
あのころの自分はほんとに自分なのか?
昨日の自分って、ほんとに自分なの?
ふと思ったのですが、
昨日の自分と今の自分って、ほんとうに同じなんですか?
「同じに決まってるでしょ。何言ってるの?」
そうなりますよね。
時と場合によっては、何かよからぬことをしでかしたのでは?
と疑われてもしょうがない問いです(笑)
でも、よく考えてみてほしいのです。
何を根拠に、昨日の自分と今の自分が同じだと言えるのでしょうか。
寝ている間の記憶、ありますか?
その時、あなたは何をしていましたか?
分かる人います?
「いや、俺寝てねえんだわ!」
という方は、今回はちょっとパスでお願いします。
だいたいの人は、寝ている間、夢を見ている。
もしくは、夢も見ずにぐっすり。
このどちらかですよね。
寝ている時の記憶とは
寝ている時というのは、夢の国に行っているか、
全くどこに行っているのか分からない状態なのではないでしょうか。
夢の記憶はありますか?
正直、わたしは、あるような、ないような。
ないような、あるような。
すごくあいまいなんです。
いくつか記憶に残っている夢はあります。
すごく小さい頃に見た夢の記憶もあります。
でも、それって本当にそうだったのかな?
と考えると、少し自信が揺らぎます。
絶対にその夢を見た、と言い切れるのか。
もしかすると、
「そんな夢を見たような記憶がある」
だけなのかもしれません。
実際にその夢を見たわけではなく、
あとから自分で作った記憶なのかもしれない。
夢って、そのくらい朧げな感じがしますよね。
そうなんです。
寝ている時というのは、
何も覚えていないのか、
朧げな夢の中にいるのか。
どちらにしても、あやふやで、あいまいで、不確かなんです。
あれ?
ということは。
昨日の自分と今の自分って同じ?
昨日の自分がいました。
寝ました。
起きました。
姿形が変わっているわけではありません。
映画やアニメじゃないんだから、
寝て起きたら別の姿になっていました、なんてことは、よっぽどないですよね。
もしそうなら、
「昨日とは違う!」
とすぐ分かります。
でも、現実にはそんなことはありません。
せいぜい、
「なんか虫に刺されたなあ」
とか、
「知らない間にどこかぶつけたかなあ」
くらいです。
昨日の自分と今日の自分が違うなんて、普通は思いません。
わたしは、わたしのままです。
……はい、終了。
そうです。
これで何も問題ありません。
昨日の自分と今日の自分が違うなんて、何をおかしなことを言っていたのか。
そう思います。
でも、どうしても気になってしまうのです。
なので、わたしは仮説を立ててみることにしました。
わたしは、昨日の自分とは違う。
そうです。
わたしは、昨日の自分とは違うのです。
ここから、その可能性を探っていきましょう。
ケース① 寝ている間に、何かが変わっている
しょっぱなから、かなり怪しい話になります。
たとえば、寝ている間に、説明のできない何者かに会っていたとしたら。
宇宙人なのか。
神様的な存在なのか。
夢の中の誰かなのか。
それとも、人間には理解できない何かなのか。
そして、その何者かに記憶を消され、
別の記憶を与えられて再スタートしていたとしたら。
少し、自分で書いていても背筋がゾクッとしてきます。
もちろん、普通に考えたら、まあありえないですよね。
でも、ここで大事なのは、宇宙人がいるかどうかではありません。
寝ている間に、昨日の自分が消えて、今日の自分が始まっていたとしても、それを証明する方法はあるのだろうか。
ということです。
記憶がつながっているから、同じ自分だと思っている。
でも、その記憶そのものが不確かだったら?
肉体は同じでも、意識のようなものが少し変わっていたら?
あるいは、昨日の自分から何かが抜け落ち、
今日の自分に何かが足されていたら?
それでも、わたしはわたしと言えるのでしょうか。
かなりオカルティックな話に見えます。
でも、よく考えると、これは「不思議な存在」の話ではなく、
自分が自分であることを、どうやって証明するのかという話なのかもしれません。
ケース② 細胞は日々入れ替わっている
さっきとはうって変わって、かなり現実的な話です。
そうです。
物理的にも、わたしたちは少しずつ変わっています。
人間の体は、一度に全部ではありませんが、日々少しずつ入れ替わっていると言われています。
血液。
皮膚。
腸の細胞。
骨。
筋肉。
それぞれの速さは違っても、体は少しずつ更新されていく。
つまり、昨日の自分と今日の自分は、完全に同じ物質でできているわけではない。
全部が一度に変わるわけではないから、同じだと感じているだけで、
厳密には、少しずつ違っている。
年数が経てば、肉体的にはかなり別人に近くなっているのかもしれません。
「しばらく会わない間に、まるで別人みたいになったね」
という言葉がありますが、
ある意味では、本当に別人になっているのかもしれないのです。
ここで思い出すのが、テセウスの船という有名な問いです。
船の部品を一つずつ交換していき、
最後にすべて新しい部品になったとしたら、
それは最初の船と同じ船なのか。
この問いを人間に置き換えると、どうなるのか。
わたしは、少なくとも「まったく同じ」とは言えないのではないかと思います。
ケース③ 経験値が変わっている
ここからは、もっと当たり前の話です。
昨日の自分は、昨日までの経験値の自分。
今の自分は、今までの経験値の自分。
仮に丸一日寝て過ごしていたとしても、
「丸一日寝た」という経験をしたことになります。
その時点で、昨日の自分とはもう違います。
肉体的には大きく変わっていないかもしれません。
でも、その分の時間が積み重なっている。
何かを見て、何かを聞いて、何かを考えている。
誰かと話していたり、
本を読んでいたり、
映画を見たり、
外部から情報を取り入れていたら、なおさら分かりやすく変わっています。
もし何もしていなかったとしても、
何も考えていなかったとしても、
「何もしなかった時間」は確かに積み重なっている。
だから、昨日までの自分と今の自分は、やはり少し違う。
これは、かなり理にかなっている気がします。
少なくとも、ケース①よりは(笑)
ケース④ 時間と空間のズレ
ここまで来ると、かなりこじつけになってきます。
でも、一応考えてみます。
生きているということは、呼吸をしています。
昨日の自分と今の自分では、呼吸の回数も、心臓の鼓動の数も違います。
消耗したものも違う。
動いた筋肉も違う。
通った時間も違う。
さらに言えば、昨日の自分と今の自分は、まったく同じ空間にいたわけでもありません。
同じ部屋にいたとしても、地球は動いています。
周りの環境も変わっています。
空気も、光も、温度も、わずかに違う。
自分を構成している何らかの要素は、昨日とは違う。
そう考えることもできるのではないでしょうか。
かなり苦し紛れです。
でも、苦し紛れにも、火種くらいはある気がします。
仮説のまとめ
「昨日の自分と今の自分は違う」
そう仮説を立ててみました。
その理由として、
・寝ている間の自分を証明できない
・体の細胞は少しずつ入れ替わっている
・経験値や思考は日々変化している
・呼吸や鼓動、時間の積み重ねも違う
・自分を取り巻く空間や環境も違っている
ということを考えてみました。
もちろん、逆の仮説も成立します。
「昨日の自分と今の自分は同じ」
こちらも当然、成り立ちます。
わたしはわたしです。
昨日のわたしが寝て、今日のわたしが起きた。
その記憶があり、体もあり、生活も続いている。
そこを疑って何になるのか。
それもその通りです。
だから、ここまできてこんなことを言うのもなんですが、
正直、どちらでもいいのかもしれません。
昨日の自分と今の自分が同じなのか。
違うのか。
それを完全に証明することは、わたしにはできません。
ただ、大事なのは、そこではない気がするのです。
なぜ、そんなことを考えたのか
そもそも、なぜこんなことを思ったのか。
「昨日の自分と今の自分は、ほんとうに同じなのか?」
そんな、ちょっと頭おかしいんじゃないかと言われそうなことを、なぜ考えたのか。
いくつか影響があります。
ひとつは、子どもの頃に見たドラマや、ドラえもんの都市伝説の影響です。
「南くんの恋人」や、ドラえもんにまつわる夢オチの話。
公式か非公式か、都市伝説かは別として、
子どもの頃に「夢オチ」というものを知った時の衝撃は、かなり大きかったのです。
ただの夢だった。
それだけならまだいい。
でも、事故か何かで身動きができない状態で見ていた夢だった、
みたいな伝わり方をしていたことが、すごくショックでした。
もしかして、この現実も夢だったりしないのかな。
そんな考え方が、わたしの中にはずっと残っていました。
もちろん、夢ならもう少しいい夢を見せろよ、と思いますけど(笑)
それでも、現実を少し疑うような感覚は、子どもの頃からあったのかもしれません。
怖い話は嫌いです。
でも、不思議なことには興味がある。
目の前のことをすぐ信じるくせに、なぜか疑う。
その二つの性質が、わたしの中で呼応して、
この疑問を連れてきてしまったのだと思います。
寝て起きることを、ずっと繰り返している
生まれてから今まで、わたしたちはずっと寝て起きてを繰り返しています。
365日。
10年。
20年。
30年。
毎日寝る。
毎日起きる。
一度も疑わずに。
本当に、昨日の自分が今日まで続いていると、
何を根拠に信じていたのでしょうか。
ずっと今まで連続している。
生まれてから、今この一瞬まで、何の疑いもなく連続している。
そう信じていた事実に対して、わずかな疑問が生まれた。
少し意味は違いますが、こういう感じです。
毎回、毎回、失敗せずに同じリズムを刻む機械があったとして、
それは未来永劫、ほんとうに一度もズレずにあり続けられるのか。
寝て、起きる。
その繰り返しのどこかに、
ほんの少しのズレがあったとして、
わたしたちはそれに気づけるのでしょうか。
この疑問は、言うなれば、自分の人生に対しての楔です。
昨日の自分と今の自分。
同じかもしれない。
違うかもしれない。
正直、わたしには分かりません。
もしかしたら、一生分からないのかもしれません。
でも、この疑問を持つ前のわたしは、
何の疑いもなく、
「わたしはわたしだ」
そう信じて生きていました。
その当たり前に、小さな楔が打ち込まれた。
それだけでも、この問いには意味があったと思うのです。
日記のすすめ
昨日の自分と今の自分が違うのか。
それを完全に知る方法は、わたしには分かりません。
でも、その違いを少しだけ眺める方法ならあります。
日記をつけることです。
すごく古典的です。
でも、日々の記録をつけることは、とても大切なのではないかと思っています。
登山家の人も日々記録を残すと聞いたことがあります。
それは後に記録を残す目的だけでなく、極限状態で自分の意識や記憶、精神を保つためでもあるそうです。
昨日の自分と今の自分がどう違うのか。
それを知るという意味もありますが、もっと単純でいいと思います。
今の自分は、いったいどういう状況なのか。
自分のことを少しだけ客観的に見る習慣をつける。
それが大事なのではないでしょうか。
現代は、スマホやSNSの普及によって、自分が意識しているつもりでも、知らない間に流されやすい状況にあると思います。
意識しているようで、していない。
認識しているようで、認識していない。
だからこそ、「日記をつける」という行為は、自分を客観的に見るためのものになります。
無自覚のまま流されていく自分への、錨のようなもの。
そんな役割を持っている気がするのです。
いちおう、やってみる
もう一つあります。
いちおう、やってみる。
これは、ここ近年の転生ものや異世界もののアニメ作品などを見て思った、わたしの淡い妄想、幻想、期待も入っています。
期待8、現実2くらいです。
ほぼ期待妄想です(笑)
知らない間に、自分でも知らない力が身についていました。
そんな漫画みたいな話、あるわけない。
でも、妄想や想像や期待をするのは無料です。
むしろ、そのまま気づかずに終わってしまう方がもったいない。
昨日まではできなかったはずなのに。
今までの自分なら、こんなことできるはずないのに。
なぜ?
いつの間にそんな力が?
そんな展開も、
「いちおう、やってみる」
がないと発生しません。
だから、勇気を持って。
だめだと思っても。
まあ、だめだろうと思いつつも。
とりあえず、いちおう、やってみる。
昨日の自分と今日の自分が違うのだとしたら、
今日の自分には、昨日までなかった何かがあるかもしれないのです。
昨日の自分と今の自分
昨日の自分と今の自分。
同じかもしれない。
違うかもしれない。
それは、過去の自分が想像していた自分と、今の自分は同じなのか、
ということにも少しつながるのかもしれません。
己を知る。
すべてはそこから始まるのではないでしょうか。
「自分」
それは、まるで宇宙のように不思議な存在。
一番近くにいるようで、
実は一番遠いようなもの。
答えを見つけることより、
問いを持ち続けること。
もしかしたら、それこそが、
自分という存在を見失わないために、一番大切なことなのかもしれません。
ひとつひとつ、向き合っていきたいものです。