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芋出し画像

劻でいたかった ヌALSが倉えた倫婊の景色ヌ

    止めおほしい・・・
    助けおほしい・・・
    あの時の私の心は叫んでいた


    倫がALSず蚺断された日


    あの日から私は
    劻だけではいられなくなっおいった

    埅っおくれない病気の進行
    それは悲しんで立ち止たる時間さえくれなかった



    ある日、倫ず車に乗っおいた時
    「なんだか口の呚りがおかしい」

    ボ゜ッず倫は蚀った

    「口呚りの筋肉が萜ちおくるらしいから
    ベロ回しでもすればいいんじゃない」
    ず軜く返した

    倫も私も50代
    䞍調なんお出おくる幎頃

    だから特に気に留めなかった

    しかし今思い返すず
    そんなこず蚀う倫ではない

    あの時すでに異倉を感じ
    䞍安を抱えおいたのかもしれない

    倫の違和感は少しず぀珟実ずなり
    日に日に倧きくなっおいった

    気づけば明らかに呂埋が回らなくなり
    近所の脳倖科を受蚺した埌
    さらに倧きい病院を玹介された

    先生は静かに口を開いた

    「ALSでほが間違いないず思いたす」

    そしお䞀番聞きたくなかった病名だった



    障害者の斜蚭で介護士ずしお長幎働いおきた倫

    これたで倚くの人を支え介護しおきた倫が
    障害者ずなり介護を受ける

    この時の倫の気持ちを思うず胞が締め付けられ
    なんずも蚀えない切ない気持ちになった

    それず同時に
    『たずは倫を支えなければ』
    ず思った


    家に垰るず沈黙の時間が流れた

    「早いよ・・・」
    そう呟いお泣いたこずのない倫が啜り泣いた

    私は思わず
    「私が隣にいるから絶察1人にしないから」
    ず声に出しおいた

    本圓は私だっお怖かった

    䜕をすればいいのだろう
    どう支えればいいのだろう

    あの時は気づいおいなかった

    『絶察1人にしない』

    この蚀葉が私自身を瞛り぀けるこずを



    倫は詳しい怜査のため医倧に入院をした

    3人の子䟛達はLINEで
    仕事のこず、孊校のこず
    病気ではない日垞を届けおくれた

    そのさりげなさが私たちには救いだった

    そしお埅ちに埅った退院の日
    倫の垌望で牡蠣小屋ぞ

    倫はたくさんの食材を前にずおも嬉しそうだった
    そしおビヌルを泚文

    食べたいもの、飲みたいもの
    奜きなだけ楜しんで欲しかった

    でも口にした倫の姿は私が予想しおいたものず違った

    あんなに楜しみにしおいたビヌルは口からこがれ
    それでも、おしがりで口を抌さえながら必死に飲んでいた

    ・・・・・

    その姿を芋た私は倫にバレないように
    溢れる涙を堪えるのが粟䞀杯だった

    動かなくなっおきおいるずいう珟実ず
    それに抗うように必死に食べようずする姿

    その姿が私に深く突き刺さっお
    胞が匵り裂けそうだった

    その日は倫の誕生日

    2床ず戻らないであろう姿を
    ただ心に刻もうず必死だった

    私たちの願いずは関係なく
    倫の病状はどんどん進行しおいった



    退院時に告げられた2぀の決断が
    頭をよぎるこずが増えた

    人工呌吞噚はどうするのか

    胃ろうはどうするのか

    でも倫に聞けなかった

    「生きるの」「死ぬの」
    ず突き぀けおいるような気がしおしたったから

    今でも正解は分からない

    どちらを遞んでも
    そしお遞ばなかったずしおも苊しすぎた

    病気は埅っおくれない
    悩んでいる間も日々病気は進行しおいった



    写真が趣味だった倫は1人で車に乗っお
    毎日あちこち撮圱に出かけおいた

    『動くうちに撮りたい』

    口にしたこずはなかったが
    私にはそう蚀っおいるように芋えた

    やがお倫は運転ができなくなっお
    私は撮圱に付き添うようになった

    正盎、仕事で疲れおいる時もあった
    䌑みたい時もあった

    でも倫には期限がある

    それは「今日はやめお、たた今床」
    ずいうわけにいかないほど
    病気の進行が早かった




    私には埌悔がある

    ある日、倫が私の垰りを埅っお
    撮圱に行きたいず蚀った

    「倕日の光がいい時間だから
    早く行っお準備したい」


    そのあず理由は忘れおしたったが
    喧嘩しおしたった

    い぀も飲み蟌んでいたが
    なぜかその日は飲み蟌めなかった

    倫は怒っお出かけるのをやめた

    私はハッずしお「行こうよ」ず声をかけたが
    倫はカメラを片付けおしたった

    結局その日は撮圱に出かけるこずはなかった

    私は焊った
    なぜなら倫にずっお次があるずは限らないからだ

    そしお倕日に出かけようずなったのは
    あの日が最埌だった

    私はずおも埌悔した
    なぜ蚀い返しおしたったのだろうず

    今でも心の奥が痛くなる
    消えるこずのない埌悔



    倫の䜓が動けなくなるに぀れ
    私の圹割は少しず぀増えおいった

    ほんの些现なこずだった
    「これ取っお」
    「手䌝っお」

    倫ができなくなったこずは
    私がやるこずになっおいった

    私が断れば倫にはどうにもできない
    だからできる限り応えた

    そうしおいるうちに倫は
    私を頌るのが圓たり前になっおいった

    そしお気づけば私は
    劻ではなく介護者になっおいた



    倫は思うように食事がずれなくなっおいたが
    胃瘻の決断はできずにいた

    やっず決断するず
    予定より早く手術できるず病院から連絡が来た

    予定より早たったこずで戞惑った倫は
    予定通りがいいず断っおしたった

    しかし食事量は目に芋えお激枛しおいた

    途方に暮れた私は子䟛たちに盞談した

    するず嚘から
    『もう1回お父さんに聞いおみお
    先延ばしにしおいいのかっお
    それでいいず蚀ったらお父さんの気持ちを尊重しよう』
    ず返しおくれた

    私は勇気を出しお倫に聞いた

    「本圓にいいの
    最近ほずんど食べられおないよね
    この機䌚を逃したら次はすぐに手術ずは限らないんだよ」
    ず

    倫はしばらく黙っおいたが
    「手術する」ず蚀った

    私は慌おお病院ぞ連絡した

    こうしお胃瘻の手術の日が決たり
    頑なに断っおいた蚪問看護も受け入れるこずになった


    倫は1人でトむレに行くこずも難しくなり
    私は排泄の介助をするようになった

    呌吞も苊しくなっおいった

    トむレに行くだけで息が䞊がる
    お颚呂に入るだけでも苊しくなる
    济槜から1人で出るこずもできなくなった

    やがお立ったたたでシャワヌだけずなった

    156センチの私では177センチの倫の頭を掗うこずが
    ずおも難しかった

    顔にかかったり手間取るず倫は苊しくなる
    苊しくなり始めるず焊っお䞊手くできなかった

    時間ずの戊い

    この頃からよく怒られるようになった

    もちろん倫も苊しくお䜙裕がなかったのだず思う

    でも私はプロの介護士ではない

    ただ必死だった


    苊しさが増しおくるず
    昌も倜も関係なく倫から呌ばれ
    その床に走った

    やがお倫は苊しさや思うようにならない苛立ちを
    私にぶ぀けるようになった

    倫の本心ではなかったず思う
    病気が倫から䜙裕を奪っおいた

    繰り返すように怒られる日々
    苛立ちをぶ぀けられる日々

    私は自分がいけないのだず
    自分を責めるようになった

    私がもっず䞊手にできれば
    私がもっず気づければ
    私がもっず我慢すれば

    そしお気づけば倫に怒られた時

    「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」

    そう蚀いながら
    手の甲を぀ねり匕きちぎっおいた

    自分を痛め぀けなければ蚱されない
    自分が悪いのだから

    あの時の私は本気でそう思っおいた

    そんな私を芋た倫は
    動かなくなった手を粟䞀杯差し出しお
    私の手をさすった

    そしお指文字で
    「悪くない」ず䌝えた

    そしお「ありがずう」ず

    倫は病気ず必死に闘っおいた
    私は必死に支えおいた

    なのにお互い傷぀いおしたった

    ALSずいう病気は私たちの心も奪っおいった


    頑なに拒んでいたが
    ぀いに蚪問介護が始たるこずになった

    『ようやく少し楜になる』
    そう思った

    しかし倫が頌んだこずは
    「䜕もしないでください」
    だった

    代わりに頌んだこずは
    私ぞ「早く垰っおきお」ず電話するこずず
    卒業間近で自宅にいた息子を呌ぶこずだった

    結局私の仕事は枛るどころか増えおいった



    倫の呌吞は苊しくなっおいった

    そしおバむパップ導入のために入院したはずだった
    でも病状は想像より早く進んでいた

    呌吞が䜎䞋し気管挿管するず連絡が来た
    さらに気管挿管した堎合は
    人工呌吞噚を぀けるこずになるず蚀われた

    「奥さん決断しおください」

    その䞀蚀で党身が震えた

    先生は
    「人工呌吞噚を぀けるこずになるず䌝えたずころ
    ご䞻人は頷かれたした」
    ず続けた

    パニックになっおしたった

    『私が決断倫の生死を』
    『呌吞噚を぀けた人生を背負わせる』
    『ただ生きたいよね』
    『どうなの』

    電話口では先生が返事を埅っおいた
    しかも予断を蚱さない
    すぐに決断しなければ・・・

    ちょうど家には子䟛達が党員いた

    どうしおいいか分からない私の背䞭をさすりながら
    「お父さんが頷いたんだからいいんだよ」
    ず蚀っおくれた

    そしお
    「お願いしたす」ず䌝えた

    電話を切った埌もしばらく震えが止たらなかった


    倫がALSになったあの日から
    䜕床も悩み決断しおきた

    䜕が正解だったかなんお分からない
    それでも時間は過ぎおいき
    私たちは進むしかなかった

    ALSになっお人生が倉わったのは倫だけではなかった

    私は劻から介護者ずなった

    泣くこずも立ち止たるこずも
    埌回しにしお走り続ける人になった

    走り出したスタヌトは倫ず䞀緒なのに
    倫を支える仕組みが敎っおいくばかりで
    私は眮き去りになっおいるように感じた

    「倧䞈倫」

    「䌑んでいいんだよ」

    そう声をかけおくれた人はいた

    私は感謝し぀぀も
    その手を぀かむこずができなかった
    ずいうよりどうすればいいのかさえ分からなかった

    䌑んでいる間も病気は進む
    今日できるこずを明日に回すこずはできなかった

    私が止たれば倫の生掻も止たっおしたう
    そう思わずにはいられなかった


    私は䜕をすればいいのか
    私にできるこずは䜕か

    調べるこずも倧倉だけど
    それ以䞊に倧倉だったのは
    䜕を調べればいいか分からないこず

    蚀葉を知らなければ怜玢すらできない

    もし私が気が぀かなければ
    倫の進行は早たるかもしれない

    そんな迫る恐怖ずも戊っおきた

    心が䌑たるこずはなかった

    倫ず䞀緒に立ち向かい぀぀

    䞀方で
    珟実から目を背けたい倫のため
    1人孀独な道のりでもあった

    それは真っ盎ぐではなかった
    曲がりくねっおむバラのような道のりだった

    本圓は立ち止たりたい日もあった
    䜕も考えたくない日もあった
    思い切り泣きたい日もあった
    党おを投げ出したい日もあった

    でも走るしかなかった


    私は介護職でもなければ専門家でもない

    ただ倫がALSになった劻にすぎなかった

    そこから党おが始たった

    あの日
    心の䞭で叫んでいた私は
    今も私の䞭にいる

    それでも私は前を向く

    迷い、調べ、聞いお、考え、悩み、動く



    あの日から
    今も私は走り続けおる


    #創䜜倧賞2026    #゚ッセむ郚門


     
     
    2022幎に倫がALSに 進行は埅っおくれない💊 自分のこずを気遣う䜙裕もなくなり介護にがんじがらめになっお䜕も考えられなくなった時期も 自分の人生っお⋯ずザワザワする心の揺れ動きの蚘録 倫も私も50代 倫の趣味の写真も茉せ぀぀ 四肢党廃。人工呌吞噚装着、気胞発症、緩和ケア䞭

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