
灯(ともしび)をかざす人
突如マイケルジャクソンが亡くなった、あれから17年。
もう17年? いやまだ17年・・・。
どちらの表現が正しいのだろう。
ただあの日感じた衝撃は、確かに今でもはっきり覚えている。
あの報道から数日の後、仕事帰りで立ち寄ったコンビニで、たまたま目に留まった情報誌。
おもむろに手にとり、パラリとめくった時に捉えた文字。
BADな知らせが世界を駆け巡った時、誰もが一瞬思ったかもしれない。
「冗談(ウソ)だろ…。」だが、マイケルは逝ってしまった。本当に。
今でも忘れない。この一文を目にした時
『BADな知らせ…』か、上手いなぁ、と思ってしまった。
私が初めてマイケルジャクソンを意識的に聴いたのは高校生の頃だ。
当時は友人の影響でイギリスのPOPサウンド(デュランデュラン、カルチャークラブ、カジャグーグー…etc)をよく聴いていた。
彼らは全米でもよくチャートインしていたこともあり『ベストヒットUSA』という深夜番組を見始めた頃でもあった。
ちょうどそのあたりだった。マイケルの新曲が紹介されたのは。
初披露というそのプロモーションビデオが流された。
それが『スリラー』だった。
マイケルと共にゾンビが躍る。一見コミカルのようだが、その練り上げられたダンス、ステップ、現実と虚構を上手く絡み合わせた構成と制作。もはや単なる曲の紹介を超えていた。
まるで深夜のホラー映画を観ているような感覚だった。
一気にのめり込んだ。いつしかその映像が毎週の楽しみにさえなっていた。
現在のようにSNSもYouTubeもない時代にあって、彼が繰り出すパフォーマンスは、世界中に爆発的な流行を巻き起こした。
皆こぞってゾンビダンスを真似、いかに格好よくムーンウォークを再現できるかを競っていた。
歌手であり、一流ダンサーであり、作詞も演出も兼ねていたという彼は、メディアを駆使した新たな〈クリエイター〉であり〈メッセンジャ―〉でもあったと思う。
彼のヒット曲は数あれど、あの澄んだ清らかな歌声は、息巻くよりも優しく唱えるほうがよく似合う、そう思うのだ。
高校に入り初めての文化祭の催しを検討していた時だった。
先生から「流行(はやり)はいづれ廃れるもの。もっと後まで根付くものを考えるように」と忠告を受けた覚えがある。
若い頃はとかく流行ものに敏感だ。すぐに飛びつき夢中になる。だが、どんなに熱中したものでも、いづれ熱が冷めると収集物は意外とすんなり手放せたりする。
彼は後年ゴシップに晒され纏わりつかれ、そのせいで悩み苦しんでいた。その姿を周囲はこぞって取り上げ酷評であるほど巨額のお金を生んでいった。
あれほどの熱狂も、いつしかただの好奇の目と化していったのだ。
彼が亡くなってから17年。
今月いよいよ唯一無二のエンターテイメントが公開される。(現状すでに公開しているがまだ観ていない。)
私は彼が歌に込めたメッセージは彼の本質だったと思っている。
《ビートイット》で無意味な争いは止めろ。勝つことが正義とは限らない、
《BAD》では本当の強さとは、カッコよさとは何か。
《ヒール・ザ・ワールド》ではいつまでも争いの絶えないこの世界を癒そう
と、説いている。(…と解釈している)
誰の中にもある小さな場所、それが愛だ。そこは明日の光よりも輝く場所だよ。もしあなたが命を尊ぶなら出来るよ、その光で世界を癒(治)そう。君のため僕のため、全ての人の為に。
幼い頃5人兄弟の末っ子として存在していただけの子供は、天性の才を持っていた。そしてその才を使って単なる存在から《意志》をもって多くのアーティストたちが辿ったよりさらに高い頂きを目指したのだ。
心に1つの灯(ともしび)をかかげて。
流行はいづれ廃るもの…。確かにそうだろう。だが巡るものでもある、と思っている。
彼が世界に向けた灯(ともしび)は、いま私たち一人一人に託されている。