
「支えよう」の前に伝えたい、認知症のグラデーション
さくらももこ著「もものかんづめ」の「メルヘン翁」を読んで思い出したことがある。
この「メルヘン翁」では、さくらももこさんの祖父が亡くなった場面が描かれているのだが、亡くなった場面にも関わらず、声を出して笑うくらい面白く描かれている。
ここで「ボケ」、いわゆる「認知症」のことが少しであるが書かれている。
数か月前、zoomで地域支援事業について会議をしていた時のこと。
この会議では、「地域支援事業」というだけあって、認知症カフェ、介護予防教室を「どのように支えていくのか」「支える側の人を増やすには?」という会議だった気がする。
ここで参加していた方が
「この間、子供の中学校で認知症の人を支えていきましょう、みたいな講義が親含めてあったんですけど、認知症に対してこわいイメージがあるみたいで。最後にはオレンジ色のエコバッグを参加してくれた人に配ってたんですが、逆にみんな、いらないっていう感じで避けてたんですよね。こういう「みんな認知症のこと分かったよね!支えていこう!」とか突然言われても確かに困るな~と思って。」
という話があった。
ここで私が驚いたのは、「認知症」は「こわい」というイメージをもっている人もいるということだった。
私は、病院勤務をしていた頃、「認知症」の方をよく担当していたし、実家では曾祖母が認知症を患っていた。
そのため、認知症の方の対応、認知症の種類、症状は理解はしている方であると思う。
ここで曾祖母の話をしたい。
曾祖母は確か70代後半頃から、小さい時の私はなぜそうなるのか理解していなかったが、時々自宅で倒れることがあった。
両足を伸ばした状態で、壁によりかかりぼーっとして座っている。
そして声をかけても起きなくなる。
救急車で運ばれる。
当日には退院をする。
ということを何回か繰り返した気がする。
そのうちに歩くことが難しくなり、四つ這いで移動し、認知症症状が出てきたため、自宅と施設を行き来していた。
(この時は1990年代後半で介護保険はない)
トイレに行くと、壁にダイイングメッセージなのか?というくらい便がついていたり、
誰もいない所を指さし「あの女の子誰だ?」「虫がいる」と言ったり、
冬の夜、パンツだけを履いた状態で四つ這いで茶の間に出てきて「家に帰る」と言ったりしていた。
私は、確か中学生で部活、陸上に忙しく、気に掛けることも少なくなっていた。
自宅には母と祖母がいたためその2人が主に面倒をみていたのだと思う。
曾祖母はそのような症状を繰り返してはいたが、怒ったりなんかはせずいつも穏やかだった。
私は曾祖母が家族の中で1番大好きだった。
幼稚園の時、近所の方が亡くなった時、その人の家に行くまで夕方背中におんぶをされて行った記憶。
小さい頃のビデオには、小さい私が曾祖母に寄りかかっている映像がある。
曾祖母は施設で亡くなったので、最後の曾祖母との会話は自宅に戻ってきた時の日中のベッドの上だった。
天気がよくて日差しが入っていたのを覚えている。
私が部屋に入ると、
「なつ子か?」
と聞かれた。
全く違う名前、家族にもいない名前を言われたのでショックというよりも驚いた方が強かった。
認知症の授業を担当する時は、これらのエピソードを伝え、リアルを伝えてる。
働いてから思ったことは、
曾祖母は「レビー小体型認知症」だったのかもしれない。
幻視がみえていたし、頻回に倒れていたのは起立性低血圧の症状だったのだと思う。
認知症をこわいという人は分からないから「こわい」というイメージがあるだけで、
種類、症状を少しでも知れば、こわくはない。
ちゃんと意思があって、認知症になる前は何十年も働いてきた自分達と同じ人なのだ。