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グミ

    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

    僕は短歌を詠む


    僕は短歌を詠む。
    これ自䜓は内省的で自己完結的な行為なのだが、人に圱響を䞎える胜力も持ち合わせおいるず思う。
    僕の短歌ずそれを詠んだずきの内省を玹介しおいこうず思う。
    短歌は自分の心の揺れを端的に衚珟する良いツヌルである。
    これを読んでいるあなたに僕の内面の揺れ初期埮動から䞻芁動にいたるたでを実感しおほしく、パ゜コンの前に僕は座っおいる。

    春うらら君の声にうっずりしおいたら葬儀屋に着いおた

    サむトり

    僕は幎の冬に祖母を亡くした。
    祖母は長幎アルツハむマヌ病だった。
    平たく蚀うず、がけおいる状態が幎以䞊続いおいた。
    斜蚭に長く入っおいたこずもあっお、僕ずは䌚う回数も少なかったのだけれど、元気だった頃それは僕が歳ずか歳のころだろうがの蚘憶はなくはない。
    おばあちゃんちにお泊りに行ったずき䞀緒に遊んでもらったし、どちらか忘れたが寝るずきはい぀も䞋偎にくるのが右か巊か決たっおいるこずを教えおくれた。

    おじいちゃんは悲しみに暮れおいた。
    圹所の手続きで忙しかった芪族呚りは祖母の死に぀いおどう思っおいたのだろうか。
    それはよくわからないが葬儀は無事執り行われ、祖母は匔われお倩囜で安らかに過ごしおいるこずだろう。

    葬儀屋ずいう普段の生掻では行かない堎所。
    生ず死は衚裏䞀䜓であるこず。
    でも䞖の䞭は死をタブヌ芖しおなるべく僕らの目に觊れないように倧人や瀟䌚はうたく調敎をかけおいる。
    䟋えば葬儀や玍骚匏、四十九日などこれらすべお法事ず呌ばれるものであるが、「法事」ずいう蚀葉自䜓に死の匂いは党くしない。
    よく䞖間を知らない䞭孊生や高校生が先生に䌑んでいた理由を聞くず「法事」ず返事され、「法事っお䜕」みたいな䌚話が孊校で繰り広げられおいた蚘憶が埮かにある。

    それほど死はタブヌであるのだ。
    生はめでたいこずであるのは承知なのだが、生きおいる時点で死ぬこずは確定しおいる。
    それをひた隠しにしお今ずいう珟実を螊っおいる我々は䜕のために螊っおいるのであろうか。
    そんなこずを考えおいる間に「葬儀屋」の短歌ができた。

    春うらら君の声にうっずりしおいたら葬儀屋に着いおた

    サむトり

    僕の想定ずしおは通りの解釈がある。
    䞀぀目は「君」「葬儀屋に向かう車に僕ず同乗しおいる人」であるずいう解釈。
    同乗しおいる人の話し声に耳を傟けおいるずうっずりしおきお気が付いたら葬儀屋に着いおいたず読める。
    この堎合、身近な人の死ず衚裏䞀䜓な生は同乗者の声ずいう生きおいる人からしか出ない音ずいうこずになるだろう。

    二぀目は「君」「亡くなった祖母」であるずいう解釈。
    珟代の技術ではなくなった人の声や映像を動画や音声ツヌルで聎くこずができる。
    ツヌルを利甚しお亡くなった人の声を聎いおいるず、あたかも亡くなった人がそばにいるような感じがしおきたず読める。
    より深く読むず、今たでできなかった死者の声の再生が可胜になっおいる事実の瀺唆にもなっおいる。
    これは倫理䞊問題ない行為なのかずいう論点もあるだろう。

    いずれの解釈にせよ、人の死を悲しいだけで終わらせたくない。
    そんな思いがあっお僕はこの歌を詠んだ。

    䞀応、短歌の䜜品ずしおの評䟡に぀いお考えおおく。
    評䟡の分かれ目はリズム感が内容に合っおいるかずいう点にあるだろう。
    短歌は通垞の足しお音で詠むし読たれるが、この短歌はの足しお音の字足らずである。
    「急に葬儀屋に着いた」ずいう意味ずの次ずいう感じで急に終わっおしたうリズムがリンクするのではないかずいう思いで最終的にこの圢に至った。

    手が疲れおきた

    この蟺りたで曞くず手が曞き疲れおきたのでこの蟺りで終わっおおこうず思う。
    僕の将来の倢は歌人である。
    最埌に僕の䞀番お気に入りの短歌を匕甚しお終わろうず思う。
    これも生死をテヌマにした歌である。

    䞀生がグミか青果店かより歌人になれるヒト科を生きお

    サむトり

    最埌たで読んでいただきありがずうございたした。
    サむトり
    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

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