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芋娘日記~約束しなかった日々~

    「今どこ?」
    そう尋ねれば、すぐに答えが返ってくる。
    待つ時間は、ずいぶん短くなった。
    でも、あの頃は違った。
    会えるかどうかは、ドアが開くまで誰にも分からなかった。
     

    ときは昭和の終わり。
    平成という新しい年号を、まだ誰も知らなかった頃のこと。
    高1の私は、鈍行バスに揺られて市内の女子高へ通っていた。
     
    山をひとつ越え、またひとつ越え、さらにまたひとつ越える。
    市内へ出るには、それが当たり前だった。
    舗装の甘い山道ではバスの車体が小刻みに揺れ、
    そのたびに窓の外の景色もガタガタと揺れる。
    山あいに点在する小さなバス停にも律儀に停まるせいか、
    小1時間の道のりでスピードに乗って快走した記憶はほとんどない。
     
    朝の車内は、制服姿の高校生が大半だった。
    本を読む人。眠る人。友達と話す人。ただぼんやり窓の外を眺める人。
    私も毎日、そのどれかだった。
    四季折々の自然といえば聞こえはいいが
    15の女子に、それは平凡な田舎のただの風景でしかなかった。
     
    あれは夏の終わり頃だったと思う。
    近くの進学校の文化祭の話題で、クラスが少しざわついていた。
    友人と、「帰りに寄ってみる?」「うん、途中だしね」なんてノリで、
    制服のまま足を運んだ。
    その帰り際、ひとりの男子生徒に声をかけられた。
    同じバスで市内に通う学年がひとつ上のセンパイ。

    いつからだったろう。
    同じ便で顔を合わせると、言葉を交わすようになっていた。
    何か特別な話をするというわけではない。
    面白かった単行本のことや、売店の菓子パンのこと、テストの愚痴など。
    他愛のないことばかりだった。

    ある日、バスがガコンと、急ブレーキをかけた。
    私の膝から鞄が転げ落ちる。
    センパイは何も言わずそれを拾い、軽く埃を払ってから私の膝へ戻してくれた。
    「ほら」

    ★早く着け  そう願ってた  はずなのに  鈍行バスに  馴染む私よ
     
    雪がちらつき始める頃には、
    「まだ着かない」が、「ああ、もう着いた」に変わっていた。
     
    朝だけでは足りない。
    そう思うようになっていた。
    けれど、当時の待ち合わせは、今の感覚とは少し違う。
     
    通う学校も違う。
    学年も違う。
    ポケベルも生まれてない時代。
    そんな高校生同士が、同じ時刻のバスに乗り合わせるなんて、
    運任せの偶然でしかなかった。
    今なら「乗るよ」
    その一言が、先に届く。
     
    ★ひと息の 早さ遅さに すれ違う 同じ夕べを 行くバスふたつ
     
    私が乗ったバスがゆっくり速度を落とす。
    窓越しに次のバス停が見えてくる。
    プシューッ。
    (今日はいないか)
    閉まりかけたドアが再び開く。
    プシューッ。
    最後に一人、駆け込んでくる。
    「あ」
    私は背筋を伸ばして、前髪をササッと整える。
    咳払いを一つ。
    何でもない顔をして、席を詰める。
     
    逆もある。
    私がバスのステップを上がる。
    車内をくるりと見渡す。
    ひとつ前だったか。
    そう思った瞬間、
    「お」
    最後方から、軽く手が上がる。
    心臓がドクン。
     
    1分1秒のずれで、交わることなく別々のバスに揺られてしまう。
    あの頃は、そんな毎日だった。
     
    ★念力で 呼べる気がした 帰り道  通信手段    なき時代かな


    マフラーが手放せなくなる頃には、
    ごく自然に、隣同士に座るようになっていた。
    けれど、バスは公の交通機関である。
    誰かの視線は、いつもある。
    けれど、センパイはそんなことを気にする人ではなかった。
    「あのね」
    いつも変わらない。
    私はというと、運転手がルームミラーを少し動かしただけでも、
    「見られた」と勝手に焦っていた。
    今なら分かる。
    あれは後方確認だった。

    ★ルームミラー 少し動けば 目を伏せる 運転手には 何の罪なし
     
    ある朝、窓を開けると、家の周りは一面、雪だった。
    高校へ電話を入れる。
    「通常通りです」
    事務員さんは拍子抜けするほどあっさり言った。
    山の向こう側は、今日もいつもの朝らしい。
    でも山のこちら側は、
    バスが予定を大幅に過ぎてやって来る。
    今ならスマホに、「40分遅延」
    そんな表示が出る警報級である。
    タイヤに巻かれたチェーンが重たい音を響かせながら、
    バスは慎重に雪道を進んでいく。
    センパイが乗ってくるはずのバス停まで、まもなく。
    メールであれば、「乗るよ」
    たった三文字で届くところ。

    雪は降り止むどころか、横殴りに吹雪き始める。
    窓の外すらよく見えない。
    プシュー。
    白く凍てついた空気を吐き出して、ゆっくりと扉が開く。
    肩に積もった雪。
    前髪にも、小さな白い粒。
    「あ」
    既読も通知もない。
    だから、その姿そのものが返事だった。
     
    車線は雪で消えている。
    バスはカーブのたびにブレーキを踏んで、
    また止まって、またゆっくり動く。
    速度を落とすしかなかった。
    私はというと、
    (まだ、この停留所)
    心の中で拍手をしていた。
    パチパチ。
     
    ★雪の日は 遅れてくれて ありがとう ダイヤの乱れも 恋のうちかな
     
    揺れる車窓から、山桜の淡い色が目に入るようになった。
    私は高2、センパイは高3、受験生。
    会える回数はみるみる減っていった。
    そのぶん、電話で話す機会が増えていく。
    当時は、互いの家の固定電話が当たり前。
    「うん」
    「また」
    「うん」
    「じゃあ」
    「うん」
    もはや会話ではない。あうんの呼吸である。
    受話器を持ったまま、コードを伸ばしてみる。
    廊下までしか届かない。
    指に巻きついたコードをほどきながら思う。
    (……子機、欲しい)
     
    ★限界の コードの先で 息を吐く 届かぬ距離に 子機を夢見て
     
    私は高校2度目の冬を迎えた。
    テレビが天気予報を伝える。
    『今夜から強い寒気が……』
    (来るな)
    翌朝、私の切実な願いなど意に介さず、窓の外は真っ白だった。

    ★天気予報 今年は少し 外れてと 願う私も 勝手なものね

    毎年家族で初詣に訪れる神社で、私は鈴を鳴らした。
    冷たい空気の中で目を閉じる。
    その年の願いはひとつ。
    (合格しますように)
    目を開けると、境内の石畳にうっすら雪が積もっていた。
     昭和最後のお正月だった。

    ★鈴の音に 願いをひとつ 預ければ 雪の境内 息は白くて

    久しぶりに並んで座るバスの中だった。
    「東北に行くよ」
    (……とうほく?)
     
    バスが短いトンネルに入る。
    車内が少し暗くなる。
    窓ガラスに、初めて見る自分の顔が映っていた。
    私は、慌てて視線を外へそらす。
    そのとき、何を話したのかぼんやりとも覚えていない。
    窓から見る外の景色も見えてなかった。

    夜、机の引き出しに眠っていた地図帳を引っぱり出した。
    見開きいっぱいに広がる日本地図。
    見つめたところで、
    所要時間が炙りだされるわけもない。
    地図帳をくるりと逆さにするくらいが関の山だった。
    山口から宮城まで指先でなぞってみる。
    近くはない。
    アバウトなのがあの頃だった。

     ★地図帳を 逆さにしたら 近くなる  縮むわけなき  春の現実


    平成になって初めての春は、私には何の感慨もなかった。
    けれど。
    センパイとすれ違うように、 
    東北から便りが届くようになった。
    今なら受信音ひとつ。
    あの頃は、郵便受けを開けるところからだった。
    手にして、ほんの少し心がほぐれる。
    世界でひとつのフォント。
    ながら読みはしない。
    パリパリと便箋を広げ、読む。
    夕食後に読む。
    お風呂から上がってまた読む。
    寝る前にまた読む。
    そして翌朝また読む。
    1日に何度も読む。
     
    ★折り目つく 便箋開き また閉じる 昨日の文字を 今朝も追いかけ
     
    電話をすることもある。
    一度、放課後、市内の公衆電話からかけてみた。
    テレフォンカードの度数が減る、
    というより吸い込まれていった。
    (故障? 違う、距離)
    「もう切るね」
    「うん」
    家でも外でもまともに話せなかった。
     
    ★胃袋は どこにあるんだ テレカくん 形はとても スマートなのに

    引き出しから便箋をそっと取り出す。
    まず、ペン選びから迷う。
    ごみ箱には、丸めた便箋がもう三つ。
    「Dear」は気取ってる。
    「様」は他人行儀。
    「へ」は間が抜けている。だから2本線を刺してみる。
    下の名前?
    無理。
    苗字?
    もっと無理。
    ひとり問答に費やすこと数時間。
    一行も書いていない。
    そして、ようやく便箋を半分くらい埋めたところで気づく。
    書き損じ。
    消せるペンみたいなものがない時代。
    だからと言って鉛筆は心許ない。
    万年筆にしたところで意味がない。
    深呼吸。
    心機一転、まっさらな1枚と向き合う。
    丸めた紙ばかりが、ごみ箱に増えていった。
     
    「こんにちは」
    夏頃には、文房具店の店主とも顔見知りになる。
    「このシール、使ってみて」
    シールの在庫ばかりがたまっていく。
     
    なんとか紙1枚を文字で埋める。
    でも万歳はまだ早い。
    実はここからが正念場だった。
    二行目まで読んで、便箋を伏せる。
    深呼吸。
    一字一句、自分が書いた文字をたどっていく。
    ……。
    あ、読み返して正解。
     
    1週間後。
    まだ投函できない。
    封筒の表書きが残っている。
    横書き? 縦書き?
    1通の手紙を書きあげるのに、優に数週間かかった。
    でも、手紙ばかりに浸っている場合でもなかった。
    机の上には、進路希望の調査書。
    私は高3の夏を終えようとしていた。

    ★一通に 数週間を 費やして 受験生とは 名ばかりの夏

     クラスの中でも、話題は進路の話ばかりになっていた。
    「どこ受ける?」
    「推薦?」
    「専門?」
    机の上には、真っ白な進路希望調査票。
    まだ何者でもない17歳には、少し大きすぎる紙だった。

    ★真っ白な 進路調査の プリントに 書けない夢の 重さを量る

    山肌は、いつの間にか朱色に染まっていた。
    私はぼんやりと外を眺めながら、
    進路のことでもなく、模試のことでもなく、
    大学の夏休みで帰省したセンパイのことを思い出していた。

    あの日は、助手席に座った。
    バタン。
    外の音が遠のく。
    運転手のルームミラーもなければ、“人”の目もない。
    なのに、私は窓の外ばかり見ていた。
    たまに横を向く。
    すぐ前へ戻す。
    そんなことを何度も繰り返していた気がする。
    少し伸びた前髪。
    肘まで無造作にまくった白いシャツの袖。
    ハンドルに添えられた右手。
    写真でも動画でも、今は、その人の毎日を簡単に知ることができる。
    でも、当時は、その人の「今」は、次に会うまで分からなかった。

    ドン。
    バスが段差を越え、大きく揺れた。

    一週間後。
    私は夕飯のあと、親にぽつりと言った。
    「東北の大学に行きたい」
    「なんで?」
    ……何も言えなかった。

    私はまた地図帳を開く。
    じっと見て、ふと思う。
    ここで乗り換えか。
    「……そうだ。東京まで出ちゃおう」
    今思えば、ずいぶん雑な発想である。

    けれど。
    「東京なら、お父さんの知り合いがおるね」
    母のそのひと言で、 私の思いつきは、急に現実味を帯び始めた。
    ただし、「学生寮のある女子大なら」という条件付き。
     
    大学のホームページなんてものはない。
    分厚い大学案内のページをめくっていく。
    けれど、探し始めて気づいた。
    学生寮のある女子大って、本当にある?
    ようやく条件に合う大学を見つけたときには、
    願書は間に合わなかった。
    パタン。


    一年後。
    私は上京した。
    大学の学生寮の最寄り駅は『桜新町』。
    改札を抜け、地上に出る。
    渋谷から4駅、人通りは想像以上に少なかった。
    駅前には小さな本屋、魚屋、金物屋が肩を寄せ合うように並び、
    自転車がゆっくりと通り過ぎていく。
    「……山口じゃん」
    テレビで見ていた東京とは、まるで違っていた。

    駅から寮まで頼れるものは、
    大学から送られてきた一枚の案内図だけだった。
    手のひらの画面が目的地までナビゲートしてくれる今とは違う。
    そこに書かれていたのは、簡略化された地図と、
    『駅を出て、ほぼ1本道を10~15分。左折して徒歩10分』
    説明はその程度のことだったと思う。

    ★頼りなき  地図一枚を  道標(みちしるべ) 歩くこの道 永遠に似て

    見たような電柱に、似たような民家。
    「どこかで曲がり角を間違えただろうか」と心細くなりかけたとき、
    前方に、同じ大学の封筒を小脇に抱えた子がいた。
    視野を広げると、少し先にもうひとり。
    振り返ると、2、3人。
    「あの……学生寮ですか?」
    私は、遠慮がちに声をかける。
    「はい!」
    「よかったぁ」
    小さな安心感が芽生える。
    気づけば2人が3人になり、4人、5人になっていた。
    誰が先頭でもない。
    皆で同じ地図を片手に、顔を見合わせながら歩く。
    寮の門が見える頃には、4、50分歩いた気分だった。
    それでも、不安だけは少し薄らいでいた。

    ★手の中に スマホがあれば 声かけず うつむいたまま 着いたこの道 

    学生寮の名前は『緑声舎(りょくせいしゃ)』といった。
    700人余りを収容できる。
    当時は自宅からの通学に1時間以上かかる1年生は全員入寮、
    というのが決まりがあった。
    田舎育ちの私からしてみれば、ちょっとした町の規模である。

    真っ白なその建物は、
    写真よりもはるかに大きく見えた。
    地下一階、地上五階建て。
    A棟とB棟からなるL字型のそれは、
    女子寮というより、まるで近寄りがたい要塞だった。

    けれど、門をくぐると、その硬い印象は少しだけ和らぐ。
    木々が揺れ、花壇には草花がそよいでいた。

    緑声舎は、七つの寮からなっていた。
    「葵」「藤」「茜」「橘」「桂」「桜」「楓」。
    日々の清掃や点呼は、この寮ごとに行われる。
    名前だけ聞けば、可憐な草花である。
    けれど、規則は可憐ではなかった。
    「門限は午後7時半です」
    東京で最初に覚えた時間だった。
    休日とその前日だけ午後九時。
    外泊も帰省も事前申請が必要で、無断外泊など論外だった。
    時間になれば、容赦なくガチャリと重たい鍵が下りる。

    余裕を持って行動してるつもりでも、
    門限ぎりぎりの電車に乗ってしまう日もある。
    そうなると、桜新町駅から寮まで、20分1本勝負。
    走るしかない。
    ところが、ここでもう一つ厄介な問題があった。
    当時、キャンパスにジーンズをはいていくことは、
    あまり良しとされていなかった。
    けれど、門限との過酷な競争に、
    スカートとパンプスはまるで向いていない。
    荷物を抱え、住宅街をカッ、カッ、カッ。
    寮は、辺りでも高台に位置していて、
    ゆるくはあっても上り坂には間違いなかった。
    寮に駆け込む頃には足はパンパン。
    さらに、私は最上階の5階に部屋があった。
    目の前のエレベーターが使えるのは緊急時のみ。
    私的には、緊急時だが、当然使えるわけがない。
    おかげで贅肉だけはつく暇がなかったように思う。

     ★花の名の 寮の掟に 追われつつ ヒールで駆けて 太る暇なし

    各寮の廊下には、白い大きな冷蔵庫が等間隔に並んでいた。
    数部屋で1台を共同で使う。
    実家から送られてくる全国津々浦々の食べ物なども入っていて、
    さながら物産展の裏側を覗くようでもあった。

     部屋は、机、棚、収納スペース、ゴミ箱、すべて4つ。
    4人仕様の部屋だった。
    学部も学科もバラバラで、
    愛媛か来たキミちゃん。
    長野から来たミヤちゃん。
    岡山から来たアヤちゃん。
    そして、山口の芋娘。
    「1年間、よろしくお願いします」
    4人で交わした最初の言葉だった。
    2段ベッドが2組で、短いカーテンが付いていた。
    それを見て、ギョッとするより、ほっとした。
    「ああ、ひとりになれる場所がある」

    夜10時。
    パチン。
    廊下の電気が消える。
    最初の頃は本気で、「停電?」と身構えたものだが、
    これが緑生舎の毎日の消灯時間だった。
    消灯後に使えるのは、机のライトと、ベッドの枕元の小さな灯りだけ。
    試験前などは、部屋の中に、小さな島が四つ浮かんでいるように見えた。
    コン、コン。
    茜寮には、遅くまで騒ぐような無粋な人はいなかったが、
    たとえ大きい声がしたとしても、
    「静かにしてください」
    などと野暮な声は飛ばない。
    コン、コン。
    ドア越しに硬いノックの音が鳴る。

     入寮当初は、そんなお子様タイムに熟睡なんて、と思っていた。
    けれど、気づけばいつも朝になっていた。
    ただ、同じ寮内で、博多から来たエフ子は、
    「静かすぎて眠れん」
    と、目の下にクマをつくっていつもぼやいていた。
    博多は屋台の町だ。
    夜には夜の人が生きる“音”がちゃんとあるのだという。
    そう、寮の夜は静かだった。
    部屋にはテレビはない。
    ラジオもない。
    電話もない。
    「どこかにはあるみたいですよ」
    ミヤちゃんが言う。
    今ならスマホで1秒かもしれないが、
    あの頃は、「どこか」を探すところから始まった。

     ★電話とは 持ち物ではなく 探すもの 町のどこかに あると信じて

    「食堂、行ってみます?」
    4人そろって地下1階の大食堂へ下りる。
    地下とは思えない解放感で、
    どこに座ろうかと迷うくらいの座席数がある。
    お盆を持って並ぶと、栄養学科が考えた献立がきれいに並んでいた。
    ひとり暮らしの初日に、こうはいかない。
    「いただきます」
    『いいね』をもらえる美味しさだった。

    自室へ戻ると、西日が部屋を濃いオレンジ色に染めていた。
    「お風呂、行きます?」
    食後の余韻もそこそこ、
    今度はシャンプーやタオルの入ったバスセットを手に、
    再び地下1階を目指した。

    湯気が立ち込める大浴場の真ん中に、浴槽があった。
    ちゃぽん。
    毎日、この時ばかりは大きなため息が許される気がした。
    けれど、大浴場ものんびり、というわけにはいかない。
    なにしろ、700人暮らしである。
    ドライヤーの列は、なかなか進まない。
    「まだ?」
    「あとちょっと」
    そんな会話が毎晩どこかで聞こえていた。

    大学から寮に戻り、腹を満たして、身を清める。
    どちらも人として当たり前の営みである。
    けれど、大所帯ともなれば、自分のペースで事を運べない。
    それに茜寮は5階から地下1階の階段の往復もある。
    気づけばあっという間に日が落ちていた。

    ★東京は ネオンの海と 思いきや 故郷(ふるさと)同じ 星のまたたき 

    夜9時が近づくと、誰彼ともなく言った。
    「そろそろ点呼、行きます?」
    部屋を出ると、廊下には同じように、部屋着姿の学生たちが歩いていた。
    初日ということもあってか、
    メイクは落としていても、表情だけはどこかよそゆきだった。
    寮監室の前に、各部屋ごとに縦一列、部屋番号順に整列する。
    簡単な点呼に関する説明の後、
    それまで聖母のように微笑んでいた寮監の顔から、
    スッと体温が消えた。
    時計の針が夜9時を指す。
    「それでは、点呼をはじめます」 
    夜の廊下に、凛とした声が響く。
    空気が変わるのがわかった。
    「〇号室、四名、異常ございません」
    一番前に立つ部屋の代表者が言う。
    「〇号室、四名、異常ございません。」
    その言葉が廊下に響くたび、私は思った。
    ――これは、思っていた大学生活じゃない。
    親は安心するだろう。
    でも18の私は、少しだけ動物の勘を働かせていた。
    「……とんでもないところへ来たかもしれない」

    それが、不思議なことに、ひと月もすると、
    「〇号室、四名、異常ございません」
    その"とんでもない"にも慣れる。
    私も、ごく普通の顔で言えるようになっていた。
    人が環境に染まる速度は、思いのほか早い。

    点呼が終わると、寮生たちは一斉に階段を下り始める。
    向かう先は、電話コーナーだった。
    黄緑色の公衆電話が並んでいる。
    硬貨でも、テレフォンカードでもかけられる電話だ。
    並んでいたと言っても、十台もなかったと思う。

    衝撃的な点呼デビューを果たした私たち4人は、
    寮の初日の全カリキュラム終え、ホッと一息。
    階段をゆっくりと降りていた。
    その途中、キミちゃんが言う。
    「……何これ?」
    階段の端に沿うように、ずらりと一列、寮生が並んでいる。
    先頭は見えない。
    「????」
    不思議な表情を浮かべる私たちを横目に、
    その最後尾はずんずんと上へと伸びていく。
    さらにキミちゃんが言った。
    「電話に並んでる列だよ」
    4人の眠気が一瞬で吹き飛んだのは言うまでもない。

    ★声ひとつ  聞くためだけに  並ぶ夜  それでも長いと  思わなかった

    翌日から、点呼前には足首を回し、軽く屈伸するのが習慣になった。
    滑らないスリッパに買い替える学生いた。
    全力疾走は無理だが、1秒でも早く着くに越したことはない。
    『廊下は静かに歩くこと』
    壁に張り紙があった。
    ただ、この時ばかりは誰の目にも留まっていない。
    寮監も多めに見て下さっていたと思う。

    通話時間は、ひとり約10分。
    それが暗黙のルールだった。
    消灯時間の夜10時に併せて電話コーナーは使用禁止となる。
    女子700人暮らしの倍率は高い。
    あの頃の10分は、不思議なくらい短かった。
    あれから35年。あんなに短い10分を、私は未だ知らない。

    受話器を取る。
    テレホンカードを差し込む。
    番号をポチポチと押す。
    プルルルル……。
    まだ出ない。
    プルルルル……。
    まだ出ないか。
    「あ、もしもし」
    ここからが会話の本番になる。
    10分から、諸々のロスタイムを引いて、残るは……。
    当時はそんなややこしい計算をいちいち頭の中で反芻しながら、
    限られた時間に私たちは自分のすべてを注ぎ込んでいた。

    家族、恋人、電話の相手はいろいろ。
    気の張りつめた一日が終わるとき、耳に届く「元気?」
    思わず言葉に詰まると、心配されて「どうした?」
    10円足りなかったばかりに、話途中で受話器を置く日もあった。
    テレフォンカードが切れ、一方的に話して終わった日もあった。
    内容も状況もさまざま。
    でも、電話の向こうから聞こえる声は、いつでも心をふっと軽くした。

    ★肝心な  ことは言えずに 「おやすみ」と 受話器を置いた  10分の恋

    背後に長い列を感じつつ電話をするのは、軽くプレッシャーではある。
    まだ、話したい。でも、譲らなきゃ。
    電話コーナーに立つと、いつもこのふたつの気持ちが揺れていた。

    受話器を置く。
    振り向くと、次に待つ人とふと目が合う。
    逆に、自分が待つ人のとき、電話を終えた人とふと目が合うこともあった。けれど、うるんだ瞳は、その空間に浮いているということはなかった。
    無言のまま軽く会釈をして、場所を入れ替わる。
    まだ誰かの体温が残る受話器を、少し早足で受け取る。
    それはまるで、見えない想いを次へと繋ぐ、
    小さなバトンタッチのようでもあった。

    ★待つ人の 気配背中に 感じつつ そっと手放す 私の時間

    ある夜、私は電話口でセンパイに言ってしまった。
    「明日もかけるね」
    受話器を置いた瞬間までは、それでよかった。
    明日も声が聞きたい。ただ、それだけだった。
    午後9時を過ぎてから外へ電話をかけることが、
    どれほど難しいことなのか。
    そんな現実は、電話の最中にはきれいさっぱり頭から消えていた。

    その日は、いつもより少しだけ長くトリートメントを髪になじませた。
    別に会うわけじゃない。
    電話するだけだ。
    ところが、その日に限って茜寮の点呼はなかなか終わらなかった。
    寮監の話が続く。
    階下からパタパタと乾いた軽快なタップ音が耳に届く。
    嫌な予感は当たった。
    私が階段を駆け下りまでもなく、長い列ができていた。
     一歩ずつ前に進むこと50分。
    その夜、私の手元に黄緑色の受話器が回ってくることはなかった。
    入寮以来、初めての寝不足である。
    もちろん、翌日、日中にセンパイに電話を入れた。
    「昨日、並んだんだけど」
    「だろうと思った」

    ★誰ひとり 待たずに話せる 黒電話 思い起こせば なんと贅沢

    夜10時を過ぎても、電話をかける手段がなかったわけではない。
    『緊急のときは、遠慮なく寮監室の電話を使ってください』
    しかし、消灯後の寮内は、水を打ったように静まり返っている。
    さながら水琴窟の中。
    寮監たちのすぐそばで、受話器を握る。
    ため息も、少しばかり甘えた吐息も、すべてが筒抜けになる空間。
    そんな中で、何を言う?
    恋の話は、静かすぎる場所では案外できないものだ。
    (約束は止めよう)
    ひとりで約束した夜だった。

    ただ電話をして、ただ声を聞くだけ。
    それだけのことが、あの頃、とても難しかった。

    ★また明日  言わぬと決めた  夜があり  約束だけが  恋ではなくて

    「学寮研修があります」
    そう聞いたとき、私はその意味が理解できなかった。
    食堂へ行けば誰かがいて、
    お風呂へ行けば誰かがいて、
    夜九時になれば全員集合。
    ようやく寮生活にも慣れてきた頃だった。
    それなのに、三泊四日で別の寮へ行くという。
    聞けば、大学の別の施設で、
    通学に一時間未満の学生も加わって行われる授業の一環だった。

    授業のほかにも、スペシャルメニューが用意されていた。
    畑で芋を掘ったり、浜辺で地引網を引いたり。
    芋堀を純粋にキャッキャッと楽しめる都会育ちの子たちが眩しかった。
    私にとって、掘りたての芋の匂いも、網の中で跳ねる魚も、
    身内と会う感覚にどこか似ていた。
    父の実家は山まで1分。母の実家は海まで1分。
    芋娘にとっては、少し度が過ぎたサプライズだった。

    ★地引網 ピチピチはねる 魚見て 他人事には つゆも思えず 

    けれど、私の心に一番深く残っているのは、
    そんな故郷めいた自然の情景ではない。
    毎日、一首、和歌を作ることだった。
    日文らしいといえば、らしい。
    窓の外には太平洋の海が広がっていた。
    波は休むことなく寄せては返す。
    それなのに、三十一文字だけは、一向に寄せてこない。
    波の音を聞いて、黙って考えて、消して、また考える。
    レポート用紙を前に、シャーペンだけが何度も宙を彷徨った。

    ★産卵の 亀のごとくに 涙して 
       やっと生み出す 三十一文字(みそひともじ)よ

    何もない沈黙の底から言葉をすくい上げる工程は
    地引網より重いものがあった。
    そうして疲弊し、ようやく就寝時間を迎えようとする夜。
    私を待っていたものがあった。
    長い電話の行列だった。

    大学と寮。
    その二つを行ったり来たりする1年だった。。
    朝になれば寮を出て大学へ向かい、
    夕方になれば大学から寮へ帰る。
     
    門限、鉄の門、点呼、消灯、規則……、
    確かに、字面だけを見れば雁字搦めを否めない。
    実際、春には4人で始まった部屋も、
    気づけば1人減っているという部屋もあった。
    その一方で、2年、3年、4年、
    寮を選んで学生生活を送っている先輩方もいた。
     
    授業を受ける。
    友人とランチする。
    図書館へ寄る。
    試験前は机に向かう。
    大学のホールで音楽や演劇を鑑賞してレポートを書く。
    休日には東京を歩き、他大学のグラウンドでマネージャーとして声を張る。
    アルバイトは禁止だった。
    それでも、スケジュール帳には余白がほとんどなかった。
     
    寮内には部活動もあった。
    私は筝曲部に籍を置き、指に爪をはめて弦を弾いた。
    ピン。
    ツツテン。
    役に立つとか役に立たないとか、そんなことは考えなかった。
    ただ、ピン。ツツテンテン。ピンピン。
     
    ★メシ炊けた お掃除できたと 家で待つ それは昔の 女の鏡
     
    だからといって、慌ただしかった、というと、そうではない。
    毎日、ちゃんと座って三度の食事をとり、
    洗髪も欠かさず、湯船にもちゃぽん。
     
    キャンパスライフよりも寮生活。
    カフェテリアよりも大食堂。
    サークルよりも大浴場。
    教員よりも寮監。
    研究室より寮監室……。
     
    私の大学1年は、大学よりも寮だった。

    寮は平成26年に閉館した。
    その後、建物もなくなった。
    そして、私を東京に連れてきた恋は?
    退寮後、静かに終わった。
     
    (あとがき)
    35年前の芋娘の記憶を、ひとつひとつ拾い集めながら綴りました。
    数字や順番など、少し違うところがあるかもしれません。
    どうか、そのあたりは笑ってお付き合い頂けたらうれしいです。

    ★遠回り したと思えば 乗り換えの 駅は案外 東京だった

    今日も私は、当たり前のようにスマホを手に取る。
     
    ★会うまでの 時間ばかりを 覚えてる 会ったことより 不思議なくらい
     
     
     
     
     
     

     
     
    スマホがなかったあの頃の日常を、和歌とともに。

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