メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo byt0m0y0

「いいよ」をもらえないと何もできない

    他人軸で生きてきたが故。

    自分一人ではきっと気づけなかった
    最近発見したわたしの一部分。

    ◇◆◇

    人の目を気にする節は分かっていました。

    自己犠牲があることも分かっていました。

    それに加えて、HSPを発揮して相手の求めるものを渡すことができる。

    人に迷惑をかけてはならないと思う。

    それがすべて、度が過ぎていたんだと思います。
    全部、私にとっては当たり前のことで信じて疑わないことです。今もそう思う。
    でも、それが悪い癖になって出ていた。

    「これどうですか?」「いいね」でやっと進める研究
    「誰も出来ないから、私がやらないと」
    「誰と、どこへ遊びに行くよ」を、23歳の今も伝える
    相手のありとあらゆる情報から、何をしたいのか、何を食べたいのか、どこへ行きたいのか、探りながらの人間関係
    人からの相談は多く、嬉しいけれど、私は絶対相談しない
    そうやって自分を抑えるのが普通のこと

    ◇◆◇

    最近、自分の将来像
    在りたい姿を考えます。

    HSPさん、繊細さん向けの本を読みながら、
    ひとつ思ったことがある。
    欲を出してこなさ過ぎた

    やりたいことはある。でも、それは形に縛られたやりたいことだ。家族や友達や、サークルの仲間などといった周りの人を大切にすることも当たり前に必要な前提ではある。が、それに囚われすぎていて、それらがある前提でしかものを考えられない。
    将来の道も、院進したらこう、しなかったらこう、と自分で形を作ってそれに当てはめるようなことしか描けなかった。

    例えば、今年のGWに初めて一人旅をしてきました。これも親の許可取りに一苦労。「女の子1人で危ないからね…」といった具合に、何にでも許可やら「いいよ」がないとダメだった。サークルにこれはないが、自分で無意識のうちに作り出してしまっているのだろう。許しがないと動けないから。

    ◇◆◇

    YouTubeを見ていると、short動画でたまに回ってくる
    「過干渉な親に育てられた人の考え方」
    自分には当てはまらないと思っていたけど、今思い返せばピッタリ当てはまっている気がする。

    そう、気づいてしまったら、自分の思考自体を疑わないといけない。

    でも、その前に、現実問題を無視して、欲望を出してみることが必要な気がする。抽象的にはこうやって言えても、「じゃあ具体的にはなに?」状態の私だけれど、できるようになりたいな。なんてね。

     
     
     
    取材ライティング・コミュニティ 旅と日常を行ったり来たり🌈✈️ 言葉|旅|カメラ|日本酒|珈琲 お仕事のご依頼は「お問い合わせ」またはSNSのDMまで📨

    あなたへのおすすめ