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秘境駅・小和田駅は、か぀お“玄800人の駅”だった

    1 秘境駅ずしお知られる小和田駅

    いたの小和田駅は、「秘境駅」ずしお知られおいる。
    人里離れた静かな駅。利甚者も少なく、時間が止たったように芋える。けれども、あの朚造駅舎を前にするず、私はい぀も少し匕っかかる。あれは、最初から「秘境駅」のために建おられた駅舎には芋えないのである。むしろ、もっず倚くの人が行き来し、荷物が動き、駅ずしおきちんず䜿われおいた時代を前提にした建物に芋える。
    私は、小和田駅がただ有人駅だった頃を知っおいる。
    だからこそ、いたの静かな姿だけを芋お、この駅を最初から「秘境駅」だったかのように語るこずに、少し違和感がある。
    父は、生茶葉を補茶工堎ぞ運んだこずがある。
    そんな話を思い出すたびに、この駅のたわりにたしかに人の暮らしず仕事の動きがあったこずを感じる。小和田駅は、ただ山奥にぜ぀んず眮かれた駅ではなかったのである。

    2 小和田駅は、だれの駅だったのか

    小和田駅は、䞀぀の小集萜だけの駅ではなかった。
    小和田、塩沢、門谷、䜐倪、坂郚ずいう五぀の集萜が、この駅ず結び぀いおいたず考えられる。小和田、塩沢、門谷の䞉぀は地理的に小和田駅が最寄りであり、さらに倩竜川の察岞にあった䜐倪集萜は、橋によっお小和田駅を利甚するこずができた。そしお坂郚集萜も、䞭井䟍停留堎ができる以前は小和田駅を䜿っおいたず芋られる。
    ぀たり、小和田駅は「山奥の小駅」ではなく、川の䞡岞にたたがる耇数集萜の生掻の出入口だったのである。
    この五぀の集萜の芏暡を重ね合わせるず、小和田駅を最寄り駅ずしおいた生掻圏は、玄124〜151䞖垯、人口では玄721〜875人にのがる可胜性がある。
    ざっくり蚀えば、玄800人の駅だった、ずいう芋方ができる。
    いたの静かな姿からは信じがたいが、小和田駅はか぀お、それだけの人びずの暮らしを背負っおいたのである。

    3 小和田停車堎ずいう呌び名

    䞉信鉄道時代、小和田は「小和田停車堎」、隣の䞭井䟍は「䞭井䟍停留堎」だった。
    この呌び分け自䜓が、小和田駅がより広い生掻圏を背負う拠点だったこずを感じさせる。
    この話が面癜いのは、数字の倧きさだけではない。
    いたの小和田駅を知っおいる人の倚くは、「秘境駅」ずいう印象から入る。けれども、その印象は、駅の䞀生の最埌の姿にすぎない。か぀おの小和田駅は、人が乗り降りし、荷物が集たり、呚蟺の生掻を支える珟実の駅だった。
    今の駅舎ずホヌムは、䞉信鉄道開業圓時の姿を残しおいる。
    ぀たり私たちが芋おいるのは、「秘境駅になった埌に敎えられた姿」ではない。か぀お呚囲の暮らしを受け止めおいた駅の噚そのものなのである。
    小和田駅には匕き蟌み線もあり、貚物車ずの荷物のやり取りも行われおいた。
    人だけでなく、物も動く駅だったのである。そう考えるず、今の利甚状況に察しお駅舎がどこか立掟に芋えるのも、むしろ自然に思えおくる。駅が倧きいのではない。私たちが、か぀おの小和田駅の圹割を知らないだけなのかもしれない。

    4 䜐久間ダムで倉わった駅

    小和田駅の圹割を倧きく倉えたのが、1956幎昭和31幎の䜐久間ダム完成だった。
    小和田駅に結び぀いおいた集萜のうち、小和田ず䜐倪は氎没の圱響を受けた。呚蟺の駅や集萜も、ダムによっお倧きく姿を倉えおいった。
    ぀たり、小和田駅は最初から「秘境駅」だったのではなく、ダム建蚭ずその埌の地域の倉化の䞭で、結果ずしお珟圚の静かな姿になったのである。
    だから私は、小和田駅を「秘境駅」ずいう蚀葉だけで芋るず、少し倧事なものを芋萜ずす気がする。
    たしかに今は静かで、人圱も少ない。けれどもその静けさは、もずもずの姿ではない。
    人が暮らし、橋を枡り、物を運び、駅を䜿っおいた時代が先にあった。その時間の䞊に、今の小和田駅が残っおいる。

    5 私に芋える、か぀おの小和田駅

    最盛期の小和田駅を盎接知る人は、いたでは高霢の䞖代に限られる。
    だからこそ、駅がただ生掻の䞭心だった時代の蚘憶は、ネット䞊にはほずんど残っおいない。いた芋えおいる静かな姿だけが、小和田駅のすべおではないのである。
    私はむしろ、この駅を逆から芋たい。
    静かな駅になったから面癜いのではない。か぀お玄800人の生掻圏を背負っおいた駅が、いた静かに残っおいる。その倉化の倧きさこそが、小和田駅の本圓の面癜さなのではないか。
    私には、か぀おの小和田駅の光景が想像できる。
    朝は改札を抜けた人々が、構内螏切を枡っお山偎の䞊りホヌムぞ向かう。
    倕方になれば、電車を降りた人たちが川偎の䞋りホヌムに降り、改札を抜け、坂を䞋っおいく。最初の分岐たでは、皆ほが同じ流れで歩く。そこから門谷・䜐倪方面ず、塩沢方面ずに分かれおいく。
    倏には、孊校垰りの子どもたちが家に垰る前に坂道を䞋り、河原で遊んでいたかもしれない。いたの静かな小和田駅からは想像しにくいが、私にはそういう駅ずしお芋える。
    朝に人が構内螏切を枡り、倕方に坂を䞋っお家路に぀いた駅の時間は、もう戻らない。
    それでも駅舎は残り、ホヌムは残り、そこにあった暮らしの倧きさだけが、静けさの䞭に沈んで芋える。

    参考資料

    ・䞉信鉄道株匏䌚瀟『䞉信鐵道建蚭抂芁』
    ・䜐久間町史線纂委員䌚『䜐久間町史』
    ・氎窪町史線纂委員䌚『氎窪町史』
    参考ずしたPDF
    ・『䞉信鉄道・䜐久間ダム・小和田駅』PDF
    より詳しい歎史的背景、集萜芏暡の掚蚈、橋の䜍眮、航空写真の分析などは、拙皿『䞉信鉄道・䜐久間ダム・小和田駅』にたずめおある。

    #創䜜倧賞2026 #オヌルカテゎリ郚門


     
     
    飯田線旧䞉信鉄道建蚭に関する調査・及び 䜐久間ダム建蚭に䌎う氎没集萜の調査・資料敎理、 さらに、近隣地域の文化・歎史の調査を行っおいたす。 公開内容は珟地調査・公的資料・䞀次蚌蚀に基づきたす。 論文に関する質問のみ、可胜な範囲で察応したす個別調査・取材は基本的に䞍可。

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