
星は三千(さんぜん)と輝く
人工物よりも、自然を美しいと感じる人間でいたいと思う。
高台に登り、「ほら、綺麗な夜景だね」と誰かに言われても、私はいつの間にか空を見上げている。
都会のネオンや人工的な照明よりも、宇宙の奥行きを感じさせる星空の方が、私にはずっと綺麗に見えるのだ。
たとえ都会の空が、街の灯りに塗りつぶされていたとしても。
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もちろん、街の灯の一つひとつには生活があり、人生がある。そう考えれば、それはそれで儚く、美しいものだとは思う。
けれど、やはり星空には敵わない。
絶対に手が届かなくて、今見ているその輝きが、いつの時代の光なのかもわからない。
その、途方もない距離と時間に想いを馳せる方が、私には贅沢な時間に思えるのだ。
そして私は、自他共に認める「アホ」なので、ずっと勘違いをしていた。
いつかプラネタリウムで解説を聞いたとき、「空を見上げたとき、肉眼で見える星は三千ほどです」と言われた。
「ああ、だから星は三千(さんぜん)と輝く、って言うのか」
大人になっていたというのに、私は「三千」と「燦然(さんぜん)」を本気で混同していたのだ。
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音に対しても、似たようなところがある。
幼少期、家の裏は田んぼだった。
梅雨の時期にはカエルの合唱が子守唄になり、秋にはコオロギや鈴虫が秋の夜長を唄ってくれた。
そんな自然の呼吸を聞きながら、私は眠りについていた。
今では、都会のノイズに囲まれ、眠れない夜を過ごすこともある。
そんな時は、スマホで難解な学術講義や、よく分からない授業の音声を流し、退屈の波が眠りを連れてくるのをじっと待つ。
あの頃の、カエルの声を「音楽」として聴けていた自分を、時々、ひどく羨ましく思う。
私、クリエーターSHINGO の短編エッセイをマガジンに収録しました。