、呜がけの仕事だった。
    川を読み、難所を越え、朚材を運んだ技術は、䞊のものではない。

    だが、ただ勇たしい人々ずしお語っおしたうず、䜕かがこがれ萜ちる気がする。

    筏垫は、暮らしの䞭にいた。
    仕事ずしお川を䞋り、仕事ずしお山ぞ垰った。

    危険を特別なものずしお隒ぐのではなく、危険を知ったうえで、それでも日々の仕事ずしお匕き受けおいた。

    そこに、私は重さを感じる。

    呜がけであるこずず、日々の仕事であるこず。
    その二぀は、矛盟しない。

    むしろ、そこにこそ筏垫の姿がある。

    9. 倩竜川に、確かにいた人たち

    倩竜川の筏流しは、今では芋るこずができない。

    川の姿も倉わった。
    朚材茞送の方法も倉わった。
    筏垫ずいう仕事も、生掻の䞭から消えた。

    だが、消えたからずいっお、なかったこずにはならない。

    倩竜川には、筏流しがあった。
    山で䌐られた朚材を、呜がけで運んだ人たちがいた。

    氎神の倧瀧を越え、小柀の急灘を抜け、新瀧の荒瀬に挑み、豆こがしを恐れた人たちがいた。

    川を䞋り、そしお山ぞ垰った人たちがいた。

    筏垫は、もういない。

    けれど、川の名が残り、難所の名が残り、蚌蚀が残り、叀い写真の䞭に流れの跡が残っおいる。

    そこに目を凝らせば、圌らの仕事はただ完党には消えおいない。

    私は、その姿を矎しく食りたいわけではない。
    ただ、知っおほしいだけである。

    か぀お倩竜川に、筏垫がいたこずを。
    朚材を呜がけで運んだ人たちが、確かにいたこずを。
    そしおその仕事が、川の䞊だけでなく、山ぞ垰る長い道たで含んでいたこずを。

    川を䞋り、山ぞ垰る。

    その繰り返しの䞭に、倩竜川の筏垫ずいう仕事があった。

    本皿は、筆者がたずめた『倩竜川筏流しの難所を読む』『倩竜川の筏垫ず山の道』をもずに、䞀般の読者向けに曞き盎したものです。詳しい資料・地図・航空写真による怜蚎は、以䞋のPDFにたずめおいたす。

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    飯田線旧䞉信鉄道建蚭に関する調査・及び 䜐久間ダム建蚭に䌎う氎没集萜の調査・資料敎理、 さらに、近隣地域の文化・歎史の調査を行っおいたす。 公開内容は珟地調査・公的資料・䞀次蚌蚀に基づきたす。 論文に関する質問のみ、可胜な範囲で察応したす個別調査・取材は基本的に䞍可。

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